ANGELIQUE SPECIAL2

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 3月14日、ホワイトデーである。歴史こそ浅いものの、世間的には比較的ポピュラーな行事であった。まだ高校生だった頃のゼフェルでさえその目的と意味は十分に理解している。じゃあ親しみを感じているといえば…それは全く別の話だった。幼稚園のころから染みついている男子校気質というものだ。近隣の女子高生から贈られたバレンタインチョコレートの山のお返しに頭を悩ませる悪友をからかいながら、学食のカレーヌードルを食すのが彼の毎年の恒例だった。
 しかし故郷から離れたこの聖地で、彼は生まれて初めてこの行事と向かい合うことになった。ゼフェルがホワイトデーと無縁なのは『二十歳になるまで酒もたばこも駄目ですよー』的な決まり事だったから、既にいい年になっているはずの仲間達も腰を抜かすに違いない。
「おい、四月バカにゃーまだ早いぞ」
「相手はどこの爆弾娘だ?」
「女王の名の下に宇宙レベルで保護すべき珍獣だな」
「で、ウサギのミミちゃんか? それとも犬のポチ子さんか?」
 ご期待に添えられないのは申し訳ないが、相手は狐のルルちゃんでも狸のポンちゃんでもない。れっきとした人間の女の子である。栗色の髪と深いマリンブルーの瞳を持つ女王候補は、以前から彼が可愛い片思いをしていた相手でもある。普段はやんちゃなゼフェルも先月は一気に鼻の下を伸ばしていた。一月前に彼女が真っ赤になって差し出したのは、ナッツとビターチョコチップの入ったクッキーだった。『クッキーならなんとか食べられる』と話したことを覚えてくれていた事も、喜びに拍車をかけている。それと同じくらいの…いや、それ以上の喜びをあげたいと思うのも男心というものだろう。そして当日、彼は扉を睨み付けながら待っていた。ファースト・アニバーサリーを一緒に過ごす幸運な女の子の来訪を。
 
 
 
 
 彼女の性格と同様の控えめなノック音が聞こえた。
「いるぜ」
「失礼します」
ペコッとお辞儀をすると、黄色いリボンと栗色の髪がサラッと揺れる。一度でいいから触ってみてー…なんて本音は誰にも言えずにいた。でももし今日ほんの少しでも進展させることが出来たなら、決して夢ではなくなる。もしくはそれ以上のことだって…。
「ゼフェル様?」
「だーっ、何でもねーよっ」
 その言葉を聞いて少女は安心したようだった。ここ数日間はゼフェルから3月14日には必ず自分の執務室に来るように言われていたので…と素直に来訪の理由を告げた。
「わかってんならいいんだけどよっ、その…オメー、一月前にくれたよ…な?」
一瞬の空白…しかしすぐにアンジェリークの顔が深紅に染まる。
「あっ、あのクッキーはその…受け取っていただけただけで本当に嬉しくて、それからゼフェル様が以前と変わらないように接して下さっただけで充分だと思っているんです。だからお返しなんて…」
「オレはまだ何も言ってねーぞ」
「あっ…そうですよね」
恥ずかしさのあまりシュンとなってしまうのも可愛くて仕方ない。だからちょっとからかいたくなるのだ。
 ゼフェルは机の下から何かを取り出して上に置いた。
「わぁ…」
「なんだかわかるか?」
「ピエロさんですね? 商人さんのところで見たことがあります」
休日にのみ庭園に現れるあの怪しげな商人の店にも、時にはこんな可愛い人形が並ぶときもある。実は以前から欲しくてたまらなかったのだが、好敵手であり親友でもあるレイチェル・ハートというに少女に「子供っぽい!」と突っ込まれるのが怖くて、なんとなく手に取れずにいたのだ。
「ガキくさいツラしやがってよ。気に入ったんなら持っていっていいぜ」
「本当ですか?」
「オレのところにあったって仕方ねーだろ」
「ありがとうございます」
 サラサラとしたサテンの衣装、そしてフワフワの毛糸で出来た髪の毛をしっかりと抱きしめる。ずっと露店の上にいたせいか、ほんのりとお日様のにおいがした。
「可愛い…」
(オメーの方がずっと可愛いのによ)
危うく出そうになった言葉を慌てて喉の奥に引っ込める。
「本当にありがとうございます。大切にします」
「やったんだから後は好きにしろよ。でもその前にいいこと教えてやる…そいつ喋るんだぜ」
「お話しできるんですか?」
「オレがただの人形を贈る奴に見えるか?」
 確かにそうだと思う。彼の器用さは鋼の守護聖に相応しいものだ。以前私邸に招かれたときに見せてもらったロボットが本当に素晴らしかったことをアンジェリークは覚えている。試しにピエロの顔面に話しかけてみた。
「こんにちは…」
しかしなんの変化もない。アンジェリークは困ったようにゼフェルを見つめた。
「バーカ、そんな簡単な言葉で終わらせちゃいねーよ」
「なんて喋るんですか?」
「キーワードは二つ…要するにオメーがとある二つの言葉を言えばそれに返事するようになっている」
それを聞いたアンジェリークの表情がもっと複雑になった。
「そんなに難しい言葉は言えねーよ。まあクイズを解くみたいに楽しめば良いんじゃねーの?」
「そうですね」
少女は明るく笑うと、また頭を下げた。
「本当に本当に大切にします。宝物にします」
 
 
 
 
 自分はこんなに幸せで良いんだろうか。それまで部屋のお気に入りはハートのクッションと大きなテディベアだったけど…何度も悩みを聞いてくれた友達みたいな存在だったけれど…今となってはその地位が格下げになるのも仕方なかった。ホワイトデーに部屋へと持ち帰ったのは彼女がずっと欲しかったものであり、ずっと片思いしていた人からの贈り物なのだ。
(ゼフェル様…)
アンジェリークはそのままベッドに倒れると、ギュッと人形を抱きしめた。
 親友になったレイチェルにもずっと言えずにいたことだ。彼への想いは初めて逢った謁見の間から始まったのだ。自分をジーッと見ていた紅の瞳。あのときは緊張していて軽く微笑む事しかできなかったけれど。もちろん全てが順調にいったわけではなかった。口調の激しい彼から厳しい言葉をもらったこともある。でも少しずつ歩み寄るたびに彼女の心は喜びに震えた。
「ゼフェル様…」
今度は思い切って名前を口にしてみる。すると…。
『ナンダヨ』
抱きしめていた人形から声がする。初めは何があったのかわからずに部屋を見回したが誰もいない。
「ゼフェル様?」
『ナンダヨ』
人形のお腹あたりから軽い機械音がしてくる。間違いなく送り主が仕掛けたものだ。
「まさかキーワードって…ゼフェル様?」
『ナンダヨ』
彼自身の名前を呼ぶことが一つ目のキーワードだったのだ。嬉しさが瞼を刺激して、いよいよ涙が止まらなくなってくる。
「ゼフェル様」
『ナンダヨ』
「大好き…」
すると先程とは違う感じの軽い機械音が聞こえてきた。
『オレモダ』
 
 
 
 同じ頃、自分の家でもう一人の幸せ者が昼間を思い出しながらニタニタしていた。
「来年は何をやろうかな」
ーどうぞお幸せに。
 
 
 
 
END
更新日時:
2002/09/02
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Last updated: 2010/5/12