3RD STORY

2      幸せさがして   ×桜井琉夏
 
 
 
 
 
 おそらく彼にはこういった物件に出会う運のようなものがあるのではないだろうか。新居だと告げられ訪れた建物を見て、凪沙はそんなことを思った。
「なんていうか…すごいね」
「うん。コウもそう言ってた」
 彼等が三年以上暮らしていたWest Beachも建物としては相当なものだったと思われるが、今回の物件もそれに負けず劣らずといった感じだ。しかし琉夏にとっては自分で出せるギリギリの予算金額だったろうし、相談に乗ってくれた不動産屋さんの心情を思うとクスッと笑みが零れてしまう。
「元々取り壊すか、それとも人に貸すかで宙ぶらりんになっていたらしくてね。どうせ借り手としては俺たちが最後だろうから好きにしていいんだって」
「それで『それ』を買ってきたの?」
琉夏がホームセンターの袋から次々と出しているのは色とりどりのペンキたちだ。
「壁を虹の色に染めちゃうの?」
「ああ…うん、それも悪くない。本当はヒーロー色にしようかと思っていたけれど、今更2色加えても変わらないだろうしね」
「もうっ、琉夏くんったら…」
二人は顔を見合わせて楽しそうに…そして幸せそうに微笑んだ。
 たとえ家が多少古かったとしても、壁を派手な色に塗り替えたとしても、ここが琉夏にとって『自分だけの家族』の第一歩となるのだろう。そしてそれは凪沙が共にあって初めて完成されるものだ。
「でもきれいに掃除したら快適に住むことが出来そうね」
「サンキュ。凪沙ならきっとそう言ってくれるって思ってた」
そう言った琉夏はバンダナで髪を被い、早速家の修繕に取りかかった。このように彼の両目をはっきりと見れるのは本当に久しぶりだ。
「ねえ、中を見てもいい?」
「どうぞー」
 古い木造建築の中は思ったよりも暗く、手探りの状態でなんとか電気をつけると初めてあたりの様子が見えてくる。
「中を虹色にするわけにはいかないしなあ…淡い色の壁紙や家具でも置けば雰囲気も変わるかな?」
家の中をウロウロしながら凪沙は独り言を口にした。まだ段ボールが数個乱雑に置かれているだけの空間だが、家具の配置などを考えていると楽しくなってくる。センスは別として、ここを戦隊カラーで染めようとした琉夏の気持ちがわかるような気がした。
「あれ…?」
 凪沙は慌てて近くの窓を開けると、鼻歌を歌いながらペンキと格闘している恋人に声をかける。
「琉夏くんっっ」
「ん?」
「ここの家、なんか電化製品増えていない? テレビとか、洗濯機とか、冷蔵庫とか…全て新品で揃っているんだけど。とても拾った物やフリマで買ったとは思えないんだけれど」
琉夏はペンキを塗っていた刷毛の手を止めると、恥ずかしそうに頬をポリポリとかいた。
「ああ…あれね」
「うん」
 本来なら『一緒に暮らす』ことを前提とした凪沙に真っ先に報告すべきことなのに、何故それを黙っていたのか。どうやら単なるサプライズではすまされない、言いにくい事情がありそうだ。
「この前、コウが父さんと母さんを連れてここに来てさ…」
「桜井のおじさんとおばさんが?」
「うん…」
次男坊が初めて一人暮らしをすると聞き、黙ってはいられなくなったのだろう。これまでは琥一が一緒だったが、近いうちに女の子が同居するとなれば尚更だ。
「この家の家賃を言ったら、父さんの方は納得していたんだけれどね。ただ母さんの方はそうもいかなくて」
この家を一目見た次の瞬間、母はそのまま家電量販店へと出向き、男たちに二の句を繋げさせぬままこれらを設置していったのだ。
「独立するのもこっちが勝手にやることだから申し訳ないってコウに言ってはみたんだけど…」
「だけど?」
「反対にこれらを拒否するのなら、この家ごと潰して新築にするって脅された」
 一瞬の空白…しかし凪沙はすぐにクスクスと笑い始める。自力で頑張りたいと思っている琉夏の気持ちも分からないわけではない。しかし幼なじみとして彼の両親のこともよく知っているだけに、遠慮のない(しかも決して不可能ではない脅しも込みで)言い方に大人の本気が感じられる。
「笑い事じゃないって」
「ごめんごめん」
「こういうことされてもさ、どうやって返してゆけばいいのか分からないんだよね」
代金を返して済むことではないし、だからといって全てを突っぱねるにはまた角が立つ。凪沙は双方の気持ちを想いながら新品の電化製品に手を伸ばした。冷蔵庫に洗濯機、掃除機にテレビをはじめとするAV機器に至るまで。
(おじさんもおばさんも、ここにきてようやく親子として琉夏くんと向き合おうって決めたんだろうな)
 桜井家の事情は複雑すぎて未だに凪沙にはまだわからないことばかりだ。しかし高校時代から琉夏の行為や言動に不安を抱くこともあった彼女には、今の両親の安堵した気持ちが痛いくらいにわかっていた。
「ごめん…みっともないよな。独立するときくらい親を頼りたくなかったけど」
「そんなことないよ。大事な次男坊を無心敗するおじさんとおばさんの気持ちわかるな」
「凪沙…」
「今までは琥一くんが一緒だったから安心していたんだろうけれど、でもまさか琉夏くんがここまでマイペースだったなんて思っていなかったんじゃない?」
 ここで凪沙が口にしたマイペースというのは、イコールずぼらということだ。はばたき学園での三年間でその姿を散々見せつけ続けた為、反論の余地もない。あーうーと言い訳を必死に考える琉夏を見て、凪沙はクスクスと笑った。
「大切に使わせてもらおう? 私も一緒に親孝行を頑張るから」
小さくガッツポーズをして照れたように赤くなる彼女を見ていると、自分がペンキまみれなことも忘れて抱きしめたくなる。
「凪沙は、それでいい?」
「うん」
「じゃ大半はまかせるね。ほとんどがキッチン用だし、全部凪沙のにしちゃっていいよ…俺には後で使い方教えて」
「ちゃっかりしてるなー」
「あははっ、まあね」
 琉夏は改めて刷毛を握り直すと、まだところどころに茶が残る部分に水色のペンキで大きな弧を描いた。まるでこれまで溜め込んでいた何かを吹っ切るかのように。
「ここを塗り終わったら一緒に買い出しに行こ。いつまでも空っぽじゃ冷蔵庫も可哀想だ」
「そうだね。野菜室も大きいし、料理の作りがいもありそうで嬉しい!」
凪沙の楽しそうな言葉に琉夏の手が再び止まる。
「…野菜…」
「まさか私が来たら好きなときに好きなだけホットケーキが作ってもらえると思っていたんじゃないよね?」
 がっくりと肩を落とす様子は、どうやら本気で思っていたらしい。でもそんな姿さえ可愛らしいと素直に思えた。
「ホットケーキいいいいいっっっ…」
「琉夏くんの為に心を込めて作るから! 早く出かけられるようにペンキ塗り手伝ってあげる」
「ホント?」
「うん。スーパーの中で手をつないで…まるで新婚さんみたいに、ね」
 
 
 
 
ここを訪ねた凪沙の両親が、新品の布団と家具一式を押しつけて帰ったのは、これから三日後の話。 
 
 
 
END
更新日時:
2010/12/07
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Last updated: 2011/5/25