3RD STORY

3      失くした1/2   ×桜井琉夏
 
 
 
 
 
 「わたし、なぎさっていうの。るかくん、おともだちになってね」
 
 
 
 
 廃墟特有の錆び付いたような臭いと、窓から吹き抜けてゆく潮風の感覚…それらを全身に浴びながら琉夏はゆっくりと目を開けた。ここで暮らし始めた僅かな時の中で不規則な時間が真っ先に身に付いたのだろう。いまいち不似合いな拾い物のベッドに倒れるように横になると、そのまま眠ってしまったらしい。時計はすでに午後を大きく回っていた。
「ああ…なんだ、夢…か」
 上半身を起こして金髪をかき上げると、そのまま口から苦笑が漏れてきた。とりあえず通う高校とバイト先が決まったことで心身共に安心したのだろうか。この心境を口にしたら世話好きな同居人にがっつり叱られてしまいそうだが。その本人は一度実家に帰って二人分の制服を受け取ってくると出ていったまま、まだ帰ってきていないらしい。
「なぎさちゃん…か」
琉夏は大きく伸びたまま再びベッドの上に倒れ込んだ。そんな中でも小さな女の子の声は彼を甘く包み込んでしまう。それはただ甘ったるいのではなく、明るくはつらつとしていて、自分の生まれた初夏の風のように爽やかでもあった。
 確か古谷凪沙…そんな名前だったと思う。自分たちとの関係は幼なじみという奴なのだろう。両親同士が知り合いで、子供の自分たちも自然と仲良くなって…あの頃はそれがずっと永遠に続けばいいと本気で願っていた。だからこそあの子は心の片隅にいつまでも生き続けているのだろう…引っ越してしまうと口にしてからもう何年も過ぎたというのに。
「今頃なにをしているのかなー」
明るい声がどうしてもわざとらしく感じられてしまう。彼女の引っ越し先を何度も両親に聞いてみたものの、いつも上手くはぐらかされてしまう。きっともう二度と会えないくらい遠くに行ってしまったのだろう。気がつけばそんなあきらめの気持ちを覚えてしまっていた。
「まあいいや。折角だからもう一眠りするかな」
「させるか、ボケ」
 琉夏の頭に鈍い痛みが走る。それが激しくぶん殴られたせいだと気がつくのに数秒かかった。相手は桜井兄弟と呼ばれている間柄の、いわゆる相方だ。
「つってえなあ」
「人に荷物持ち任せておいて何を言っていやがる。ほら、てめーの分だ」
琥一が琉夏の膝の上に叩きつけたのは白い薄っぺらな箱だった。
「はば学の制服ね」
「あとはこれだ」
続けてどっかりと乗せられたのは重い紙袋だ。中に教科書一式が入っているのが見える。
「これで俺らも名実共にこーこーせーなわけだ」
それでも脳天気な弟の言葉に琥一は決して笑わなかった。これらを渡してくれた母親の姿を実際に見ているせいもあるのだろう。不良だった二人の息子が進学校であるはばたき学園に入学したことで、母も随分と安心したような顔をしていた。まさか二人同時に家を出てしまうとは想像していなかったに違いない。もちろん琉夏の心も『自分の気持ち』と『親への申し訳なさ』の間で常に揺れていた。わざと明るく振る舞っても、その本音は琥一には筒抜けである。
「飯にすっぞ。材料買ってきた」
「ん」
 一階にあるキッチンスペースで手早く料理をするのは琥一の役割だ。今も百円ショップのフライパンを駆使して焼き飯を作っている。いつの間にこんな技術を拾得したのか…琉夏はその鮮やかな手さばきを感心しながら見ていた。自分ならホットケーキがせいぜいだろうに。
「コウは…さ」
「なんだ?」
「古谷凪沙ちゃんのこと、覚えてる?」
焼き飯を翻す腕が止まった。我が兄ながら随分と分かりやすい。奴にとっては可愛かったあの子は初恋の相手だろう…それは自分も同じなのだが。少し生意気でおませなクラスメートの少女たちとは違い、おっとりとした素直な性格のあの子は自分たちのお姫様だったのだ。
「なんだよ、急に」
「別に。思い出しただけ」
呆れたような声は、照れている気持ちをごまかしているのだとわかる。
「今頃なにをしてんのかな。変わらずにいるといいけれど…こっちと同様にぐれまくっていたりして」
「…バカか」
「携帯にじゃらじゃらくっつけて、ばっちりメイクなんかしたりしてさ」
その軽い台詞もまた琉夏の照れ隠しにすぎないと琥一はわかっている。
「…会いたいか?」
 それは何気なく出た言葉に過ぎなかった。しかし背後から硝子が割れるような感覚を感じて琥一は慌てて振り返る。そこにいた琉夏の表情はひどく冷たい。まるで全てを拒否するような、そんな感覚だ。
「おいルカ…」
「会えないんだよ、コウ」
いくら愛想を良くしても決して分かり合えない強烈な壁…だがそれは同時に人を引きつけずにもおれなかった。そんな弟をほっとけぬままここまできてしまったのだが。
「なーんてねっ」
急に戯けたような顔を見せる琉夏の前に皿を叩きつけてやった。
「ふざけてねーでとっとと食え」
「はいはいはいっ」
 食事を終えて片づけを始める琥一の背中に向かって、また琉夏は語りかける。
「コウ…バイク使ってもいい?」
「あぁ!? まあ別に急ぎはしねぇけど、用事か?」
「まあね。ちょっとお散歩とか?」
反論の余地が出来ぬようさりげなくバイクのキーを取り上げる。自分の笑顔に琥一が逆らえないのをわかっててやっているのだ。
「ったく、勝手にしろ。あとわかってんだろうが…」
「喧嘩のお誘いは断るように、だろ」
折角入った進学校だ。厄介なことに巻き込まれての退学だけは避けたい。そのことは二人ともよくわかっていた。
「そういえばさっきのことなんだけれどさ…」
「あぁ!?」
わけがわからん…といった表情で振り返る琥一に、琉夏は少し切なげに微笑んだ。
「やっぱり凪沙ちゃんには会えないよ。俺はあの頃と比べて変わりすぎたからさ」
 
 
 
 
 
 
 バイクを目立たない場所に止め、琉夏は緑の茂みへと足を踏み入れた。小さな頃は奥深いジャングルのように思えた場所も、今では何の恐れも抱かなくなっている。教会も煉瓦の校舎も、今では背伸びをしなくても難なく見ることが出来る。
(変わらないな、ここも)
しかしそれは半分本当で半分は嘘だ。やはり数年の時を感じざるを得なかった。教会もつたが絡まって壁も随分汚れているように見える。はばたき学園の象徴でありながら、きちんとした世話はされていないのではないだろうか。もう二度と戻れない透明な壁があるように感じて切なくなる。こうしていると小さな三人の声が聞こえてきそうな気がするのに。
 しばらくぼんやりとしていた琉夏は、突然人の気配を感じて我に返る。カサッという小さな音は草を踏む人間が近くにいるということだ。自分一人しかいなかった筈の世界に誰が…と言っても仕方ない。もしかしたら自分たちのように子供が迷い込んできたのかもしれないと、琉夏はその場を振り向いてみた。
「どうしよう…ここまでどうやってきたかなんて、よく覚えていないし」
女の子特有の可愛らしいため息だ。それは一瞬で琉夏をあの頃へと引き戻してしまう。
(どうし…て…)
 まるであの夢の続きを見ているようだ。茶色いサラサラとした髪、潤んだかのような大きな黒い瞳、小さな細い手は握りしめていれば怖いものなんてなにもなかった。琉夏は胸の中で弾けそうになった何かを必死に押さえた。あの頃の自分自身までもが溢れ出てしまいそうになる。
(駄目だ…今ここから出ては駄目だ)
ほとんど変わっていない彼女と比べて、今の自分はどうだろう。気づかれないどころか怪しまれるのがせいぜいだ。
「困ったな。引っ越しのどさくさで携帯を持ってくるのも忘れちゃった」
 引っ越し? またこの土地に戻ってきたというのか。どうやら目の前の彼女は幻ではないらしい。しっかりしているようでどこか抜けている性格も変わっていないようだ。こういう時琥一ならどうしただろうか。結局自分等にはこの子DNAが刻まれているらしい。
「今はだめだ」
「えっ…」
「鍵がかかっている。中には入れないよ」
 
 
 
 
END
更新日時:
2011/05/25
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Last updated: 2011/5/25