ANGELIQUE SPECIAL2

1      たいせつ
 
 
 
 
 
 執務室の重い扉を背にして、少女は深いため息をついた。
「私ってそんなに嫌われているのかなあ…」
言葉と一緒に蒼い瞳から涙が出そうになる。なんとか瞼の奥にとどめたものの、胸を掴むような悲しみはどうしようもなかった。
「それでも私…」
その言葉が耳に届いた時、彼女はふっと我に返った。自分はなんのためにここにいるのか…手のひらで頬をパンパンと叩く。
「しっかりしなくちゃ」
思い切ったように、しっかりとした足取りで廊下を歩き始める。その音を部屋の主が切なげに聞いていたことを彼女が知ることはなかった。
 
 
 
 
 バカ・アホ・ボケ・タコ・すっとこどっこい・すかぽんたん…自分にどんな醜い言葉を浴びせたとしても、今の彼にはちっとも戒めにはならない。取り返しのつかないことをしてしまった現実も、すでに不器用というレベルの言動ではなくなっているのもわかっている。それなのに。
「なんでこうなっちまうんだ…」
 栗色の髪を黄色いリボンで結んだ女王候補とのことだ。大人しくて真面目な彼女は、天才と呼ばれるライバルにも臆することもなく順調に育成をこなしていた。初めは頼りなく感じていた面々も、今では良き理解者として見守っている。彼もその一人であるはずなのに、『よう、よく来たな』が『何でテメーが来るんだよ』となり、『なかなか頑張ってんじゃねーか』が『だーっ、面倒くせー』となり、『少し話していかねーか』が『とっとと行けよ。こっちは忙しいんだ』となってしまうのだ。そのたびに彼女に悲しそうな顔をさせてしまう。おそらく明日もそうだろう。明後日もそうかもしれない。彼女がここに来てくれればの話ではあるのだが…しかし本人はこんな毎日が嫌で嫌でたまらないのだ。いない時には待ちわびて、いる時には毒舌を吐いてしまう現実が。
 きっかけは女王試験の前日、すなわち謁見の間での出来事だった。金髪の女王が候補時代の笑顔のまま、女王試験の開始を告げたのだ。反論しようにも準備は整えられており、扉が開かれた向こうには2人の少女が待機している。新顔の登場をマジマジと見つめなかった者などあの場にはいなかっただろう。まだ若い鋼の守護聖も同様だった。
 一人は長い金髪の持ち主で、王立研究院の制服を着ている。女王を目の前にしても堂々とした態度を崩さないあたり、相当の自信家と見ていい。しかし彼女が自信満々に振る舞えば振る舞うほど、その隣にいた内気そうな少女の姿が浮かび上がってくる。深紅の瞳はその姿に釘付けとなった。儚さと強さが同居した不思議な少女だった。
 本人は自覚はなかったが、相当鋭い視線を浴びせていたのだろう。それに気がついた少女がフッと彼の方を振り向いたのだ。
(ゲッ、目が合った…)
その瞬間、少女は柔らかな微笑みを浮かべて会釈してみせた。まるでこの世界に2人しか存在していないかのように。
(あっ…)l
こうして鋼の守護聖の心はあっさりと盗まれ、未だ返してもらえる気配はなかった。
 
 
 
 
 胸の中にしっかりと彼女の余韻を抱きしめながらため息をつく。それが唯一自分を慰めてくれるとは何とも情けない話だ。
「何かありましたの?」
「別に何でもねーよ」
ここでハッと我に返る。自分は一体誰と話をしているのだ?
「ロロロロロロザリア、何でテメーがここにいるんだよ」
「失礼ですわね。何度もノックしましたし、呼びかけもしましたわよ」
試験に関する書類を届ける際、ゼフェルの執務室には直接補佐官がやってくる。以前はその役割をルヴァが行っていたが、大した目を通さぬままゴミ箱へやられることを報告され、女王が直々に策を講じたのだ。彼にとっては知りたいようで知りたくない情報を、もっとも厄介な人物の前で見せられることになったのである。
 ロザリアが書類の束を優雅な物腰で叩きつけた。理由が思い当たる訳ではないが、彼女は確実に怒っている。
「先ほど廊下でアンジェリークに会いましたの。こちらに育成のお願いをしに来たそうですけれど、随分と悲しい顔をしていましたわ。本人は必死に隠そうとしてましたけど」
「そーかよ」
「一体何をしたの…と聞くまでもありませんわね。私たちも貴方には随分と苦労した記憶がありますもの。まあ陛下も私も貴方に対して色々思えばそれで済みましたけれど、ただあの子には通用しませんわよ。云われたことをありのままに受け止めて背負い込む傾向がありますの。乱暴な言動であの子から笑顔が消えてしまったら、公開どころの話じゃなくなるでしょうね」
「ぐっ…」
図星であった。
「あの子は上手に親密度を上げていて、今ではジュリアスやセイランでさえあの子に夢中になっていますわ。手遅れになる前にご自身で何とかなさることね」
ロザリアの遠回しの助言に対するゼフェルの返事もどこか屈折していた。
「…女ジュリアス…」
「ぬわんですってええーっ」
 
 
 
 
 午後三時、女王執務室から無邪気な笑い声が聞こえた。
「そんなことがあったの」
「失礼しちゃうわ。親切のつもりで話したらジュリアス扱いされましたのよ」
「まあまあ落ち着いてロザリア…折角の美人が台無しよ」
そう言う女王の口元には、『いいなあ、私も守護聖つついて遊びたあい』とでも言いたげな笑みが浮かんでいた。
 女の子同士のお茶会には琥珀色の飲み物と補佐官お手製のケーキが並ぶ。
「でも仕方ないのよね。私たちにとってアンジェリークは特別なんですもの」
もちろん候補として特別視しているわけじゃないのよ…という言葉にロザリアは頷く。
「あの方によく似ているものね」
つい昨日のことのように思われる自分たちの試験…己の運命さえ霧の彼方だった毎日の中で、まるで姉のように親切にしてくれたかつての女王補佐官のことだった。しとやかで女性らしくその中に力強ささえ感じられた聡明な女性は、異なる個性の2人にも同時に尊敬の念を抱かせた。いくら礼を言っても足りないくらいなのに、試験そのものの結末故に言葉さえ交わせなかったのだ。子供過ぎた自分を悔やんでも遅かった。
「ずるい考えかもしれないけれど、アンジェリークにはたとえどんな道を選んだとしても幸せになって欲しいの。そうしたらこの宇宙のどこかにいらっしゃるお二人も幸せでいてくれるんじゃないかって信じられるもの」
 注がれる紅茶のお代わりを見つめながら、かつての女王候補たちは同時に呟く。
「それにしても…ゼフェルのどこがよかったのかしら」
「ゼフェルがどうしたというのだ…」
「きゃうーんッッ」
突然の背後からの声に、2人の体が飛び上がる。
「なんでもないのよ、クラヴィス…今コーヒー入れるわね」
「あー、私もお邪魔して良かったんですかねー」
「かまいませんのよ。お誘いしたのは私達ですもの。それより商人さんが美味しい緑茶を取り寄せて下さいましたの。よろしかったらご一緒にいかが?」
今日も聖地は平和であった。
 
 
 
 
 翌日、女王候補アンジェリークは鋼の守護聖の執務室で信じられない言葉を耳にした。
「オッ、オレ…オメーの事嫌いじゃあないぜ。だっ、だからもっと会いにこいよ…な。オレは別にどうでもいいけどよ、オメーオレに会いに…来たい…だろ…」
後半は一気にボリュームが下がった状態で、言葉にさえなっていない。それに気がついたのが、今度は次の台詞が大音量となってしまう。
「別に嫌だったらいーんだぜ。こっちだって暇な訳じゃないんだからな」
「そんなことありませんっ」
彼女は真っ赤な顔を下に向けたまま、それでもはっきりとこう言った。
「今日は…お話をしに来ました」
 
 
 
 
END
 
 
 
 
これから延々と書き続けるであろうゼフェル様とコレットちゃんの物語の基本となる内容にしたつもりです。双方で一目惚れだったんすね。私自身の中では『時間を掛けてゆっくりと好きになる』という世界もありますが、それでも一目惚れは常に下地にあるといった感じです。もう少しシンプルに書けるものかと思っていましたが、ゼー様のナイーブな心理を描写するのが面白くて、必要以上に長くなってしまいました。あと個人的に思い入れのあるクラリモ・ルヴァロザも一緒に書けて幸せでした。…となると一番の不幸者はジュリ様だな。私的には可愛くて大好きな人ですが、ゼフェル様にとっては厄介な人だから仕方ない。ロザリアにとっては…おそらく真の意味で彼をお尻に引けるのは彼女だけだと思うので、遠慮のない言い方になったのでしょう。
更新日時:
2002/11/21
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Last updated: 2010/5/12