1ST LOVE

21      キラキラ   ーKEIー
 
 
 
 
 
 並ぶ4本の弦の上を小さな弓が優しく滑ってゆく。そこから溢れるメロディーは…例えば通と呼ばれる人間ならば『流石だ。血は争えない』と太鼓判をポンと押してしまうほどのものだったが、それが本当に素晴らしいかどうかは音の主さえわからないのだった。
「はい珪くん、そこまででいいですよ」
パンパンと手を叩く音と一緒にその声が演奏を遮る。珪と呼ばれた男の子は、フーッと息を吐いて愛用のバイオリンを降ろした。
「それじゃ次回までにここまで練習してきてね」
楽譜にラインを引くと、珪はそれをじっと見つめて頷いた。
「はい」
 金色の髪と緑色の瞳を持つこの子は、まるで丹誠込めて作られた人形のように美しかった。両親のどちらかがドイツの血を引いているのだという。しかしその神秘的な容姿は彼を『子供』という存在から遠く突き放してしまっていた。
「それではまた来週ね」
「ありがとうございました」
 まるで何事もなかったように去ってゆくのを見ながら、大人の方がガックシと肩を降ろす。もちろん彼女はあの子を嫌ってなどいない。あれだけ美しい上に母親が世界的に知られたバイオリニストとなれば教えるのは光栄だと思ってはいる…が、にこりと笑うこともなく口数も思いっきり少ないのだ。レッスンが終われば冷や汗も流れるし、疲れも襲ってくる。
(もう少しなんとかならないのかしら…)
でもそれは無理な話だろう。珪自身が何とかしようと思っていなかったのだから。
 
 
 
 
 日射しが照り返すアスファルトの坂道を珪はてくてくと歩いていた。手にはしっかりとバイオリンの入ったケースを持っている。海外を飛び回っている母が買い与えてくれた特別製だったが、でも自分は本心からそれを欲していたわけではなかった。高価な楽器よりもそれを弾いてくれる母親に側にいてほしかったのだ。しかし無理な我が儘を言ってしまえば音でつながっている絆も切れてしまう。4歳児が出した結論は、このことについて何も言わないことだった。
 このあたりは一流音楽大学が近くにあるせいか、学生たちがアルバイトと修行を兼ねて行っている小さな子供を対象にした音楽教室が沢山あった。珪が通っている教室もそういった中の一つである。時には風に乗って色々なメロディーが流れてくることもある。フルートだったり、サックスだったり、時にはドラムやギターだったり…そして今日は?
(ピアノ?)
珍しく珪はその場で立ち止まった。ピアノ自体は飽きるほど耳にしていたが、そのたどたどしい音が離れてくれない。しかしそれが不快ではないのだ。まるで春の風のように優しい…。
「キラキラ星だ」
誰にでも弾けるような初心者向けの曲を弾いているのは、自分と変わらない年頃の子供だろうか。久々にうずく好奇心を押さえながら、珪はその音の源をたどり始めた。理由なんてものはないのだろう。一体どんな子なのか見てみたいだけの気持ちで、駆け足であたりを彷徨い始める。
「あ、見つけた。ここだ…」
チョコレート色の屋根にクリーム色の壁のとても可愛い家だった。その音にとてもよく似合うような気がして、珪はまるで不思議の国に招かれた王子様のように中へと入ってゆく。
(あっ…)
 大きな窓から見えたのは、自分と年の変わらない小さな女の子だった。白いワンピースを着た長い赤茶色の髪の彼女はいつか絵本で見たお姫様とイメージが重なる。
(天使みたいな女の子だ…)
そして珪は恋をしてしまったのだ。物語に登場する王子様のように。しかし何も知らない女の子は、長身の男性の指導者に言われるまま、同じ曲を繰り返している。珪は我を忘れてその様子に見入っていた。どこかぎこちない手つきと真剣そうに光る青い瞳が滅多に笑わぬ少年の口をそっとゆるませてくれていた。
 どのくらいそうしていたのだろうか。やがて講師が楽譜にラインを引き始め、女の子が納得したように頷いている。どうやら先程の自分と同じような会話をしているらしい。ピアノの蓋を閉めて、楽譜や筆記用具を片づけた時、思いがけないことが起こった。彼女が自分を見つめている視線に気がついたのだろう。フッと窓の外へと振り返ったのだ。
(…見つかった!?)
一枚のガラスを隔てて小さな2人は見つめ合う。初めはきょとんとしていた女の子は、近くにいたピアノ講師の手を引っ張る。
「あそこに男の子がいるよ…」
そう言っているような気がした。
 珪の口から笑みが消えて顔がこわばってゆく。無断で知らない家を覗いていたのなら激しく叱られて当然だ。警察を呼ぶかもしれない…そう思ってきつく目を閉じた時、窓がガチャと開く音がした。
「やあ、こんにちは」
「えっ?」
さっきまでピアノを教えていた人がニッコリと笑って見おろしている。そしてその傍らから…。
「こんにちはっっ」
ぴょこんと現れた赤茶の髪の女の子だ。ピアノを弾いている時の清楚な感じとは違って、実は明るいタイプの子供であるらしい。
「ごめんなさい。俺…このへんを歩いていたらピアノの音がしたから…」
「どうやら悠里ちゃんのピアノが気に入ったみたいだね。まだ始めたばかりだけど、伸びやかでとても綺麗な音だから」
「はい」
 しかし女の子にとってはそんなお褒めの言葉はどうでもいいらしい。目ざとく見つけたのは珪が握りしめていたバイオリンのケースだった。
「ねえ、バイオリンやるの? おけいこの帰り?」
「うん…」
「すごーい。格好いいね。ユーリもやってみたいな」
こう言える女の子に弾かれるバイオリンなら幸せなんだろうなあと珪は思う。
「そう…でもない」
「そうなの?」
 もしかしたら彼女に呆れられてしまっただろうか。幼心にもその不器用さがショックでそのまま逃げ出してしまおうかと思ったとき、また弾んだ声が降ってきた。
「ねえ、もっとお話ししようよ。お家の近くまで一緒にいってあげる」
「えっ?」
女の子は珪の返事も待たずに手提げ袋を手にして教室を飛びだしてゆく。お兄さんのように優しい先生への挨拶も簡単にすませてしまった。
「君はどこに住んでいるの?」
「はばたき学園の近くです」
「そう…悠里ちゃんもその近くに住んでいるんだよ。よかったらこれからも仲良くしてやってね」
「…はい…?」
「あの子ね、パパとママが東京でお仕事をしていて今はお祖父ちゃんの家で暮らしているんだ。とても元気で明るい子なんだけど、本当は寂しいこともあるらしい。お友達になっていっぱいお話してあげてくれると嬉しいんだけどな」
 
 
 
 
 初めて繋いだ小さな手はとても温かかった。女の子は自分から『みずさきゆうり』と名乗り、それに続くように珪も『はづきけい』という名前を教えた。家はこの近くにある中高一貫教育の私立校はばたき学園の向こうにそれぞれあるらしい。
「お父さんとお母さん…」
「なあに?」
「東京にいるって…さっきの先生…男の人が言ってた」
本当なの? と言いたげに悠里の方を見た。しかし彼女は自分を知ってもらえるのが嬉しくてたまらないらしく、明るく言った。
「パパはね、お歌を作るお仕事をしているの。そしてママは絵を描くお仕事をしてるのね。今は忙しいけれど、それが終わったらユーリのこと迎えに来てくれるんだって」
 両親と会えない環境は珪も同じだ。両親は決して息子を愛していないわけではないが、それと変わらぬ確率で仕事を捨てることも出来ないのだろう。
「俺の母さん…バイオリンの仕事してる…」
「そうなの? すごいねー。格好いいねー」
「でも…だから母さんはバイオリンの出来る俺が好きなんだ。もしバイオリンを弾けなかったら…」
それまでニコニコしていた悠里の顔が悲しそうに歪む。
「バイオリン弾けなくちゃ嫌いになっちゃうの?」
「うん」
「そんなことないよ。ユーリのパパはギターを弾くけど、そしてユーリもギターを弾けたらお手伝いも出来ていいかもしれないけれど、でもパパはそんなこと言わないよ。『俺の作る歌は全部ユーリの物だからね』って…」
 言葉の最後の方はほとんど涙声で聞こえなかった。
「どうしてユーリが泣くの?」
「だってケイちゃんが悲しいことを言うんだもの…」
片手は悠里の手を握ったまま、もう一方の手で持っていたバイオリンのケースを地面に置いてサラサラの髪を撫でてあげる。
「泣かなくていいよ。いつものことだから」
悠里は握られた手と反対の手で涙を拭いた。この少年はとても優しいのだと思う。泣くしか出来ない自分にもこんなに温かく接してくれるのだから。
「あのねっ、私ね…お母さんの代わりにケイちゃんの側にいて、ずっとずーっと大好きでいるよ!」
「えっ?」
「そうしたらもう寂しくなくなるでしょう?」
 2人は暫くじっと互いを見つめていた。珪は嬉しくて何も言えず、でも悠里はなかなか出てこない返事に不安げになってくる。
「駄目かなあ。やっぱりユーリはピアノがなくちゃ駄目なのかなあ」
「そんなことないよッ」
さっきまで頭の上にあった手を降ろして、両手で悠里の手を包む。
「俺もユーリのことが本当に大好きだよ。ユーリのパパみたいになれないかもしれないけど、でもずっと側にいるよ」
「ホントに?」
「うんッ!」
 しかしどんなに一緒にいたくても、帰り道には必ず別れがやってくる。それぞれの家に帰る左右の方向に分かれる時、2人は初めて手を離した。
「また会えるよね」
「うん。あのね、はばたき学園の中にね教会があるんだ。知ってる?」
珪の指した先には深い森の奧に見える銀色の十字架が立っていた。
「行ったことないけど、でも行ってみる!」
「俺、そこで待ってるから。そしてピアノのある日は必ずお迎えに行くから」
「本当に?」
「うんっ」
 手は離れてしまったが、今度はさっきの何倍もの思いを込めて指切りをする。2人にとってこれが初めての約束だった。
「それじゃあね」
「また明日ね」
珪は最後の言葉を心込めて言い、悠里はとびきりの笑顔と一緒に頷いた。
 
 
 
 
 次の週、バイオリン教室の珪は確実にこれまでとは違っていた。もちろん素晴らしいメロディーは変わらないままだったが、そわそわしてどうも落ち着かないのだ。そのせいで何度か注意を受けている。
「それじゃ今日はここまでにしましょ…」
「先生さよおならあ」
次の瞬間には男の子の姿はどこにもなかった。
「…一体何があったって言うの…」
はてなマークを頭上で散らしても結論は出ない。まさか女の子とレッスン後のデートをしに行ったとは思いつくはずもなかった。
 小さな足は例のチョコレート色の屋根の家まで必死に走る。しかしその直前の石段に彼のお姫様は座っていた。
「ユーリ!」
「ケイちゃん…」
「どうしたの? この前より早いみたいだ」
「先生が早く終わってもいいよって言ったの」
あの優しそうな先生は2人がすぐに仲よしになったのを見抜いたのだろう。ただレッスンの残りは宿題にされはしたけれど。
「じゃ、早く教会に行こう。俺、今日は絵本を持ってきたんだ」
「わーいっ、早くいこうっ」
小さな2人も時間は決して無限ではないことを知っていた。だからこそ大切にしたいと思いながら、手を繋いで歩き始めた。
 
 
 
 
END
 
 
 
 
王子と主人公のたとえばこんな出会いだったら…編でした。オフィシャルの設定があまり強くない分、好き放題妄想しています。小さな子供が大好きなもんで、結構ノリノリで書けました。ちょっとうちの主人公のプロフィールなんかも明かされてます。お父さんはギタリストで作曲家、お母さんは童話作家なのです。この時点では2人とも無名ですが、将来はスーパー売れっ子になる…という設定なのでした。
 
 
更新日時:
2003/01/27
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Last updated: 2010/8/15