1ST LOVE

35      緑の日々   ーIKKAKUー
 
 
 
 
 
 はばたき学園が夏休みに入ったと同時に、理事長一家は緑眩しい別荘地へと避暑に訪れていた。そこは亡くなった父が静養の為に使っていたところで、都会からの煩わしさを一切排除した場所に建てられている。まるで童話の主人公たちが住むような愛らしい外観も彼の足をここまで運ばせる理由の一つだった。隙間から射し込む光の帯に小鳥の歌う声…それを思う存分に堪能するために天之橋一鶴は今日もわざわざテラスに椅子とテーブルを持ち出して読書を楽しんでいる。時に可愛らしい小動物が仲間入りすることもあり、まさに仕事や都会の束縛から解放された彼だけの楽園を作り出していた。
 そして本人もどのくらいの時間が過ぎたのかわからなくなった頃…家の中からまるで絹を引き裂くような叫び声が響いた。
「きゃああーーーっっっ、何をなさっているんですか!? お嬢ちゃまはっ」
「えっ…もう少しでお茶の時間だと思って、これからケーキでも焼こうかと…」
「だからってこんな高いところに登らなくてもよろしいんです。もし万が一のことがあったらどうするのです…そんなことはこのばあやにお任せ頂ければよろしいんですよ」
強い口調でまくしたてるのは初老の女性のようだった。言い訳をしながらも彼女の言葉に逆らえないのはまだ若いこの家の女主人である。
「やれやれ、また始まったのか」
言葉は呆れている感じでも、しかしそれが楽しくてたまらないといった様子だ。どうやらここに来てから…それ以前にも…繰り返された会話なのだろう。
「でもお医者様もなるべく動くようにおっしゃっていたし」
「それでも高い場所に立つ理由にはなりません。後は私に任せてお休み下さい」
どうやらそれでオチがついたようだった。
 しばらくは笑いが止まらずに必死にかみ殺していると、怪しげな足取りで誰かがやってくる気配を感じた。
「随分楽しそうな顔をなさっているんですね?」
「ああ…君か」
最愛の妻であり、先程の会話の中心人物がお茶の仕度をしてテラスにやってきたのだ。
「激しくやりあっていたようだが」
「そうなんですよ!」
ティーカップに紅茶を注ぐ手が止まり、その薔薇色の頬がプッと膨らむ。
「心配して下さる気持ちはわかるんです。でもちょっと過保護過ぎると思いません? 私別に病気なわけじゃないのに…」
「まあ本人も嬉しくてはしゃがずにいられないのだろう。しばらくは付き合ってあげてもらえないか?」
 これらの騒ぎの理由は妻となった悠里の体が教えてくれる。大きく膨らんだお腹の中に大切な命を宿しているのだ。独身貴族を気取っていたはばたき学園の理事長も、一年の終わりを迎える頃に父親になる予定なのであった。彼を幼い頃から見守ってきたばあやにとっては初孫以上の喜びであることは間違いなく、避暑についてきただけでは飽きたらずに二人の行動に何かと口出しをしてくるようになってしまった。まだ若い悠里は、その心情を理解しながらも束縛される窮屈さにはたまらないものを感じていた。
「でもあなたにこうしてお茶を入れてあげることしか出来ないなんて…」
「私はそれで充分だよ。あまり機嫌を悪くしてはいけない…お腹にいるもう一人のレディが悲しむよ」
「もう女の子って決めているのね」
「なんとなくだがね…わかるのだよ」
大きな手でそっと触れられると、彼の言葉に同意するようにぴくっと反応してくる。悠里はそこでようやく機嫌を直した。
 花模様のティーセットに琥珀色の飲み物が注がれる。カップに液が触れると薔薇の香りが漂ってきた。
「何を読んでいらしたの?」
「ああ…古い童話の本だよ。眠れるお姫様を迎えに行く王子様の物語さ」
「素敵! 読んでみて下さいません? 私たちの為に」
「お安いご用」
一鶴は自分の正面の位置にある椅子を引き、優しい紳士のように妻をそこへ座らせた。緑の風景の中に唯一欠けていた存在…お姫様の姿がしっかりと収まる。ばあやが焼きたてのスコーンを持ってテラスを訪れるまで、低く優しい声が森を撫でてゆくのだった。
 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
これを誕生日創作だなんて言っても誰も信じてくれそうにない…一鶴さんごめんなさいー。二ヶ月以上すぎてるじゃんよ。愛だけは込めていますが、それさえも言い訳になりかねんこの現状がつくづく申し訳ないです。
一鶴さんエンディングから数年後の新婚さん設定です。彼はとても優しい人だと思うので、恋愛中の駆け引きとか悩みを書くよりも、ラブラブな部分を強調した内容の話を書きたいと思っています。だから未来編が多いのかな? ちなみに彼には育ててくれたばあやさんがいるというのは公式設定だと…思ったが、どうでしたっけ?
 
更新日時:
2004/04/18
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Last updated: 2010/8/15