1ST LOVE

44      シングルベッド   ーMADOKAー
 
 
 
 
 
 濃紺から白へと色を変えてゆく空を、彼はベッドの上からブラインドを通して見つめていた。体は眠りを要求してるというのに、何故か脳の方が興奮しており、結局は無言のまま朝を迎えてしまったようだ。無意識に深い溜息をついてしまって苦笑することもあったが、しかしそれは今の自分が幸せだからだ…改めてそう再認識していた。
「姫条くん…?」
 彼…姫条まどかを幸せにしている存在が、傍らでゆっくりと頭を上げた。元々人目を引く可愛らしい少女だったが、こうしてシーツの上に素肌をさらしている姿はまるで天使のようだった。
「悪い…起こしてもうたか?」
「そんなことないよ。もう朝なんだね」
白くて細い指先がまどかの輪郭をなぞってゆく。
「もしかして寝ていないの?」
「頭ン中がまだ飛んだまんまなんや」
 目を真っ赤にしながらとぼけるのがよほど可笑しかったのだろう。悠里は彼の腕の中に飛び込んでクスクスと笑う。
「知っているくせに笑うなや。ええか? 惚れてる女が自分の横でスースー眠っているのを見ていれば時間なんてすぐやん。それを笑い飛ばされるってのはいくら俺でも傷つくっちゅーねん」
「ごめん…ごめんね」
綺麗な青灰色の瞳が琥珀色の瞳を見つめている。
「可笑しかったのは本当だけれど、でもそれは1%もないの。本当は何倍も何倍も嬉しかったの」
 嬉しかったのはこっちの方や…と言おうとしたが、何故か声にはならなかった。悠里にとって幸せなのは真実だろうが、初めて異性を受け入れた苦しみを自分が与えたのもまた真実なのだ。
「…大丈夫か?」
「うん。全然平気だよ」
「そうか? ほんまに…ほんまにそうなんやな?」
悠里はまどかの頭の下から枕を抜き出すと、それを勢いよく頭に叩きつけた。
「なにすんねん!?」
「姫条くんってば心配しすぎ! うちの親よりも過保護かもねー。私がそんなに壊れやすい子に見える?」
そら、そうやけれど…と言いかけた時に、まどかの首に悠里の両腕が強く巻かれる。
「だから…ね、もうこれっきりでお終い!! とか嫌だよ?」
「当たり前や」
 小さなシングルベッドの上でじゃれ合いながら、まどかは悠里の髪にふれて大きく息を吸った。
「はーっ、ええにおい…」
「ねえねえ、姫条くんっ」
「なんや?」
「姫条くんの『初めて』ってどんな感じだったの?」
仰向けの状態である自分を、うつぶせでで少し高い位置から見つめて笑う。
「はっ、初めてって…」
「初めてじゃないでしょ? 本当に初めて女の人を抱いた時のこと教えて」
一体何を言っているんや、こいつ? と何度も脳裏で繰り返したものの、普通はそういった存在は忘れて欲しいと望むものではないのだろうか。実際にそれらしきことを過去にあらゆる女性から言われたことがあった。しかしようやく出会えた本気の女性がこれでは…。
「姫条くーん、聞いてる?」
「はーい、はいっ」
 負けた…と言いたげに髪をかき上げ、まどかはその白い体を抱き寄せる。
「中一の頃やったかな」
「…早いね」
「丁度反抗期の入り口あたりの頃やね。仲間の中にはそんなこと教えてくれるお姉ちゃんもおったし…ただ99%は好奇心な」
その時の彼女には申し訳ないが、もう顔も名前も思い出すことは出来ない。これまで幾人かの女性が彼の体に触れたが、いずれも長く続くことはなかった。好奇心が満たされればそれ以上深く関わることが苦手だった。
「今はもう自慢話にもならへんわ。もうやめにしよ? 頼むわ…}
 よっぽど恥ずかしい思い出なのか、顔を赤くして布団をかぶる。
「ごめん…ごめんね」
「いつからそんなに意地悪になった? あーあ、ほんま可哀相やわ俺…」
「だってだって、姫条くん震えていたんだもの」
悠里の申し訳なさそうな声に、まどかの体が固くなる。震えていた? この自分が? プレイボーイの看板を相当長く背負っていた筈なのに。
「ごめんね、もうこんなこと言わないから怒らないで…」
「ちゃうねん」
自分に呆れてフーッと息をつく。顔を手で覆ってしまった感触がひどく熱くて、『今、真っ赤になんだな』と思わせた。
「情けないんや。なんちゅうか…ほんまはずっと胸の中に突っ込んどくつもりやったのに」
「どういうこと?」
「俺…ほんまにな、本当のことやで? なんちゅーか…ほんまに好きになった子抱くの初めてなんや」
「嘘っ…!?」
慌てて起きあがると、彼女の胸のあたりが光の中で露わになる。ハッとしながら再びタオルケットを引っ張った。
「本当なの?」
「情けないやろ? 一応は普通を装ってたつもりだったんやけど」
 同時にもてあそんだかもしれない女性たちにも申し訳なくなってくる。相変わらず顔などは思い出せずにいたが。
「嫌いになったか?」
女性をあまりにも軽く見ていた頃の話である。でもそれを笑い話のように提供することは出来なかった。
「そんなことないっ」
「悠里…」
「嬉しいって思ってしまう私の方がずっとおかしいんだって思うの。私だって前に付き合っていた人たちと同じ女の子なのに、酷いよね」
でも『かつての自分』の反省文ならば一緒に書いてあげるから…その言葉がまどかを更に熱くさせた。
「ごめんな、こんなに不器用で情けない男で」
不器用で情けなくて時々子供のような顔を見せる人…でもその心は常に優しく温かい。そして愛情の深さと同じくらい、それを求める人でもあった。
「ずっと側にいるね…いさせてね?」
「もちろんや」
 
 
 
 
 いつもの鍵穴に鍵を差し込んでカチャリと回す。そして一人は大学へ、もう一人はバイト先に向かう為に歩き始めた。
「またお泊まりに来てもいい?」
「いつでも大歓迎!! の前に…そろそろ合い鍵を渡してもええ関係やと思うで」
彼からの嬉しい申し出に、悠里の顔が赤らみながらも幸せそうに微笑む。
「まずはまどかくんのおうちに自由に出入り出来ます権ね。それからまどかくんの為にいくらでも食事を作ってもオッケーな権、まどかくんのお部屋をツルツルピカピカに出来る権、それから…」
「私、おさんどんさんじゃないのにーっ」 
そう叫んだ悠里の手を、まどかはしっかりと握りしめる。その時の彼の顔はいつになく真面目で神妙だった。一息ついて、低く呟くように言った。
「未来の社長夫人の座…なんてどお?」
 
 
 
 
END
 
 
 
 
 
更新日時:
2007/04/01
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Last updated: 2010/8/15