365 TITLE

        
42      真っ白な切符   (立海大付属中 レギュラーメンバー)
 
 
 
 
 
 
 すうすうと気持ちよさそうな寝息をたてて眠っている…少なくとも彼を取り囲む者たちの目にはそのように映った。
「おい…病院に連れて行かなくていいのかよ」
「かまわん」
しめらせたタオルを絞りながら不安げに呟く丸井ブン太の言葉を、真田弦一郎はあっさりと切り捨てた。
「これまで使いこなせぬまま眠っていた力を一気に放出させたようなものだ。放っておけばすぐに目を覚ますだろう」
 その力強い一言は立海大附属のベンチ周辺を安堵の空気で包み込んだ。しかし何故真田があの現象を『無我』と呼び、精通しているのかを疑問に思う者はいない。この場でそのことに気がついていたのは柳蓮二だけだろう。しかし彼のフッと軽く息をついて小さく首を振る程度だった。全国制覇への道はまだまだ遠い。ここで何かを振り返るのはまだ早いのだと心に言い聞かせながら。
 関東大会決勝…立海大附属と青春学園の試合はS3までもつれ込む大混戦となった。特にS2が巻き起こした嵐のようなその内容は、おそらく長きにわたって語り継がれることになるだろう。勝者は青学の不二周助。彼等はこの勝利で優勝への生命線を繋げたのだ。しかし周囲にその存在感を見せつけたのは、破れた立海大附属の切原赤也の方だったかもしれない。彼が未知なる力を見せつけたことで、ベンチも応援席も恐怖と興奮を押さえきれない状況になっていた。それは次に出てくる青学の選手も同様だった。しかし赤也は試合終了と同時に倒れたまま、目を覚ます気配を見せない。
「同じだ…あの時と」
「えっ?」
「突然何を言い出すんだよ、ジャッカル…」
 周りの視線を一身に受けながら、それでもジャッカルは赤也から目を離せずにいる。その表情は赤也よりもずっと顔色が悪い。
「何じゃい、その『あの時』ってのは」
「あの時…赤也が越前ってガキに負けた時の…」
何故ジャッカルがこれほどまで言いにくそうにしているのか、しかしそれでも言わずにいられないのか…メンバーはそれを瞬時に理解した。確かに今の赤也の様子は真田の腕にもたれかかりながら眠るあの時の越前リョーマの姿そのものだ。九州の二翼に数えられたあの橘桔平を大会の最短記録で破った切原赤也を軽々と破った男である。この中でジャッカルは唯一その試合の全てを見ていたのだ。圧倒的な力と恐怖…それがまざまざと蘇ったとしても可笑しくはない。今もあたりはも決してこのままでは終わらないような、ドロドロとした空気で満ちている。
「真田、このまま試合を終わらせるわけにはいかないのか」
 思いがけない一言に皆がジャッカルへと振り返る。王者の名を持つ学校に取っては有り得ない選択肢に違いないが、このまま負けてしまう可能性を考えた末の言葉なのだろう。真田が負けることは有り得ないと思う。しかしそれと同じくらいの確率で、これからの試合が無事に終わることも想像がつかなかった。
「ここで一旦引けば、少なくとも関東優勝の記録が途切れることはない。だから…」
このまま先の見えない道を行かせるのは忍びなかった。立海大附属という学校も、そして真田弦一郎という一人の人間もだ。
「…やめときんしゃい」
隣に立ってジャッカルの肩をポンと叩く者がいた。
「仁王…」
 その場で首を振っていたのは仁王雅治だけではなかった。彼の隣に立つ柳生比呂士はもちろん、丸井も柳も強く制するように見つめている。
「おまんの言いたいことはよくわかっちょるよ。でも今はそれを言ってはいかん…俺達の試合はとっくの昔に終わっとるんじゃ」
そして仁王の言葉を受け継ぐかのように、試合の仕度を始めていた真田が口を開いた。
「ジャッカル、お前ならどうする」
「えっ?」
「この立場に立っていたのが自分だとしたら、お前はどの道を選ぶ?」
いつもの真田からは想像もつかないほどに優しい声だった。ジャッカル自身は当然殴られるくらいの覚悟はあったのだが。 
「たとえどんな犠牲を払おうとも、人はその場に出て行かなくてはならぬ時がある」
 もうここにいる仲間たちに口出しする権利はなかったのかもしれない。試合を終えた者が出来るのは黙って見守ることだけ…ジャッカル自身は自分の発言を悔いてはいなかったが、仲間の言葉を受け入れる素直な心がそれを押しとどめた。
「すまねぇ、でも俺は…」
「わかっている」
彼の語る言葉は少なくとも、S1という名の戦場へと出向くその背中はいつも以上に大きく見えた。
 
 
 
 
 身につけていたレギュラージャージの上着を脱ぎ捨てると、冷たい風が自分の肉体に吹き抜けたような感覚を覚える。おそらくは体内の熱から解放されたことで一時的に涼しく感じられたのだろう。
「真田…」
ベンチから聞こえてくる不安げな声も、やがて周囲から巻き起こる『皇帝』コールにかき消されて行く。しかし本人はそれらを一切気にせずに、ひたすら真っ直ぐ前を鋭く見据えていた。コートの向こう側に向かおうとしていたのは自分より二歳も年下の小柄な選手であったが…しかし真田の目にはそれが一人の選手の面影と重なってゆく。自身にとっての最大の驚異であり、最も尊敬する選手であり…そして今、たった一人で病魔と戦っている唯一無二の親友の姿だった。
 
 
 
 
 
 ー幸村よ、俺の前に立ちはだかる存在は…まだお前一人だけでいてもらうぞ!ー
 
 
 
 
END
 
 
 
 
真っ白な切符=行く先の見えない未来…というイメージです。少し古いですが、関東大会決勝のS1直前のお話でした。こんなギリギリの場面に遭遇しても余裕というか、どこかほのぼのとしてしまうのはどうしてなんですかね。それは自信…というよりは信頼であってほしいと願っているわけなんですが。
 
 
 
 
イメージソング   『明日へのマーチ』   福山雅治
更新日時:
2005/08/01
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Last updated: 2010/5/14