ANGELIQUE TROIS

7      今夜月が見える丘に   〈S〉
 
 
 
 
 
 柔らかくて優しい…しかしひどく悲しげな声が耳に届く。
(目覚めなさい…)
それに導かれるようにゆっくりと目を開いてみた。それまでフワフワと浮いていた体がドカンと地に叩きつけられたような重さを感じる。
「ここは…?」
「お身体の具合はいかがですか?」
長い黒髪を上で大きく結い、衣を幾重にも重ねたような感じの衣装を纏った女性が自分を見下ろしていた。
「誰?」
「私はティエン・シー。この宇宙を導く女王です」
 やがて彼の目にようやくあたりの状況がはっきりと映り始めた。見たことのない機械類に埋め尽くされた部屋の中央に、同様の寝台に寝かされていたらしい。何故か一糸纏わぬ裸のままで。
「ご自身のことがおわかりになりますか?」
「なんとか」
そう答えたのは、目覚める前と後では状況があまりにも違いすぎたせいだ。どちらも夢ではないかと思えるほどに。身を起こしながら、こう付け加えた。
「ただそれ以外のことは…ね。説明してもらえるのかな」
「もちろんです」
 しかしそう言いながらも女王の口はあまり饒舌にはならない。何かがある…そう思わずにいられなかった。
「ここはあなたが皇帝と共に侵略しようとした宇宙の女王が『新宇宙』と呼んでいた世界です。あれから数千年の時を経ています」
「数千年だって?」
あの時消滅したはずの肉体、それが存在しているだけでも彼にとっての常識を越えている。それが何故時間も空間も飛び越えてしまったのか。
「そうか、これらの機械はコールドスリープの為の物だね。僕の肉体を眠らせて今になってから目覚めさせるのには、一体どんな意味があるのかな」
「創世との約束…とでも申しておきましょうか」
「創世…?」
 突然脳裏にあの最後の情景が浮かんでくる。消えゆく自分に手をさしのべようとした泣き顔の少女は…。
(まさか…)
「あなた達に立ち向かったのは、私たちの宇宙の創世の女王であるアンジェリーク・コレット陛下でした。陛下たちはあなた達を倒し、その肉体は消滅したはずだった…しかしサクリアと呼ばれる力によってそれをとどめ、陛下のお力によって一カ所に集められました。しかしたった一人で五人に立ち向かっていたあなただけは力を使い果たしてしまい、その時は目覚められずにいたのです」
 絶望的な内容の戦いだった。皇帝自身は彼らにあまりにも近くなりすぎ、また彼らも長い旅の間に戦士としての力を付けていたのだった。
「戦いは陛下と守護聖達の勝利で終わりました。皇帝は彼らの意志に反して消滅を選び、彼の手によって作られたあなた達はその衝撃を受けてバラバラに引き離されてしまいます。今となっては誰がどこにいるかもわからないのです」
「そう…」
かつての姿とは変わりすぎた仲間をもう思い出すことも出来なかった。師であるカイン、親友と呼んだルノー、そしてそれまで自分らを引っ張ってきたレヴィアスの顔さえ霧の彼方にあるような気がした。ただ鮮やかに思い浮かぶのは、自分の最後に泣き顔を見せた天使の面影だった。
 この時代にまで飛ばされてきた彼の肉体は、この時代の守護聖達の手によって大切に守られてここにやってきたのだという。遙か時空を越えてここにたどり着いたのは、はたして偶然なんだろうか。
「どうかこれをごらんになって下さい」
女王は大きなモニターに宇宙全体の様子を映し出した。
「なっ…」
暗黒の闇が宇宙全体をすっぽりと包み込もうとしている。残されているのは主星のわずか一区域のみ。おそらくそれが聖地なのだろう。
「ひどい…」
「太古の昔からあらゆる宇宙を飲み込んできた暗黒の存在、自らをラ・ガと名乗っています」
 『ひどい』と呟いた自分の口に手を当てる。自分自身からこのような言葉が出てくるとは思っていなかった。しかしこの力はすでに魔導と比較できるレベルではない。自分が信じていた全てを覆されたような気持ちになる。
「守護聖はその存在を消され、聖獣アルフォンシアも別な地に封印されました。もはやこの宇宙を救うには、アルフォンシアが封じられている大地を極秘に過去へと向かわせ、もっとも強い力を持つ創世の女王に封印を解いてもらうしか…」
「成功すると思う?」
「わかりません。でもこの方法は創世より女王にのみ伝説として伝えられてきたもの。アンジェリーク陛下は必ず約束を守って下さいます」
 モニターがl暗くなり、女王は再び彼を見つめる。
「このことは女王にのみ伝えられてきたことだとお話ししました。そのほかにもう一つ伝えられてきた話…それがあなたのことです」
「僕の?」
「この時代にあなたが現れることは、すでに過去から伝えられていた出来事だったからです」
「何故僕が? 確かに過去の世界では悪名高いだろうけどね。レヴィアス様ならともかく、僕はそんなに大した存在じゃない」
黒髪の女王が首を横に振ると、耳元の鈴がチリンと鳴った。
「この伝説をここまで伝えるように命じたのは、ここから過去へと向かったあなた自身です」
 おそらく今の時間と過去は一本の大きな輪で結ばれているのだ。その端を握っているのが自分なのだろうか。
「僕がずっとここで眠っていたのは、この時間に目覚めて大陸と共に過去へと送られるためだね」
「そうです」
「…それをこれから行うわけだ」
喜びとも悲しみともつかぬ言葉だった。結局自分は流されるままに生きていかなければならないのだろうか。しかし心の中では十分すぎるほどわかっていることもあった。それはここが自分のいる世界ではないということだ。
「事情はよくわかったよ。その前に頼みがあるんだけど」
「なんでしょう」
「服を貸してくれないかな。このままだと風邪をひきそうだし」
「え…キャアアアアアーーーーッッ!!」
 
 
 
 
 少年は女王より服を借りると、それを着て再び女王に導かれるように目覚めた部屋を出て、とある大きな扉の前にたった。
「ここは…?」
「次元回廊です。この扉はアルフォンシアが封印された大陸アルカディアへと通じています。あなたがその地に降り立ったと同時に過去への移動を開始します」
その声は壁にぶつかり、響くように聞こえた。
「怖いですか?」
「まあね」
 これまで自分は何かに命じられるまま流れるように生きてきた。それしか知らないから、今回のように自分が自分に命じる形を考えたことがなかった。
「どうしてこれからの僕は今の僕に過去へと向かうよう命じてきたの?」
女王は少しだけ考えて、こう言った。
「ただ一言だけ、『来ればわかる』と」
「それだけ?」
「はい」
それだけの短い言葉なら、その伝説とやらに余計な尾鰭は一切ついていないのだろう。この扉の向こうに自分が求める存在があるのか、そして自分を求める存在があるというのか。
「そんな心配そうな顔をしなくてもいいよ。君は君で自分のすべきことに全力を尽くした方がいい」
 少年の言葉に、少しうつむき加減だった女王の背が正された。
「始めてくれる?」
「扉をくぐっていただければ充分です。少しの間は霧の中にいるような状態ですが、すぐにアルカディアの地に立つことが出来るでしょう」
その扉は見た目よりも遙かに軽く、それが自分は女王に許された存在なのだということを強く意識させた。しかしそれも白い霧に捕らわれると何もわからなくなる。
「お願いです…どうか…陛下を…」
女王ティエン・シーの声がとぎれとぎれに聞こえたが、その全てを知ることは出来なかった。
 
 
 
 
 いつもと変わらぬ理想郷の朝、超有能補佐官は今日も親友の予定を聞きに来ていた。
「これで今日の予定はOKだね?」
「ええ。今日もよろしくね」
「まかせといて! アンジェも頑張ってきてね」
出かける支度をするアンジェリークを見守りながら、レイチェルは突然何かを思い出したかのように手を叩いた。
「そういえばね、この前『約束の地』って大陸が見つかったでしょう? そのことでちょーっとした噂が流れてんのよ」
「うわさ?」
「実はねー、出るらしいのよ。こ・れ・が」
 両手を胸のあたりでブラブラと揺らしてみせると、そのまま幽霊の物まねになる。次の瞬間に目の前にいたはずのアンジェリークの姿が消えた。その代わりにベッドの中に潜り込んだ誰かがガタガタ震えている。
「アナタって相変わらずだねー」
「レイチェルの意地悪! 私がそういう話に弱いの知っているくせにーッ」
「まあまあ。でも噂があるのは本当だよッ。そこにね銀色の髪の妖精が現れるんだって」
「よう…せい?」
「うん。そっちの方は好きな話でしょ」
「うん」
ようやくベッドから出てきたアンジェリークに、レイチェルは軽くウインクをした。
「もしかしたら銀の大樹に関係しているのかもしれない。こっちでも調べてみるけれど、時間があったら行ってみてよ」
「そうね、わかったわ」
 それで終わったはずの会話…それをふと思い出したのはその日の夜のことだった。
「銀色の髪の妖精…か」
何かを思い出さずにいられない。もしあの人がここにいたとしたら…しかしそれが自分の中の夢物語なのだということもわかっていた。フーッと溜息をつくと、窓から外を眺めるために立ち上がった。
「銀の大樹…エレミア…約束の地…」
一直線に並んでいるような3つの場所、何かがあるのだろうか。そう思うと心が騒ぐ。アンジェリークは椅子の背にかけてあったジャケットを手に、隣の部屋で休んでいる親友を起こさぬようにして外へ出ていった。
 
 
 
 
 約束の地…ここでは広大な花畑と幾本かの大木以外を見つけるのは難しい。しかしそういう世界だからこそ、自然の美しさそのものがひかるものだ。
「月が大きく見える…」
大樹に寄りかかりながら、少年は丸い月を見ていた。いや、あれは月ではないだろう。ここは名も知らぬ宇宙に浮かぶ大陸だ。あの大きな月らしき星も、数多いものの一つにすぎない。
 背中にゾクッと寒気が走る。生暖かい風さえ、彼の神経を逆撫でていくようだ。気のゆるみは決して許されない…自分がかすかに指を動かすだけで全ての運命が変わってしまいそうな気がする。それで弱音をはこうとは思わないのだけど。
 ここからも育成地を…エレミアという名前らしいが…見ることが出来る。家の灯りがまるで星の瞬きのようだ。時々地震のようなものが起こってはいるが、住民の不安は大きくともそれに伴う犠牲は何一つ見あたらない。女王の力というものが隅々まで行き届いていることが彼にはわかった。もっともそのことを今回の件に関係しているあの守護聖達がどれだけ理解しているかはわからない。ただ未来で見た『ラ・ガ』の暗黒の力を知っているから、そしてかつては女王の力を奪い取ろうとしたことがあるから、自分にはその重要性がわかる。
 今でもこの体にはサクリアと呼ばれる力が生きていた。もしかしたらエレミアと自分は彼女に守られた同一の存在なのかもしれない。
(愛している…)
もう二度と会えない人なのかもしれない。この世界でどのように彼女に接するのか想像もつかなかった。でもだからこそ大切にしたいと思う。この体を、時間を、そして気持ちを…。死ぬことを恐れながら、そうして生きて行くのだ。
「誰だ!」
背後から人の気配がする。カサリと草を踏む音を聞いて振り返った。
「ごめんなさいッ」
少女の小さな声だった。暗闇の中から月の光によってその姿が明らかになってくる。ジャケットを一枚羽織っただけの長い栗色の髪の少女は…。
「アンジェリーク…?」
 
 
 
 
それから後、僕は
ラ・ガとアルカディアについての伝承に
一つの記述を加えることになる。
それは数千年の時を飛び越えた、一人の少年について。
 
「来ればわかるよ」
 
 
 
 
END
 
 
 
 
偽物好きならば一度は考えることです。もし彼が死んでいなかったなら…あのまま生きてコレットの目の前にやって来たなら。ちょっとSFっぽい解釈も加わりましたけれど(私自身はそっち方面はまるっきりダメな人です)それは無視して、わしの欲望を感じ取っていただければ幸いなんですが…テヘッ。
元々はショナを未来につれていって女王に託したのはカインだったという設定でした。自害したかつての恋人を復活させるための力を全て弟子に与えたというようなことを考えていたなあ。長くなったんではしょっちゃいましたが、ゼフェルとルヴァの関係と同じくらいショナとカインの関係にも夢を見ているので、いつかはトライしてみたいです。
更新日時:
2002/09/14
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Last updated: 2010/5/12