1ST LOVE

42      go for it!  ーHIMUROー
 
 
 
 
 
 天気の良い休日の午後はゆっくりとした読書タイムに当てるのが二人の約束だった。少し遅めのブランチを済ませて新妻が片づけを終える頃、11才年上の夫が互いの為の飲み物を用意する。いつも通りの行動に彼が(たとえそれを表情に出さなかったとしても)満足していた時、ふと玄関のチャイムが鳴った。
「はーい」
手早くエプロンを外してパタパタと走る妻をどうも苦々しく見送ってしまった。しかしここからでは来客が誰なのかはわからない。
「ご苦労様でした」
しばらくして彼女の明るい声とパタン…とドアを閉める音が聞こえてきた。
「誰だったんだ」
「宅配便の方でした」
 彼女はそれを証明するかのように、手にしていた荷物を見せた。
「…また下らない物を…」
氷室零一が妻でありかつての教え子であった(旧姓 水崎)悠里が無類の通販魔だと知ったのは結婚して間もなくの頃だった。とにかく可愛い物に弱くて、市販のカタログをチェックしてはお気に入りの雑貨を購入しまくっているらしい。もっとも零一に文句を言われぬようにこっそりと部屋に持ち込んでは飾り付けているらしいので、実際どのくらいの品を隠しているのかは見当もつかなかった。
「今回は違いますよ…母からです」
「お義母さんから?」
 彼女の母のことを義母と口にしてみたものの、未だに照れくささは拭えない。年齢の差を言うのならば自分は悠里よりもそちらに近いのだから。
「ずっと探していた本があって…それがようやく見つかったから早急に送ってもらったんです」
平らな包みから出てきたのはベージュの表紙に金色の文字でタイトルが綴られた本だった。悠里の母は世間でも広く知られた童話作家でありイラストレーターでもあったから、こういったものを見つけられる情報網もあるのだろう。
「それでも随分と苦労したみたいですよ。小さい頃から夢の中で見ていた本で、内容も途中までしかわからなかったし。母が好奇心で調べまくってくれなければ、もしかしたら一生わからなかったかも」
「そうか」
 零一が二人の為に紅茶を入れる音がし始めて、それまでの会話は打ち切られた筈だった。休日の読書タイムはお互いを干渉し合わないのが約束だったからだ。しかしこの日の悠里はいつもと違った。探していた本を抱き締めながら早口で話を続ける。
「はばたき学園の敷地内にある教会のステンドグラスがあるでしょう? 小さい頃からそこで不思議な男の子に本を読んでもらう夢を見ていたんです。でも男の子はいつでも途中でいなくなってしまうから、正式な物語の結末がわからなくて…でも良かった。これで本当に王子様がお姫様を迎えに来るのかがわかる」
ニコニコと楽しそうな悠里とは反対に、零一はとがった口調でティーカップを差し出す。
「ほら、紅茶を入れたぞ。早く飲みなさい」
「はぁーい」
 何故自分の妻に対して保父のような真似をしているのだと自身にツッコミを入れようとした時に、まったく懲りた様子を見せない悠里がズイッと迫ってきた。
「ねえ零一さん、一緒に見てみません?」
「はあ?」
すっとぼけた声を慌てて飲み込んで、コホンと咳払いをする。
「いや…俺はいい。別にその本は外国語で書かれているわけではないのだろう」
「それはそうですけれど…でもあの教会のステンドグラスのモデルなんですよ? 気になりません?」
「別に気にはならない。読みたいのならば一人で読めばいいだろう。読書タイムはお互いに干渉しない決まりだ」
 それは間違いなく正論で、悠里も自分が我が儘を言っているのだとわかっていた。しかし反論する気持ちは微塵もなくとも、冷たく言われたことに関する悲しみは目に集中してポロポロと涙が零れてしまう。
「…なんという顔をしている」
「なんでもないんですっ」
そんな悲しそうに強がる表情は…実は悠里は知らないことなのだが…零一の最大の弱点だった。例えば高校の入学式の時に曲がったセーラー服のタイを注意した際に見せた顔だ。まるで怯えた小動物のような表情を見たあの瞬間から、彼女に恋をすることを運命づけられていた。テストの成績がおもわしくない時、課外授業の感想の声が小さいことを指摘された時もそうだ。
「いい加減涙を拭きなさい」
ため息をついたまま、例の本を手に取った。
「零一さん…」
「一度だけだ。あとは知らんぞ」
「はいっ」
 
 
 
 
 最後のページを終えた後、窓から優しい風が吹き込んできたことで零一は初めて我に返った。どうやら自分が考えていた以上に物語にはまっていたらしい。しかしそのような姿を一番見てほしくなかったその人は…。
「悠里?」
あんなに一緒に見てほしいと言っていたくせに、気がつけば夫の肩に寄り添ってくーくーと眠っているではないか。
「まったく、何を考えているのか。このままだと一生ハッピーエンドにたどり着けないだろう」
しかしその眼差しは先程よりもずっと優しかった。大きな音をたてぬように、壊れ物を扱うかのように本をテーブルへと戻す。自分が読むはずだった分厚い本と比べると笑ってしまうほどだ。
 物語の中、旅に疲れた王子は深い闇の中に捕らえられてしまう。時に愛する人によってもたらされた白き手を煩わしいと思ってしまうほどに。
(俺がかつて過ごしてきた『無色透明』な世界に似ているような気がする…)
今更それを悔いるわけではない。あの世界も元々は自分自身で作り出した世界だからだ。しかしすっかり彼女の色に染められてしまった今は…?
「こんなところで眠ると風邪をひくぞ」
仕方ない…の言葉の代わりにひょいと抱き上げると、寝室へと足を踏み入れる。
「おやすみ…」
読書タイムがお昼寝タイムに変わってしまった現実は、友人一同にはもちろん、かつての自分にも決して言えぬ内緒の話だった。
 
 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
セカンドキス発売前にちらっと初代を振り返っての氷室先生との新婚さん話でした。あの絵本が商品化された時に少しずつ考えていたものです。正反対の性格なのに仲良しさんというのが私にとっての永遠のツボだったりします。
 
 
 
 
 
更新日時:
2006/03/30
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Last updated: 2010/8/15