ANGELIQUE REQUIEM

3      終わりなき旅
 
 
 
 
 
 随分と長い出張となってしまったが、久しぶりに顔を見せた副主任に対する仲間たちの思いは少しも変わっていなかった。短い金髪が覗くと同時にわらわらと人が集まってくる。
「ロキシー!」
「もう良いんですか? 随分酷い目にあったと聞きましたよ」
「そうそう、宇宙人に誘拐されたとか、怪しげな集団に洗脳されたとか」
「あははははははっ」
一体どこからそんな噂が広がったのやら。しかしそれが現実であるとはとても言えず、笑ってごまかすしかなかった。
 愛用の机に落ち着くと、臨時職員の女の子がお茶を運んでくる。
「エルンスト主任はいつ戻られるんですか?」
「しばらくは休暇扱いだよ。女王陛下の御命令でね。もっともそうそうに切り上げて復活するんだろうが」
「じゃあ、それまでの間に溜まった書類はこちらにお持ちしてもいいですね」
「ゲッ…」
だがそれを拒否するわけにはいかない。戦いという慣れない経験をした親友に対する礼儀もあるからだ。もう少しで雪崩と化す書類の山に、深い溜め息をついた。
 時計が昼休みを告げる頃、内線電話がロキシーを止めた。
「ハイハイ、こちらロキシー」
「こちら受付ですが、副主任にお客さまがいらしています」
「綺麗な女性なら嬉しいが」
「残念ですが、若い男性です」
「若い男性…心当たりはないが」
「随分とお急ぎのご様子です。至急こちらまでお願いします」
どうせ将来ここで働くことになる学生が、事前に見物したいと申し出ていたのだろう。こういった仕事も主任の役割だが、今はそれを言っても仕方ない。ロキシーは受話器を置いて立ち上がった。
 広いロビーは人が常にごった返しているが、この中から若い青年を見つけることは難しくはない。連絡をくれた受付の女性は相手に来客用のソファーで待っているように勧めたらしい。
「おや、あの方は…」
まさか彼とここで再会出来るとは思ってなかった。まだ疲労が完全に抜けきっているわけではないのに。だからといって嬉しくないわけではない。ロキシーは少年のように楽しげな足取りでソファーに近づいて行った。
「ご無沙汰しています。お待たせしましたか? ゼフェル様」
「いや…」
 
 
 
 
 自動販売機からコーヒーの入った紙コップを二つ取りだして、一つをゼフェルに手渡した。
「急に来て悪かったな」
「かまいませんよ。丁度一息つこうとしていたところです。それにしてもまさかここでお会いできるとは思っていませんでした」
「オレが聖地を抜け出すことなんていつもの話だからな。説教する奴がいたとしても、心配している奴なんかいやしねーよ」
おそらく二人の脳裏に浮かんだ守護聖は同一人物だっただろう。ロキシーは思い出し笑いをし、ゼフェルは半ばやけくそのような顔をしている。
 ブラックコーヒーを口にしながらゼフェルは言葉を選んで話し始めた。
「言いにくいんなら言わなくてもいいぜ。あんたにとっていい記憶じゃねーってこともわかってる。…皇帝に操られていた時のことなんだけど、今でも覚えているモンなのか?」
ロキシーが黙り込んだのはもちろんいい記憶ではないことでもあったが、現在でさえ魔導という正体不明の力に怯えているせいでもあった。
「そうですね、覚えている…というのが正しいかもしれません」
「なんだそりゃ」
「頭ごといじられてましたからね。今の記憶が正しいものがとうか判断出来ないんですよ。もしかしたらどこかで偽りの記憶にすり替えられているかもしれない。もっとも皇帝自身は消滅していますから、もう魔導の影響は消え去ったと思われますが」
「そうか…」
でもここまで来たら戻る気持ちにはならない。ロキシーの持つ大人の優しさに甘えるような気持ちでゼフェルは聞いた。
「敵の中にオレと同じ顔をした奴がいたよな? どんな奴だった?」
 ロキシーは年の離れた弟を見つめるような、優しい視線をゼフェルに投げかけた。おそらく他の守護聖は、自分と同じ姿をした敵のことを必死に忘れようとしているに違いない。そんな中でも彼だけが真実を知ろうとやってきたのは、相手に自分と共通したものを見いだしたに他ならないのであった。
「彼とはそれほど多くの言葉を交わした覚えはありません。一人で研究室に籠もっていたんでね。人間を魔導で怪物に変えてしまうという荒技をやってのけた張本人なんですよ」
「あれだけの人間をたった一人でか? 冗談じゃねぇ…オレたちが洗脳解くのにどれだけ苦労したと思ってんだ」
「そのせいか尾鰭のついた噂は絶えないようでした。まあ俺自身の感想を言わせてもらったとしても、相当な変わり者ではありましたけどね」
「どんな感じだったんだよ」
「他の八人は皇帝を心から崇拝し、その全てを信じ込んでいる様子でした。ただ彼だけはひどく冷静な…いや、時には冷酷ともいえる視線を投げかけていたんですよ」
 皇帝がそのことを知っていたのかは分からない。普段は自分たちと旅をしていて不在だったのだから、さほど気にとめていなかったのだろうか。それとも自分に逆らえないよう弱みを握っていたのかもしれない。しかし軽蔑するほどの人間に寄り添うことで、彼は一体何を望んでいたのだろう。
「信じられねーな。まさかそれ相応の地位でも約束されていたのか? あの皇帝がそこまで親切な奴には見えねーよ」
「だからこそ彼は気がついていたのでしょう。皇帝の計画が短絡的で幼く、矛盾に満ちたものなのだということに」
「仲間の一人だったってのにか」
「彼は知能指数200以上の高度な知能の持ち主だったんですよ」
 それまでゼフェルの心を支配していた冷静でかつどこかで興奮していた感情が冷水を浴びたようになってしまう。
「完全…天才…」
「そう、人間としての知能の限界を示す数字ですよ。いわば天才と狂人の境目にいる存在と言っていいでしょう。それ故に物事を感じるより先に考えてしまうんです。忠誠を誓うより先にその本質に気がついていたとしたら」
「でも天才のレベルでいえばエルンストやレイチェルもそのくらいあるだろ。いくら育ってきた環境が違うからって、そこまで運命が変わってしまうもんなのか?」
「それは恵まれた環境の中で才能を伸ばせた者の話ですよ。でも優れすぎた頭脳は他人にとっては驚異に見えることもある。彼の周りにはその孤独を理解する者がいなかったのでしょう。皇帝も含めて…ね」
(僕だってこんなところにいたくはない。でもここを失ってしまえばどこにも行く場所がない…)
彼のそんな本音が聞こえたような気がした。
 あの少年にとっては皇帝の野望も宇宙の支配もどうでもよいことだったに違いない。ただ命じられたからやるだけ…その中でどのような結末を迎えても驚きはしなかっただろう。それが自分に出来る全てだったのだから。
「そいつ、なんて名前だった?」
「確か…そうショナ。まだ15になったばかりの少年でしたよ」
 
 
 
 
 親切な副主任は彼をロビーまで送ってくれた。
「ありがとな。コーヒーまで奢ってもらっちまってすまなかった」
「なんのなんの。近いうちにでっかい特許を取って下さいよ。その時に万倍にして返してもらいますよ」
豪快な笑い方はかつての緑の守護聖を思い出させる。子供っぽいようでいて実は余裕のある本当の大人なのだろう。
「いつでも遊びに来て下さい。私でよろしければいつでもお相手しますよ。例え悪いことだったとしてもね」
 笑顔の余韻を残してロキシーはガラスの向こうに消えていった。研究命でどこか馬車馬的なところのあるエルンストには、ああいう親友が必要だったのだろう。あのレイチェルも初めの頃はあんなにアンジェリークのことを酷評していたのに、試験が終わってみれば新宇宙の補佐官として一番幸せそうな顔をして旅立っていった。たとえどんな驚異的な頭脳を持って生まれようとも、それを理解してくれる人がいるのなら人も頭脳も幸せになれるのだ。
 女王救出の直前、あの迷路のような東の塔に入る直前の戦いだった。自分と同じ姿をした敵に不快感を示したものの、同時に割り切れない悲しみのようなものもゼフェルは感じていた。特に敵の中でもあの少年だけが栗色の髪の天使に心を開いて逝ったことが心情をより複雑にしていた。いつまでもこのままでいるよりは…と決心して、ここまで来たのだった。
(あいつは知っていたんだ。アンジェリークも一人だったということに)
 何人もの仲間に支えられていながらも、アンジェリークは一人だった。みんなが仲間だと口にしても、彼女の為に命を捨てられる者はいない。彼らにとって崇拝すべき女王はただ一人で、若い新宇宙の女王は眼中にさえ加えられていないのだ。一人で次元回廊を駆け抜けてゆくアンジェリークに感謝の言葉はあっても、その孤独を理解する者は皆無だった。しかしあの少年は一瞬でそれを理解した。彼女が自分と同様に戦闘能力しか必要とされていないことに。
(そんなアンジェリークだったからあいつは心を開いた…それまで誰にも言えなかったことを口にして逝ったんだ)
 自分は彼女の前で何度も『守ってやる』という言葉を口にしている。しかしそれが本当に彼女が望んでいたとは限らない。天使の名を持つ少女が望んでいたのは自身の孤独に気がついてくれる存在…そしてそれを自分自身が命を懸けて守り抜きたいという気持ち、それが勝利へと導く唯一の武器だと信じて疑わない。そしてそれを理解したのは仲間ではなく敵の一人、しかも自分と同じ外見をもつ少年だった。
「それでもオレは…」
 握りしめた手に強い力がこもる。これが嫉妬というものなのだろうか。本当は自分がそういう存在になりたかった。最後に一人で次元回廊へと向かわせた時の小さな背中が今更のように蘇ってくる。
(オレはあの戦いをずっと忘れないでいよう。忘れてしまうことは自分自身の弱さから逃げることだ。アンジェリークにのみ苦しみを背負わせてしまった償いとして、いつかはその全てを理解してやれるように)
 目頭を熱くする何かをごまかすように、ゼフェルは大空へと支線を移した。その彼方にあの少年の生命が漂っているような気がする。天使の手によって純白の翼を与えられた生命は、きっと自分が幸福になれる場所を心得ているに違いない。
「新宇宙…か。だったらまた会うこともあるかもしんねーな。まあ声をかけてきたら返事してやらねーこともねーけど」
ただこれだけははっきりさせておくべきだと、空に向かって大きく伸びた。
「アイツはオレのだからな。誰にも渡すつもりはないぜ」
 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
難産でした。このサイトをオープンさせるために相当な準備期間をかけているのですが、大半をこの話の制作に費やしています。書きたい話なのに、気持ちと技術が伴わないって本当に切ないですね。途中でテーマがコロコロ変わってゆくの。そんな私を救ってくれたのは他ならぬ副主任様。本当にロキシーさんありがとうでした。この人のキャラには随分と救われたのですよ。大人だから感情移入しやすいし、声優松本保典さんだし。(個人的に重要なポイントだったりします。だって唯一のトルーパー男性声優なんですよぉ。アンジェはシュラトにひいきしすぎ)
テーマはね、初めは男同士の複雑な友情、でも実際はちょっと微妙な三角関係といった感じになりました。ゼフェルエンディングのラスト、彼のモノローグで「なあ、気がついていたか? オレがオメーのことずっと見てたって…」としみじみ語るシーンがあるのですが、彼はきっとショナが消えた瞬間に号泣するアンジェの姿もじっと見ていたんだろうなあと思うと、その優しさが痛いほど感じられて切なくなります。きっときっとそういう部分もひっくるめて大切にしてくれるんだろうなあ。
更新日時:
2004/03/02
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Last updated: 2010/5/12