1ST LOVE

19      flower   ーKEIー   
 
 
 
 
 
 はばたき学園高等部卒業式の日、水崎悠里が歩を進めていたのは学園内の片隅にある小さな教会だった。『運命の王子様と出会える場所』…そんな噂がここにはあったが、それを可愛いと思いながら実は内心そうであるようにと必死に信じ込んでもいたのだ。三年前の春に巡り会った彼が自分の運命であるようにと、祈るような気持ちで…。
「葉月くん…」
いつもなら閉じられている扉が今日は何故か開いていた。心臓の音にあと押されるようにそれを押した。
「悠里?」
 まるで夢が叶ったように彼は祭壇の前に立っていた。しかしそのシーンはまったく想像がつかないものだった。葉月珪はそこに一人でいたわけではない。腕の中に見知らぬ少女をしっかりと抱きしめていたのだ。
「ごめん、俺…」
「そっか、その人があの彼女なんだね」
「お前には悪いと思っている。でもやっぱりこいつじゃなきゃ駄目なんだ」
相手の少女も申し訳なさと居心地の悪さにガタガタと震えている。
「私のことは気にしないで。その人のことを大切にしてあげてね」
「ありがとう」
二人の声がそう重なった。もうここに悠里がいる理由は何もない。心の中に渦巻く激しい気持ちを悟られぬよう、静かに扉を閉める。悲しいのに…胸が張り裂けそうなくらいなのに…。
(どうして私、笑っているの…)
 
 
 
 
 受験という名前の戦争を乗りこえて、花屋アンネリーの看板娘は帰ってきた。元々真面目で手先が器用な女の子だったが、高校生活を経て大学生になった彼女は常に口元に優しい笑みを浮かべている。それにつられてやってくる男性客も多いのだとか。しかし今日は…。
「一体何があったのよ」
「んー、別にー」
この子が側にいてくれるのは嬉しいが、それがバイト先の店の前というのは少し困る。でもきっと何か言いたいことがあるのだろう。
「志穂ちゃんさあー」
「なによ」
「花に例えたら、百合って感じがしない?」
 突然のお褒めの言葉に、志穂の顔がサッと赤くなった。
「スマートだし、色白美人だし、なんか清楚で格好いい感じ」
「なんなのよ急に」
「瑞希ちゃんは蘭かカトレアってとこかな。上品で華やかで、いかにもお嬢様って感じ」
あの気の強さで常に志穂と対立しているような少女だったが、しかし上流階級の人間としての品は兼ね備えていた。おそらくそれらの難しい花も自分の物にしてしまえるだろう。
「珠ちゃんはコスモスかスィートピー、なっちはひまわりかハイビスカスってところかなあ」
「まあ正しい意見ではあるわね」
 ロマンチックな話題をふったわりにはそれ以上話が続かない。志穂は大切な親友のために重い腰を上げた。
「悠里?」
「…私って何なんだろうね」
何を今更…と言いたげに、志穂は悠里の左手薬指を指した。
「そこにあるんじゃないの?」
「でもね、これは誰にも気づかれないで踏まれてしまう運命にある花だもの」
恋人から贈られた手製のリングをそんな風に言うなんて…ますます彼女らしくないではないか。
「店長すみません、お昼に入ってもいいですか?」
店の奧にいる店主に声をかける。もうそろそろ時計が十二時をさす頃だった。
「いいよー」
「ありがとうございます」
志穂はエプロンを外すと、そのまま悠里の手を引っ張って店を出た。
「しっ、志穂ちゃあああーーん」
「お昼くらい付き合いなさい」
 
 
 
 
 二人がやって来たのは市内にあるホテルのレストランだった。日頃なら目が飛び出るほど高い食事でも、平日のランチタイムはありがたいほど安くなる。自称貧乏学生の二人もここをよく利用していた。
「これ美味しいね。次は他のみんなも誘ってこようよ」
「そうね」
といった具合に、しばらくは二人で盛り上がっていた。しかしデザートを終えてコーヒーとハーブティが並ぶと、志穂は改めて悠里を見つめる。
「葉月くんと何かあったの?」
「何か…って言うか…」
「まさか別れ話が出ているわけでもないんでしょ?」
そのまま言葉が止まる。肯定とも否定ともとれる沈黙だった。
「悠里…黙ったままじゃ何も言ってあげられないわよ」
ミルクをかき混ぜるスプーンと渦を見つめながら、悠里はあの日のことを回想し始めた。
 
 
 
 
 一流大学に進学してからも、それまでしていた喫茶アルカードの週二回アルバイトは続けていたが、その日は午後から珍しい客が訪れた。一人は同じ大学に通う恋人の葉月珪、そして彼と一緒にやって来たのは華やかな外見のとても美しい女性だった。
「俺のいとこで、葉月洋子さん。雑誌の編集の仕事してる」
「初めまして。水崎悠里です」
二人はカウンター席に腰を降ろし、悠里の保護者代わりとしてマスターも加わって四人は向かい合った。悠里が手早く用意したコーヒーとツナサンドが並ぶ。話を聞くと、どうやら珪がモデルの仕事を始めるきっかけとなったのが洋子の頼みだったらしい。
「この子が正式に事務所に所属するようになってからは仕事に付き添うことも少なくなったんだけどね、スタッフサイドから随分と珪の表情が変わってきたって話を聞いて『これは彼女が出来たわねー』ってピンときたのよ。強引に吐かせて会いたいって言っちゃった。忙しい時に迷惑かけてごめんなさいね」
 どうやら外見とは違って、洋子は気さくで親しみやすい性格の主であるらしい。生活の大半を外国で過ごしている珪の両親に代わってあれこれ世話を焼いているのだそうだ。ペラペラと珪の日常を口にしてはひじをつつかれている。
(なんか本当の姉弟みたいだなあ)
そんな温かな目で見つめている悠里を、洋子はコーヒーとサンドイッチごと気に入ったようだ。
「でも本当に安心したわ。この子って見た目通りの無愛想さでしょ? 恋人なんて夢の夢だって諦めていたもの。それなのに悠里ちゃんみたいな可愛い彼女を紹介してくれたんだもの、この子の両親も安心するわ」
「そんな…」
 悠里は突然の両親という言葉にサッと顔を赤らめ、その場は笑いに包まれた。
「それにしても珪くんはいい目をしているよ。モデルという職業上、華やかな世界ではいくらでも美人と知り合える機会はあるだろうに。でもうちの看板娘は可愛いだけじゃなくてしっかり者で優しいからね」
「あーら、マスターったらわかっていないわね。珪が好きなのはね、女の子らしくて優しい可愛い子なのよ。中学の時だって女の子と押し花付きのラブレターをやりとりしていたんだから」
「えっ…」
初めて聞く話だった。悠里の顔が少しだけ引きつる。しかしそれを一番に見ていなくてはならない珪は気づかずにいた。
「そうだったっけ?」
「いやだな、忘れたの? れんげ草の押し花をくれた子がいたでしょう」
 マスターだけが隣をチラッと見た。しかしすでに悠里の顔には笑顔が張り付いていた。
(悠里ちゃん…?)
「へえ、珪くんそんなことがあったの?」
「いや、俺は別に…」
「そうなのよう。下駄箱にラブレターが入っていてね、その中にれんげ草の押し花があって…だから私悠里ちゃん見て思ったもの。その女の子とイメージ重なるなーって」
女性二人の明るい声が店内に響く。結局はそれ以上珪が口を挟むこともなかったのだ。
 
 
 
 
 ハーブティの入ったカップをソーサに戻すと、志穂の口からあきれたようなため息が出てきた。
「単なるやきもちじゃないの」
「そうだよね…うん、そうなの。単なるやきもちなの」
しかしその一言で済むはずはなく、実際悠里の心はあの日以来ぐちゃぐちゃだった。
「でも嫌なことばかりが頭の中をぐるぐる回っているんだ。今朝に限って夢にまで二人が出てくるの。珪くんは私のことずっと忘れないでいてくれたから、ずっと私だけを好きでいてくれるなんて勘違いしていたこととか、押し花で想いを伝えるなんて考えたこともなかったなーとか、…もしかしたら私ってその人の代わりなのかな…とか」
「身代わり?」
 中等部からはばたき学園に在学していた志穂はその相手というのに心当たりがあった。中学二年から三年にかけての一年間だけ在籍していた女子生徒である。大人しい…というよりは無口で友人もそれほど多くはなかったと思う。しかしそういう少女だからこそ何かと気を配ってくれる存在もいるわけで…志穂の口に悠里の問題とは別な苦みが走る。あの眼鏡をかけた若者は、今も昔も罪な男なのだ。
「身代わりにしてはキャラクターが違いすぎるわね」
「どうせ私は誕生日のプレゼントに猫グッズを選ぶような女ですよ。押し花なんて考えたことないもの」
「だから葉月くんにとってはよかったのよ。あなたが言う『昔の恋人』はあまりにも彼に似すぎているから。その二人が一緒にいたなら彼はずっとあの頃のままでしょうね」
 多分悠里は知らないのだろう。自分が無条件に人を幸せに出来る存在なのだということを。穏やかで優しい、暖かな春の日差しのような彼女…それを葉月珪は今更手放したりするだろうか。高校三年時の週末のほとんどを彼に奪われ、親友とのニコニコ模試ライフを邪魔されたことを未だ恨んでいる志穂であった。
「それで? どのくらい会っていないの?」
「…一週間くらいかな」
「そろそろ向こうが限界でしょうね。彼から連絡がきたら言いたいことを全部ぶつけてやりなさいよ」
「そんなっ、珪くんに言えるわけないようー」
その場でキューと小さくなってしまう悠里に、志穂は珍しく大きく笑った。
「残念だけど、私の親友はこんなところでウジウジしているタイプじゃないのよ。万が一二人に決定的な何かがあったとしても、それを乗り越えてゆけるって信じているの」
 
 
 
 
 志穂の昼休みの終了にあわせて二人はレストランから出た。ホテルの前で別れを告げてそれぞれの方向へと歩き始める。しかしフラフラと歩いて行く悠里を見ると、「重症だわ」と言わずにいられなかった。志穂は彼女が打ち明けてくれたのが自分でよかったとつくづく思った。他の三人ならば葉月珪は間違いなくどこかに呼び出されていただろう。人知れずどこかに埋められて…もあながち冗談ではないのだ。
(それにしても不器用な人たちね。今頃は葉月くんも必死に言い訳を考えている最中かしら。きっと歯が浮くような言葉を悠里の耳に入れて、彼女をまた夢中にさせてゆくんだわ)
 でもそれでいいと志穂は思う。中学時代から長い時間を経た今…あの頃の葉月珪を愛し、もしかしたら愛されたかもしれない少女も新しい別な恋をしているだろう。もしかしたら彼女のような優しい思いやりのある、ちょっぴりやきもちやきな男性かもしれない。
「悠里…もし全てが丸く収まったら、その時はクローバーの3つ目の花言葉を教えてあげるわ」
その最後の花言葉が偽りのない彼の本心を物語っているのだ。
 
 
 
 
しろつめくさの花言葉……『約束』 『幸運』 そして『私を想って下さい』
 
 
 
 
END
 
 
 
 
ドラマアルバムの中学時代の王子のエピソードをご存じないとわかりにくいかもしれないですね。物語の中に登場する女の子に嫉妬してしまう悠里の話でした。基本的に私はゲームの主人公ちゃんの味方なのです。だからちょっと王子には悪い人になってもらいました。いとこの洋子さんはドラマに登場します。(声は冬馬由美さんでした。ラジオでは雑音まみれでわからなかったけど、スッゲエ美女声ですぜっ。この回ではカメラマンの役で森川智之さんも出ておられるので、メルとエルンストの共演が聞けます)彼女はちょっと口が滑った程度で悪い人ではないです。そこら辺のフォローはやりたいと思うのですが、悠里の頭はやきもちでグチャグチャ。管理人の頭はその裏付けでグチャグチャ。
 
 
 
 
 
 
更新日時:
2002/12/22
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Last updated: 2010/8/15