1ST LOVE

10      小さな恋のうた   ーWATARUー
 
 
 
 
 
 その日、水崎家はちょっとしたパニック状態と化していた。もっとも当事者であるはずの長女の悠里は意外にも平気な顔をしており、その周りを弟の尽がバタバタと騒いでいる感じだ。
「鉛筆は沢山持っていった方がいいぜ。それから消しゴムも!! 悠里ちゃんドジだから絶対に落としまくるんだ」
「大丈夫だよ。頑張ろうって気持ちだけはあるから」
「気持ちだけですんだら世話ないって! 受験の日にこんなにお気楽でいいのかよ…心配でついて行きたいよ」
 しかも彼女が受ける一流大学は、優秀な成績の者にのみ門戸を開いているところで、少なくとも姉のように『家から近いから』などというグレートな理由では行けるはずがないのだ。弟の心配は膨らんでゆく一方だった。
「弁当は持った?」
「うん、受験票は忘れてもそれは忘れないよ」
「だから心配なんだよ!  ちょっと待ってて、俺も行くから」
弟についてきてもらう受験生など前代未聞だ。悠里は慌てて靴をはいて鞄を手にする。
「それじゃ行って来るねー。尽くんも休まずに学校行くのよ」
 
 
 
 
 同じ大学を受ける友人の有沢志穂との待ち合わせにはまだ少し余裕があるようだ。悠里は背中にほんの少しの緊張感を覚えながら道を歩いていた。友人は高校生活を我慢の時期だと言い切っていたが、自分はクラブやアルバイトなどの貴重な経験を沢山してきた。その中の出会いに報いるためにも必ず合格したいと思う。フーッと深い息を吐くと、突然胸ポケットの辺りがブルブルと震え出す。
「あっ…電話! もしもしッ、悠里です」
大事なことを気づかせてくれた相手に自然に頭が下がってゆく。向こうから聞こえてきたのは元気のいい少年の声だった。
「悠里先輩! 朝早くにすみません」
「渉くん?」
「はいッ」
 一才年下の後輩の子だった。三年間はば学野球部のマネージャーをしてきたが、部員の中でも特に彼女を慕ってくれていたのだ。
「どうしたの? 励ましてくれるの?」
「半分はそうッスね。でもあと半分は冷やかしかな」
「言ってくれるねー」
「…だってもし不合格だったとしたら、ジブンと同学年になれるじゃないッスか」
どうしても越せない年の壁を持つ側の本音だった。
「プロになって、女子アナと結婚するんでしょ?」
「それはそおッスけどー」
 悠里の顔に微笑みが浮かんだ。たとえどんなことを言われたとしても、この気さくで優しい後輩と話しているだけで気が紛れる。
「そろそろ友達との待ち合わせ時間なの。またね」
「あっ、ちょっと待って下さいッ」
「…どうしたの?」
「電話口でスーッと深呼吸している音が聞こえる。
「渉くん?」
「先輩…ジブンは、悠里さんのことが…好きです」
 
 
 
 
 入試が終わり一緒に会場を出たとき、志穂は悠里にこう言った。
「あまり本調子じゃなかったみたいね」
顔を真っ赤にしてトボトボと歩いている様子は、とてもいつもの悠里には見えなかったからだ。本来なら担任の氷室零一に代わって説教の一つでもしてやりたいところなのだが。
「そんなことないもん。…全部あいつが悪いんだもん」
「あいつ? あいつって誰よ」
「…何でもないれふ」
とにかく一応の受験戦争は終わったのだ。その安心感が志穂に優しい言葉を出させた。
「家に帰ったらすぐに休むのね。あの可愛い弟さんが心配しているわ。藤井さんたちには私から連絡しておくから」
「お願いしまふ…」
 もちろん悠里の言う『あいつ』とは、早朝電話の相手である日比谷渉のことだった。あんな風に告白されてしまえばパニックに陥ってしまうのは当然で、試験の内容さえ思い浮かべることも出来ない。
「もうっ、渉のバカッ」
半分やけくそ気味にポケットから携帯電話を取り出す。渉の電話番号を押して捲したてれば済むことだが、いざとなるととまどってしまうのが乙女心というわけだ。一体なんと言えばいい? 『キライ』では決してなくて、でも簡単に好きとも言いたくない存在…その時、今朝のようにまた電話が震えだした。
「ハイッ、悠里ですっ」
「お疲れさんッス、先輩」
 人の気持ちも知らないで平然と言ってのける後輩に、怒りも悲しみも喜びも一緒にドッと溢れてくる。
「あーんーたーねーッ」
「どうしたんスか? もしかして上手く行かなかったとか」
「誰のせいだと思ってんのよ! 渉くんが変なことを言ったからしょ」
「心配しないで下さい。ジブンちゃーんと責任取りますから! あーでも一年は待ってもらわなくちゃならないッスね。ジブンまだ17ですし」
「そういう意味じゃなーい!」
 人通りの多い中、悠里はそれもかまわずにじたんだを踏んだ。
「先輩…」
「なによっ」
「あんまり暴れると、スカートの中見えちゃいますよっ」
「余計なお世話よっ! って、え…」
背中に何か寒いものが走る。それは冬のせいではないだろう。
「わたるくん…」
「はい?」
「今、どこにいるの?」
なんか全てを見透かされているような気がする。そして案の定敵は電話口でクスクスと笑っているのだ。
「隣」
悠里は道路をはさんだ向こう側に振り向いた。そこで彼女にあわせて立ち止まったのは…。
 
 
 
 
END
 
 
 
 
日比谷くんのキャラが何となく違うなーと思われた方は正しい。彼はゲーム発売直前に公開されたキャラだったので、私はその以前に『野球部の生意気な後輩』という情報の元、結構勝手に不良っぽい子を想像していたのです。口も悪くて、態度もデカくて、でも野球に関しては天才的で…ヒロインとの出会いも、不良学生に絡まれているときに突然ボールが飛んできて助けてくれる…なんて本気で思っていたなあ。「私、はば学野球部のマネージャーなの」「関係ねえよ」みたいな会話を作って萌えてた(笑)。それでもキャストはちゃんと勝平ちゃんだったのよ。
この話はその頃に作ったもので、実際にゲームに出てくる渉くんとはちょっと違います。そのせいで没になったストーリーもおおいのですが、この話は結構気に入っていたので。本当は「悠里…愛してる」って言わせる予定だったのーッ。
 
更新日時:
2007/10/19
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Last updated: 2010/8/15