ANGELIQUE REQUIEM

4      NEO UNIVERSE  〈S〉
 
 
 
 
 
 滅多なことでは開かれない扉から細い光が放たれる。その瞬間を待ちわびていたレイチェルはそれに向かって駆けだしていた。そして人の形となった影に思いっきり抱きつく。
「お帰りーッ」
「レイチェル…ごめんね心配かけて…」
「そうだよ…本当だよ。でもこうしてアンジェが無事に帰ってきてくれたんだモン。全部チャラにして上げるよ」
「本当は何度もくじけそうになったの。でもそのたびに笑顔で見送ってくれたレイチェルのことを思い出していたの。待ってくれている人がいるなら…人っていくらでも頑張れるものね」
「アンジェ…」
綺麗なすみれ色の瞳から涙が溢れてくる。久々に再会した親友同士は、その場に座り込んで大声で泣き出したのだった。
 
 
 
 
 アンジェリークがようやくかつての調子を取り戻したのは数日後のことだった。たまっていた執務をこなしながらも、優秀な補佐官におみやげ話を語ることを忘れてはいない。ちょっぴり勝ち気な観客は、まるで冒険小説を読む少年のような目をして聞き惚れている。
「そしてその男の人…アリオスって名乗ったんだけど、一緒に旅をすることになったの」
「ちょーっと待った! そいつあからさまに怪しすぎない?」
「私も一般の人々は巻き込みたくなかったから最初は断ったの。でもどうしても気になるって言われて…後でヴィクトール様に断ってもらおうと思ったら『頼りになりそうな奴だな』っておっしゃったの」
「あのおっさんちぃーとも役に立ってないじゃない。どうなってるのよ派遣軍はっ」
その後のアンジェリークの手によって救出された守護聖の話になると、レイチェルの情けなさは頂点に達した。
「陛下がアンジェを頼りにした気持ちも分かるわ」
「そお?」
 それからアンジェリークの口から語られるのは、冒険小説も真っ青な出来事の連続だった。次々と襲いかかってくる怪物は、それでも元は人間なのだ。武器を駆使して戦うものの、魔導と呼ばれる『何でもあり』の力から解放するのは苦労の連続だった。感情移入しまくりのレイチェルは目も頬も真っ赤にしている。ロキシーについては知り合いだという気安さから大笑いしていたが、壊れた蒼のエリシアとアリオスの裏切り…そして悲しい結末に、レイチェルの顔から笑みが消えた。
「そうだったの…ワタシこの宇宙を守ることがアナタにとって一番の助けになると信じていたけれど、そうでもなかったんだね。一緒に旅をすればよかった」
涙声で語る親友に、アンジェリークは微笑みながら首を横に振って見せた。
「もう終わったことよ、レイチェル。確かにあの戦いで傷つかなかった人なんていなかったけれど、後は時間が解決してくれるのを待つしかないわ。私の側にはあなたがいてくれる、そして悲しみも分け合ってくれるんだもの。それ以上のことは必要ないのよ」
 あのおっとりした女王候補だった頃には期待できないほどの大人の言葉にレイチェルも素直に頷いた。受けた傷は大きくとも、創世の女王に相応しい強さを手に入れたのだ。旅の日々も決して無駄にはならないだろう。満ち足りた時を過ごしていた二人の耳に扉を叩く音が聞こえた。
「どーぞー」
「夕食の支度が出来ましたが」
自分たちと一緒に故郷から新宇宙まで来てくれた若いメイドが顔を覗かせる。まだ宮殿にしか人間のいない世界では彼女や他の使用人達や研究員らも大切な家族だ。
「もうそんな時間なんだね。行こうか」
「そうね」
「ではこちらに」
 
 
 
 
 しかし天才少女は何となく気がついていた。自分の親友が少し大人びて見えるのは、戦いだけが理由ではなくて他にもあるような気がしてならない。そしてそれが戦いとは無縁の実に少女らしい想いにあるような気がしてならない。
「ねえ、アンジェ」
「なあに?」
「アナタ恋して帰ってきたでしょ」
カチャーン…と大理石の床に軽い金属音が響く。アンジェリークが手にしていたナイフを落としたのだ。
「なっ…どどどどどうしてそう思うの?」
(やっぱり図星だ)
「このレイチェル様をナメちゃいけないなあ。女のカンは鋭いんだから」
 一体誰なの…と問いつめられると嘘が苦手なアンジェリークはもう言葉さえ出てこなくなってしまう。
「まさか守護聖様の一人とか? 教官、協力者…アナタ情にもろいからあのレヴィアスって奴に?」
アンジェリークは少し困ったように首を傾げると、遂に観念したかのようにこう言った。
「あのね」
「うん」
「私も彼の名前は知らないの」
「ヘ?」
 その物語はレイチェルが思っていたよりもずっと短い内容だった。最後に出てきたデザートの皿をスプーンでツンツンと突っつく。
「敵の一人…ねえ」
「ごめんね」
申し訳なさそうに身を縮めるアンジェリークに軽くウインクをしてみせる。
「守護聖様は全員で九人なんだからその偽物も当然同じ数なわけで…2人ずつペアを組まされれば一人余っちゃうって事よね?」
 ポケットにさしてあったペンを取り出し、近くにあった紙ナプキンに走り書きを始める。
「で、ジュリアス様の偽物は?」
「ロキシーさんを石にした人よ。名前はキーファーって言ってた」
「次はクラヴィス様ね」
「確か…そうカイン。結構礼儀正しい人に見えたけど」
「礼儀正しい人は普通侵略者にはならないと思うけどね。ランディ様は?」
「ウォルター。ご本人と同じで、オスカー様と同じ顔のゲルハルトという人と一緒だった」
「そういうパターンは外すのが王道ってモンじゃない。皇帝も大したことないわね」
ちょっぴり無責任な会話が繰り広げられてゆく中、遂に8人までの名前がレイチェルの手によって綴られた。しかし最後の一人は空欄のままである。
「なーるほどっ」
「うん…」
女王がいる東の塔に入る直前の部屋、そこにいたたった一人の少年…寂しげな面影を思うたびアンジェリークの胸は切なさに震える。
「思いっきり名乗ればよかったのにね」
「うん…でも彼はきっと名乗りたくなかったんじゃないのかな」
「どうしてそう思うの?」
「彼は自分のことがあまり好きではなかったみたいだから」
 テーブルの下で握りしめていた手の力が強くなる。瞼を空気に触れさせただけで涙が溢れてきそうだ。
「レイチェル…生きるとか死ぬとかそういう事って考えたことある?」
「ヘ? そりゃあ考えたことがないって言えば嘘になるけど、ワタシ達がこうして生きている事は現実であり当然のことでしょ? そのことでいちいちぶつかっていたら生きていけないよ」
彼女の意見はもっともだと思う。アンジェリークも同じ事を問われてそう答えているのだから。『死』を忌み嫌う理由は、愛するものを永遠に失ってしまう悲しみと未知の経験に対する恐怖が心を支配してしまうことにあるのではないか。それさえ思えない事はとても悲しいことだ。
「彼は…それを知ろうと必死にもがいていたの。たった一人で本当の気持ちを誰にも言えずに。そしてそれを考えてしまう自分が嫌だったの」
 必死に涙をこらえる親友の姿に、レイチェルの胸は掴まれたように痛んだ。
(この子、ずっと一人だったんだ…)
仲間に囲まれていても必ず別れがやってくる。命を救ってくれた者の裏切りも女王を救うという目的の前には霞んでしまう。いくつもの宇宙の運命を背負っていてもその重荷を口にすることは許されない。そんな苦しみの果てに得た英雄の称号よりも、たった一人の孤独な思いだけを彼女は持ち帰ってきたのだった。
「そんなに悲しい顔しないでよっ」
「うん…」
「その人自分から幸せになりたいって言ったんでしょ? 敵に言えるくらいの強い意志ならその後の魂の行く先だって心得ているって。だったら余計に泣き顔なんて見せられないよ」
「レイチェル…」
「まさかもったいないから見せられないなんて言わないよね? ワタシだって見てみたいよっ、無口ではかなげに微笑むゼフェル様」
 
 
 
 
 大理石の廊下をバタバタと走る音が聞こえる。それは補佐官の執務室の前で止まり、今度は荒々しく扉が開かれた。
「レイチェル!」
「そんなに大声出さなくても聞こえてるって」
冷たい反応はすぐに却下され、相手は彼女の顔面近くまで詰め寄る。
「アンジェリークの…陛下のお姿がどこにもないというのはどういう事だ! 護衛役の俺の目に届かないなんて有り得ないことだ。補佐官として把握していないとは言わせないぞ」
 マシンガンのように走る言葉に溜息しか出てこない。外界にいた頃は政府や国家の要人をガードするSPとして活躍していた宇宙一のスナイパーも、守るべき女王に去られては母を捜す子供になってしまう。新しい宇宙で自分のサクリアを受け継いだ者の正体を知ったらクラヴィスはなんと言うだろう。
「許可ならワタシが出したの。人を迎えに行ってきて欲しいってね」
「護衛もなしでか? 危険すぎる!」
「もしアンジェを守れなかったとしたら…それまでの男だったってことよ」
 まだ何か言いたげな青年の前に、有能補佐官は一枚の書類を突きつけた。それは一人の少年の略歴とプロフィールが書かれたものだ。
「ショナ・ハートランド…これは!」
「知っているの?」
「知っているもなにも、今時の人だからな。この宇宙で最高の頭脳を持つ少年…その頭の中には数億年分のコンピューターが内蔵されているのだそうだ。15才で王立大学の教授をしているというのも異例中の異例だろう。生物学の分野では重要な発見でいくつもの賞を受賞している」
「その子、うちに来るから」
「は?」
 まるで通販の品物が翌日届くような言いっぷりにどう反応すればよいのやら。完全に面食らった青年にレイチェルは淡々と語る。
「確かにアナタたちはそれぞれの分野のプロだし、だからこそ8人でもやってこれたわ。それでもブレーンは必要でしょ」
「…最後の守護聖だな? 地の守護聖として陛下の元に最強の頭脳がやってくるのか」
「そういうコト。分かったなら早く他の面々に知らせてきてよ。アンジェと彼が戻り次第、謁見の間で対面式を行うから。その後はワタシが主催する晩餐会に出席してもらうから」
言葉で思いっきり背を押された闇の守護聖ジェイクは、一番きつい任務に溜息をつきながら今度は静かに出ていった。
 
 
 
 
 主星・王立大学…キャンパス内にちょっとした人だかりが出来るのも、珍しいことではなくなった。その殆どは大学に通っているかも怪しい少女達であり、その中央にいるのは銀色の短い髪を整えたスーツ姿の少年だった。フレームのない眼鏡の奥に美しくも鋭い薔薇色の瞳を隠している。15才という年齢のわりにひどく大人びていて、それ故に儚い印象を周りに与えている。彼が注目されるのは宇宙一と比喩されるその優れた頭脳だけではないらしい。無口なたちの彼は彼女らに親切な言葉をかけてやるわけでもないのに、隣を歩いているだけで皆が幸せそうな顔をしている。その謎は溶こうと思えば容易なのだろうが、今はそういう気持ちになれずにいた。
 そんなとき少年の瞳がふと真っ直ぐ前を見つめ、そのまま立ち止まってしまった。突然の出来事にハッと息を飲む表情は、それでもずっと探し求めていた何かに出会えたような喜びに満ちていた。
「ちょっと失礼」
周りを囲む少女達に小さくそう告げると、彼は足早に校門へと向かう。そこにいたのは長い栗色の髪を持つ美しい少女だった。校門に寄りかかるように立ちながら、ずっとこの奇妙な集団を見つめていたのだろうか。彼は彼女を知っていた。そして知っている名前で彼女を呼んだ。
「アンジェリーク…」
 しばらく二人は黙ったまま見つめ合っていた。かつてもこのようなことがあったような気がする。あれは東の塔の直前にある小さな部屋で…仲間がいてもひとりぼっちで震えていた女の子の姿だ。
「もうその人生はやめるんじゃなかったの?」
「ああ…そうだね。確かにあの時僕はそう言ったね」
照れくさいのを誤魔化すように銀色の髪をかき上げる。
「でももし理由があるのだとしたら、君のことをもっとよく知りたいと思ったからなんだ」
あたたかい微笑みと一緒にさしのべられた手を越えて、アンジェリークは彼の腕の中に飛び込んだ。
「お帰りなさい…ショナ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
全世界の偽鋼様ファンに捧げるレクイエム最上恋愛エンディングでありました。もう自分だけが幸せな内容で申し訳ないです。コレットちゃんもショナくんもハッピッピーだし、レイチェルも出せたし、オリキャラまで登場するし、「ついて行けないよー」と飛ばしてしまうお客様がいたとしても、それはそれで正しいような…そのくらい暴走してしまいました。
いつか新宇宙の守護聖が誕生したら(するのか?)アホアホな内容になってしまうんだろうけどねー。でも新宇宙の守護聖には激しく夢を見ているので、その点も込みでお見苦しくてもお許し下さい。(実はショナにしろジェイクにしろ他の七人にしろ、面白がって細かい設定を作っています。これが楽しくてもお)ちなみにショナについては私が個人的にものすごく思い入れを持ってしまったばっかりに、転生後の話も色々とパターンが異なったものがあり、たとえば今回のように『記憶があるもの』や『記憶がないもの』『ぼんやりと覚えているもの』など、様々な内容が枝分かれしていてますます訳が分からなくなってゆくのでした。
 
更新日時:
2007/10/19
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Last updated: 2010/5/12