1ST LOVE

14      SWEET SWEET SWEET   ーMADOKAー
 
 
 
 
 
 繁華街にある、とあるビル地下に彼の店はあった。モノトーンに統一された店内にある飾りは、世界各国から取り寄せた色とりどりの酒だ。関西弁でうんちくを語るマスターの持つ雰囲気から決して客を選ぶわけではないが、それでもただ騒ぐだけの者が気軽に入れるわけでもない心地よい大人の空間がそこにはあった。
「よう、いらっしゃい」
その日一番に入ってきたのは、華奢だが明るい表情の女性だった。
「久しぶり…って、でも入っていいの?」
「もちろんや。今更遠慮せんでもええって」
カウンターの向こうで姫条まどかはニィと笑った。
 なぜ彼女が店にはいるのに戸惑うのか…入り口に『貸し切り』の札が下がっているからだ。
「予約は入っていないの?」
「俺が入れた」
びっくりしたように何も言えずにキョトンとしている姿は可愛い子猫のようだと思う。高校時代からそれはずっと変わらず、そのせいでかなり余計なことを随分と口走ってきた。
「この頃お互い仕事で会えへんやろ? 申し訳ないが職権乱用や。誰にも文句言わせへんで」
「姫条くんらしいね」
 レモンとオレンジとパイナップルのジュースを均等にシェーカーへと注ぎ、上下にそれを振ると長いグラスに注いだ。お酒をあまり得意としない彼女は初めに必ずこれを注文する。ガラスのハイヒールを忘れて立ち去るお姫様の名前のカクテルだ。店内にイエローの光が新しく灯される。
「前から聞いてみたかったんやけど」
「なあに?」
「俺のこと、いつまで姫条くんて呼ぶん?」
しばしの空白の後に、唇からクスッという笑みがこぼれた。
「だって姫条くんが言ったんだよ?」
「なんで!? なんて…」
「女みたいな名前で呼ぶなって」
 あの卒業の日から五年は経っているが、自分は初めて出会った日から彼女との思い出は何一つ忘れていないと自負している。それなのに大きな影響を与えたはずの一言がどうしても思い出せない。
「そんなこと言ってへんて」
「言ってたよ。だって私少し悔しくてさ、みんなに言いふらした記憶あるもん」
確かに女のような名前にコンプレックスはあるが、しかし恋人に甘く呼ばれるのなら話は別だ。
「今からキャンセル出来んやろか」
「呼び方の? キャンセルって…今度は名字が駄目? お姫様って字が入っているから…」
「ストーップ、ストップ。…もう一杯作ろか?」
「お願いッ」
 ルビー色のカクテルを手にした彼女の白い指先を見つめる。少し…どころか相当鈍いこの人には、やはり正当法しかないのだろう。
「これなんやけど」
ビロード張りの小さな箱を手元に置いた。
「なあに?」
「呼び出した理由。開けてみてや」
そこに座っていたのはプラチナのリングだった。中央に金のティアラとムーンストーンが乗っている。
「月の石だね」
「そのあたりはわかっとるな。ようやくこういうのプレゼントする事が出来るわ」
 一見軽いようで、実はとてもロマンチストなこの人が何を言うのか…きゅっと体を縮めてその瞬間を待つ。
「だから姫条って呼ばれるの切ないんや。同じ名字名乗ってくれって言いにくいやろ?」
「同じ名字…」
「そゆこと」
カウンターの両側からそれぞれの手が伸びて重なり合う。
「結婚しよ…な? ここで終わらすつもりはないけど、でもどんなときだって側にいて欲しいんや」
なかなか出てこない返事の代わりに、小さく頷いた。
 
 
 
 
 しばらく海外を豪遊していたその人は、久しぶりに帰国した時にその店にふらりと立ち寄った。
「理事長?」
「おや…立派な経営者となった今でもこのカウンターに立つのかい?」
「性分みたいなもんですわ。今の自分の出発点やから」
グラスの中に氷山が入り、琥珀色の酒が注がれる。
「その節はお世話になりました。あの教会を使わせてもろうて。悠里も感謝しているって言うてます」
「それはかまわないよ。しかし残念ではあったね。もう少し早めに教えてくれたら私も出席出来たのに」
「すんません。あっちの家族以外はほとんど呼ばなかったんですわ」
ペコッと頭を下げる様子からは、大人になったというか、社会にもまれてきたという印象を受ける。しかし憎めないところや人なつこい部分はもはや変わり様がないのだろう。
 帰国のきっかけは旅先に届いた一通の葉書だった。はばたき学園の敷地内にある教会で式を挙げた2人からのものだ。特に目をかけていた生徒だっただけに会いたくてたまらなくなってしまった。
「ウェディングドレスはあの時のものだね? 三年の学園祭の時の…」
「しめるところはどえらくしめられてます。ただそれでもいいと思って…実際あのステージ見たときから決めてまして」
手芸部に所属していた彼女は、手先が器用で三年の時の学祭では自作のウェディングドレスを着てステージに立っている。
「それが上手くいく秘訣かな? 家庭で子供のようになっている君が見えるようだ」
「随分分かってますね。そこまで分かっていてご自身はなーんで結婚せんのやら」
「私だって出会いたかったのだよ…高校時代に運命の相手にね」
お互いのその頃を思い出して、2人は大いに笑った。
 カラン…と氷がグラスにぶつかる音がする。
「彼女は元気にしているのかい?」
「おかげさんで。まあ今はちょっと…ね」
「ちょっと?」
心配げな客人の顔を見て、まどかはおかしそうに笑った。
「まさか…」
「信じられます? あの問題児が父親になるンやて。自分でも驚いてます」
「そうか…いや、おめでとう。なんか孫が生まれるようで嬉しいよ」
「あんまり誉めんとって下さい。自分がこれまで好き放題やって来たんで、腹の中から責められているような気がしますわ」
 新しく生まれてくる生命の為に2人はグラスを重ねた。
「お父さんには知らせたのかい?」
「…いや」
「水崎くんが何もしていないとは思えないが」
「だとは思うてます。あいつそういうこと気にする奴やから」
任せっぱなしなのだと笑うが、決してそれだけではないだろう。今彼は自分が父親になることで心の整理を付けようとしている。時が流れたら向き合うことが出来る日が必ずやってくる…そしてその日が近いことを感じ、かつての暴れん坊は優しく微笑んだ。
「長生きしてもらわなあきませんわ。卒業してから甘えっぱなしやし」
「大切にしてやってくれたまえ。娘のように思っていた子なんだからね」
深々と頭を下げながら、それでも子供のような口調でまどかは言った。
「…確かに承りました」
 
 
 
 
END
 
 
 
 
姫条くんエンディングから五年後の設定でした。ラストに某氏のおまけ付き。
更新日時:
2002/11/20
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Last updated: 2010/8/15