1ST LOVE

43      いつも いつでも   ーKEIー
 
 
 
 
 
 はばたき学園を卒業し、一流大学に入学することが決まった春…その日水崎悠里は春眠を大いに満喫していた。よほど素敵な夢を見ているのか、口元に微笑みを浮かべながらそれでも一向に起きる気配を見せない。
「ん…」
しかし幸せそうな時間を引き裂くような形で枕元に置いてあった携帯電話が可愛らしい音をたてる。
「はい…悠里でふ…」
「…ねぼすけ」
その声を耳にしたと同時に体が上へと跳ね上がる。驚きとむかつく気持ちが同時に口から飛び出しそうになった。
「けっ、珪くんっ?」
「もう九時を過ぎた。いい加減起きろよ」
 かつてはテスト中まで眠っていた奴に言われたくはないが、今は渋々でも起きるしかない。
「どしたの? 何かあったの?」
「今、引っ越しの準備をしてる」
「ふーん、引っ越し…って、えええええーーーーっっっ!?」
突然の言葉に悠里の体はガクガクと震え、目頭も熱くなってくる。
「どこに行くの? まさかまたドイツに行っちゃうの…?」
その震えが電話を伝って相手にも届いているような気がする。
「…だったら、どうする?」
もちろん自分はもうあの頃のような小さな子供ではないのだから、ドイツに行くためのパスポートや国際線のチケットの用意だって出来る。しかし問題はそこではないのだ。この春から全てが始まるのだと思っていたのに。
「珪くん…私…」
「俺、お前と付き合うようになってから冗談が好きになったみたいだ」
 悠里がその一言の意味を理解するのに数秒…そしてシンプルな自室に彼女の大声が響く。
「冗談というのは、笑えなくちゃ冗談じゃないっ!」
「だろうな。ドイツには行かないよ。ただ春から家を出ることにしたから、その助っ人に来てもらえないかと思って」
まだ納得できるような説明ではなかったが、それでも悠里は素直に頷いた。
「わかった。どこに行けばいい?」
「車でお前ん家まで行く。支度して待ってろ」
「はぁーい」
電話を切ると、自然と大きなため息が出てきてしまった。
「まったく、人の弱点知っているんだから」
きっと向こう側では慌てた様子の自分を思い浮かべながら笑っているに違いない。別にそれを恥ずかしいとは思わないけれど…。
「本当はいつだって一緒にいたいんだからねっ」
 
 
 
 
 支度を終えて家の前に立っていると、彼の新車が滑り込むようにして横付けされた。運転席のウィンドウ越しに彼の姿が見える。
「お待たせ。乗れよ」
「うん。お邪魔しまーっす…」
こうして車に乗せてもらうのはまだ数回目だが、すでにサイドシートは悠里の指定席になっている。でもついこの前まで珪が免許と車を取得していたことを知らず、やはり先ほどの時のように驚かされたのだ。
「どこ行くの?」
「荷物は全部新しいマンションに入っている。でもそれだけじゃすぐに生活は出来ないだろ。お前は引っ越しの経験もあるし、何が必要なのかわかってると思って」
 なるほど…確かにベッドがあっても上に布団がなければ話にならないし、この人にはトイレットペーパーを買い込むことさえ期待してはいけないのだ。
「なんだか、ようやく勝てた気分」
「なんだそれ」
「なんでもなーいもんっ。早くいこいこ♪」
やがて車は駅の近くにある高層マンションの駐車場に止められた。以前から入居者募集中の広告が貼られていたこちらも新築である。悠里はここで「なかなか豪勢な…」と言いかけてやめた。本人の意志に反してモデルとしての葉月珪の名声は高まってゆく一方だ。このような場所で生活するのも決して不自然ではないように思えた。
 部屋の中はシンプルに白い色でまとめられており、積まれた段ボールの数もさほど多くはない。生活必需品も一から買い足すものが相当ありそうだ。
「でもどうして一人暮らしなんて始めることにしたの?」
「なんで?」
「だって一流大学の志望動機って、自宅から近いからだったでしょ」
部屋中を自由に見物しながら悠里は言った。同時に買うものを事細かにメモしている。
「親が活動の拠点を本格的に海外へ移すことになったんだ。でも俺は日本を離れるつもりはないし、これからずっと一人で大きな家を持て余したくもないし。家は知り合いに貸して、ここで思い切って独立しようかと思った」
「ふーん…」
 悠里はもくもくと段ボールの中身を出している珪の側に行って、そっと彼の顔を覗き込む。
「寂しい?」
「別に。本当はわかっているんだろう? 俺はもう小さい子供じゃない。自分にとって今何が大切かはわかっているつもりだ」
口元に笑みがほころび、珪はそのまま手を彼女の頭に乗せた。
「…ごめんね」
「なんで?」
「本当は意味なんてないの。それに私と家族を比べて欲しいとも思っていない…でも時々確かめたくなることがあるんだ。幸せすぎて色々とごっちゃになっているのかも」
すると悠里の頭にあった手が肩へと降り、そのまま激しく抱き寄せられてしまう。
「いつか二人で行こう…連れてってやるよ、ドイツまで。うちの家族にも会って、それから…」
「うん」
 
 
 
 
 大きな鍋に湯を沸かし、その中にパスタを投入する。茹であがるまでの間にベーコンを細かくきざみ、玉子の白身と黄身を手早く分けた。
「珪くーん、生クリーム取ってくれる?」
「ん…」
小さなサイドボードに小物を並べていた珪が立ち上がった。
「ほら」
「ありがと」
 熱々のパスタを皿に盛り、そのまま引っ越しそばならぬ引っ越しパスタでの夕食タイムに突入する。一日かけてなんとか形になった家に乾杯すべく、グラスにジュースを注いだ。
「でも実家を出たのは広い家を持て余すからだって言っていたでしょ? そのわりにこのマンションも結構広いよね。クローゼットもスカスカだし、空き部屋もあるし」
「ああ…一緒に暮らすから」
「誰と?」
「お前と」
 
 
 
 
END
 
 
 
 
卒業の時期と自分自身の引っ越しの時期を重ね合わせたお話になりました。
更新日時:
2007/03/10
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Last updated: 2010/8/15