ANGELIQUE TROIS

8      KIDS
 
 
 
 
 
 パタパタパタ…と廊下を走る音が響く。それは書斎の前で止まり、白銀の短い髪が扉から現れた。
「パパ、本貸して」
「んー」
パソコンを前にしている父は、聞いているようないないような返事をする。しかし相手は本棚の前に立ち、分厚い本を抜き出していた。タイトルは『難解数学書』。相当愛読されたらしく、表紙の文字が消えかかっている。
「後で返すからね」
「んー」
それはほんの数秒の出来事だった。
 
 
 
 
 銀色の髪と深紅の瞳を父親から受け継いだ男の子は、借りた本を抱えて自分の部屋に戻ってきた。実は庭に咲いたスミレの花があまりにも美しいので押し花にして遠くに住む友達に送ることにしたのだが、その為には重石になる分厚い本が必要なのだ。流石に自分の絵本では間に合わない。
「よいしょっと…」
そっと床に置いたつもりが、少しバランスを崩してしまい乱暴に叩きつける形になってしまった。本自体は特に壊れなかったが、ページがめくれてその間から一枚の紙切れが飛び出してきた。
「なんだろ、これ」
それを手にとってジッと見つめる。しかし不思議そうな表情はすぐに幸福な笑顔に変わった。
「パパとママだ…」
 それは彼が生まれる少し前の写真だった。ウェディングドレスを着た幸せそうな女の人と、彼女を抱きかかえて少し照れくさそうに笑っている男の人がいる。それは絵本で見たことのある王子様とお姫様のように見えた。
「でも、どうしてこれがここにあるんだろう」
男の子が首をひねるのも無理はない。こんなに素敵な写真なら写真立てに入れて飾るものだ。もしくはアルバムに挟んでおくとか…。もしかしたら父は自分が思うほどにこの写真を大切にしていないかもしれない…そう思うと、丸い綺麗な目から涙が溢れそうになった。
「だったら僕がもらってもいいかな?」
 男の子は何かに言い訳するかのように、わざと声に出してそう言った。もちろん反応してくれる者はいない。しかしなんか自分が許されているような気がして、早速それを実行に移してしまう。
「後でママから僕のアルバムをもらってこようっと。それまでどこかに隠しておかなくちゃ」
一番見つかりにくい場所として選んだのはベッドの枕の下だった。もうすでに整えられているそこにこれから触れるのは自分以外にいないだろう。数年前の花嫁と花婿は、彼等の息子の手によって大事に大事に隠されてしまったのだった。
「ただいまー」
玄関から明るい女性の声が聞こえる。買い物から母が帰ってきたのだ。
「ママ、お帰りなさい」
 
 
 
 
 書斎から断末魔の叫びが聞こえてきたのは、その日の夕方のことだった。同時にこの家の主が飛び出してくる。
「アンジェッ、写真…写真しらねーか」
「写真?」
一人息子と一緒に夕食の仕度をしていた妻は、いきなりの言葉に目を丸くする。
「知らないけど…どんな写真なの?」
「なっ…写真ってのは…その、写真だよ」
「ふーん…わかったわ。明日大掃除でもして部屋中を探してあげる」
「頼んだぜ」
そう言って再び書斎へと戻って行く。
 妻は小さくため息をつくと、視線をそのまま息子の方へと移動させた。
「ショーティは知ってる? パパの写真」
彼は気付いていた。父が探しているのがあの写真であることを。父の赤くなった顔に反して彼はどんどん青ざめてゆく。
「知らない…」
そう言ったのは本人だったのか、それとも心に住む悪魔だったのか。
「そう? じゃ見つけたら教えてあげて」
「うん…」
 家族三人の夕食でも、珍しく息子の口数は少なかった。いつ父親の口から写真のことを言われるのかと思いビクビクしていたのだ。しかしその時間は意外なほど和気藹々と流れていった。
「ご飯を食べたらパパとお風呂に入りなさい」
いつもならはしゃぐ言葉にもなんとなく反応が鈍い。
「体の調子が悪いのか? 病院行くか?」
「だっ、大丈夫」
普通に振る舞っていなくては心の底が見抜かれてしまいそうな気がする。一緒に湯舟に浸かりながら必死にどうするべきか考えていた。
(お風呂から出たら写真を持って書斎に行こう…そしてパパがテレビを見ている間にこっそりと戻しておけば大丈夫)
 頭をゴシゴシと拭いてもらい、パジャマに着替えてすぐに子供部屋へと戻ってきた。例の写真がまだここにあるはずだ。ベッドはあの時と少しも変わっていない。小さな手をそこへと滑り込ませた。
「あれ…」
その手には何の感触も感じられなかった。写真はもちろん、他の物も発見はされなかったのだ。
「どうして…?」
そう言っても解決はしない。写真を隠してしまったことも無くしてしまったことも誰にも言えるものではないし…頭に不思議と後悔が渦巻く中、この子にとって全ての件がおしまいになった。
 
 
 
 
 その日の夜中、アンジェリークはナイトキャップの用意をしてリビングに入ってきた。そこではゼフェルが例の写真をじっと見つめている。
「忘れていたぜ。昼間に俺の所に来て、『本を貸してほしい』って言ってたんだよな」
「怒らないであげてね。少し興味があっただけなのよ」
お酒の入ったグラスを手渡すと、アンジェリークはゼフェルの隣に座り、テーブルの上にある本を手にした。『難解数学書』…それは以前に彼女が恋人に贈ったものである。
「もっと色っぽいモン選んだ方がいいんとちゃうの?」
緑色の髪の店主はそう助言してくれたが、これだけ大切に愛読されているのなら本としても本望だろう。
 なぜゼフェルがこの本に写真を挟んでいたのか…それは本の最後のページが知っていた。
『某月某日、アンジェリークからもらう。これは俺が死んだときに間違いなく一緒に埋めること』
「ゼフェルは…私より先に逝くつもりなの?」
「確率の問題だろ。どっちが先に逝くかは可能性は半々だからな」
「じゃあ、もし私が先に死んだら一緒に埋めてくれる?」
あの頃と変わらぬ眼差しで語るアンジェリークに、ゼフェルは小さく言った。
「OK」
 病めるときも、健やかなる時も…あの日の誓いを2人は今も忠実に守っているのだった。
 
 
 
 
END
 
 
 
 
この創作ですが、以前は『FOR ME』コーナーに如月さおとめ様から頂いたゼフェル×コレットの結婚式のイラストと一緒に公開していたものです。さおとめ様の個人サイト『PLATONIC』様にて200番をゲットした際に頂いたのでした。しかし管理人の不注意でパソコンが壊れた時に、それまでの内容と一緒にその素晴らしいイラストも飛んでしまいこちらでお見せすることは出来なくなりました。そこでおまけとして書きました創作のみこちらへと移動させたものです。さおとめ様、この度は本当に申し訳ありませんでした。イラストはこっそりコピーして個人で楽しませて頂いてます。
ゼフェコレの仮想結婚生活を、一人息子の視点で書いたものです。何故写真が彼の元に戻ったのか…それはお風呂に入っている時にアンジェがこっそりと見つけて持ち出していたからです。近未来の物語ですが、難解数学書というアイテムが登場したのでトロワの未来になりました。
更新日時:
2003/02/14
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Last updated: 2010/5/12