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47      微々たる差   (乾貞治   女子高校生設定)
 
 
 
 
 
 青春学園中等部3年11組、出席番号3番、乾貞治…男子テニス部のレギュラーメンバーであり、徹底したデータ主義を誇るチームのブレーンでもある。常に逆光している眼鏡をかけているせいか彼の本心を知るのは難しく、それ故に一般生徒の中でも奇妙な噂が先行している場合が多い。特に彼を語る上で忘れてならないのが『汁』の存在だったが、実際に彼が作成するあの『汁』がはたして皆のことを考えているのか、それとも単なる嫌がらせなのか、チームメイトたちもよくわかっていないのだった。そんな彼が密かに隠し持つ秘密の最たる例はこのことだろう。それは…。
「もしもしっ、日生ですっ」
「…あまり慌てなくてもいいよ?」
「慌てているんじゃなくて、はしゃいじゃうの。貞治くんから連絡もらえるなんて久しぶりだしね」
「ここしばらく忙しかったから、会えるどころか連絡もしないで悪かったね」
 一応申し訳なさそうに言ってみたものの、電話の相手はあくまでも声を聞けたことが何よりの喜びであり、それを素直に受け止めている。
「でも電話をくれたってことは嬉しいお誘いがあると思っていいんだよね?」
「嬉しいお誘いになっているといいけどね。急で悪いんだけど、明日あいてる?」
すると向こうからクスクス笑う声が聞こえてきた。
「女の子に対して『あいてる?』なんて申し訳なさそうに聞いたら駄目だよ? 女の子っていうのは自分から時間を作るものなんだから」
「…何をするつもりでいる?」
「一日ちょっとだけ具合の悪いふりをするだけ。女の子だもん、いくらでも言い訳はきくしね…というかきかせる!」
「それはなかなか強引で素敵だね」
「女子高校生の団結力をなめちゃいけないなあ。よく友達が『彼氏以上に優先させるべきものなんてない!』って言いきっていたけど、今ならその気持ちよくわかるようになったのね」
 彼女が自分と同様にテニス部に所属していて、その中でも相当な実力者と認められていることは知っていた。こういう言い方をしていても、これが試合の前日ならそちらを優先させるだろう。簡単に休むことを明言しているのだから大丈夫なのかもしれない。だったらこれで後ろめたさともさよならだ。
「ねえ、たまにはそっちに行ってみたいな」
「青学に?」
「いいでしょ。こっそりと目立たないように校門の近くで立っているから」
「それは別にかまわないけれど…」
珍しいことを言うなとは思った。いつもならきちんとした場所で待ち合わせをしているのに、突然どうしてこんなことを言い出したのだろう。
(もしかして…)
「きちんとこっちまでこられる? 迷子になったりしないといいけど」
「大丈夫。それじゃ楽しみにしているからね」
青春学園中等部3年11組、出席番号3番、乾貞治…帰宅後にこんな内容の電話をかける彼は、現在二歳年上の女子高生と電車で二駅分の遠距離恋愛中なのであった。   
 
 
 
 
 自分の通う高校から電車に乗って二つほど駅を越えると青春学園に辿り着く。制服姿に鞄を手にした新菜はドキドキ響く心臓の音を周りに悟られぬよう、校門の前に立った。
「結構立派な学校なんだね」
こちらも当然放課後で、ここにいると沢山の生徒たちとすれ違うことになる。もともと高校生にしては童顔の彼女は、年下の彼らから特別興味を引くような目で見られることはなかった。しかし反対に新菜の方が奇妙な違和感を感じてしまう。
「なんか変なの。私も二年前は中学生だったんだけどね」
でもどうしてか…その頃が遠い昔のように思えてならない。そしてこの中のどこかに自分の恋人がいるのだと思うと、どうしようもなく胸がざわめいてしまう。知り合って間もない自分が知らない彼が確かにここにはいるのだ。初めは探偵気分だったものの、だんだんと本当に緊張してくる。
「貞治くん…」
 とにかくここに着いたのだと連絡を入れた方がいいと思った。おそらくはまだ学校の中にいると思うので、出来るだけ早く会いに来て欲しかったのだ。携帯電話を手にしながら校舎の方へと視線を向ける。
「あっ…」
背の高い眼鏡の少年を瞳がとらえる。たとえ離れていても彼の姿を見つけることは出来る。携帯を鞄に戻すと思い切って中に足を踏み入れようとする。すると…。
「えっ!?」
新菜は真っ先に自分の目を疑った。そこに乾貞治は確かにいたが、その後方を歩く女子生徒と楽しげに話をしていたからだ。
(なんで? どうして…)
 心の中で二つの気持ちが交差する。これが夢なのだと信じたい気持ちと、裏切られたと思う気持ち…のちに後者の色合いが強くなってゆくのは心の奥底である考えが常に存在していたせいだろう。
(その人わたしのなのに! 勝手に話し掛けたり触ったりしないで!)
そんな言葉が大きく出てきそうになるのを必死におさえる。同時に悔しいとも悲しいともつかない涙が零れてきた。彼の中にある世界はこの中学校が中心になっているのはわかっていた。メインはテニスなのかもしれないけれど、自分が知らない表情を一般の生徒が知っているのかと思うとどうしようもなく黒い気持ちが込み上げてくる。じゃあ何故自分からここに来ると言ったのか…もしかしたら確かめたかったのかもしれない。それでもかまわないと彼が乗り越えてきてくれることを。
 校門に寄りかかりながら泣きそうな顔をしている他校の女の子に、誰かが優しく声をかけてくれた。
「あの…大丈夫?」
「えっ?」
「具合悪いの? もしよかったら保健室まで案内するけど」
その人はこの学校の制服を着た背の高い男の子だった。頭はスポーツ刈りにしているようだが、前髪をわずかに長く垂らしている。しかしその眼差しはとても優しくて、本当に見ず知らずの自分を心配してくれているのがわかった。
「大丈夫です…ごめんなさい、迷惑かけて」
「いや、迷惑なんかじゃないけれど…本当に大丈夫?」
自分が引っ張って行った方が良いのかなとでも言いたげな表情に新菜の方が戸惑ってしまった。もし今ここで彼に見られたとしたら? そして女の子も一緒にいたとしたら…。
「ごめんなさいッ」
新菜はそのまま相手を振り切ると、そのまま走り去ってしまった。
「いいのかな…」
 残された少年は心配げに走り去った方向を見つめている。追いかけた方が良いのかと思ったが、相手はそれでも断り続けるかもしれない。でも真面目な彼にとってはなんとも後味の悪い別れとなった。
「大石?」
「ああ…乾か」
声をかけたのは自分が所属する男子テニス部のナンバー3である。
「どうした、そんな辛そうな顔をして」
「いや…ここに違う学校の女の子が立っていてね。具合悪そうだから思わず声をかけてしまったんだけれど…かえって驚かせてしまったみたいだ。悪いことしたなと思って」
「違う学校の女の子…?」
嫌な予感が乾貞治の脳内を駆けめぐる。すぐに必死といった形相で大石秀一郎の肩を掴んで激しく揺さぶる。
「その子、赤いスカーフと紺色のセーラー服を着ていた…」
「よく知っているな、乾。まさか待ち合わせていたのか?」
「それで? どこに行った!?」
こんな風に声を荒立てる貞治を大石は初めて見ると思った。若干後ずさりしそうになったものの、すぐに方向を指す。
「逃げるようにしてあっちの方に…」
「すまない」
大石の言葉が終わらないうちに貞治はもう指された方に走っていてしまった。ただ一人残された友人である彼は、ポカンとしながら見送るしかなかったのだ。
 
 
 
 
 
 ただがむしゃらに走ったとしても新菜のことを見つけられないのはわかっていた。彼女はここの地理にあまり明るくはない。きっとどこかで迷って唯一頼りになる自分からの連絡を待っているだろう。とにかく電話だ…携帯電話を取りだしてすぐに連絡をつけようとした。しかし…。
「電源切っているな」
返ってくるのは無機質な女性の声だけだ。とにかく冷静になれと貞治は自分に言い聞かせる。
(大石はまるで逃げるように去っていったと言っていた。だとしたらどこか途中で頭を冷やすために立ち止まっている可能性が高い。どこかの店か、公園か)
携帯電話で数分おきに連絡を入れながら新菜のいそうな場所を物色して歩く。なかなか電話は通じないが、それでも彼女がすぐ近くにいるような気がしてならなかった。
「新菜…」
 しばらくして貞治は自分の考えに間違いがなかったことを知る。住宅街が入り込んだ位置にある小さな公園…そこの子供用ブランコに座ってうなだれているのはあの新菜の姿だった。
「新菜!」
自分が思っているよりも大きな声が出たらしい。彼女はピクッと体を震わせて俯きがちに振り向いた。
「貞治くん…」
「探したよ。校門から逃げるように走っていったって聞いたから」
「ごめんなさい…」
「謝らなくてもいい。見つかって本当によかった」
本当に安心したのだろう、彼の言葉は包み込むかのように温かかった。声を出すと涙腺が刺激されて涙がどっと溢れてくる。こんな子供みたいな自分を見てなんて思われるのだろう。胸が掴まれるように痛んでくるとまた声が出なくなってくる。
「何かあった?」
ふるふると首を横に振るのが精一杯だった。
「俺、何かしたかな…」
「してないよ?」
「嘘ばっかり」
 小手先だけの言い訳など通じる相手ではない。まさか楽しいはずの時間をこのような形にしてしまうなんて想像もしていなかった。
「ごめんなさい、自分から行くって言ったのに。でも…どうしても中に入れなかったの。そうしたら校舎の前で女の子と話しているのが見えて」
「これのこと?」
目の前でヒラヒラと翳されたのは緑色の表紙の生徒手帳だ。
「これを落としたから拾ってもらったんだ。もしかしたらそれ見てた?」
「えっ…?」
「期待に添えなくて残念だけど、相手の名前くらいは知っていても特に面識があるわけじゃないよ。言い訳しているように聞こえるかもしれないけどこれだけははっきりさせておきたいから」
全ては単なる誤解だったのだ。相手はそれほど親しい人物でもなかった。新菜の顔がサッと真紅に染まる。
「ごめんなさい」
「いいよ。それにわかっていたからね、新菜が何を考えていたかくらい」
 貞治にとって誤解されたことは不本意だが、それでも真っ赤になる彼女の顔は可愛く見えてしまう。許すという声もこれまでにないくらい優しかった。
「知らないふりをしていたわけじゃないよ? ただ年のこととか、家が離れていることとかは言い出したらきりがないし、反対に新菜を傷つけてしまう可能性の方が高かったからね。今日も学校まで来ると言われた時はどのようにしようか随分と迷ったんだ」
本当はもっと落ち着いた時と場所を選んでするべき話だったかもしれない。しかし彼女が本音をさらけ出したのだ。それらを選んでいる余裕などない。新菜がここから逃げないよう、ブランコの前に立って鎖を握りしめる小さな手を包み込んだ。
「もし新菜が一緒の中学に通う同じ年の女の子だったとしたら…随分楽だったとは思うよ」
「楽…?」
「一緒に登校したり、授業や友達や部の話をしたりとかも出来ただろうな。でも俺にとっては今ここにいる新菜が好きなのであって、それ以外はあまり考えられない」
いつもは冷静そのもののような声にだんだんと熱がこもってくる。色々な気持ちが交差している中、それでも新菜は彼の次の言葉を待った。
「俺は新菜の為ならきっとどんなことだって出来るし、そういう自分でありたいと思う。でもね…残念だけど年を追い越すことだけは出来そうにない。だからこそ、きちんとその溝は埋めていかなくちゃならないんだろうなって思っている」
 すると突然鎖から貞治の手が離れた。新菜が驚いて彼を見上げると、ふわっと抱き上げられてそのまま腕の中に強く抱きしめられる。
「キャッ…」
「好きだよ。初めて会ったときからずっと」
全身でお互いの鼓動を感じる。新菜は息を止めて、それでも必死な気持ちで胸の中に顔を埋めた。
「新菜以上に大切な存在なんて有り得ない。もし存在していたとしても、そんなもの俺には必要ない」
「私もっ」
胸の中にたまっていた何かが砂のようにサラサラと音をたてて消えて行くのがわかった。それはきっとこれからも繰り返される事なのかもしれないけれど。でも…。
「きちんと言って?」
耳にかかっていた髪をそっとすくい上げて耳元で囁く。
「好き…」
「全然足りない」
「本当に大好きなの」
「もっと」
自然と新菜の口に笑みが浮かんできた。こうして何度も同じ言葉を言うことで、少しずつ心の溝が埋まっていっているのだろうか。ということは彼もまた同じ不安を抱いていたのかもしれない。
「ずっと…好き」
「ああ」
 
 
 
 
 新菜の涙が乾くのを待って二人は公園から道路へと出ていった。今回のハプニングで貴重な時間を失いはしたものの、それでも放課後を二人で楽しむ時間は充分に残っていた。もっとも限られた時が更に短くなってしまったと不服を言ったのは新菜ではなく貞治の方だったけれども。
「でもよくわかったよね」
「何が?」
「私が校門から逃げ出したってこと知っていたでしょ。もしかしたら遅刻しているとか、どこかに隠れているんじゃないかとか…そういうの考えなかったの?」
彼女に覗き込まれるのを感じながら、彼はその時の記憶をゆっくりと紐解いて行く。
「校門でね、誰かに声をかけられなかった?」
今度は新菜が考え込む番だった。
「そうだ! 親切に声をかけてくれたんだっけ…優しそうな人だったけど。坊主頭に前髪だけちょろっと垂らしたような変わった髪型してて…」
「その優しそうな人ね、テニス部の副部長だから」
「え゛」
 人は見かけで判断してはいけないとは思うが、テニス部というよりは真面目な生徒会役員か文系少年のように新菜には見えていたのだ。彼がボールを追う姿は想像がつかない…けれど、それは自分の彼氏も同様のこととは気がついていない。
「もしかして…やばくない?」
「何が?」
「学校で噂になっていなければいいんだけど」
別にそうなってもかまわないのに…貞治は新菜の慌てぶりを見て苦笑する。
「大丈夫だとは思うよ。大石はお喋りじゃないから」
「そう?」
「まあ、嘘を付けないタイプでもあるけれど」
「うっ…」
明日登校した時点でどんな風に声をかけられるだろうか。そのことを考えたらちょっと小気味いいような気がする。こんな可愛い恋人を見せびらかしたいと思わない方が彼にとっては不可解なのだった。自分のことに関してのみ鈍感なお姫様との日々は常にこんな感じなのかもしれないが…これからじっくりと時間をかけて教えたいことが山のようにある。そんな二人の日々を思いながら、貞治は恋人の手を強く握りしめた。
 
 
 
 
END
 
 
 
 
貞治はぴばー。出席番号適当ですみません。
 
 
 
 
イメージソング   『MELODY』   福山雅治
更新日時:
2004/06/06
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Last updated: 2010/5/14