ANGELIQUE TROIS

3      BABY BABY
 
 
 
 
 
 「終わったああーっ」
午後三時過ぎに執務を終えた女王は、頭のてっぺんから出たような甲高い声をあげながら愛用のペンを大胆に机上に放り投げた。んーと大きく伸びる様子はまるで試験を終えた女子高生のようだが、彼女が取り組んでいる仕事はすでにそれとはレベルが違う。ほんのわずか気を許せば自ら理想郷と名付けた大陸は消滅してしまうのだから。もっともこの太っ腹な一面も『アンジェリーク・リモージュ』の立派な長所なのだった。
「執務は終わりましたの?」
「うん! ちょうどロザリアの入れてくれた紅茶が飲みたいなって思っていたところよ」
幼い妹を見ているような感じに、美しい補佐官も苦笑するしかない。しかし彼女が用意したのは女王が一番愛するケーキだった。
「苺のタルトね?」
「市場で新鮮な果物が手に入りましたのよ。少しでも陛下のお力になれればと思いまして」
「流石ロザリアね。私、あなたがいない頃はどうやって生きていたのか思い出せないほどよ」
「おだてたって他に何も出ませんわよ」
 ロザリアが準備をしている間、女王は窓を大きく開け放って空に大きく伸びた。
「あらー?」
目の前を歩いているのは新宇宙の女王であるアンジェリークではないか。同じ名前の持ち主でスモルニィ女学院の後輩でもある少女を、女王は実の妹のように可愛がっていた。しかし気のせいだろうか、その背中は酷く沈んでいるように見える。
「アンジェーッ」
頭上から降り注ぐ明るい声に少女は振り返った。
「陛下!」
「今日の予定は終わったの? だったら寄っていかない? ちょうどお茶にしようと思っていたところなの」
「でもご迷惑じゃ…」
「かまいませんわよ」
支度を終えた補佐官も出てきて声をかける。
「たまには女の子同士でお喋りしましょうよ。いつも男性陣に気を使ってばかりなんですもの。たまには息抜きが必要だわ」
アンジェリークは多少の気後れは感じたものの、熱心な勧めに従うことにした。
 
 
 
 
 執務室に入ると、既に3人分のお茶の支度が出来ていた。
「失礼します」
「肩の力を抜いてくつろいでね」
そう言っている女王が一番楽しそうだ。ロザリアはふたりのアンジェリークの為にタルトを切り分ける。
「私の生家の味なのよ。気に入って頂けるといいのだけれど」
「ロザリアのケーキは天下一品よ。私もこの味に出会う前は趣味はお菓子づくりですって胸張って言えたのになあ」
ロザリアもその言葉にはまんざらでもないようだ。
「私を小さい頃から世話してくれていたばあやが有名な手先上手だったの。随分といろんなことを仕込まれたものだわ」
「私たちの女王試験の時にも来てくれていたのよね」
「そう言う陛下も随分と世話になっていたではありませんか」
「あれ? そうだったっけ?」
 とぼけるように笑う様子は宇宙を支える女王には見えない。きっとついこの前まではこんな風に笑う可愛い女王候補だったのだろう。アンジェリークもつられるように笑った。
「良かった…やっと笑ってくれたのね」
「え?」
女王は頬杖をついて優しく微笑んだ。
「このごろは随分と元気をなくしていたから心配していたのよ」
その言葉にアンジェリークはハッと顔を曇らせる。
「ごめんなさい…」
「そんなこと言わなくていいのよ。謝るのは私たちの方だわ。マルセルから聞いたの。ランディとゼフェルが酷いことを言ったそうね」
 あの夜のことは彼女の耳にも入っていたようだ。霊震とエルダの存在について意見の行き違いがあったことも。
「安易に情報を流してしまえば混乱すると思ったのよ。だから重要な調査は研究院と年長の守護聖の間までで止めていたの。でもかえってそのことで彼等をあおってしまったかもしれないわね」
「でも相手が陛下や私やレイチェルだったなら彼等も強くは言えなかったはずですわ。アンジェリークが大人しくて優しい人だから甘えているようにも見えますけど」
 ロザリアの言い方は多少の棘を含んでいるものの、実際彼等が耳にしていれば反論もできなかっただろう。彼等だけではなく守護聖も教官・協力者たちもアンジェリークを女王として認めていながらも、心のどこかで女王候補だった頃のまま時間を止めている。半分は願いのようなものだったかもしれないけれど。
「少しくらい背が伸びたからって、中身が変わっていないのなら自慢にもならないわ。少しは『クラヴィス』を見習って落ち着けばいいのに」
「本当ですわ。いつも面倒を見ている『ルヴァ』が気の毒に見えますもの」
…結局はそれが言いたかったようだ。しかし再び笑わせようとしても彼女の口に笑みが戻ることはなかった。
「私がいけないんです。もっとしっかりしていれば皆さんに辛い思いをさせずに済んだのに…」
 ロザリアはアンジェリークの背後に回ると、そっと肩に触れた。
「随分と力が入っているのね。レイチェルが心配していた通りだわ。アンジェリークが育成にばかり集中して休もうとしないってね」
「そんな私…」
ロザリアは補佐官としての厳しくも温かな表情を女王に向ける。
「陛下、私は大地の育成の方法が間違っているとは思いませんわ。今のここでの出来事は未来の宇宙にとっては過去のこと。もしなにか過ちがあればアンジェリークにのみ聞こえる声の主がなんらかのメッセージをよこすはずですもの」
「そうね。ねえアンジェ…私思うのだけれど、エルダという存在は未来でも名の知れた強い力の持ち主ではないかしら。そんな彼が創世の女王であるあなたを苦しめることはしないはずよ」
 優しい微笑みと共にもたらされた言葉に、堪えてきた涙が溢れそうになる。それでも必死に押しとどめようとする姿を見て、女王は立ち上がりアンジェリークをそっと抱きしめた。
「へっ陛下?」
「よかった。私にもあなたにしてあげられることがあるのね」
ツヤツヤとした栗色の髪に白い指先が滑って行く。
「確かに私は女王としては少しは先輩だけど、いつもあなたに迷惑かけてばかりだったわ。皇帝との戦いだけじゃなくて今だってそう。この細い肩にいくつもの宇宙の運命を背負わせてしまって…せめてあなたから涙を遠ざけてあげられたらいいのにっていつも思っていたの」
堪えていた涙はその時間が長かった分、激しい号泣となって唇から溢れてきた。寺分には許されないのだとわかっていながら、どこかで誰かに甘えたがっていたのだ。アンジェリークは無垢な涙を一気に出し切ろうとしていた。
 
 
 
 
 バルコニーに立つ女王と補佐官に向かってアンジェリークは何度も頭を下げた。
「ありがとうございました。また明日から頑張れそうです」
「でも無理しちゃ駄目よ? まだ時間も幸福度も余裕があるのだから。何か言われたときはいくらでも私に言いつけてね。聖地に戻ったらビシバシお説教してやるから!」
「またいつでも遊びにいらっしゃい。レイチェルも誘って…ね。次はあなた達の好きなケーキを焼きましょう」
にこやかに立ち去る少女の姿が見えなくなるまで2人は手を振り続けていた。
 女王は自分の机に戻ると、一枚の書類を取りだした。それは赤毛の占い師が届けてくれる人間関係の最新情報が書かれているものだ。
「やっぱりね…」
「どうかしましたの?」
ロザリアの前に書類を置いた。
「アンジェリークと男性陣の『好意』の部分を見てみて」
もちろん皆があの少女に好意を抱いているのはわざわざ確認しなくても判る。しかしその中でも特別高い数字を示している者がいた。
「ゼフェル?」
「全く不器用なんだから。多分雪祈祭も夜想祭も一緒に行っているはずよ」
「ならばどうして彼女にあんなことを…」
「ヤキモチかもね。はたして相手はエルダか、それとも名付け親のセイランかしら」
 ロザリアがあきれたようにため息をつき、女王はおかしそうに笑っている。
「ルヴァかジュリアスに報告しておきますか?」
「あのゼフェルが今更2人の言うことなんて聞かないわよ。おそらく近いうちに単独で何かをするかもしれないわね。アルカディアの為でもここに住む人たちの為でもなく、アンジェリークの為に」
「陛下…」
「ロザリア、申し訳ないけれど研究院に行って来てくれる? もし万が一のことがあったときの為の打ち合わせがしたいって」
 扉の向こうに消えて行く補佐官を見送った女王は、自分の考える『万が一』を整理する。アルカディアが次元の狭間に呑まれるまであと一ヶ月…全ての結末はアンジェリークの指に光っていた鋼の指輪が知っているのかもしれない。
 
 
 
 
END
 
 
 
 
テーマは女の子同士の友情…のようなもの。私がお話をこさえている時は、キャラクター全員がコレットちゃんにメロメロだという設定になっています。それはリモージュ陛下もロザリア補佐官も例外ではありません。彼女達は野郎共よりもコレットちゃんが好きで好きでたまらないのでした。(元々女子校出身でしたよね)
「そんなことはないわよ。クラヴィスだけは特別なの。だって大好きなんですもの」
…それは失礼しました。
更新日時:
2002/12/09
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Last updated: 2010/5/12