365 TITLE

        
8      手紙   (天根ヒカル   同学年設定)
 
 
 
 
 
 鉛色の雲が空全体を覆う日の放課後、廊下を走るドタドタという音が聞こえてきた。
「新菜ちゃんッ、いる?」
窓からヌッと顔を出したのは…見上げるほどの高身長と、三種類もの整髪剤で整えられた長目のくせっ毛と、彫刻のように彫りの深い顔を持つ少年であった。
「ダビ? どしたの」
「今日テニス部休みっ。天気悪いからっ。だから今日は一緒にっ…」
その通りにテニス部に所属している彼だが、休みの連絡を受けてよっぽど慌てて走って来たのだろう。息が上がって言葉がしどろもどろになっている。
「そうだね。久しぶりに一緒に帰りたいね」
「ほんと?」
「うん。私もクラブさぼっちゃお。すぐに行くから、玄関で待ってて」
「わかったッ」
ほんの数十秒程度のやりとりの末、また廊下にドタドタという音が遠くまで響いていった。
「こらっ、廊下は静かにっ!」
「ぎゃあ」
 そんな彼こと天根ヒカルのニックネームはダビデ。ミケランジェロの有名な彫刻に似ているかららしいが…それを唯一『ダビ』と省略して呼べる日生新菜は、そんな声すら楽しくてたまらないらしく、さっきからクスクス笑っている。
「相変わらずだね、新菜の彼氏」
一部始終を見ていた友人たちが話し掛けてくる。
「そうだよね。いつも元気だし、明るいし」
にこやかにそう言う彼女には、恋人がそういう性格に見えているらしい。
「だからテニス部の先輩達にも可愛がられているんだよね。この前もバネ先輩とじゃれあってしたし」
(そんな風に見られていたのか、黒羽先輩は…)
彼も日々命がけでつっこんでいるのに…とは言えぬクラスメート各氏であった。
「だじゃれも上手でしょ? 『ジジィが食ってもババロア』って言われた時はツボにはまって三時間は動けないくらい笑っちゃった。この前東京の青春学園って人たちの前でも披露したんだって」
(披露しちゃったのかーッッ)
友人だけでなくクラス全体が苦悩の表情をしている理由を、新菜本人だけがわからない。変なの…と思いながらそれでも今日も彼女の最優先は彼氏なのだった。
「それじゃねー」
「…ばいばい…」
 
 
 
 
 天根ヒカルと日生新菜…普段なら共通点など何もなかった筈の二人が付き合い始めたのは今年のバレンタインがきっかけだった。入学当時から隣のクラスの彼に片想いしていた新菜は手作りのチョコレートを贈ったのである。
(あのっ、いちごのチョコレートが好きだって聞いたから…)
(俺にくれるの? 本当に?)
彫りの深いハンサムな顔がきょとんとしている。
(俺のこと好き? 好きだからくれるの?)
(えっ!?)
(もしそうなら両思いだって事?)
まるでたたみかけるかのように質問されて目の前が真っ白になって行くのに気がついてもらえなかった。でもその瞬間に幼い恋人同士になったのだ…今となっては良い思い出である。
 以来ちょっと変わった性格の女の子と相当変わった性格の男の子はそれまで喧嘩の一つもなしに平和にお付き合いをしていた。時には男子テニス部臨時部員として海遊びに参加させてもらう事もあるくらいだ。「それでどのくらい進展した?」と聞く後輩がいれば、「こいつイイ奴だからよろしく頼む」と頭を下げる先輩もいたりして、全国的に知られている面々でありながらも素朴で優しい人たちが新菜は本当に大好きだった。ずーっとこんな時間が続けばいいと本気で考えてしまうほどに。
「そんでさ、その時剣太郎がね…」
「うそっ、本当にー?」
手を繋いでうわさ話に盛り上がる相変わらず可愛い二人だった。もちろん彼の口からいくつものだじゃれが飛び出し、また眠れなくなりそうなほど新菜を笑わせてくれた。
「ねえ、ここ寄っていってもいい?」
ダビデが指したのは六角中の生徒御用達のコンビニだった。
「アポロチョコ切れたみたいだし、新菜ちゃんにも何かおごってあげるから」
「本当?」
こんな嬉しい誘いを断る理由なんてあるはずがない。二人は並んでコンビニの扉を開ける。
「いらっしゃいませー」
店員のちょっと脳天気な挨拶が耳にくすぐったかった。
 バレンタインの時に選んだチョコでもわかるように、ダビデは顔に似合わず甘酸っぱいストロベリー系が大好物だった。コンビニでの買い物も新菜が新製品をチェックするのに比べ、彼はスタンダードな小粒の苺チョコを必ず選ぶ。
「私これがいいなー」
「すみませーん」
支払いを済ませる為に鞄から財布を取り出そうとした瞬間、手がすべって下に落ちてしまう。床に鞄の中身の一部が飛び出してきた。
「あちゃ…やっちまったぜ…」
「大丈夫?」
二人は慌てて体を屈め、一緒に荷物の中身をかき集める。勉強道具は何一つ入っていないが、その分海の匂いのする宝物がいくつも見えた。
(あれ? これなんだろ)
新菜が何気なく手にしたのはガラスの冷たい感触だった。それは小さな掌に収まる程度の瓶であるらしい。その中身は何かが書き込まれたメモ用紙に見えた。
(どうしてこんな物がダビの鞄に入っているの?)
 彼の所有物には独特な物がいくつもあったが、これにははっきりとした違和感を感じる。もしかしたら他の女の子からもらったとか…新菜の脳裏に最悪の可能性のみがグルグルと回った。
「ごめん、新菜ちゃん」
上から聞こえたダビデの声にハッと我に返る。手にしていた小瓶を無意識に自分の制服のポケットに入れていた。
「ううん…終わった?」
「うん! これ新菜ちゃんの分ね」
新製品のアーモンドバーを手に乗せてくれる。その顔はいつもと変わらないように見えた。
「ありがと」
しかしいつもと変わらない笑顔が今の新菜には辛かった。決めつけているわけではないが…同じ笑顔を自分以外の人間に見せていると思うと泣きたい気持ちになる。
「どうかした? 元気ないよ…」
何故か見下ろす彼の方も泣きそうな顔をしていた。悲しみと罪悪感で胸がキリキリと痛む。
「なんでもないよ?」
「本当に?」
でもそれ以上は向こうの方も言えなかったのだろう。久しぶりの二人だけの放課後はなんとも後味の悪い雰囲気で終了することになった。
 
 
 
 
 階段をドタドタと登ってくる音が聞こえ、それからすぐに遠慮もなく部屋のドアが開けられる。
「ちょっと新菜、さっきからご飯だって言ってるでしょ! 彼氏とラブラブの直後に申し訳ないとは思うけど、さっさとすませちゃってよね…って、どうしたの?」
新菜よりも三才年上の姉が驚いたのも無理はない。妹はベッドの上にうつ伏せになりながらめそめそ泣いていたのだ。
「おねえちゃん…」
「何かあったの? 彼氏と喧嘩したとか?」
「…喧嘩だったらまだましな方だよう」
ベッドの上に姉妹は並んで座った。内心ホッとしたのだろう、新菜の涙はいよいよ止まらなくなってきた。
「もしかしたら、うっ浮気されたのかもしれない…」
「浮気ぃ?」
 姉は以前に紹介された妹の恋人の姿を思い浮かべる。背が高くて大人びた印象は最初だけで、実際は可愛い感じの普通の中学二年生だ。テニスのことは妹と同様によく分からないから割愛させて頂いている。
「信じられない…あのダビデ少年がねえ。何があったの」
「女の子からもらったっぽい手紙を隠して持っていたの」
枕元に置いていたのは例の小瓶だ。黙って持ってきたてしまった後悔も涙の理由の一つである。今頃彼が自分をどう思っているのか知るのが怖かった。
「本人に確認してみたの?」
「怖くて出来ないよう」
ウジウジしているのを見ているのは勝ち気な姉の性分ではないが、それでも相手が中学二年生なら仕方ないのだろう。思っていることがすぐ顔に出るタイプの妹を見てダビデも相当困惑しているはずだ。なんとかしてやりたいとは思うが…。
「だったらいっそのこと中身見てみる?」
「ヘッ?」
 それは考えたことがなかった。中身を捨てることも同様だけれど…でも本当にそうして良いのだろうか。
「余計に嫌われちゃうよ」
「まだ嫌われたかどうかは分からないでしように。いつまでもこうしてウジウジ泣いているつもりなわけ? ここではっきりさせておいた方が絶対にいいって」
「でも…」
「まったくイライラするわねー。ほらよこしなさいっ」
「お姉ちゃんっっっ」
抵抗しようとしたがあっさりと小瓶は奪われ、蓋を外して手紙を取り出す音が聞こえてきた。新菜はそれが死刑執行の音に聞こえて仕方ない。ダビデと一緒に過ごしてきた幸福な時間が走馬燈のように蘇ってくる。
(ダビ…)
 新菜は体をギュッと固くして俯きながら、それでも手紙を見ている姉の反応を待った。しかしいくら待っても言葉が降ってこない。その代わりにクスクスといった笑い声が聞こえてきた。
「お姉ちゃん…?」
「新菜、あんたって本当に幸せな子ね」
年上の女性らしく、彼女はふんわりと優しく微笑んでいる。さっきの悪戯っぽい顔はもうどこにもない。
「誰が浮気しているの? こんなに愛してもらっているのに」
そしてそのまま手紙と小瓶を妹に手渡して立ち上がる。
「ごはんはお母さんにとっておいてもらうから、じっくり堪能しなさいね」
「堪能って?」
「ラブレターよ、あんたへの」
 扉がぱたんと閉じられて、また部屋に静かな時間が戻ってきた。新菜は手紙と瓶をじっと見つめている。姉は気は強いが嘘をつく性格ではない。きっと本当に自分が誤解していただけなのだろう。
「ダビ…」
カサカサと音をたてて紙が開かれる。そこには見慣れた大好きな人の大きくてお世辞にも綺麗とは言えない字が並んでいた。
『僕は今、無人島にいます。どうやら乗っていた船が沈没して一人でここに流れ着いたみたいです。他には誰もいません。
でも海の生活は慣れているから心配はしなくてもいいです。魚も貝も豊富にあるみたいで食べ物に不自由はしていません。でも家族が心配していると思うので、この瓶を拾った人はどうか連絡を入れて下さい。
でも家族よりも先に新菜ちゃんに一番に連絡してもらいたいと思います。彼女は俺の世界で一番大切な人です。もしかしたらもうお嫁さんにもらっているかもしれません。新菜ちゃんは明るくて優しい子ですが、泣き虫で寂しがりなところがあります。俺がいつだって守ってあげなくちゃ駄目なのです。とにかく真っ先に彼女に無事だと話して下さい。よろしくお願いします。   天根ヒカル』
どうやら彼は一人で船が沈没した場合のシミュレーションをしているようだった。
 一体彼が何を考えているのかは分からない。でも不器用な文章からは恋人に対する深い愛情が込められていた。
「ダビのバカ…」
新しい涙がポロポロと零れてきた。それと同時に幸せな笑みもやはり止めどなく口から溢れてきた。
「…でも本当に大好き」
明日こっそりと彼の鞄に瓶を戻しておこうと決心する新菜だった。
 
 
 
 
 
 
 眠ろうかと思った時、自分の携帯電話が音をたてた。可愛いラブソングの着信メロディーは彼女の為のものだ。
「新菜ちゃん?」
「ダビィ〜」
「どうしたの? なんで泣いているの?」
思えば帰り道のコンビニから新菜の様子はおかしかった。体の具合が悪かったのなら簡単に電話してはいけない気がして遠慮していたのだが。
「俺何かした…?」
「ううん。何もしていないの。私がね、全部いけなかったの。ごめんね」
 ぐすぐすと泣きじゃくる彼女の声をそのまま鵜呑みにするわけにはいかない。
「何かあったのか話して。心配するよ…俺眠れなくなる」
「言えないの」
「言えない?」
「うん…でもね、ものすごく言いたいことがあって電話したの」
一体なんなのだろう。何故か彼の脳裏に最悪の展開のみがぐるぐると回る。何が悪かったのだろう…もしかしてコンビニで鞄を落とした時か? こんなみっともない彼氏なんていらないって言われたらどう立ち直れば良いのだろう。悲しみで死んでしまうことも出来そうだ。明日バネさんに思いっきり後頭部を蹴り上げてもらって、そのまま昇天してしまおうか。みんな今までありがとう…俺みんなと知り合えて本当に幸せだった。美味しい料理を振る舞ってくれた樹っちゃん、君はきっと食堂の良い跡取りになるだろう(次男だけど)。サエさんも俺のネタを先に言ったことを許してあげる。もう二度と人を許す事もないだろうから…『やっかいな立海』…個人的には結構キテいたダジャレだったんだけど。今夜中に遺書を書いておこう。新菜ちゃんの次くらいに大切だったネタ帳は相方のバネさんにプレゼントしたいと思う。これを見て時々で良いから俺のことを思い出して…。
「私、ダビの事本当に大好きなの」
「へっ!?」
 不幸のどん底にいた少年は、彼女の言葉にあっと言う間に救われて浮上する。
「新菜ちゃん…」
「だからお願い、大きくなったら本当にお嫁さんにしてくれる?」
なんとも罪な発言だ…別にバネさんの回し蹴りがなくても充分に昇天できそうだった。もし無人島に流れ着いた時も簡単に死ぬわけには行くまい。もしもの時は瓶の手紙を流して、助かったら真っ先に彼女に会いに行くのだ。
「もちろんっ。俺、新菜ちゃんと結婚出来ないなら死んだ方がましだっ」
「本当に約束ね。どんなことがあっても手を離したりしたら嫌だよ」
「うん。絶対に離したりしない」
まだ幼い二人の初めての喧嘩?は、わずか四時間ちょっとで幕を降ろしたのだった。
 
 
 
 
END
 
 
 
 
お初の六角から本命の彼でした。でもダジャレを言わないダビテなんてなあ…助けて界王様。
 
 
 
 
イメージソング   『出会った頃のように』   Every Little Thing
更新日時:
2004/05/21
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Last updated: 2010/5/14