365 TITLE

        
7      コンプレックス   (柳生比呂士   同学年設定)
 
 
 
 
 
 
 学年でもトップクラスの秀才で
 有名な病院の跡取り息子で
 全国クラスのテニス部のレギュラーで
 性格も真面目で ものすごく親切で
 背の高い とてもハンサムな人…
 はたしてそんな人に 悩みなんてあるのでしょうか
 
 
 
 
 図書局に所属している日生新菜は、毎週水曜日の昼休みと放課後に図書室のカウンターに座るように決められていた。普通なら退屈きわまりないお仕事として敬遠されがちかもしれないが、彼女はこの日この時間を何よりも楽しみにしている。小さい頃からの読書家で将来は物を書く仕事につきたいと思っている新菜にとって、この場所は天国にも等しいのだ。新しく取り寄せた本は真っ先に見られるし、ここを通じての友人知人も多い。また図書室にやってくる人間たちを密かにウォッチングするのも楽しいものだった。
「本当にそれだけ?」
「えっ…」
 友人にそう問われてパッと振り返る。そこには意味ありげにニヤニヤ笑っている顔が幾つもあった。
「なあに、それ」
「だってあんたの本音なんてバレバレだもん。毎週どんなことがあってもここに座っている理由なんて、ねーえ」
その言葉に図書局の面々は一斉に頷いた。
「私はっ、だって本当にこの仕事が大好きでっ」
「今更何言ってんのよ。水曜日に必ずやってくる王子様が泣くよ」
そこまで言われた新菜の顔がボボボッと赤くなる。
「おっおおおおおうじさまって…」
「ごめん、紳士様の間違いだっけ」
「いやあああーーーっっ!!」
 静かな図書室に新菜の奇声が響き渡る。そこにいた生徒たちの視線が一斉にカウンターに集中し、みんなで慌てて新菜の口を塞いだ。
「はいはい、わかったから落ち着く!」
「…ごめんなさい」
その時図書室の重い扉が開き、一人の男子生徒が入ってきた。借りていた本を手にしてそのままカウンターに向かう。短い茶色の髪と眼鏡の彼は、もちろんこの学校の有名人である。
「何かありましたか?」
「やっ、柳生くん…」
新菜は友人たちの腕から逃れて、彼…柳生比呂士の前に立つ。
「ごめんなさい、なんでもないの」
「なら良いのですが。ではこちらの本の返却を」
「はっ、はいっ」
 その様子を見守っていた友人たちはさり気なく時計をチェックする。やっぱり…毎週変わらぬ時刻にやってくる律儀さは、紳士の名に恥じぬといったところか。それを知らないと思っているのは彼だけだし、本当にわかっていないのは彼女だけだ。丁寧に本を扱いながらカードに記入する姿を、眼鏡の向こうの瞳が優しく見つめている。
「おや…?」
「はっ、はいっ?」
彼の細くてしなやかな指がカードをさした。
「これは私のではなくて柳くんのものでは?」
真面目な性格の新菜だが、時にこうしてドジをふむことも多い。
「ごめんなさいっ。あれ? どうしたのかな…ごめんなさいっ」
「いや…」
決して責めているわけではないのに、新菜は顔を真っ赤にして首を縦にブンブンと振る。申し訳なさそうにしている比呂士の姿と重なって、2人の様子はぎこちなく見えた。
(これは…もしかしたら自覚しちゃったかな)
 新菜の変わり様は誰の目から見ても明らかだ。友人たちは『可哀相なことをしたかな?』と思いながらも、これから面白くなりそうだという本音は隠せない。
「そういえば新しい本が近いうちに入るという話が…」
「あっ、はいっっ」
「どうかしましたか? 顔が随分と赤いようですが」
「そんなことないですよっ」
「しかし…」
慌てて熱を計る為に彼女の額に触れようとした比呂士に、その後の図書館は貸し借りの状況ではなくなったことは言うまでもない。
 
 
 
 
 
 それから水曜日の様子が少しだけ変わってしまった。いつもカウンターにいた小柄で可愛らしい女の子が、突然そこに座ることを止めてしまったのだ。もちろん代理の生徒はいたものの、かつてと同じ状況とはお世辞にも言えない。いつも律儀にやってきていた少年も流石に心配するようになってきた。
「…それであんたはこれでいいの?」
「だって…」
カウンターでボソボソと話をしているのはあの新菜だった。どうやら仕事を忘れていたわけではないらしい。
「そりゃあ仕事ならいくらでも代わってあげることは出来るけどね」
「うっ、ごめんね」
「でも水曜日のたびに『日生さんはどうかされたんですか?』って聞かれ続けるのも結構しんどいもんよ? あんたは間違いなくここにいるんだから」
 なぜ新菜がこんなことをしているのか。その理由は簡単だ。彼女は友人たちの言った通りに自覚してしまったのである。紳士と呼ばれる彼に対する恋心を…。憧れていただけだと思っていたが、もうそれだけでは済まなくなっていることに初めて気が付いたのだ。
「だったら普通はここでアタックするとか考えるもんだと思うけどね」
「そんなこと出来るわけないもんっ」
カウンターの下でうずくまる姿がキュッと固くなる。小さい体が小刻みに震えていた。
「私なんかが好きになっちゃいけないんだもんっ」
「なんで…」
「だって柳生くんって凄い人なんだよ!? 本当に何でも出来る人なんだもの。スポーツは得意だし、勉強も出来るし、もの凄く優しくて、ハンサムで、本当に素敵な人で…」
 そこまで言い切って、またシュンと項垂れてしまう。世の中恵まれた人間というのは確かに存在しているものなのだ。
「でもずっとこのままでいるつもり? ヘタしたらあんた柳生氏と大学まで一緒って事も有り得るんじゃないの?」
立海大附属は中・高・大と、余程のことがない限りはそのままエスカレーター式に進学出来る。最終的に彼は医学部へと進むのだろうが、偶然に出会う確率は相当高いと思っていい。
「うわぁ、気が遠くなりそう」
「こっちもだって!!」
 その時友人がスッと椅子から立ち上がった。おそらくはカウンターの向こうに誰かがやってきたということだろう。
「貸し出しですか?」
「ええ。よろしくお願いします」
その相手の声に新菜の体がピクッと震える。
(柳生くんだっ…)
心臓の音が押さえきれないほどに高鳴ってゆく。でもいつもと変わらない口調にホッとしているくせに、心のどこかで物足りなさも感じていた。この気持ちを知られたくなくて避けているくせに、自分がカウンターにいなくても平気なのだと思うと悲しい気持ちになってしまう。そんなうちにカウンターでの作業も終わりを迎えていた。比呂士はいつもと同じように礼を言い、しかし最後にこう付け加える。
「伝言をお願いできますか」
「…モノによりますけれど」
 友人は何気なくそう言ったが、比呂士には見えないように指先で新菜の頭を突っついた。おそらくはこれから何かが起こるかもしれないと感じていたのだろう。
「そんなに難しい内容ではありませんが」
「一体誰に…」
「この下で話を聞いている方に」
ドキッ! 体も表情も一瞬で固まる。
(私のことだ! どうして…何故ここにいることを知っているの?)
「私のことを随分と素晴らしい人間のように思われているようですが、それを理由に避けられてしまうのは正直不本意ですね」
言い方こそはいつもと変わらないが、言っていることはもの凄く厳しい。新菜も反論は出来なかった。同じ事を自分が言われたなら本当に傷ついてしまうだろうから。
「好きな人に一喜一憂してしまう程度の人間なのですよ。まあその方にとっては下らないことかもしれませんが」
「ちょっと待ちなよ、柳生」
友人が更に続けようとする比呂士を慌てて止める。
「何です?」
「それをそのまま伝えたとしたらどうなると思う? 大泣きしてしまうことくらい、いつもあの子を見ていたあんたならわかるんじゃないの?」
 比呂士はその言葉に絶句する。自分が何故ここに訪れるのかを全て知られていたことに驚いたのかもしれないが。
「…それでも」
言わずにはおれないと思った。きっと彼女の頭は混乱していることだろう。もしかしたら自分が傷つけてしまったかもしれない。でも…。
「私はあの人にいつも通りでいてほしいと思っています」
比呂士は相手に深く頭を下げて、そのまま図書室を出ていった。
「…ですってよ」
「はいっ?」
 急に話を振られて新菜は立ち上がる。
「あんたねえ、一体なにがあったのかわかってる?」
「やっ柳生くんが私のことを怒っていることは充分に…」
「バカかーっ!! 柳生があんたに好きだって告白したことくらい、気がつきなさいっっ!!」
「えっ、ええーーーーっっ???」
またあの時のように奇声が響き渡る。しかし友人たちは今度は口を強引に閉じるような真似はしなかった。
「このまま柳生んとこに行って返事してくること」
「そんなこと出来ないっ」
「問答無用! いってこーいっっ!!」
小柄な新菜に味方はなく、そのまま捨てられるかのように図書室をつまみ出されてしまった。無論きちんとやることをやらなくちゃ入れてもらえないのは無言の約束である。でもこの場にいる全員は、新菜は今日はもう戻ってこないことを確信していた。
 
 
 
 
 
 図書室からポイッとつまみ出されたものの、そこに比呂士の姿は何処にもなかった。そうだろう…テニス部の練習は遅くまで行われている筈だ。自分を待ってくれているとは思えなかった。
(柳生くん…)
それでも彼を追わなくてはと思う。友人たちが言ったようにあれが告白だとは思えなかったが、それでも自分の不用意な行動で傷つけてしまったのは本当なのだから。
「やぎゅっ…」
廊下を曲がると生徒玄関の側で彼の大きな背中を見つける事が出来た。新菜の小さな声でもなんとか届いたらしい。
「日生さん?」
 改めて向かい合うと、どうしようもない恥ずかしさが込み上げてくる。声は必死といった感じなのに、肝心の言葉にはなかなかなってくれなかった。
「あのっ、私…謝らなくちゃって…」
流石の比呂士もこの行動には驚きが隠せなかった。期待していなかったというのもあるが、彼女がこんなに積極的には動けないことを彼は彼女以上に知っていたからだ。
「ごめんなさい…私、いっぱい柳生くんを傷つけて。私はただ恥ずかしくて…柳生くんに会うのもそうだけれど、なんかこんな自分が一番恥ずかしかったの」
俯くと涙が床にポロポロと落ちていった。その場に生徒がいたならば、比呂士が泣かせたと思われたかもしれない。
「泣かないで下さい」
「でもっ」
「私はあなたを泣かせるためにあんなことを言ったわけではありません。ただ…いつもの優しいあなたにまたお会いしたかったんですよ。水曜日に行けばいつでも見られたあなたにね」
 比呂士は新菜の涙をも受け止めるつもりでそっと自分の胸へと抱き寄せた。それは心の中に大切にしまっていた宝物を取り出すときの感じに似ている。しかし反対に新菜の涙はいよいよ止まらなくなってくる。
「ひっく、ひく…」
「まあ、ここで焦る必要もなさそうですが」
自分の胸にすっぽりと収まってしまう小さな背中をそっと叩きながら彼は小さく笑う。
「これからじっくり話の出来る時間が沢山出来そうですしね」
 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
顔が良く、頭も良く、運動神経も良く、性格も良く、将来も安定という庭球界でダントツトップの完璧超人のお話でした。そんな人だからあえて何も出来ないヒロインを設定する意地悪な管理人がここに。
余談ですが冒頭のモノローグ、当初は『学年一の秀才で』となっていました。でも実は成績自体は蓮二くんの方が上だと判明…個人的にはちょっとびっくりしたです。
 
 
 
 
イメージソング   『眼鏡越しの空』   Dreams come true
更新日時:
2005/01/28
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Last updated: 2010/5/14