ANGELIQUE SPECIAL2

6      Everything 後編
 
 
 
 
 
 地の守護聖はその日もいつものように執務室に籠もり、机に積まれた本や書類と戯れていた。しかし太陽が頂上にたどり着く頃に一息つくつもりで背を伸ばしトントンと肩を叩いた。
「さて、そろそろお昼にしましょうか」
そう思えば頭の切り替えは早く、一緒に頂く緑茶にまで強い思いをはせる。その時執務室の扉が叩かれる音が聞こえた。
「はーい、どうぞ」
「失礼します」
 深々と頭を下げながら入ってきたのは栗色の髪の女王候補だった。いや…正確にはもう候補ではない。新しく誕生した宇宙をより多くの星で満たしたのは彼女の方だった。近日中に創世の女王としての宣誓をする事になっている。
「アンジェリークではありませんかー」
この名前を持つ候補は3人目だが、彼はこの少女には特に強い親近感を持っていた。おっとりしていてマイペース、でも真面目で努力家な一面を持っているのは彼と共通している部分でもある。もし自分に妹がいたとしたらこんな子だったのではないだろうかと密かに思っていたのだ。
「お忙しい中、急にお訪ねしてして申し訳ありません」
「かまいませんよー。今ちょうど一休みをするところだったんです」
 ルヴァは立ち上がると、扉の奥に立つアンジェリークを中まで招き入れた。
「ありがとうございます」
「いえいえ…ああそうだ、あなたにはお祝いを言わなくてはなりませんねー。本当によく頑張りました。これから陛下のところへ行くのではありませんか?」
アンジェリークは少し考えて小さく頷いた。
「これから謁見の間へ行って、正式にお返事をすることになっています」
「そうですか。こうしてゆっくりお話しできるのもこれが最後になるかもしれませんねー」
緊張のためか堅い表情をしているアンジェリークを慰めるように、彼女の背中をポンポンと叩いてやる。アンジェリークもそれに応えるようにニコッと笑って見せた。
 アジアンテイストのソファーに座らせ、ルヴァもその向かいに腰を下ろす。アンジェリークは制服のポケットから一枚の写真を取りだした。
「これは…」
「私の祖父の持ち物でした。聖地に来る前日に預かったものです」
ルヴァは写真を手にとって見つめる。そこにいたのは賑やかな声さえ聞こえてきそうな元気な高校生達だった。その中から見つけた一人の姿に目を見開く。
「…ゼフェル?」
 考えられないことではないとルヴァは自分に言い聞かせる。ゼフェルが聖地に来たのはここでは一年前という計算だが、外界でどのくらいの数字が示されるのかは彼にも謎だった。一年が外界の数十年という計算も有り得ないことではない。もしあのまま何事もなければこんな可愛い孫娘がいたのかと思うと悲しくなってきた。
「祖父とゼフェル様は幼なじみの親友同士だったそうです。祖父の方が二歳ほど上だったと聞きました」
「そうだったんですか」
ゼフェルの隣で一緒に肩を組んでいる少年は確かにアンジェリークに似た面影があった。ゼフェルが盛んにアンジェリークのことを見たことがあると言い切った理由も分かる。
「祖父は今でもあの時のことを悔やんでいます。強引に聖地のシャトルに乗せられた時のゼフェル様の顔が忘れられないと。長い付き合いの中で、あの方が泣いたのを見たのはあの時が最初で最後だったそうです」
 アンジェリークは未だ写真から目をそらせないルヴァに向かって深々と頭を下げた。
「私は祖父と約束をしました。この写真をゼフェル様にお渡しするということを。そして二つのことを伝えることを」
「伝言ですか?」
「はい…まだあの頃の自分は子供過ぎてゼフェル様をお守りすることが出来なかったと。いくら詫びても足りないが、どうか許して欲しいと。そして聖地で出会った新しい仲間とあの頃のように幸福に過ごしていることを誰よりも祈っていると」
ルヴァは写真の少年と目の前のアンジェリークを交互に見つめていた。
「あなたは御祖父様との約束を果たすためにここに来たのですね」
その問いに彼女は返事をしなかった。いや、その返事がないことが彼女の本心を代弁していたのだ。
 ジュリアスならば不謹慎だとまたお説教が始まるかもしれない。クラヴィスならば面白い女王候補だと笑っただろう。しかし親切な地の守護聖はそのどちらでもなかった。
「本来ならば自分がその役割を果たしたかったのでしょうね」
「ルヴァ様…」
「でもあなたには時間がなさそうです。分かりました、私がこの御写真を預かりましょう。そして今のお話を忘れずに伝えます」
アンジェリークは立ち上がるとそのまま頭を下げた。
「どうぞよろしくお願いします」
「あー頭を上げて下さいね。私はその…あなたのことを実の妹のように思っていたんですよ。だから出来るだけ力になりたいと思うことは自然なことです」
「ルヴァ様…」
「だから私は祈っていますよ。たとえどのような選択をしたとしてもあなたが決して悔いることがないようにと」
「ありがとうございます」
 アンジェリークはそのまま静かに執務室を出ていった。ルヴァは遠ざかる足音を確認しながら自らも執務室を後にした。
 
 
 
 
 彼の執務室を何度ノックしようとも反応が返ってこない。しかし中には確実に人の気配があるわけで、無礼を承知で大きく大きく開け放つ。
「あーやっぱりいましたね、ゼフェル…」
「悪りィが、今は誰とも話すつもりはねーんだ。出てってくれねーか」
机に足を投げたまま、冷たい瞳で来客を追い返そうとする。その様子は初めて聖地に来た頃の感じによく似ていた。大切なものを全て失ってしまったあの時の…。
「残念ですが、私もあなたに大切な用事があるのですよ。それがくだらないことかどうかはあなた自身が決めて下さい」
「チッ…」
 挑発的に言えばこの少年が話題に噛みついてくるのは分かっていた。ルヴァは真っ直ぐ彼の前に立つと、例の写真を机の上に置いた。
「これは…俺の高校時代の! どうしてオメーがこれを持ってんだ? 第一こんな古ぼけた感じじゃなかったぞ」
「先ほどアンジェリークから預かったんですよ」
「アンジェが? 何であいつがオレの高校時代の写真なんて持っているんだよ!」
「…元々は御祖父様の持ち物だったそうですが」
卒業を間近に控えた親友のために、いつもつるんでいた仲間全員で撮影したものだ。まさかその中にアンジェリークの祖父がいるのか? 自分が持っている同じ写真はまだ真新しい光沢を放っている。なのにこれが変色してしまうほど外界は時間が流れているということなのか。
 ルヴァは写真の向こうで笑っている少年を指した。
「…アシル?」
「彼がアンジェリークの御祖父様ですよ」
「なっ…?」
彼女を初めて見た時からどこかで会っているような気がしてならなかった。今となってはそんなことはどうでもいいくらいに大切な存在になっていたが、ゼフェルの頭の中を覆っていた霞が謎が解けてゆくように消え去ってゆく。
「アイツ…」
それがアンジェリークのことを指すのか、それとも老いてしまった親友のことを言っているのかはルヴァには分からなかった。
「彼は今でもあなたのことを忘れてはいませんよ。それどころかずっと後悔しているのだそうです。自分の力不足であなたを守ってあげられなかんったことをね。アンジェリークが聖地に来ることになったのも何かの縁だったのでしょう。守れなかったことを許して欲しいと、そして聖地で新しい仲間と幸福に過ごしていることを願っていると、そのことを写真と一緒に彼女に託したのです」
 ゼフェルはその言葉を俯いたまま聞いていた。厳しい現実と過去からもたらされた親友の優しい言葉に涙が溢れそうになってくる。しかしそれを押しとどめたのは天使の名を持つ少女の面影だった。
「アンジェは…?」
「謁見の間に行きましたよ。陛下に試験に関する正式な返事をするのだそうです。本当は自分で伝えたかったのでしょうが、今は少し辛かったのでしょう」
「なんでそんなこと分かるんだよ!」
「それは自分自身で聞いた方がいいでしょう。今から走ればあなたの足なら間に合うはずです」
ゼフェルは思わず耳を疑った。まさかこの男が女王試験の結果を拒否するような言い方をするとは思わなかったのだ。自分だってそれが出来ずにアンジェリークを見送るしかないのだと諦めていたというのに。
「本気で言っているのか?」
「私はあの子のことを実の妹のように思っていました。それが幸福に繋がるのならば何度でも同じことを言いますよ」
 ゼフェルは椅子から立ち上がると、机を飛び越えて扉まで走った。しかし出てゆく直前で足を止める。
「ルヴァ…」
「なんですか」
「オレ、これからとんでもないことをしちまうかもしれねえ。おそらく他の連中からムチャクチャ言われると思う…それでもあんただけはオレの味方でいてくれるよな?」
それまで緊張を保っていたかのようなルヴァの顔にいつもの微笑みが戻った。
「気を付けて行って来て下さいねー」
 
 
 
 
 柔らかな日差しが降り注ぐ廊下をアンジェリークは一人で歩いていた。昨日のうちに極秘に謁見の間に来るよう言われていたのだ。もう一人の候補にはそういった申し出はなかったらしいから、おそらく新宇宙の女王になることの最終確認の為に呼ばれたのだろう。
(どうして心の中がこんなに静かなんだろう)
それはまるで聖地にやってくる前日に似たような感触だった。自分はただ試験を自分なりにこなしてゆこうと行動してきただけだ。しかし翌日には創世の女王として宣誓することになる。しかし…。
(なんか不思議な気がする。初めはあんなに聖地に来ることを嫌がっていたはずなのに、今となってはこの宇宙から離れられなくなっているなんて)
 心が静かなのはアンジェリークの中の答えが決まっているせいだろう。女王になるかと問われたら辞退すると言うつもりだった。聖獣アルフォンシアやもう一人の候補であるレイチェルに申し訳ないと思う。試験に全力を尽くしてくれた人々になんと言えばいいのか分からない。
(それでもあの人のいない宇宙なんて…)
遂に涙が堪えきれなくなってしまった。周りに誰もいないことを確認してその場に座り込んでしまう。
(ごめんなさい、おじいちゃま…私結局弱いまんまみたい。本当はあのことも自分で伝えなくちゃならなかったのに、全てルヴァ様に押しつけるような形にしてしまった。でもあの人を目の前にしたら私…きっと泣いてしまっていた)
 『泣く女』は彼が何より嫌っている存在。涙を見せることは許されなかった。手に届かない高貴な存在に恋をしているだけで罪深いというのに。
「ゼフェル様…」
「なんだよ!」
アンジェリークはすぐに顔を上げて振り返る。そこには肩で息をしている鋼の守護聖の姿があった。
「良かった…間に合った…」
全速力で走った結果、オスカー・ランディ・ジュリアスの3人にどやされてしまった。それでもアンジェリークが座っていなければ間に合わなかったかもしれない。
「どうして…?」
「どうしたもこうしたもあるかよ!」
 彼も疲れとホッとしたせいでそのまま座り込んでしまった。
「オメーが写真をルヴァに渡して、そこで話を聞いて…そんでオメーがアイツの孫だってことも教わって…」
今更そんなことを説明してどうなるのかとは思うが、それでもまずここから始めなければどうしようもない。
「ごめんなさい…」
「なんで謝るんだよ」
「私からちゃんとお話しできなかったことも、こんな時に泣いてしまったことも…」
「バカ!」
自然と腕が伸びて、きつく彼女を抱きしめていた。
「オメーが凄く優しい目で俺のことを見ていたのは知っていた。その理由がたとえアイツから頼まれたことにあったとしても…それでももうそれなしじゃ生きて行けねーよ」
ゼフェルは両手でアンジェリークの頬を包むと、そのまま自分へと向かせた。そしてお互いの額をそっと重ねる。
「陛下の所にオレも行くから」
「え…?」
「その後すぐオメーの家に行こうぜ。せめて孫を貰ってくって言っておかなきゃ、マジで追いかけて来るぜ」
親友だった男の変わらぬ性格をゼフェルは見抜いていた。その照れくさそうな笑みに、アンジェリークはようやく安堵できる場所を得たのだと知った。自分はここにいたいのだと、そしてここにいてもいいのだと。
「行くぜ」
「はい」
 
 
 
 
END
 
 
 
 
初めての前後編ですが、それぞれ独立した内容になっているので各自で楽しめるようになっています…はずです、ハイ。設定にちょっとパラレルが入っているので分かりにくい点があるかもしれませんがお許し下さいませ。
テーマは孤独感というやつですか。時間にも過去の仲間にも置いていかれるという聖地の定めの中での出会いを書いてみました。思いがこもっている分ちょっと暗くなってしまったけれど…ゼフェルもアンジェもらしくない場面が多かったので、その分ルヴァ様に愛を注いでしまいました。ウルルーン、まだまだ修行せねば。
 
 
更新日時:
2002/11/01
前のページ 目次 次のページ

戻る


Last updated: 2010/5/12