ANGELIQUE SPECIAL2

2      DEAR…
 
 
 
 
 
 いつもと変わらないはずの聖地の夜、しかしその隙間に浮かぶ予感が彼の胸からずっと離れない。いつもなら別世界へと誘ってくれる本の世界も、ただ苛立ちを具現化させるものでしかなかった。
「はあ…一体どうしたっていうんでしょうねえ。いや、本当はわかっているはずですよ。そんな中途半端な付き合いはしていませんから」
 数日前に起こった聖地の長い歴史の中でも特殊な…それは事件と呼ぶべき出来事だった。それまで溢れるほどに感じられた鋼のサクリアが突然潮が引くように失われていったのだ。その主は全てを急に失ってしまったという現実に耐えられず、大地に手をついて狂ったように泣きわめいたのであった。しかし子供のようになってしまった彼に声をかけてやれる者は誰もいない。
「ライオネット…」
 その日以来彼は宮殿に姿を見せることはなくなった。どうやら私邸の自室に籠もっているらしい。女王も予期せぬ事態を考慮して、次代の守護聖との引き継ぎを終えるまでの聖地の滞在を許可していた。しかし彼はそれを決して受け入れはしないだろう。
「もう二度と貴方と執務室で会うこともないのでしょうね」
 それどころか聖地の外でも…温厚な地の守護聖にしては珍しく、手にしていた本を乱暴に閉じてしまった。思い浮かぶのはまだ聖地に来たばかりの頃のことだ。気が強くて完璧主義だった彼にとって、おっとりしていてマイペースな自分は相当いらつく相手だったに違いない。しかしそれらが上手に噛み合ったのか、二人が親友となるのに時間はかからなかった。大らかで優しい緑の守護聖を加えた三人はいつも一緒で、それが永遠に続くと信じていた。いや、いつか別れの時が来たとしても、こんな突然繋いでいた手を離すような形など望んでいなかった。
 もうじき夜明けがやってくる。その時、屋敷の中で唯一灯りがついているであろうこの部屋の窓に小石があたる音がした。
「誰です?」
窓を大きく開け放ち、目を細めて私邸の庭を見おろす。植えられた木々の中でも一番大きな木に誰かが寄りかかっているのが見えた。
「ライオネット?」
「こんな夜更けにすまないな、ルヴァ」
「あー今すぐそちらに行きます。どうかそのまま待っていて下さいねー。いいですか、勝手にいなくなるのだけはやめて下さいよ」
 椅子の背にかけていたガウンを手に、転がるように外へ飛び出して行く。そこにはそんな自分を想像していたのか苦笑している親友の姿があった。濃紺の髪に金色の瞳の持ち主は、今日も藍色のマントに身を包んでいた。いつもと違うのが足下に荷物を置いていたことだ。ここ数日で旅支度を終えていたのだろう。
「行くのですね」
「ああ…サクリアを失った者がここにいるのも変な話だからな」
 日頃と変わらぬ照れくさそうな笑顔だった。ここ何日かで踏ん切りもついたのだろう。
「本当は誰にも言わずに出て行くつもりだった。しかしどうしてもお前に頼みたいことがあってな」
「なんですか? あーどうぞ遠慮しないで…おっしゃって…下さい」
胸を張って応えたいのに、語尾がどうしても涙声になってしまう。ライオネットはその友人の誠実な気持ちに感謝していた。
「一つは俺の跡を継ぐ守護聖のことだ。もっとも仕事については何の心配もしていない。俺も先代から一通り教わりはしたが、人に命令されるのが大嫌いな質だったから何一つ耳を傾けた覚えはない。それでも今までなんとかやってこれたからな」
ルヴァの口にようやく笑みが戻った。確かに彼の仕事ぶりは型破りだったが、在位中に宇宙は驚異的な発展を遂げたのだ。
「ただ突然目覚めたサクリアにとまどいを感じていないはずはない。どうか力になってやってくれ。俺の後継者なら相当な不器用者のはずだ」
「わかりました…貴方の代わりに…ですね?」
 二人はやがて明けゆく星空を眺めていた。思い出が波のように押し寄せてくる。
「本当はカティスにも頼んでゆこうと思ったが、奴にも交代の兆しがあるのだそうだ。それを考えたらお前にしか頼めなかった」
「そうですか。別れというものはどのような形でやってくるかわからないものなのですね」
「だから悲しまないで欲しい。俺は短気で我が儘だったから、お前に嫌な思いもさせてきたんだろうな。今更許してもらえるとは思っていないが…」
「何を言うんですか!」
滅多に出てこないルヴァの叫びに、ライオネットも口をつぐんでしまう。
「聖地に来たばかりの頃に、右も左もわからない私を引っ張って行ってくれたのは貴方ではありませんか。感謝することばかりで恨み言なんて何一つあるわけがないじゃないですか」
「ありがとう、ルヴァ」
 互いの手を握りしめて、余韻を感じながらゆっくりと手を離す。
「もう一つ、事のついでに頼まれてくれるか」
「何でしょう。どうぞ言って下さい。私に出来ることであれば…」
金色の瞳が一瞬閉じられ、再び優しい視線で見つめ返した。
「…ディアの事だ」
「なっ、本気で言っているんですか? 無理です…貴方にもわかっているはずだ。ディアにとって貴方以上の存在などあるわけがないんですよ。誰も貴方の代わりなど出来るはずがない」
 決して公にはされていないが、鋼の守護聖と淡い緋色の髪を持つ女王補佐官が密に愛し合っていた事を一部の者は気がついていた。ライオネットが狂ったように泣き出した理由がそこにあることも。
「それでもやってもらわなくてはならない」
「ライ…」
「おかしな感じだな。彼女は補佐官として本当によくやっている。だが俺には泣き虫で自信なさそうにしている女王候補にしか見えんのだ。ずっと側にいて支えてやりたかったのに」
 その言葉を聞いてルヴァは目の前から全てが消え失せるような絶望感に襲われた。彼が失ってしまったのはサクリアだけではなく、これまで生きてきた全てを突然取り上げられたのだ。それを宇宙は自らの意志だと言い切れるのか。運命だと切り捨ててゆくのか。なんの罪もなくただひたすら宇宙のために働いてきたこの魂に、これ以上残酷な試練を与える必要はあるのか。そしてそれはいつか自分自身にも降りかかるかもしれぬ悲しい現実だった。誰にも言わずに出てゆく彼を一体誰が責められるだろう。
「どうか…どうか元気で。あなたは無理をしやすい人ですからね。この地でいつまでもあなたの幸せを祈っています」
涙声のまま、ようやくそれだけが言えた。
「お前も…元気で」
それが親友同士の永遠の別れとなった。
 
 
 
 
 夜がゆっくりと明けてゆく。自室で研究に没頭している時、時間を忘れて何度この美しい朝焼けを見ただろうか。初めて聖地にやって来たのはまだ幼い子供の頃だった。特に光の守護聖とは事あるごとに衝突を繰り返してきたが、全てを失った今だからこそ、その時のお互いの痛みがよく分かる。
「最後なんだから…もっと色気のある事を思い出したかったがな」
 苦笑を浮かべたまま歩みを進めてゆくと、懐かしい正門の前に立った。簡単な荷物を肩に担いで真っ直ぐに前を見る。そこでライオネットは信じられないものを見た。純白のショールに身を包んだ一人の女性が門の前に立っている。朝日を受けて緋色の髪が目映い光を放った。
「ディア?」
「ライ…」
手にしていた荷物が地面に落ちる。そのまま身動きの出来ぬ恋人に、彼女はゆっくりと近づいて行った。
 
 
 
 
 
 その日の午後、若き鋼の守護聖は一人の少女と一緒に庭園で過ごしていた。どちらかと言えばきつい表情の彼が照れくさそうに笑みを浮かべ、隣に立つ栗色の髪の少女も穏やかな様子で彼の言葉に相づちをうっている。周りもその二人が守護聖と女王候補だということを知っていながら、それでも微笑ましいと思わずにいられなかった。それだけ二人の雰囲気が他人ではなかったのだ。これまで過ごしてきた別々の17年間を語るには時間の方が無慈悲なほどだ。
 二人はそのまま東屋に入り、白い薔薇が咲く中に腰を降ろした。
「一休みついでに、オメーにちょっと話をしてやるよ」
少女は首を傾げはしたが、すぐに素直に頷いた。ゼフェルが話してくれたのは、自分の前に鋼の守護聖を務めていた男の事だった。本人も詳しい事情は聞いてはいないが、その交代については色々な事があったらしい。『急に力がなくなった』『そのまま行方不明になった』という言葉を耳にするたびに、アンジェリークの体もキュッと固くなる。たった一人で無理矢理聖地に連れてこられたゼフェルも初めの頃は怒りをぶつけていたものの、今はその辛さを相手に重ねて思いやる余裕が生まれているらしい。
「いなくなる直前に狂ったみてーに泣いてたって話だし…きっとすっげー繊細な奴だったんだろうな。今どうしてんのかちょっと心配だぜ」
 爽やかな風が二人の間を吹き抜けてゆく。こんな時は一体なんと言えばいいのか。アンジェリークは言葉を探りながらこう言った。
「大丈夫ですよ、きっと」
「なんだそりゃ」
「だってこんな遠く離れた聖地で、こんなに心配してくれる人がいるんですもの」
全てを失ったとしても、また新しく始めることは出来る。虚無の空間から生まれた宇宙を育てる彼女はそれをよく知っていたのだ。
「…だったらいいけどな」
 ゼフェルは立ち上がると天に向かって大きく伸びた。
「カフェテラスにでも行くか。おごってやるぜ」
「いいんですか?」
「嫌なら言わねーよ」
アンジェリークも立ち上がって、先を行く相手を追いかける。
「待って下さい、ゼフェル様」
「ったく、とろくせーな」
それなのにちっとも迷惑そうな顔をしていないゼフェルも、この光景が数年前の聖地で実際にあったことだとは知らなかった。
 
 
 
 
END
 
 
 
 
コミックス8巻で外伝として語られていたクラヴィス様と前女王の恋物語…の横っちょで語られていたディア様の恋ですが、実際に迫っていたのが鋼様だったとしても、彼女の本命は地様のようでしたね。ただ私の世界ではラブラブ一直線な展開となっています。その為鋼様の名前も容姿も変えてしまいました。だって『ライ』って名前がシンプルすぎてなにかをくっつけたくなったんだモンッ。あと個人的に彼は長髪のイメージがあったもので。今ではコミックスと完全にはなしておいて良かったですわ。それにしても好きな女の子に手作りのオルゴールを贈るのは鋼の守護聖の特権か? おそらくライの前の守護聖もやっただろう。ゼフェルの次代もやるに違いない。
決して出会うことのなかった二人の鋼様ですが、もし会っていたとしたらどうなっていたでしょうね。気性の激しい者同士、十中八九はぶつかっていたでしょうが、意外とおもろい師弟関係になっていたかもしれません。例の地下室で酒と煙草とジュリアスの弱点を叩き込まれるに1000点。(そして確実に増殖するヤサイ同人誌…)
更新日時:
2003/04/19
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Last updated: 2010/5/12