FOR YOU

7      forever you
 
 
 
 
 
 春の訪れを告げる柔らかな日射しが降り注ぐ中、流山家のキッチンから明るい少女の声が響いた。
「やったー! なんとか形になったかな?」
「上出来だと思うよ、あかねちゃん…きっと喜んでもらえるよ」
彼らにそう言われたのは、セピア色に輝くチョコレートケーキだった。元宮あかねはお菓子作りを趣味とする後輩の家に協力を求めてやって来たのである。自分たちで食べるものならばここまで気を使ったりはしないだろう…詩紋もこのケーキを受け取るべき知人のことをよく知っていたのだった。
「早速渡してくるね」
綺麗な箱にケーキを入れてラッピングしている様子を、詩紋は複雑な気持ちで見守っている。それでもあかねの笑顔が見られれば何も言うことはないのも事実なのだった。
 そんなとき、流山家にチャイムなしで入れるもう一人がやってきた。
「詩紋、約束したCD持ってきたぜ」
「天真くん?」
「なんだ、あかねも来ていたのか」
そう言う彼の視線はあかねの手元にあるケーキへと注がれている。
「へえ、美味そうだな」
そこへと伸びた手は…あかねの持つフォークでグッサリ! とやられてしまう。
「なにすんだよ!」
「だって泰明さんに持ってくんだもん」
 その名前を言われれば天真も黙るしかない。安部泰明…あかねの恋人である。
「バレンタインなんて終わっただろうが」
「先輩、別に差し入れに日にちは関係ないよ」
後輩にまで言われるとは…彼の立場は完全に失われていた。
「それじゃ行ってくるね。天真くん、少し失敗したやつでいいならそこにあるわよ」
「いってらっしゃーい」
大きく手を振る詩紋に見送られ、あかねは恋人の元へと出かけていった。
「…おい、詩紋」
「どうしたの? 天真先輩」
「この物体は何なんだ…」
「嫌だなあ、あかねちゃんが言ってたじゃない。チョコレートケーキだって」
天真の口から完全に言葉が失われる。この原型を止めていない漆黒の物体をどう説明すればケーキと結論づけられるのか。
「食べないと、あかねちゃん怒ると思うな」
 
 
 
 
 手に持つ箱を気にしながら、それでも足早に道を駆けてゆく。目的地は近所にあるデザイナーズマンション、彼はそこの最上階で一人暮らしをしているのだ。肩書きは一応私立Y大学の三年生となっている。しかし以前は…それを知っているのはここではあかねと天真、そして詩紋だけだった。
 エレベーターから降りて、あらかじめもらっている合い鍵を手に取る。しかし目的地である部屋の扉は大きく開けられており、誰かがそこにいるのがわかった。
「あの…」
その人は宅配会社の制服を着たアルバイトらしきお兄ちゃんだった。
「このお宅の方のお知り合いですか?」
「ええ…そうですけど」
「こちらにうかがったら、この方が急に倒れてきて…」
倒れたという言葉にあかねはすぐに反応する。玄関で体を縮めて横になっているのは間違いなくあの泰明だった。
「泰明さんッ!」
あかねがすぐに彼の体を揺らす。しかし本人の口から零れてくるのはスヤスヤという寝息であった。
「寝て…る?」
 あかねの口から出てくるのは、深いため息だった。安堵半分、全くもう…という心情半分といったところか。無論心配していないわけではないのだが、彼の場合はこれが初めてではなかったのだ。視線だけをそのままバイトのお兄ちゃんに向ける。
「荷物を配達に来たんですか?」
「いえ、配達する荷物を引き取りに…」
彼の手には書類らしき荷物が五つほど抱かれていた。いずれも有名出版社宛てである。
「締め切りにあわせてまた徹夜しまくったんだ。無理しないでって言ってるのに」
しかし何度同じことを訴えても、彼がそれに耳を傾けることはない。『自分のことは自分がわかっている』と、これまでも却下されまくりなのだ。
(自分のことなんてわかっていないくせに)
それでもあかねはこれからも彼を見守ることしか出来ない。慣れない世界で懸命に生きてゆこうとする姿は、間違いなく彼女への想いに動かされているからだ。
「あのーすみません」
「はい?」
「ベッドに運びたいので、手伝ってもらえます?」
 
 
 
 
 コトコト…と何かを煮込んでいるような音で目が覚めた。誰かがいる…確かめたくてたまらないのに、体が言うことを聞いてくれない。仕方ないので視線だけをキッチンへと向けた。
「あかね…?」
そう呼ばれた少女が振り返った。
「起きたの? 玄関先で倒れているのを宅配便の人が見つけてくれたの…また徹夜で原稿書いていたのでしょ」
ゆっくりと記憶の糸をほどいてゆくと、彼女が言うとおりの結論が導かれた。
「大学が休みの間でなくては、取りかかれないからな」
「そこまで無理しなくちゃならない依頼なんて受けなくてもいいよ。京で晴明様も泣いているから!」
 この頃の安部晴明ブームで多数の関連本が出版されているが、その中でも大学の教授に勧められて持っていった泰明の晴明論が『斬新で面白い解釈だ』と評判を呼び、現在では出版社に引っ張りだこの小説家と化していたのだ。
「全て真実なのに…」
自分の作品をそう語る泰明に、あかねも天真も詩紋も自身の晴明像がこんがらがってしまう。今は学生と言うことで表舞台へは一切登場していないが、その分ミステリアスな噂ばかりが先走りしているのが現状であった。真実を知っている者としては、そのギャップは時に滑稽であったりもする。
「シチュー作ったの。食べる?」
「ああ」
 テーブルには焼きたてのフレンチトーストにレタスとツナのサラダ、ボイルしたハープ入りソーセージが並ぶ。徹夜で執筆をしていたということは、それだけの期間胃袋は空っぽだったということだ。泰明の顔にも笑みが浮かぶ。
「…情けないな」
「どうしたの?」
「以前の私なら多少の無理はいくらでもきいた。徹夜どころか眠れずに生きていたときもあったような気がする」
あかねはアツアツのシチューを皿によそいながら、さり気なくこう言った。
「でも今の方が幸せでしょ?」
疲れるのも、また無理をしようと考えるのも…それにはいずれも人としての気持ちが込められている。またこんなまどろみの中だから、小さな出来事の中の幸せにも気がつくことが出来る。
「本当だな」
「じゃあ素直な泰明さんにご褒美あげるね」
 食後にあかねが箱から取りだしたのは、詩紋との合作であるチョコレートケーキだった。この世界に来て初めてのデートで食べたソフトクリーム以来、彼は無類の甘党となってしまったのである。
「どう? 素敵でしょ」
「…お前は私の弱点をよく知っている」
「だったらなるべく早くお嫁さんにしてね」
「考えておこう」
泰明はそう言って、美味しそうにケーキを口にした。
 
 
 翌日あかねが教室に入ってゆくと、長い黒髪を持つ親友が複雑そうな顔をしていた。
「おはよう、蘭。…どうしたの?」
「うん、実はお兄ちゃんが…」
「天真くんが?」
「昨日お腹が痛いって、倒れちゃったの」
妹が顔面蒼白になるのも無理はない。森村天真という男は、日頃の素行はともかく胃腸だけは超健康優良児だったのだ。
「お腹壊すなんて初めてだから心配なの」
「…なんかヤバいもの食べたとか?」
「うちなら私も同じ物食べているでしょ? 何か拾って食べたのかなあ」
 その時賑やかな女子の集団が教室に入ってきた。
「あかね、蘭、数学の宿題なんだけどさあ」
そう話し掛けられて、今度はあかねの顔が蒼白になる番だった。
「やばッ、…蘭ちゃーん」
「また写させてほしいの?」
「だって昨日泰明さんちに行ってたんだもーん」
「仕方ないなあ」
この言葉を最後に、兄に関する話題は綺麗に失われていったという。
 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
 
キリ番1234番をゲットして下さったMISTY様に捧げる創作でございます。リクエストは「遙かで、頼久さんか泰明さんの出てくるお話」とのことで、私自身は本命はイノリくんなんですが、カップリングとしては泰明×あかねの人なので今回は思いっきり趣味に走りました。故に受け取っていただけるか結構不安かも…ドキドキ。
といっても主役は別な人物のような気がしてならないのですが。約一名の不幸者、ええこれもリクエストの一部としてしっかりと加えさせて頂きました。ごめんね天真。早く良くなれよ。
MISTY様、この度は本当に有り難うございました。これからもどうぞよろしくお願いします。
 
 
更新日時:
2003/07/25
前のページ 目次 次のページ

戻る


Last updated: 2010/5/20