FOR YOU

4      とまどい
 
 
 
 
 
 『お嬢ちゃん』
それは独特の言葉だと思う。別に誰にでもそのように呼びかけているわけではない。女王候補にのみ使われる魔法の呪文のようなものだろう。そのように言う理由は二つ。まずは聖地に来たばかりの彼女たちの緊張感をほどいてやること。突然試験を命じられた者のプレッシャーは並大抵のものではないだろう。特に守護聖の中でも首座の守護聖は人の数倍は厳しい目を持っている。候補たち泣かずに済むのならばと自らが後で飴を手渡す役割を引き受けたのだ。そしてもう一つの理由は…。
 執務室の扉から控えめなノック音が聞こえてきた。
「開いてるぜ」
「失礼します」
ゆっくりと執務室に入ってきたのは、つい昨日紹介されたばかりの女王候補だった。アンジェリーク・コレット…栗色のサラサラとした髪と深い蒼緑色の瞳を持つ少女は緊張した顔のまま頭を下げる。初めて訪れた執務室がここだったのは幸福だったのか不幸だったのか。
「ようこそ、お嬢ちゃん」
オスカーは椅子から立ち上がると、固い表情の来客に近づいていった。ギリギリのところで止まり、腕を伸ばすと彼女の顎を持ち上げた。
「薔薇なら蕾といったところか。咲き誇る直前の美しさはなかなかのものだ…しかしレディと呼ぶには時期早々だな。大人になったお嬢ちゃんを早く見てみたいもんだぜ」
 あらゆる女性を虜にしてきた強い氷蒼の瞳と甘い美声は幼さの残る少女を捕らえるのに成功した…かのように見えた。実際に前回の試験では2人の候補を怒らせることに成功している。
『子供扱いしないで下さい!』
『女性に対して失礼ではありませんの?』
今では至高の存在となった2人の怒鳴り声が蘇ってくる。それが魔法の言葉を使うもう一つの理由だった。陛下に仕える騎士として、試験を公平に見つめるために彼女たちとの間に壁を作るためなのだ。一見矛盾している二つの理由が、炎と氷のように彼の中には同時に存在している。しかし目の前の少女はキョトンとした目で彼を見つめている。
「物わかりのいいお嬢ちゃんで助かったぜ。俺は本当の大人にしか名前は呼ばない主義でね」
「仕方ないですよね。だって私まだ子供ですから」
 アンジェリークとしては素直な言葉を口にしたに過ぎないのだろう。しかしオスカーにとっては完全な不意打ちだった。壁を作るのは自分の役割だったはずなのに、私はあなたに相応しくありませんと言うことで彼女から突き放された形となったのだ。
「でも私、候補として選ばれたからには立派にやり遂げたいと思っています。まだレイチェルに比べたら準備も出来ていませんが、どうか色々教えて下さい」
深々と頭を下げられると、彼もお得意の華美な言葉さえまるっきり出てこない。
「こちらこそ…って、まあお手並み拝見させていただくぜ? 天使の名前のお嬢ちゃん」
「はいっ」
 彼女は育成の依頼をしてそのまま帰っていった。もちろん終始自分自身のペースを崩すことはなかった。柔らかな余韻が執務室の中に残される。
「何だったんだ、今のは…」
あんな反応は22年の人生の中で初めて見たものだった。多少は背伸びがしたいお年頃かと思ったが、これでは第一の理由である飴を手渡すことも容易ではなさそうだ。自分の立場を充分に理解しているアンジェリークは、これまでの候補の中では一番大人なのかもしれない。見た目は大人しそうで頼りない感じだというのに。
「まいった…な」
再び机の前に戻るとため息が出てきた。これから自分はあの少女に振り回されそうな気がする。いや、実際に振り回すのは彼女ではないだろう。振り回すのは…たった今芽生えたばかりの自分自身の中の不可思議な感情なのだと本人は気がついていなかった。
 
 
 
 
 試験が開始されてからかなりの時間が過ぎた。候補の少女たちを中心に新たな仲間を得た聖地はかつての静けさを完全に失っていた。しかしそれを不快だと思う者は誰もいない。あのジュリアスやクラヴィスでさえ若い者を見守ることを楽しみにしているほどだ。しかしそんな中たった一人だけ冴えない顔をしている者がいることを真っ先に見抜いたのは夢の守護聖だった。
「自分の思った通りにいかないからってゴネているワケ?」
「何のことだ」
「アンタにとぼけられるとはねえ。このワタシが見抜いていないとでも思っていたとか?」
「うるさい」
 炎の守護聖の執務室をまるで自室のように自由に歩き回るオリヴィエは、ネイルアートに彩られた指先を外へと向けた。そこにはまだ幼いマルセルやメルらと遊んでいるアンジェリークの姿があった。
「あの子達と同じように見られるのがそんなに辛いのかねえ」
「余計なお世話だ!」
「だったら振られた純情少年のような情けない顔をするのはやめたほうがいいだろうね」
図星だった。二の句がつなげないのがその証明となってしまった。
 執務室から見える光景の様子が変わった。輪の中に新しい参加者が現れたせいだ。大きな愛犬を連れた茶色の髪の少年は…。
「ランディ?」
それに気がついたアンジェリークが手を振って近づいて行く。明るい無邪気な笑顔を見せて親しげに話をしていた。自分が見たこともないような表情にオスカーの胸が痛む。
「妹に似ているんだってさ」
「妹だと?」
「そういうこと。アンジェは優しい子だからね、そう言われたならなるべく側にいて慰めになってやろうって思ったんだろ。このごろは特に一緒にいることが多いみたいだね」
家族から離れて寂しいと思う気持ちは、ランディと年の近いゼフェルやマルセルも同じだろう。しかしマルセルは些細な出来事からでも幸福を見いだすことが出来るし、ゼフェルは自分の弱点につながるようなことは絶対に口にしない。まだ若いとはいえ彼等の愛情の表現もそれぞれだった。
 ランディの手がアンジェリークの髪や頬に自由に滑ってゆく。
「このままで良いわけ?」
「お子さま同士、お似合いだろう? 今更俺が口を出しても遅いだけだ」
「本気で言っているとしたら可笑しいね。あんたランディにアンジェを取られたとしたら一番傷つくんじゃないの?」
『俺、オスカー様を尊敬しています』
『いつかオスカー様のような騎士になりたいんです』
真っ直ぐな瞳で、彼は決して偽りを語ることはない。これからも自分を目指して走り続けるのだろう。しかしその横にアンジェリークの姿があったとしたら自分は正常でいられるのだろうか。
「面白そうだからしばらくは見物させてもらうことにするよ。じゃあねー」
ひとしきり騒いだ後、きらびやかな衣装を左右に振りながらオリヴィエは執務室から出ていった。いちいち腹の立つ言動ではあるが、その端っこに思いやりもあるものだから彼を本気で恨むことは出来ない。本気で面白がるつもりならわざわざオスカーの元へ訪れることもしないだろう。
 でも試験は永遠に続くわけではない。いつかは必ず終わりがやってくる。特に女王になろうがなるまいがあの少女と自分の未来に待っているのは永遠の別れだ。そのことはランディも充分に心得ているだろう。何かが変わる…複雑な予感を胸に、オスカーは苦みを感じる唇を噛みしめた。
 
 
 
 
 その日は朝から霧雨の降る重い感じのする一日だった。こんな時にお茶に招かれてもうっとおしいだけだし、なるべく早めに仕事を終えて帰ろうと心に決めていた。
「さて…」
今日は2人の候補も訪れる気配はなかった。若干の寂しさが胸に立ち上がる。背後に広がる窓の向こうの光景が目に入ってきた。
「あれは、アンジェリーク…?」
彼女が赤い傘を手に出てゆくのが見える。そしてその隣にいるのはおそらく育成を頼んだ守護聖だろう。
「…ランディ」
 重い空の下でも彼女の明るい表情は変わらない。しかしそれを見つめるランディの顔はどこか緊張しているようだった。自分の想いを告げようとしているのがオスカーにもわかった。こういう天気を選んだのは正解だろう。青空の下なら冗談だと受け止められる可能性があるからだ。そして2人が一つの傘をさして向かっているのは、女王候補寮でも守護聖の私邸でもない。恋人たちの湖と呼ばれる場所であった。
 オスカーは野暮なことだとわかっていながらも慌てて執務室を飛び出した。2人の邪魔をしようとは思っていない。おそらく自身のプライドが許さないだろう。しかしどうしても気になるのだ。あの天使の名前を持つ少女が一体どんな未来を選び取るのかを。外に出たときは雨は本格的に降り出していた。傘もないままオスカーは2人が歩いた道へ向かって駆け出した。
 森の入口にオスカーが立ったとき、その奧から誰かが走ってくるのが見えた。茶色の髪を濡らした風の守護聖は、瞳を怒りと悲しみでギラギラさせ、唇をきつく噛みしめたまま通り過ぎようとする。
「ランディ?」
ランディはオスカーをその強い瞳で睨み付けると、何も言わずに走り去ってしまった。
「どういうことだ? …まさかアンジェリークはこの先にたった一人で…」
置き去りにしたランディを追いかけて責めるのはたやすいだろう。しかし森の中でたった一人で震えているであろうアンジェリークの方が最優先だ。立ち上がった髪が濡れてゆくのもかまわずにオスカーは森の中に入っていった。
 湖に寄り添うように立っている大樹の前で、アンジェリークは傘もささずに立ちつくしていた。涙は降り注ぐ雨と同化しており、それでも表情に生気がなかった。
「アンジェリーク!」
そう呼ばれて力無く振り返った。オスカーは自分のマントを外すとフンワリと彼女を包み込んだ。
「オスカー…様?」
「このままだと風邪をひいてしまうぞ。早く寮に戻るんだ」
「いいんです…私なんて消えてしまった方がいいんです」
「そんなこと言うな。俺の知っている君はそんなことを口にする子じゃなかったぜ」
 それでも少しはホッとしたのだろうか。俯いたままではあったけれど、シクシクと声をあげて泣き始めた。
「…ランディが何かしたのか?」
アンジェリークは我に返ったようにオスカーを見上げると、慌てて首を横に振る。
「ランディ様は何も悪くないんです。悪いのは全部私…ランディ様を傷つけたのは私なんです」
本当ならば受け入れなければならなかったのだろう。ついこの前まで守護聖の存在も神話の中の登場人物だと信じて疑わなかった。そういった立場の者に愛されるのはシンデレラ以上の奇跡に違いない。なのにアンジェリークは彼の求愛に頷くことが出来なかった。その絶望を思うと消えてなくなりたいとまで自身を追いつめてしまう。そして彼女は自分の本音にもきがついていた。守護聖の愛を拒みながら、彼女自身が愛されたいと望んでいるのもまた守護聖だということを。
「ランディ様は何も悪くないんです。だけど私が愛しているのは…」
「もういい!」
 まるで全身から絞り込んだような強い言葉だった。それは彼の持つサクリアとは無関係の、人間としての想いが言わせたものだ。そしてその両腕はようやく見つけた主をマントの上から抱きしめる。
「…もう何も言わなくていい…」
「オスカー様…」
まるで恋人たちを追い立てるエデンのように、水の矢は2人の体を突き刺してゆく。鉛色のドームの中で互いを抱きしめたまま2人は安心したように瞳を閉じた。
 
 
 
 
END
 
 
 
 
以前(のそのまた以前)のカウンターで200番をゲットして下さった如月さおとめ様のリクエストで、初めてオス温に挑戦してみました。いかがだったでしょう…暗い感じの終わり方なんですが、ちゃんとハッピーエンドなんです。お願い信じてー。オス温も実は凄く好きなカップリングで、リーカー名乗るのなら一度は書いてみたい2人なのでした。イメージとしては恋をして少年のようになる炎様ですね。ゼフェ温ならゼフェルが大人になる組み合わせなんだけど、オス温はどうも逆の印象があるのかも。尻にひかれる彼もまたよし! でも絶対に幸せにしてあげて欲しいですね。
今回ちょっと可愛そうな立場だったのがランディくんでした。彼が出てきたのはオリヴィエ様の言った通りに「オスカーがライバルとして認めるのが一番しんどい相手」だったからです。ただランコレも大好きなので必ずリベンジの機会を作りたいと思っています。
随分お待たせしてしまった上の駄文ですが、さおとめ様よろしかったら受け取ってやって下さい。これからもよろしくー。
 
更新日時:
2003/01/18
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Last updated: 2010/5/20