ANGELIQUE SPECIAL2

5      Everything 前編
 
 
 
 
 
 突然の降って湧いたような出来事に、それまでの平穏な日々は音をたてて崩れてゆく。周りが騒げば騒ぐほど、アンジェリークは自身が置いてけぼりにされたような悲しみを感じていた。
「女王陛下の御命令です。あなたを次代の女王を選ぶ為の試験参加者として聖地にお連れいたします」
聖地から訪れた使者はその言葉と準備のための数日間の猶予のみを与えて去っていった。永遠の別れを交わし合うにはあまりにも無慈悲な形である。
(今朝見たあの輝く球体…あの中に入っていた小さな動物…)
もし自分にその資格があるとしたら、その不思議な現象が関係しているのだとしか思えなかった。女王育成校と呼ばれるスモルニィ女学院に通っていても、アンジェリークは一切そういう教育を受けていなかったからだ。
 いくら戸惑いと悲しみを感じても、女王からの命令に逆らうわけには行かない。家族も学校も友人も聖地に向かうことを前提にして話を進めてゆく。
「あなたはスモルニィの誇りですよ。自分に出来ることを精一杯行ってきなさい」
「ありがとうございます、院長先生」
自分を激励する言葉もどこか他人事のように感じる。返事をしたのも自分ではないのかもしれない。歴代の女王もこんな気持ちになったのだろうか…などと不謹慎な本音ばかりが頭を巡っている。それでも仲のよい友人が達が強く抱きしめてくれたときは涙が出てきた。
 家族との最後の夜、それでも両親も心境はアンジェリークと変わらないのだろう。いつかは独立したであろう可愛い娘が、永遠に消えてしまうような現実がピンとこないのか食事中は驚くほど静かな時間が流れた。
「旦那様…」
年輩のメイド頭が食卓に入ってくる。
「何かあったのか」
「大旦那様がお帰りになられました」
彼女が大旦那様と呼んだのは父親の実の父親、すなわちアンジェリークの祖父に当たる人物だ。自ら起こした事業を成功させた後、それらを全て息子達に譲って今は世界中を旅して歩いている。共働きだった両親の代わりにアンジェリークを育ててくれたのも祖父だった。
「おじいちゃまが来たの?」
「アンジェリークお嬢様をお部屋にとおっしゃっておられます}
最愛の孫娘の為に旅行を早々に切り上げてきたのだろう。ようやく見せた笑顔に、両親も反対するわけにはいかなくなった。はしゃぐように出てゆく娘を皆が句雑な表情で見送った。
 
 
 
 
 他の者には近寄りがたい重い扉を彼女は一度もノックしたことはない。まるでおとぎ話の国の扉を開けるかのように素早くそこに滑り込む。
「おじいちゃま、お帰りなさい!」
「アンジェリーク! わしの可愛い天使…もっとその顔を見せておくれ」
ガウンを着込んだ老人がアンジェリークをしっかりと抱きしめる。白髪混じりの栗色の髪と深い蒼緑色の瞳はそのまま孫娘に受け継がれたものらしい。体格はがっしりしているがまるで少年のように豊かな表情をしている。
「急に連絡をもらってな、わしの天使を奪ってゆこうとする不届き者がいるって言うじゃないか」
「…女王陛下よ?」
「取引先のお偉いさんにもそんな名前はないよ。サンタクロースの方がまだ親しみがある」
軽くウインクをされてクスッと笑った。確かに宇宙を導く女王からプレゼントをもらった記憶はないけれども。
 愛用のソファに2人は並んで腰掛けた。背もたれのを滑り台代わりにして遊んでいたあの頃が蘇ってくる。
「それにしてもとんでもないことになったな」
「うん…」
もはや自分でも自分の未来が分からないのだ。いくら久しぶりに会った祖父が優しくてもその戸惑いまでは消すことは出来ない。
「アンジェリーク、わしは心配なんだよ。お前は小さい頃から控えめで大人しい子だった。他の孫達よりも聞き分けがいい分、いつも我慢ばかりしていたような印象がある。今だって周りがそのつもりであるだけに余計になにも言えなくなってはいないかい?」
アンジェリークの肩が震え、暗い表情のまま俯いてしまった。
「…たくない」
「ん?」
「聖地になんか行きたくない! このままずっとみんなと一緒にいたい…」
 ここでようやくアンジェリークの瞳から涙が溢れ、祖父の胸にすがりつくようにして泣き出してしまった。祖父は小さい頃からそうしてあげていたように、サラサラの髪を優しく撫でてやる。彼も聖地からの命令を止めることは出来ない。しかしこのまま可愛い孫娘を聖地に向かわせては、ますます自分の殻に閉じこもって人に心を開かなくなるだろう。穏やかで優しい少女だが、その分内気で人見知りしやすい傷つきやすい一面を持っている。
「そうかそうか…お前はずっとそれが言いたくてたまらなかったんだね? でも聖地からの命令なのだからと半分諦めたような気持ちを抱えていたのだね」
「ごめんなさい、おじいちゃま…」
 祖父は着ていたガウンでアンジェリークの涙を拭いてやる。
「お前にね、見せたいものがあるのだよ」
彼はふいに立ち上がると、部屋の中央に置かれた自分の大きな机の上から何かを持ってきた。それを手に改めてアンジェリークの隣に座る。
「これは…若い頃のおじいちゃま?」
「懐かしいな。まだわしがお前と変わらない年の頃のものだ。これでも有名私立進学校に通っていたんだぞ」
もう既にセピア色に変色している写真だった。しかしその中にいる少年達の笑顔は今にも飛び出してきそうなほど元気に溢れている。
「あの頃がまるで昨日のことのようだ。優等生ばかりが通う厳しい校風の学校だったが、それでもはみだし者ははみだし者で楽しくやっていたりするものだ」
「おじいちゃまはそっちの方だったのね」
「もちろんそうだ。かえってそっちのほうが世間的には名を知られていることの方が多いんだよ」
 祖父の太い指が写真の向こうの一人を指した。
「これが若い頃のわしだよ。主星の大学留学する直前の高校三年生だった。なかなかいい男だろう? バレンタインには近隣の女子校から山のように贈り物を貰ったものだ」
過去に思いを寄せる祖父の表情は完全にあの頃に戻っていた。それを聞いたアンジェリークも暗い気持ちを忘れたかのように微笑んでいる。しかし彼の指がわずかに動いた瞬間に空気が変わる。
「わしの隣で肩を組み合っている男がいるだろう? 二歳ほど年下だったんだが、幼なじみの大親友だった男だ。ものすごく頭が良くて、出席番号は最後だがテストの成績はトップを譲ったことがなかった。それ以上に手先が起用で、なんでもあっという間に作り上げたものだ」
 まるで大切な弟を自慢する兄のような口調だった。しかしなぜそれがこんなにも悲しげに聞こえるのだろう。
「奴は今でも聖地であの頃のままの姿でいるのだろうな」
「え?」
「お前と一緒だよ、アンジェリーク。あの時も突然女王の使者がやって来て、本人に選択権のないまま聖地へと連れ去ってしまった。聖地はここよりもゆっくりと時間が流れているのだそうだ。わしに可愛い孫娘がいたとしても、あいつはまだ十代のままの姿を保っているはずだ。守護聖とはそういうものだ」
「守護聖様? この人は守護聖様になったの?」
祖父は返事の代わりにアンジェリークの髪を撫でた。
「わしはあまりにも無力だったんだよ。あの頃は笑って叫んで夢を食べていれば生きてゆけると信じていた。でも強引に乗せられたシャトルの窓から見せた初めての泣き顔に何もしてやることが出来なかった」
アンジェリークは2人の悲しみが理解できた。止められなかった者の悲しみも、去らなくてはならなかった者の悲しみも。色あせた写真の向こうの人も、こんな空虚な孤独をかみしめているのだろうか。時間の止まった聖なる地の中で。
 祖父はアンジェリークの手に写真を持たせた。
「頼みがあるんだがな」
「頼み…」
「この写真を奴に渡してはもらえないか」
アンジェリークは真っ直ぐに祖父の瞳を見つめる。
「聖地に…行って?」
「そうだ」
「この人に会うの…?」
「そうだよ。そして今のわしの気持ちを伝えてもらえないか。あの時は幼すぎて守ってやれなくてすまなかったと。新しい世界で新しい仲間と幸福に過ごしているよう誰よりも祈っていると」
抱きしめる腕の力が強くなる。そしてそこから来る震えもアンジェリークは全身で感じていた。
「辛かったらいつでも帰っておいで。そんな思いまでしていなくてはならない場所など最初から聖地ではない。たとえ女王陛下が相手だったとしても必ずわしが守ってあげよう。いつか『もうおじいちゃまがいなくても、守ってくれる人がいるから』と言われるまでな」
「分かった。きっとそうするわ。必ずその人に会って、おじいちゃまのことを伝えるわ」
 
 
 
 
 謁見の間から飛び出してきた少年達の輪の中で、彼は複雑な顔をしながら首をひねる。
「ゼフェル? どうかしたの」
長い金髪の少年が顔を覗き込んでくる。
「いや、なんでもねえ…ただどこかで会ったことがあるような気がすんだよな」
「誰と? 外界から来た教官達だったら随分と有名な人たちなんじゃないの?」
「バーカ、そんなんじゃねーよ」
あの栗色の髪と深い蒼の瞳…自分はどこかでそれと出会っているはずだ。それに気が付けない自分がいらだってしまうほどに強い印象で。
「どこでだっけなー」
しかし今はその謎が解けることはなかった。
 
 
 
 
前編END
更新日時:
2002/11/01
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Last updated: 2010/5/12