FOR YOU

6      パパ
 
 
 
 
 
 女王試験も中盤を過ぎた頃、珍しく平日の庭園を歩いている男女がいた。早朝からわざわざ寮まで乗り込んでいったのは鋼の守護聖、それに笑顔で応えたのは少し内気な女王候補だった。まだお互いの気持ちは打ち明けてはいないものの、幡から見てもごく普通の恋人同士といった感じである。そのさりげなさに恋のライバルたちも退散せざるを得なかったとは決して大げさな噂でもなかった。
「いいお天気ですね。風も気持ちいいです」
「まーな、聖地はいつだってそうだけどな」
そんな照れ隠しの憎まれ口さえ、この少女は笑顔でかわしてしまう。
「こういう日を一緒に歩けて嬉しいです。誘って下さってありがとうございました」
 しかしこんなに早くデートを終わらせるわけにはいかない。ゼフェルはアンジェリークを庭園内のカフェテラスに誘った。ウェイトレスに案内された見晴らしのいい席に座り、ミネラルウォーターとレモンソーダを注文する。
「特等席ですね。ここだと庭園全体がよく見えますから」
「オメーも好きだよな」
「所々に綺麗な彫刻が並んでいますよね。神話に出てくる神様や英雄たちの…まるで美術館に来たみたいでドキドキするんです。父がそういう仕事をしていたので…」
 しかしそれを聞いたゼフェルの表情は一気に不機嫌に変わる。
「ゼフェル様?」
「あれらは前の鋼の守護聖が造ったらしいんだ」
「そうだったんですか」
同じサクリアを持つ者でも、その性質は大きく異なることもあるらしい。実際ゼフェルはこういった芸術関係には疎い方だった。
「悪リィ…この話題やめようぜ。オレあまり先代にいい思い出ねーんだ。急にサクリアに目覚めたオレに対して、『お前さえいなければ』なんて言われたらよ」
 それは残酷に言い放った相手のことも、そしてその迫力に何も言い返せなかった自分のことも、全てが一緒になって憎悪の対象となっているのだった。
「…ごめんなさい」
涙声になっている少女に、ゼフェルはハッと我に返る。
「なんでオメーが謝るんだよ」
「そっ…そうですよね」
この言葉を最後に、彼が望んだ通リにこの話題は打ち切られた。もっとも後のデートもあまり盛り上がることはなく、早々に引き上げる形となってしまった。あんなこと言わなければ良かったと、一晩眠れぬほど後悔してしまうのも…まあ当然だったかもしれない。
 
 
 
 
 その日を境に聖地の様子が微妙に変化していた。いずれもアンジェリーク絡みのことなのだが、あれほど親しくしていたゼフェルの元に殆ど出向くことがなくなったこと。まあそれでも鋼の力は充分に足りているので、それを不自然だと思うのは早急過ぎた。しかし…。
「あの子、この頃笑わなくなったと思わない?」
わざわざ地の守護聖の執務室に出向いてまでそう言ったのは、夢の守護聖オリヴィエだった。
「そのことはゼフェルも敏感に感じているんじゃないの? イライラして随分八つ当たりされているんでしょ」
「はあ.まあ、そうかもしれませんけどねえ」
 アンジェリーク・コレットという少女はこれまでの候補とは少しタイプが違っていた。ゼフェルが何かを言ってきたとしても、いっそのことガンガン言い合ってしまえばお互いスッキリするだろうし、時間も解決してくれるだろう。しかし彼女は彼の持つ悲しみさえも背負い、抱え込んでしまう性質なのだった。
「何となく思い当たることはあるんですよー」
「…もしかしてライのこと?」
守護聖の交代の際に起こった悲劇はこの二人の脳裏にも強く深く焼き付いている。だとしたらその当事者であるゼフェルの心の傷は一体どうなっているのか…想像しただけでも心が震えてくる。
「あれだけ親密にしていたのですから、ふとしたきっかけでアンジェリークの耳にも入ったのかもしれません」
「可哀想すぎるね。ライとゼフェルの間に立って、何の罪もないあの子が苦しんでいるワケ?」
「だからといって今更ゼフェルとライを会わせるわけにもいきませんしねえ」
 しばしの空白…オリヴィエは執務室中を歩き回りながら何かを考えているようだった。しかしすぐに特有のいたずらっ子っぽい笑みが浮かぶ。
「ルーヴァ」
「何ですか?」
「ちょーっとワタシに良い考えがあるんだけど、のらない?」
 
 
 
 
 予定のない土曜日、ゼフェルは突然の来客の手によって強制的に起こされた。
「何だよ、うっせーな…」
「そんな脳天気なツラしているなんて、まだ事情が飲み込めてないね」
「別にクラヴィスにキノコが生えようが、オスカーが女を孕ませようが、オレには関係ねーぞ」
「それどころじゃないんですよー。アンジェリークが…」
その名前を聞けば千年の眠りも覚めてしまう。
「アンジェが…アンジェリークがどうしたってんだよ!」
「もう聖地にはいられないと、今朝になってここを出ていってしまったんです」
「なっ…」
 ゼフェルの手がルヴァの襟を掴んで激しく揺さぶる。
「何でそんなことになってんだよ、エエ、おっさん!」
口のきけないルヴァの代わりにオリヴィエが説明する。
「ゼフェル、あんたアンジェちゃんにライのこと話した?」
頭の中がここ数日間の記憶を辿り始める。平日の庭園…カフェテラスと彫刻…。
「あっ…」
青ざめてゆく表情と絶句した口が真実を語り、訪ねてきた2人の守護聖は事情を理解した。
「ゼフェル、あなたにはずっと話せずにきたんですがね、アンジェリーク・コレットはライの一人娘なんですよ」
「はあ? ちょっと待て! 何だそりゃー!」
「可哀想だよねー、仲の良い守護聖に自分のお父さんを非難されちゃったんだもの」
「もしかしたら責任を感じて…」
 ゼフェルは二人のわざとらしい会話を完全に無視して、慌てて身支度を整える。
「ちょっとゼフェル、あんた何処に行くつもり?」
「アイツを連れ戻すに決まってんじゃねーか!」
「…アンジェリークの家は知っているんですか?」
パタッと動きが止まったゼフェルに、オリヴィエはやっぱりねえ…と言いたげに懐からメモを取りだした。
「これがアンジェちゃんの家の住所。いくらで買う?」
 
 
 
 
 
 そこは主星の中でも有名な高級住宅街だった。聖地にあるジュリアスの私邸のような屋敷が当たり前のように並んでいる。前守護聖なら生活の保障もあるのだろうが、おそらく彫刻家としても名を知られた存在なのだろう。
「ここ…か」
エアバイクを止めて、屋敷の表札を確認する。しかしあれだけルヴァやオリヴィエの前で堂々と宣言したはずなのに、いざ目の前にしてみると前に進むことが出来ない。
(らしくねー、びびってやがる)
 それでも自分はここに来なくてはならなかった。アンジェリークのいない聖地に一体何の意味がある? 震える指を門の横にあるチャイムに向けようとした瞬間、向こうにある屋敷の扉が開いた。
「聖地よりの使者か」
現れたのは藍色の長い髪と金色の瞳を持つ背の高い男だった。あれからここでは二十年近い年月が流れている。変わっていない…というより、そういう年の取り方をしてきたのだろう。
「娘は今部屋で休んでいる。よほど辛いことがあったのかずっと泣き通しだ。たとえ聖獣に選ばれた存在とはいえ、ここまで追いつめられる理由はない。誰が連れ戻しに来たとしても、娘を聖地に戻すつもりはないと伝えてもらおうか」
 毅然とした声にゼフェルの体が二三歩後ろに下がる。まだサクリアを宿していそうなこの迫力は何なのだろう。あの時の何も言えなかった自分に戻ってしまいそうになった。
「違う…」
小さな声がようやく出てくる。
「何がだ」
「陛下に言われて連れ戻しに来たんじゃねー。オレが自分の意志で…一緒に聖地に帰る為に迎えに来たんだ」
 しばらくの空白…かつて鋼の守護聖を名乗った男は、少し開いたままの扉へと振り返った。
「…だそうだ。どうする? アンジェリーク」
扉が開け放たれ、そこから出てきたのは栗色の髪の少女だった。
「ごめんなさい、ゼフェル様…」
「オメー、だってさっきは泣いてるって!」
不安げに見上げる娘に寄りかかりながら、ライは手を口に当てて体を震わせていた…笑っているのである。
「どういうことだか説明しろ!」
「朝方、王立研究院を通じてルヴァとオリヴィエから電話があった。今日うちの鋼の守護聖が俺に喧嘩を売りに来るとな」
「全員グルかーッ!」
 実際に全員かというとそうでもなかった。アンジェリーク自身は本当に何も知らなかったのだから。
「陛下が元気のない私を心配して下さって、レイチェルも一緒にお休みを下さったんです」
聖地で高笑いしている女王の姿が見えるようだ。ゼフェルはガックリとうなだれてしまう。ライは実の息子にするような感じで、ゼフェルの肩を叩いた。
「すっきりしたか?」
「え…」
「俺があの時のことを気にしていないとでも思っていたか? 確かに俺は自分のことしか見えていなかったが、言いたいくせに何も言えない小僧のことは忘れたことは亡かったぜ」
本当は言ってやりたいことが沢山あった。それによって自分がどれほど苦しんできたのかを叩きつけてやる情景を何度空想してきただろう。なのにたったこれだけの交流でわだかまりが小さくなってゆくような気がする。
「本当は一晩一緒にいられるはずだが、迎えが来たなら仕方ない。この小僧の言い分を借りれば、アンジェリークの帰る場所はここではないらしい…仕度をしておいで」
「パパ、ごめんなさい私…」
「子供はいつかは独立するものだ。まさか17才で手放すことになろうとは思わなかったがな。天国にいるママと一緒にいつも祈っているよ。お前がどんな人生を歩もうとも、それを自分の意志で決めることが出来るように」
アンジェリークは小さい頃に亡くなった母の代わりにずっと慈しんでくれた父の胸に飛び込んだ。
「ありがとうパパ、私パパの子供に生まれてよかった」
 
 
 
 
 
 それから数週間の後、ライの元に一通の手紙が届いた。消印は聖地、差出人は彼の最愛の女性からであった。中には彼に対する長い感謝の手紙と、数枚の写真が同封されていた。実は数日前にもライは聖地より便りを受け取っている。娘と同じ名前を持つ金色の髪の女王は、「是非こちらにもいらして下さい」と伝えたが彼はそれを断っている。今更あの世界には戻れないのだから。
 アトリエにある亡くなった妻の彫刻と写真を並べ、親友から贈られた後17年間保存していたワインを開ける。
「17年…か。過ぎてしまえばあっという間だ。あの子にとっては随分と長い年月だったはずなのに」
今考えれば、あの銀髪の少年を殴っておけばよかったと思うが、時を経て守護聖ではなく、人の親になったからこそあの時のゼフェルの気持ちがよく分かる。そして自分もその方が遥に誇らしく感じていた。いつかはあの二人もそのことに気がつくのだろうか。
 手紙の最後はこう締めくくられていた。
(パパ、今まで本当にありがとう。私必ず幸せになります)
 
 
 
 
END
 
 
 
 
カウンターの1000番を踏んで下さったティンク様に捧げる創作です。頂いたリクエストは「コレットちゃんがもしライ様の娘だったなら…もしくは孫娘だったなら」。なんて素晴らしい! 美味しい設定でございましょう。脳みそ暴走状態で一気に仕上げてしまいました。ゼーくんに苦悩してもらうのなら間違いなく娘設定でございましょう。脳みそ暴走状態で一気に仕上げてしまいました。ゼーくんに悩んでもらうのなら間違いなく娘設定でございましょう。ああ…始まりは些細なことなのに、どうしてこんなに大事になってしまったのかしら。ティンクしゃん、こんなん出ましたけどーもらってやって下さい。
ちなみにライ様にとっての守護聖様の見解…光→天敵、闇→興味なし、風→恨んでいる(ゼフェルが身長で悩んでいるのと同様に、ライは童顔で悩んでいた。なんとランディはライの年を知らずに、初対面からタメ口をきいてしまったのだ。当然宮殿の裏に呼び出されている)、水→同志(後にライから聖地の裏番長の座を譲り受けている)、炎→おもちゃ、前緑→話せる親友、夢→相性最高、地→語れる親友。
更新日時:
2003/05/25
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Last updated: 2010/5/20