365 TITLE

        
6      電話   (丸井ブン太   クラスメート設定)
 
 
 
 
 
 時計の針は憎らしいほどあっさりと日付を越え、とうとう7月27日はやってきてしまった。イライラするほど待ちこがれていたはずなのに、どこかでずーっと後々の事なのだと思いこんでいた日である。自室のベッドに寝そべりながら時計とにらめっこしている赤毛の少年…立海大附属中学三年の丸井ブン太はフーッと大きな溜め息をついた。いつもの明るくて気の強い彼からは想像もつかない姿だ。すでに歯磨きも終えたから…という理由でガムも噛んでいなかったのだが、本当の理由はそんな気分になれないからだった。
(別に疲れていないわけじゃねーけど)
試合の前日だからってゆっくり休ませてくれるほど親切な部ではないし、ブン太もそれを望んでなどいない。でもそれらの結果は数時間後にははっきりしているのだ。負けるつもりは微塵もなくても、見えない力が自分を押さえつけているような錯覚を覚える。
 何度目かの溜め息をついた後、机の上に放置していた携帯電話が可愛いメロデイーを奏で始める。それはたった一人の人物の為に用意されたものだった。ブン太はベッドの上から転がるように飛び出すと、慌ててそれを手に取る。
「もしもしっ」
『あっ…やっぱり起きてたね』
向こう側から聞こえるのは、まるで悪戯に成功したかのように笑う少女の声だ。
「なんだよ、それ…」
『流石の天才的プレイヤーも、決勝のプレッシヤーで眠れていないんじゃないかと思いまして』
まるで今の状況を見られていたかのように言われ、一瞬だけ息も止まってしまう。
「別にそんなことねーよ。ただぐだぐだ過ごしていたらこんな時間になっただけだろぃ?」
『はいはい、そういうことにしておこうねー』
 彼女の名前は日生新菜。ブン太とは同じ学校・同じ学年・同じクラスの他に、恋人という勲章を与えられた特別な女の子である。肩で整えたサラサラの髪と色白の肌、そしてクリクリとした大きな瞳が印象的な可愛らしい…かといって特別目立つような生徒ではない。世間では調理実習の時にブン太が女の子達の間を走り回って全て味見しまくった結果、一番美味しいクッキーを焼いたところを見初められたというのが通説になっているが、真実は二人の心の中にしか存在していない。
『なーんてねっ。本当はものすごく声が聞きたかったの。明日応援に行けたのならいいんだけど…』
 プン太も新菜からこの日は祖父の法事があって遠出しなくてはならないと聞かされていた。
「心配すんなって。後輩連中に撮影頼んでるからさ。新菜が望むんならすぐ隣で抱っこしながら解説してやってもいーぜ?」
『随分と余裕だなあ。決勝なんでしょ? 相手も相当な実力者なんでないの?』
「真田が青春学園とか言ってたなあ…」
『夕日に向かって走り出しそうな名前だね』
「試合中にやられたらたまんねーけどな。機会があればどんなもんか聞いてきてやるよ」
 新菜自身はテニスとは全く縁がない少女だ。ブン太と知り合わなければ一生関わりを持つことはなかったと断言しているほどである。100メートルを20秒台で走るという奇跡の運動オンチも災いしているのだろうが…しかしこういう時に何もかもを笑いの種にしてくれる明るい性格はありがたかった。
『それで明日はダブルス? 誰と組むの?』
「初っぱなからジャッカルと一緒」
『わーお、立海のトラブルメーカーが初戦なんだ。コートが破壊しないといいね』
「…言ってくれるな…」
共通の友人でもあるジャッカル桑原の顔を思い出して二人は大笑いする。しかし散々大笑いした後に新菜の口から出てきたのは深刻さを帯びた溜め息だった。
『ねえブン太』
「んー?」
『本当は、結構緊張しているんでしょ』
 それを聞いたブン太の体がビシッと固くなる。さっきまでの自分の心情をズバリと言い当てられたのだ。しかもそれは他の人間にわかって欲しいような、でも知られたくないような複雑な気持ちだったのに。
『あのねっ、でもそれが当然だと思うの。今年は中学最後の全国になるわけだし、幸村くんのこともあるし。真田くんの目もますます厳しくなっているみたいだし』
「新菜…」
『でもブン太は負けないよ。絶対に勝つ。だってブン太は周りを自分のペースに巻き込める本当の天才だもの』
励ましの一言に体がバネのように反応し、寝ていた体勢から勢いよく起きあがる。
「本当か? 本当にそう思う?」
『うん。でもそう思っているのは私だけじゃないよ。多分ジャッカルだってそれをよく知っている。その恐ろしさを明日は…熱血学園だっけ? その人たちも存分に味わうはずだもん』
「やりぃぃぃぃーーーっっ!!」
 嬉しさに思わずご近所さんの耳にも聞こえていそうな大声が出てしまった。隣の部屋にいる弟がドンドンと壁を打って注意してくる。でもそんなことを気にするようなタイプではない。
「明日さ、絶対に勝つぜ」
『うんっ』
「だからご褒美な♪」
『…どうしてそういう話になるの…』
彼の場合はいつだってそうだ。試合内容いかんで必ず甘いお菓子をおねだりしてくる。その責任は散々甘やかせてきた新菜自身にもあるかもしれないけれど。
「えーいいじゃん、新菜ー。にーなにーなにーなっっ」
『いちごのタルトとチョコチップクッキーでいい?』
「それに新菜ちゃんと過ごすロマンチックな夜も希望ね」
『ちょっといい気になりすぎです』
 
 
 
 
 
 今まで恋人の声を伝えてくれた電話はもう無機質な単なる物質へと戻ってしまった。それでもそれを握りしめる手の熱さが彼女の温もりと繋がっているような気持ちにさせてくれる。そっと唇に寄せて口付けするように小さく呟いた。
「サンキュ、新菜」
勝利の女神の祝福はもらった。まあ明日組む予定の相方にも恩恵を分けてやらないわけでもないが…あとはその時を待って、そして勝つだけ。
「だったらとっとと寝ちまおーっと」
先程までの不安げな姿はどこへやら。布団の中に潜り込んでから三秒後には気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた。
 
 
 
 
 決勝戦当日…いつも以上にテンションの高い今日のパートナーに、ジャッカルは何気なく声をかける。
「よおブン太、調子良さそうだな」
「あったりめーだろぃ。この試合が終わったら、俺にはストロベリータルトとチョコクッキーと生シュークリームが待ってんだよ」
(でかしたぞ、日生っ!)
…品目が増えているような気がしないでもないが。 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
ちょっと(?)遅くなりましたが、ブン太の誕生日を記念してとびきり甘い話をと思って書きました。舞台は関東大会決勝戦の前日。そして当日は彼女が予言したとおりに、ゲームはブン太から始まり、そしてブン太で終わるのです。
 
 
 
 
イメージソング   『マルシェ』   KICK THE CAN CREW
更新日時:
2004/04/29
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Last updated: 2010/5/14