FOR YOU

11      鐘を鳴らして
 
 
 
 
 
 はばたき学園を包み込むようにして茂る森の片隅に、人がほとんど寄りつかない小さな教会があった。そこは理事長自身の手で厳重に管理されていて、時々訪れる清掃担当の人間以外は一切立ち入らぬほどの謎の場所であり、それを幸にして風の音と小鳥のさえずり程度しか音を知らない実にささやかな世界を築いていた。生徒たちはそれらの謎について様々な謎やうわさ話をでっちあげては笑っていたが、人が寄りつかないということは結局はうのみにした者が多かったのだろう。それを長く記憶に止めていることもなかったのである。
 しかしなぜかこの日に限って建物の周りには人が集い、楽しそうに雑談を交わしていた。教会の扉も大きく左右に開かれている。梅雨を終えて爽やかな初夏の青空が広がる午後のことだった。
「ちょっと今何処にいるのよ…はぁ? 空港から高速に入ったってぇ? 全くもう…今日はあんたの行動にあわせているわけじゃないんだからね! 遅れたら遅れたで進めさせてもらうわよ。だから無理してフランスからこなくても…ああっ、だから! わかっているからそんなに大声でまくし立てないでよ。なるべく早く着くようにしてよ! 途中で事故なんか起こさないような程度でね。今日はおめでたい日なんだから」
控え室として割り当てられた小さな部屋の中で、相手に負けぬほど甲高い声を響かせる女性は、その荒々しい調子のまま電話を切った。
「なっち…?」
「ああ、ゴメンゴメン。須藤からの電話よ。ついさっきはばたき空港に着いて今はこっちに向かって車を走らせているって。ギャリソン伊藤氏も大変よねー」
 藤井奈津実はわざと陽気に言うと、会話の主へと近づいていった。備え付けられた大きな鏡の前に座っているのは純白のドレスを着た美しい花嫁である。しかし彼女は数ヶ月前までは奈津実と同じはばたき学園の制服を身につけていたはずだった。
「ふふふっ、今日のあんたってば最高だよユーリ。小さいときに絵本で見た空想のお姫様がそのまんまいるみたい」
「そんな…」
鏡の向こうで親友同士は並んで微笑む。その後ろではやはり同じ高校生活を送った有沢志穂がブーケの花を整え、紺野珠美は次々と届く電報を整理していた。
「あーん、やっぱりもったいないよおー。やっぱりお嫁に行くのは早すぎる!! 私たちとつるんで遊んでいた方がいいって」
「奈津実ちゃんったら、さっきから同じこと言ってる」
珠美が2人の会話に入ってクスクスと笑った。彼女は奈津実と反対で、若くして運命の人と出会った悠里が羨ましくてならないのだ。
「そりゃあ私だって誰よりもユーリの幸せを祈ってるよぉ? だけど大事な親友を奪ってゆくのが私の天敵のあいつじゃん…一言も二言も三言でも言いたいことがあるわけよ」
「お世話になった担任の先生をそんな風に言うのは感心しないわね」
あの頃と変わらないそんな会話が続いてゆく。
 珠美は整理の着いた祝電を悠里の手元に置いた。
「凄いねえ。多分クラスメート全員から来てるんじゃないかな? 吹奏楽部員も加えると相当な人数なんだと思うよ」
はばたき学園の氷室学級といえば、平均を遥かに上回る成績を残すことを義務づけられており、他のクラスからは同情の目で見られることが多かった。しかしまだ若い指揮官の元に集う生徒は非常にノリもよく、チームワークという点でも無敵だったのだ。
「珠ちゃん、読んでくれる?」
「いいよ。まずは…『でかした水崎! 我々の後輩の為にも、なるべく早めにヒムロッチを尻にひいてやってくれ。』これは委員長の田辺くんだね。それから…『ユーリ&ヒムロッチ結婚おめでとう。これからは廊下でこそこそと約束しなくてもすむんだね。どうぞお幸せに』これは近藤さんから。『練習の時の2人を見ていて、必ずこの日がくると確信していました。これからの長い人生、おふたりで素晴らしいメロディーを奏でて下さいね。』吹奏学部部長の二色さんらしいなあ」
 心からの祝福の言葉に悠里の白い顔は真っ赤に染まった。若いからと反対されるかと思っていた結婚をこんなに沢山の人たちが歓迎してくれることが信じられないと同時に、自分達は誰よりも幸せだと思えた。
「…でも、なんか不思議」
「「「何が?」」」
「なんか私たちの結婚をみんなが知っていたみたい。突然だからもっとびっくりされると思っていたのに」
その時3人の友人たちの表情が変わった。あぜん…というか、何を言ってるのあんた? という感じか。
「もっ、もしかして悠里ちゃん知らなかったの?」
「あなたと氷室先生のことは全校生徒と職員が知っていたわよ」
思いがけない言葉に、悠里は言葉を飲みガパッと立ち上がる。
「なっ…なんでなんで? どうして? だって私たち付き合い始めたのって卒業式以降の話だよ?」
志穂と珠美の視線が悠里から最後の一人の方へと注がれる。
「まっ、まさか…なっち…」
「なーんのことかなっ」
とぼけて視線を外すが、口元がニタニタしっぱなしである。
「なんでそんなこと言うのーっっっ!!」
「ごめんごめん、でもあんたたち分かり易すぎるんだもんよー」
 恥ずかしさはそのまま涙に代わり、花嫁の頬を濡らし始める。
「ほらほら折角のお化粧が流れてしまうわよ」
志穂はハンカチを取りだして涙を拭ってやる。悠里はべそをかきながら赤ちゃんのようにされるままだった。
「あの氷室先生が一人の生徒を特別に社会見学に誘ったり初詣に行ったりするなんて奇跡みたいなものなのよ? 先生の気持ちを知っていてわざと気づかないふりをしているのかと思ったら…あなたって本当に鈍感なのね」
「そーんなベソベソする事ないって。はばたき学園の校則は青春をエンジョイする事! それは恋愛も同じ…たとえ生徒と教師だとしてもね。保健体育の北村先生知ってるでしょ? あの人も生徒と恋愛関係にあって、卒業と同時に結婚したらしいよ」
「北村先生って…女の先生じゃないっ」
悠里の恋を承知していながらわざと何も言わずにいた友人たちは、彼女の取り乱しようがなんとなく不思議な気がしてならなかった。
「これじゃあ先生をお尻にひくなんて、夢のまた夢ね」
「田辺くん、可哀想…」
「いいのよ、幸せなんだからさ」
 
 
 
 
 
 花嫁の控え室より少し手前の、わずかに狭い部屋が花婿に与えられた控え室となった。190pの長身を黒いタキシードに身を包んだ彼は、ここで式を挙げることを許してくれたはばたき学園の理事長と話をしていた。
「なん…です…と?」
「おや? 知らなかったのかね。君たちがずっと愛し合っていたことなど、全校生徒はもちろん、職員の間でも暗黙の了解だったのだが」
それを知っていたからこそ、天之橋一鶴にとっても今日という日は感慨深いものなのだろう。緊張を隠せない新郎とは反対に、彼は大変機嫌がよかった。
「わっ、私はっ、はばたき学園の一教師としてあからさまな真似をしてきたことは…」
「もちろん君は3年間を決してでたらめに過ごしてきたわけではないがね。しかしクリスマスパーティーや課外授業の時はとても楽しそうにしていたよ? 青春を謳歌するのは生徒だけではなく、教師も同じ。こうして想いを貫いた君を私は誇りに思うよ」
 褒められたのか、それとも遊ばれているのだろうか。氷室零一は顔を上に向けて天井を凝視した。そうでなければ赤く染まった顔を理事長に悟られそうだったからだ。彼より長身だったことを今日ばかりは心から感謝した。
「別に気にすることでもないだろう。保健体育の北村先生が卒業した生徒と結婚したときも皆で心から祝福を…」
「北村先生は女の先生ではないですかッ!」
ものの見事に裏返った声が、教会の外まで大きく響いた。
 
 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
いつもお世話になっています『天使の招待状』様オーナー風見リオン様に捧げる氷室先生×主人公の創作です。今年の夏に頂いた暑中見舞いメールのお礼のつもりで書かせていただきました。卒業してすぐの結婚式がテーマですが、いかがでしょう? 見ていただければ嬉しいのですが。
この話が思い浮かんだのは乙女ゲーを特集した雑誌で見た内田明里さんと小松原枝里子さんのインタビューからでした。学校で堂々と社会見学という名のデートに誘いまくる氷室先生…本人たちは知らずとも、実は全校生徒が2人の仲を知っていたという設定なのだそうで。主人公も鈍感ですが、先生も似たようなものだったんですね。まるで鏡のように同じ反応をするふたりでした。ああーこのカップル可愛いすぎる! リオン様、本当にありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いしますね。
更新日時:
2003/08/15
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Last updated: 2010/5/20