1ST LOVE

40      星になれたら   ーKAZUMAー
 
 
 
 
 
 体温計を口からつまみ上げると、それまで堪えていた咳が一気に吹き出してくる。
「ごほっ、こぼっ、ごほ…」
「ほらごらんなさい。こんな寒い夜に屋根に登って空を見ているからよ」
しゅん…と項垂れてしまった男の子の体は三十八度を越えた熱に包まれている。
「ママ、ごめんね…」
「謝るのなら最初からやらないこと。本当に心配したのよ? どうしてあんなに危ないことをしたの」
 五才になったばかりの男の子が高い屋根の上をよじ登って虫取り網を振り回しているのを見かけたのは、街の全てが凍えるような冬の夜のことだった。慌てて出窓から室内まで引っ張り出した時には、肉体はまるで氷のように冷え切っていたのだ。これでは例え大人であったとしても寒さに耐えられる筈がなかった。
「だって、お星様が欲しかったんだもん」
「お星様?」
「お星様があればなんでもお願いが叶うって絵本に書いてあったんだ…」
 丸い青灰色の瞳が潤んで見えるのは、熱のせいだけではないだろう。母の手が一人息子の額にそっと伸びた。
「お願いがあるの?」
「もう少しでクリスマスでしょ? でも僕はママになにもしてあげられないから…だからお星様をあげようって思ったの。そしたらママはママのお願いが出来るんだもの」
外は寒い分空気がとても澄んでいて、空に輝く星たちもまるで宝石のように輝いてこの子を魅了したに違いなかった。
「ママは涼くんが元気になってくれたらそれでいいよ?」
「でもそれは駄目なの! ママがなんにもいいことないもん」
 親の幸せは子供の幸せだというのとは違うのだと思っているらしい。何か形になるものを望んで欲しがっているのだ。ハアハアと苦しい息を吐きながらこう言った。
「ねえ、ママは何が欲しいの?」
そう問われて何かを言おうとした瞬間、喉に引っかかるものがあって胸が苦しくなる。思わず子供の前で泣きそうになってしまった。
「ママ…?」
「パパが早く帰ってくればいいのにね」
子供の目が大きく見開かれる。しっかり者の母親がそんな寂しい言い方をするとは思わなかったのだ。
 小さな熱い手がしっかりと彼女の手を握りしめた。
「パパに会いたい?」
「まあ…ね」
ニホンからアメリカに挑んだ小さなサムライは、めきめきと実力を付けて今ではリーグになくてはならない存在になった。生活の大半を遠征に費やしている為に、家族には会いたいときにいつでも会えるとは限らない。そしてオフの時ですらバスケ漬けなのだ…あの人は。
「涼も会いたい!」
「そうだね。もしかしたらお星様がパパが何をしているのか知っているかもしれないね」
「うん…」
「でもね、もう危ないことはしないって約束して。涼馬の気持ちだけでママは嬉しいの。でももし大きな怪我をしたりしたら、いくら泣いても足りなくなっちゃうからね」
 
 
 
 
 眠ってしまった息子の頭を撫でながら、悠里はフッと溜め息をつく。
「そっか…もう少しでクリスマスなんだ」
すると突然脳裏に高校三年の時のクリスマスパーティーの光景が蘇ってくる。二人きりのテラスで彼が話してくれた『お星様を掴もうとする少年』の話は、そのまま今の涼馬の姿と重なる。熱にうなされながら眠るこの家の天使も内心悔しくて泣きたい気持ちを隠しているのだろうか。その時手元にあった電話が鳴った。
「はい、鈴鹿です」
「悠里? …俺」
 その声は2人が最も待ちわびていた人物のものだった。
「カズ…」
「どうした? 泣きそうな声して」
脳天気に響く夫の声に、本当の涙が溢れてきた。
「ごめん、しばらく連絡出来なくて…涼馬は?」
「ちょっと熱が出ちゃって。今は寝ているの」
すると電話の向こう側の様子が変わる。
「熱って…風邪でもひいたのか」
「今夜は特に寒かったから。あのね、お星様が欲しいって屋根に登ったのよ」
 しばしの空白…和馬の口から嬉しいとも切ないともつかない溜め息が出てきた。
「やっぱり俺の血を引いているってことか…」
「でも似ているのは顔だけじゃないよ? 優しいところもパパと一緒」
何も言えずにいる相手に向かって悠里はクスクスと笑う。
「お星様を私たちのクリスマスプレゼントにして、お願いを叶えてくれるつもりだったの」
悠里は気がついていないだろうが、この頃は本当に辛そうにしていたのだろう。まだ五才の息子が気を使ってしまうほどに。
「なるほどな。仕方ないな…クリスマスには可愛いサンタの為に玩具を一杯抱えて帰るよ」
「ほんと?」
「…忘れるなよ」
 ひとしきり大笑いした後、和馬は悠里にこう問いかけた。
「それでもしお星様ってやつがもらえたら、一体どうするつもりだった?」
「え…」
さてどう言えばいいのだろう。素直に『もう、叶ったよ』とは言いにくいし、笑ってごまかすには洒落がきいていない。
「なんだよ、土産買っていけねーぞ?」
「え…だって…」 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
久々の鈴鹿くん話はちょっと近未来の物語になりました。主人公は2人というよりもその後に生まれた一人息子の涼馬くんかな? パパであるカズは夢を叶えてプロのバスケットプレイヤーになったという設定です。まだGSが出たばかりの頃は日本人がアメリカのリーグで活躍するのなんて夢のまた夢だったような気がしたのですが、今では立派に人材が育っている時代なんですものね。大変失礼かとは思っていますが、あの選手になんとなく面影を重ねてこの話を書いていました。
完全に時期を外していますが、彼の誕生日とクリスマスの記念創作のつもりです。鈴鹿くんでこんなに静かな話を書けてしまう今の自分にちょっとびっくり。 
更新日時:
2004/12/26
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Last updated: 2010/8/15