365 TITLE

        
43      約束   (手塚国光   他校生設定)
 
 
 
 
 
 全国大会を目前にした8月某日、立海大附属中学女子テニス部は突然一日だけ休みを頂くことになった。どうやらその日はとある事情で旧校舎を使用することが決定し、関係者として大勢の人間が出入りするらしいのだ。そんな中ではきちんとした練習も出来まい…そう指導者側が判断したのだった。
「でも急にそんなこと言われたってねえ…」
女子部部長の日生梨緒は苦い溜め息をつく。もちろん一日自由に使える夏休みは嬉しかったが、これまでずっとテニス漬けだったので一体何をしたら良いのかわからなくなったのだ。テニスをしなくても良いと言われると、反対にやりたくてたまらなくなるのはどうしてなのだろう(ちなみに彼女の頭の中に宿題という存在は最初からなかった)。
「とりあえず朝はゆっくりと寝て、午後から誰かに連絡してみるかな」
 そして当日、たっぷりと朝寝を楽しんだ梨緒は大きく伸びながら自宅の階段を降りてきた。
「おはよー」
「おはよう、ねぼすけさん」
そう声をかけてきたのは梨緒と同じ顔をしている女の子だ。日生新菜…彼女の双子の姉である。
「なあに、お出かけ?」
まだパジャマ姿の梨緒とは反対に、新菜は立海の制服を着て靴を履こうとしていた。
「どうしたの? 学校行くの?」
「部から雑用のことで呼び出されたの」
「雑用って…男子部は休みじゃないの?」
のんびりと言う妹に姉はクスクスと笑った。
「知らないの? 今日は男子の全国大会の抽選日よ」
「へっ?」
「今回も立海の旧校舎の講堂を使って行われるんですって。その仕度をするために行くの」
それは知らなかった…というよりも、聞き逃してしまっていたという方が正しそうだ。
「でも試合会場は東京にあるってのに、なんでわざわざ神奈川で抽選会すんのかしら。ご苦労な話よね」
「そういうつっこみは無しにしようよ、梨緒ちゃん…」
 梨緒は少しだけ考えると、出ていこうとする新菜を呼び止めた。
「私も行くよ。人手は結構必要なんでない?」
「でも折角のお休みなのに」
彼女が前日から張り切っていたのを新菜は近くで見ていて知っている。
「いいのいいの。実際は暇をなんとなく持て余していたんだ。すぐに仕度をしてくるから待ってて」
鼻歌まじりに部屋に戻って行く梨緒を新菜は唖然と見送った。本人は言った通りにすぐに着替えて戻ってきた。
「おまたせーっ、いこっ」
「でも本当にいいの?」
「いーのいーの。私も久しぶりに男子の連中の顔を見たいもの」
梨緒の笑顔に新菜は納得し、2人はバス停に向かって一緒に走って行った。
 
 
 
 
 
 立海大附属中学の旧校舎は、現在生徒たちの授業を受ける場としての役割はすでに終えている。しかし建物自体は立派に使用が可能なので希望や依頼があればすぐに提供できるよういつでも準備がされているのだった。特にスポーツの名門校らしく、今回のような大きな大会の抽選会場になることも珍しいことではなかった。もちろんそれだけの人数を受け入れるだけの広さは充分に確保されているのも理由の一つだろうが。
「掃除とか会場設定なんかの雑用にはやはり生徒の手を借りたいって言われたの」
「なるほどね」
 すでに男子部員たちも姿を見せている。男子部マネージャーである新菜はもちろん、女子部の部長である梨緒にとってもよく知る人物ばかりだ。意外にも退院したばかりの部長の姿もあった。現在は肉体を元に戻すリハビリに集中していると聞いたが、やはり抽選の結果は気になるのだろう。
「でも実際くじを引くのは真田なんでしょ?」
「梨緒ちゃんてば…」
新菜が小声で注意したが、梨緒の遠慮のない言葉に他の部員たちは苦笑する。
「まあね。俺も大丈夫だって言っているのに聞いてもらえなくて」
「やっぱりね。前から真田は幸村に対して過保護だって思っていたもん」
クスクス笑う2人の部長に背後から雷が落ちる。
「たわけ者がっ。あのような殺伐としたところに病み上がりの幸村を連れて行くような真似が出来るものか!」
「ほーらね」
「梨緒は真田をよく知っているよ」
 ごほっと咳払いをする真田を見て梨緒はぺろっと舌を出した。こういう関係は男同士に近い感覚なのだろう。
「でもそこがわかんないのよねー」
去年も確か抽選を行ったのはここのはずだ。全国の猛者が集まる瞬間を他の部員たちと一緒にこっそりと覗いたことがあった。その時の雰囲気は負の形で記憶に残っている。まるですれ違いざまに斬りかかろうとするかのようなビリビリとした雰囲気は自分たちの知らない世界だった。女子の抽選会は年に一度会える友人たちとの再会の場になることが多かったから…もし自分が真田の立場だったとしても、あの場所へ幸村を行かせる真似は絶対にしなかっただろう。
 1時間かかるかかからないかくらいの時間で会場設定は終了した。男子部員たちも次々と講堂から退散を始める。
「梨緒ちゃん」
「ん?」
「私たち部室に戻って結果待ちするんだけれど、一緒に行く?」
新菜の言葉は有り難かったが、梨緒はしばらく考えると首を横に振った。
「別な教室で全国から来た選手を見物させてもらうわ。なかなか面白そうだもんね」
「じゃあ何かあったら連絡くれる?」
「おっけー」
双子の姉妹は講堂の前で別れ、片方は新校舎に向かい、もう一人はレギュラーたちと一緒に男子テニス部部室へと向かう。途中梨緒は一度だけ振り返ったが、幸村と並んで最後の方から歩いて行く新菜を見て安心した気持ちになりフッと微笑んだ。
 
 
 
 
 今日は全ての部活動が停止になっているらしく、新校舎にも人の姿はなかった。そのせいか圧迫した熱い空気が直接襲ってくる。急いで自分の教室へと向かうと、窓際の席に座って大きく窓を開け放った。
「わあー、来てる来てる」
まだ会場設定が終了したばかりなのに、次々と見知らぬ制服の生徒たちが校門を潜っている。大半は時間に余裕を持って訪れた遠方の学校なのだろうが、やはりそれぞれに緊張は隠せないようだ。それを遠くから見おろすのはなんとなくだが気分が良い。それでも去年のように会場自体を覗きに行く勇気はなかなか出なかった。
 しばらく見ていると、関東代表の知っている顔が見えてきた。九州の2強から関東のダークホースヘと名を変えた男は、その決意を証明するかのように再び髪を金色に染めていた。幸運の女神に愛されているという山吹の名物男は、緊張すらどこ吹く風とでも言いたげに飄々としている。千葉から神奈川までやってきた一年の部長と三年の副部長も、ちょっとは遠足気分もあるのか楽しげに笑いながら話をしていた。そんな中、いつものように大きい体の後輩を従えて訪れたのは開催地枠というチャンスを得た学校の帝王と呼ばれた男である。その実力を裏付けるような強気な振る舞いが彼にはとてもよく似合っていた。
「あっ…」
 梨緒は一人の学生を見つけると小さく声をあげて立ち上がり、しかしそのままストンと座り込んでしまった。そこにいたのは関東の優勝校の部長なのだと以前に聞いた。優しくて真面目な、それでいてとても繊細そうな少年である。激戦の覇者とは思えないほど緊張で強張った顔をしていた。梨緒はその姿を見守りながら、それでも胸の中で釈然としないものも感じていた。
「国光…」
そこを歩く彼に何も罪はない。それに自分は立海大の生徒なのだから、望んでいるのは自分の学校の勝利だ。なのにこの場所に誰よりもいて欲しい存在は…。
「ここにいたのか」
突然の声に振り向く。教室の入り口に男子テニス部の部長が立っていた。
「幸村…」
「新菜が心配していた。梨緒がまた何か辛い思いをしているんじゃないかって」
 なんというタイミングで訪れるのだろうか、この男は。姉の恋人であり、梨緒にとっては性別関係無しで尊敬できる親友だった。自分のような単純な人間の本音などとうの昔に見抜いているだろう。
「連絡は来ているのか?」
「まあね」
名前をあえて言わなくても相手が誰なのかよくわかる。手塚国光…関東の覇者となった青春学園中等部男子テニス部の部長だ。梨緒とは幼なじみであり、付き合いの長い恋人同士でもある。現在は怪我の治療の為に九州に出向いていた。
「5分程度の電話だったとしてもあの男にとっては上等な方よ。1行のメールにだって必死なんだから」
「…惚気?」
「いいじゃん、たまにはね」
 それでも気がかりなことがないわけではない。彼は自分の体についての話を一切してこないのだ。自分は一体何を心配したらよいのだろうと、梨緒は別れてからの毎日を宙ぶらりんに過ごしていた。
「やっぱり間に合わないのかな…」
「体のことは自分の責任が大きいものだ。そんなこと好きな子にはなかなか打ち明けられないものだよ?」
「でも新菜がそのせいで苦しんでいたことは知っているでしょ」
「それは俺自身がこれから取り返してゆくことだ」
幸村は梨緒の背中を諭すように軽く叩いた。
「本当に辛い時は電話やメールさえ出来ないだろう。大丈夫…手塚はすぐに必ず戻ってくるよ」
 幸村がそう言い終わらないうちに梨緒のポケットに入っていた携帯電話が鳴る。たった一人の人がメールをよこした時に奏でるように設定した音楽だった。
「国光!?」
すぐにポケットから取りだして液晶画面を見つめる。相変わらずの1行だのメールだったが、そこには特別なひたすらに待ちわびていた一言が書かれていた。
「うそっ…」
泣きそうな声で小さく呟くと、梨緒はそのまま幸村に背を向けて教室から飛び出して行った。2人の様子を見に来た新菜と偶然すれ違ったが、それさえも目に入っていなかったらしい。床に落ちた携帯はそのまま幸村が拾い上げていた。
「梨緒ちゃん?」
 呆然と背中を見送る新菜の側に幸村がやってきた。
「精ちゃん…」
「大丈夫? 新菜」
「私は平気。でも一体何があったの?」
幸村はクスクスと笑いながら携帯電話を手渡す。そこには先程届いたばかりのメールがはっきりと見えた。
「手塚くん?」
「そう」
それを見た新菜は優しく微笑んだ。
「よかった…間に合ったんだね」
「そのようだね」
自分とお揃いの携帯電話を折り畳み、しっかりと胸に抱きしめる。そしてメールの内容を心で何度も復唱していた。
(今 立海大附属の門の前にいる    手塚国光)
 
 
 
 
 
 突然の再会は喜びよりも疑問に満ちている。『嬉しい』よりも『どうして?』が胸の中で渦巻いているのを感じる。でも一歩一歩駆けてゆかなくてはならない廊下や階段がもどかしくて仕方ない。もし本気で我を忘れていたとしたら、彼女は靴を履かないまま外へと飛び出していただろう。
(国光…)
涙が溢れてこないように必死に止めながら、梨緒は校門の前へとやってきた。メールが指示したその場所だ。門に寄りかかるような形で腕を組みながら立っているその人は…。
「国光!」
梨緒の叫びに彼が軽く振り向いた。青学のレギュラージャージと背負ったラケット…今にも試合を始めるかのようないでたちだ。
「梨緒…」
「なんで? なんであんたがここにいるの?」
 久しぶりの再会なのだから、もう少しロマンチックな雰囲気になってもいいように思うし、実際昨日までの梨緒も色々と考えていたものだった。しかしこの男からこんな不意打ちを仕掛けられるとかえって怒りの方が先に立ってしまう。
「私知らなかった…こっちに向かっているなんて教えてももらっていない! どうして? 一体何がどうなっているの?」
彼の帰郷は全て内密に行われていたことがわかる。青学の部長代理はすでに単独で講堂へと向かっているからだ。しかしだからといって同じ事を自分にされてしまういわれはない。正直、そこまで遠慮してしまう関係でありたくはなかったのだ。
「…すまなかった」
国光は一歩ずつ彼女に近づいて行くと、いつも怒らせた時になだめるのと同じようにポンポンと頭を叩いた。
「くにみ…」
「驚かせたかったのも本音だが、全てが急遽決定したことで打ち明ける余裕がなかった。ただ、抽選の日については新菜を通して幸村から連絡をもらっていた」
「あーいーつーらーッ」
 自分を驚かせてやろうと黙っていたのは新菜ではなく絶対に幸村の方だ。確かに驚きはしたものの、もう何がなんだかわからなくて、正直何も思い浮かんでこない。
「約束…しただろう」
「えっ?」
「忘れたのか? 帰ったら必ず最初に会いに行くと言っただろう」
彼は梨緒がここにいることは知らなかったはずだ。もしかしたらここでずっと自分が来るまで待っているつもりだったのだろうか。
「もしかして、驚かせたのは私の方…?」
「かもな」
国光の厳しい顔がフッと緩む。ようやく彼がここに帰ってきたのだと感じることが出来た。ただ厳しいだけでなく、優しくて不器用な幼なじみの姿だ。
「おかえりなさい…」
梨緒は国光のジャージの胸のあたりをそっと掴んだ。こんな暑い夏の日にしっかりとジャージを着込んでいるというのだけで泣きたい気持ちになってしまう。
「ああ…ただいま」
 そっと寄り添ってゆこうとした2人の間を電子音が阻んだ。国光がポケットに入れていた携帯電話である。梨緒はパッと彼から離れ、国光はそれを取りだして耳に当てる。
「はい」
『校門の前で堂々とラブシーンやっている最中に申し訳ないんだけれどね』
穏やかな口調で結構きつい言い回しをする者など、国光の周りでもそうそう多くはない。
「…幸村か」
その名前を聞いて梨緒は校舎の方へと目を向ける。真っ先に目に入ったのは先程まで自分がいた教室だった。そこには携帯電話を持っている少年と、自分と同じ顔の少女が並んで手を振っている。
『今、真田が抽選会を行う会場へと向かった。そろそろ始まるものだと思ったほうがいい…行くつもりがあるなら隣にいるお姫様に案内してもらいなよ』
国光は電話と梨緒を交互に見つめる。しかし彼女もどうやらこの電話の意味を悟っているようだ。
「色々世話になったな」
『気にしていないよ。ただ手塚、これだけは忘れないでいてもらおうか。万全な体調で全国に臨む人間は君一人なわけではない。少なくともうちの参謀と皇帝、そして可愛い次期部長をいたぶってくれた礼は俺自身がさせてもらうということだ』
 電話は向こうが一方的に切った。恐ろしい言葉を吐いたものだと思うが、それは敗れ去ったチーム全ての本音だろう。立海はそれまで追われ続けた立場から一転して、その力全てを自分たちへと叩きつけるに違いない。国光は唇を噛みしめ、スッと背を正した。
「抽選会の会場は?」
「旧校舎の講堂! こっちよ…急いで!」
梨緒は彼の聞き手をしっかりと握りしめ、そのまま走って復活の舞台へと導いて行くのだった。
 
 
 
 
END
 
 
 
 
以前『姉妹』というタイトルで手塚氏の話を書いたのですが、この話はその続編になります。前作のラストで交わした約束をこういう形で叶えてあげることが出来ました。正直原作の抽選の舞台が立海だったことがラッキーだったような。
 
 
 
 
 
イメージソング   『Heart』   福山雅治
更新日時:
2004/12/27
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Last updated: 2010/5/14