365 TITLE

        
45      使用前・使用後   (ジャッカル桑原   後輩設定)
 
 
 
 
 
 思えば試合を目前にしてこんなに不安になるのは初めてのことだった。
「なぁにシケたツラしてんだよっ」
関東大会決勝…ダブルスを組む相手が本気で背中をどついてくる。それはいつものことだが、いつも以上に痛く感じるのは気のせいではないだろう。
「…るせーな」
「いい加減にしとけってことだろぃ? テメーが思い悩むなんて十億年は早ええんだよ」
口調はきついが、それを本気で出しているわけではない。親友に早く元に戻れというメッセージがそこには込められていた。
「…3日前のアレかよ」
「わかんねーよ、そんなこと」
 ここまで落ち込んでいる姿を見ていると、さっきの言葉は言わない方が良かったのではないかとブン太は一瞬だけ考えた。でも出てしまった言葉は戻らない。
「草試合をやったのは赤也であって、テメーじゃねーだろ。そりゃ真田に殴られたのは一緒だったけどな…でもだからってなにびびってんだよ」
「別にびびってなんか…」
「だーかーらっ、らしくねーって言ってんだよ!!」
結局ブン太は逆ギレしたままジャッカルの元を去ってゆく。しかし彼の乱暴な言葉にも自分に対する心配と思いやりが込められているのがわかるから何も言えない。もちろん言いたい放題言われてしまったのだから、頭を下げるつもりもないけれども。
(しっかりしなけりゃマジでやばいかも。俺らはここにただ試合をしに来ているわけじゃねえ。勝つために来ているんだからよ)
 しかし先程のブン太の言葉が戻らないのと同様に、口から漏れた溜め息も元には戻せない。
「そんな感じだからブン太先輩に怒られるんですよ」
「わーってるよ」
「そんなに不安になるくらい強いんですか? 青春学園って。女子じゃそんな名前聞いたことないですけど」
「まあ実力としたらこっちの方が上だろうけどな。でも初戦であの氷帝を…」
そこまで言いかけてジャッカルはハッと我に返る。一体自分は誰と話しているのか? ブン太ではないだろう…まるで鈴のようにコロコロとしている女の子の声だ。
「ニーナ!? なんでお前がここにいるんだ?」
「いやだなあ、ジャー先輩ってば。女子テニス部が男子の応援に来るなんて当たり前のことでしょ」
茶色の髪を後方で二つに縛った女の子がクスクスと笑っている。日生新菜…いつもジャッカルの後ろを追いかけてくる一年後輩のテニス部員だった。こんな自分に物好きな…とは思うが、無邪気な性格がどうも憎めなくてつい妹のように接してしまっていた。
「だからってここまで来る奴ぁいねーぞ。誰に通してもらった?」
「赤也です」
「なるほどな」
 でもジャッカルは彼女をここに連れてきた赤也の思いやりに気付かない。3日前の草試合…ジャッカルは唯一それを第三者として見つめていた存在だった。そして人が変わったようなプレイを始める越前リョーマを知っている。その驚異はそのまま青春学園への驚異へと繋がり、まるでこれから試合が行われるテニスコートに地雷が埋まっているかのような…複雑な心情を植え付けてしまったのだ。見えない不安に包まれたこの男を浮上させるにはどうすれば良いのか、本人以外のメンバーはそれを知っていた。
「今からちょーっと独り言言いますね」
「好きにしろよ」
「ハーイッ」
新菜はジャッカルの横に座ると、ギリギリ触れるか触れないかの位置まで寄っていった。独り言なんて言いながらやっぱり聞いて欲しかったんだろうが…とは言わなかった。
「私ね、ずーっとブン太先輩のことが羨ましかったの」
「はあ?」
「私はシングルスプレイヤーなんだけれど、もしダブルスだったなら…後ろにこんな頼もしい壁があったならなんだって出来るんだろうなって」
 ふと横を向くと、やはりそこには彼女の笑顔があった。今の自分の言葉に揺るぎない自信があるかのように。
「ジャー先輩がいるからブン太先輩も思いっきり出来るんだと思うんです。ブン太先輩が本気になったなら…ジャー先輩だって楽でしょう?」
「楽…なのかねえ」
「でも『ダブルスは二人でするもの』だって、先輩たちいつも言っているじゃないですか。その繋がりさえしっかりしていたなら相手なんて誰が来ても一緒でしょ」
 新菜の独り言はそこで終わった。言い過ぎたかもしれない…それでも言いたくてたまらなかったのというスッキリした顔をしている。
「勝利の女神を気取っているみてーだな」
「いけません? でもこんなこと言わなくてもジャー先輩は負けたりしませんけどね」
「ほう…」
「だってジャー先輩は私の目の前で一度もみっともない姿を見せたことはないもの」
ジャッカルは隣にいる女の子に初めて微笑みを向け、大きな手で頭に触れた。
「俺の手…震えているだろ」
「はい」
「それでもお前はまた同じことを言えるか?」
 頭の上にあった手はすぐに新菜の目の前に差し出される。これまでいくつもの勝利を収めてきた手を彼女はしっかりと握りしめた。まるで互いにエールを交換するかのように。
「もちろんです、先輩」
「だったらいつも以上にみっともねー真似は出来ねーな」
ラケットのカバーを外して、それを改めて握り直す。
「見ていろよ。ブン太がどれだけボールを避けたとしても、全て俺が拾ってやる」
「その調子です」
「…だからニーナ、お前は俺の為じゃなくて立海の為に祈ってくれよ」
ジャッカルは彼女にそう言うと、すでにベンチの前に向かっているブン太を追いかける。
「先輩、頑張って!」
返事の代わりに彼はラケットを大きく上にあげた。
 
 
 
 
 副部長である真田弦一郎と打ち合わせをしている二人を見つめながら、今度は新菜が深い溜め息をついた。
(どこかで辛いことがあったんだ…)
それがなんなのかはわからない。そして彼もそのことは決して口にはしないだろう。でも握りしめた手からはどこにもやりようのない不安が確かに伝わってきて、新菜を泣きたい気持ちにさせる。
(でも、それでも前を向いて立ち向かわなくちゃならないほどの存在なんだ…青春学園は)
それなら彼が『自分』の為ではなく『立海』の為に祈れと言った気持ちがわかるような気がした。そして自分が今ここで出来ることも…。
(どうかこのまま立海が無敗で全国に行けますように)
右と左の手を強く重ね合わせて目を閉じる。
(どうか中学テニス界の一番高い場所へ…あの人と一緒に行けますように)
 
 
 
 
END
 
 
 
ちょっと情けないタイプのジャッカルでした。でも彼女の一言で浮上出来るあたりは結構単純…でありながら、やっぱり強い人なんだと思われます。
 
 
 
 
イメージソング   『DIVE TO BLUE』   L’Arc−en−Ciel
 
更新日時:
2004/07/09
前のページ 目次 次のページ

戻る


Last updated: 2010/5/14