ANGELIQUE REQUIEM

5      月光
 
 
 
 
 『我ハ、皇帝…』
 
 
 
 
 突然の裏切りと宣戦布告…戦いの疲れも手伝って、彼女は何の重さにも耐えられないかのようにガタガタと震えている。
「アリオス…どうして?」
そう口にしてみたものの、これまではまらなかったパズルの欠片が全て明らかになったのだと頭のどこかで理解していた。見えない敵が不思議と自分らの行動を知り得ている気はしていたが、皇帝自身が全ての現状を把握していたのだ。時には彼女の命を救うこともあったというのに、それさえも彼にとっては敵の力を知るための行為に過ぎなかったのだろうか。しかしその問いかけに応えてくれる者はいない。
 中には薄々感づいていた者もいる。しかし心のどこかで嘘であって欲しいと願っていたのだ。彼を信じて旅を続けてきた彼女の為に。しかしアリオスという存在はこの世にはなく、時折見せた優しさまでもが刃へと姿を変えてアンジェリークをズタズタにする。いっそのことこのまま倒れる事が出来たなら楽なのに…しかしそれを彼女自身が許すことはなかった。
「おい! しっかりしろよ」
誰かが自分の腕を掴んで強引に引き寄せたのがわかった。少し乱暴だけれど優しさに満ちたその声の主は…。
「ゼフェル様…」
ゼフェルはアンジェリークの腕を掴んだまま辺りを見回して叫んだ。
「こいつはオレが部屋まで送って休ませる。テメーらも各自休んでおくんだな。敵の正体がはっきりした以上、決戦は近いぜ」
その言葉に全員が我に返る。それまで霧の中にあった敵の正体が明らかになったのだ。その圧倒的な強さを前にしてしまえば現在のボロボロの状態では女王を救い出すことも不可能だろう。アンジェリークのことは彼に任せて、輪の中から去る二人を見届けた後にそれぞれが散っていった。
 
 
 
 
 かつては誰かが住んでいたであろう無人の石造りの家…二人は改めてその中央で向かい合った。
「あんまり無理すんなよな」
「え?」
「悲しくて辛くてどうしようもねー時は、かえって泣いちまった方がスッキリするんだぜ」
泣く? 自分が? ここで? それを何より嫌うこの人の前で…全てが枯れ果てたような心を抱いたまま涙なんて流れるのだろうか。しかし冷たい液体は瞳から溢れ、そのまま頬を伝って床に落ちた。
「今日だけだ。今日だけは泣いても許してやる。オメーが泣き終わるまでずっと待っててやるから…」
胸に響く優しい声、そしてその手はアンジェリークの背中に回り、彼女をそっと抱きしめてくれた。
「ゼフェル様…」
涙が溢れるのはむごい裏切りのせいではない。深い悲しみの海から救ってくれた腕が、たまらなく愛しかったからだ。
 
 
 
 
 どれだけの時間が流れたのだろう。悲しみは止めどなくとも、涙が止まるときは必ずやってくる。アンジェリークは不安げな表情のままゼフェルを見上げた。
「大丈夫か?」
「はい…」
「ならもう休んだ方がいい。オレは外にいて見張っているから、オメーは絶対出てくるんじゃねーぞ。敵がどんな罠を仕掛けてきてるかわかんねーんだからな」
ゼフェルは自分の体からアンジェリークを離すと、それだけ言い残して扉の代わりの布を翻して出ていった。そこに残されたのは一人の少女と例えようのない寂しさだけ…。
「行かないで…」
今更小さな声で出口に呼びかけても、彼に届くことはなかった。
 すぐにカサカサッと物音が聞こえてきた。どうやら自身の危険は省みずに彼は見張りを担当するつもりでいるらしい。少しだけ寂しさは解消されたけれども、あの温もりを知った今ではなんの慰めにもならなかった。そんな彼女の目に入ってきたのは暗闇で白く光る数枚の毛布だった。ぼんやりとそれらを見つめていたが、やがて決心したかのように両手いっぱいに抱えながら外に出た。
 ゼフェルは家の壁に寄りかかりながら夜空を見上げている。いつになくその表情が緊張しているようだった。
「あの…」
「なっ、なんでオメーが出てくるんだよ! 外は危険だから中にいろって言ったばっかだろうが」
「ごめんなさい。でもずっと外にいるのは辛いんじゃないかと思って」
おずおずと差し出された毛布を受け取りながら、わざと大げさに溜め息をついた。本当は少しも迷惑だなんて思っていない。『全くオメーって奴はよ…』と言いそうになったのを必死に飲み込んだ。それくらいアンジェリークの様子が痛々しかったのだ。
「側に…いても良いですか」
「何かあったのか」
「一人が辛いんです」
ゼフェルは隣に一人座れる程度のスペースを作り、受け取った毛布で自分とアンジェリークごと包み込んだ。
「これなら寒くねーだろ?」
 二人は寄り添ったまま浮かぶ月を見ていた。先程まで皇帝が背にしていたのが嘘のような静けさだ。
「このまま時間が止まってしまえば良いのに」
自然と口から出た本音だった。相手に聞こえないように小さく呟いたつもりだったが。
「オレも同じこと考えてた」
「え?」
「今だけじゃねーぞ。オートマターを直していた時も、洞窟に花を探しに行った時も、スパイスの化け物を倒した時だってそうだ。特に雪が降っているのを見ていた時は…このまま白に紛れて逃げ出したら、誰にも見つからないでどこまでも行けるような気がした」
 もし二人がそのまま逃げ出したとしても、近くに皇帝がいたのならすぐに追っ手が迫って一緒に殺されていたかもしれない。大きな運命のうねりの中では、小さな互いの想いも飲み込まれてゆくしかないのだろうか。
「アリオス…皇帝が今になって何故姿を現したのかずっと不思議に思っていました。でも今ならそれがわかるような気がします」
アンジェリークは無人島にアリオスと二人で流された時に聞いた彼の唯一の身の上話をゼフェルに語った。
「唯一心を開いた存在…か」
「言い方が過去形だったので、その人が亡くなった恋人なのだとすぐにわかりました。おそらくは…虹の泉で出会ったあの女性ではないでしょうか。そして彼女が私たちに会う前にアリオスにも会っていたとしたら…愛した存在が目の前に登場した彼は、もう自分を偽れなくなってしまったのでしょう。そしてこの時期に姿を消していたとしたら」
 ゼフェル自身は女王の力に限界が迫っていることや、自分たちの戦闘能力が整ったことが皇帝出現の理由だと考えていた。しかしアンジェリークの考えが正しければ、相手も相当追いつめられているに違いない。
「彼がたとえギリギリのところを歩いていたとしても…これまで出会った人たちや戦いでの犠牲者を盾にする事は出来ません。それに自分に嘘をつけないのは私も同じです」
深いブルーグリーンの瞳が、ひたむきに…そして力強くゼフェルを見つめた。
「この宇宙は私が必ず守ります。あなたが生まれ育ち、そして司る…あなたの陛下も、そしてこの宇宙のどこかにいるあなたの子孫も、決して汚させたりはしない」
 そこまで言いきったアンジェリークの体をゼフェルは包んでいた毛布ごと抱きしめた。
「バカ野郎…」
「ごめんなさい、生意気なこと言って…」
「そうじゃねーよ。そう言いたいわけじゃねーんだ。こんなに傷だらけになっているくせにはっきりと言うオメーをオレは守ってやりたいって思う…」
彼女が宇宙を守るなら、自分はその想いごと彼女を守りたい。その気持ちが伝わったのか、アンジェリークはそっと彼の首に手を回して耳元で魔法の言葉を囁いた。
「このまま時間が止まってしまえばいい」
「バカ、時間なんてもう止まっているだろうが。オレはこの瞬間のことを、そして今の気持ちを…墓に入る直前まで忘れないからな」
月の白い光が降り注ぐように、ゼフェルの唇がそっと舞い降りてくる。初めて交わす接吻の直前に放たれた天使の言葉は、彼の心にのみ甘く溶けていった。
「あなたを…愛しています」
 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
天空の鎮魂歌をテーマにした創作はどうしても説明っぽくなってしまうので、無条件にラブラブな内容が書きたくなったのでした。でも結末が別れである以上、決して幸せな内容にはなりませんね。偽鋼の守護聖はショナですが、ここに出てくるゼフェル自身がなんとなく偽者っぽい…? 個人的にあとで読み返すのが恥ずかしい大賞受賞作となりました。サイトの名前に反して、どうしてこんなにキスシーンがへたくそなんだろ。
更新日時:
2004/02/27
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Last updated: 2010/5/12