365 TITLE

        
41      腕の中で   (柳生比呂士   同学年設定)
 
 
 
 
 
 人影まばらなバスの中で、脳天気な放送の声が聞こえてきた。
『アリーナテニスコート前〜』
ここで一番後ろの席でぼんやりと外を見ていた女の子…日生新菜はハッと我に返る。
「えっ? えっ? えっ? もう着いちゃったのー? わあーっ、降ります。降りますっ」
慌てて叫んで出口へと移動する。財布から小銭を出そうとする仕草さえ怪しげな彼女を、運転手も他の乗客も苦笑しながら見ていた。
「気を付けて」
「はいっ、ごめんなさい」
ペコッと頭を下げて走り去ってゆく女の子を背に、再びバスは走り始めた。
(もうっ、夜更かししすぎて寝坊だなんてバカみたいっ。これでヒロくんの試合に間に合わなかったら、本気で神様を恨むんだから!)
 そんなことを考えながら夢中で走っているうちに、今度は周りが見えなくなってしまったのだろう。前を歩いている見知らぬ人の背中に突っ込んでしまった。
「うわっっ」
「ごめんなさいっ」
その背中の主は隣に女性を伴った男性であるらしい。そしてその女性の腕の中には、まだ生まれて間もない赤ん坊がスヤスヤと眠っている。もしこっちの方にぶつかっていたなら…考えただけでブルブルと震えてしまう。
「大丈夫ですか? ごめんなさい、慌てていて…」
「まったく。気を付けてくれよ」
苦い顔をする父親を、隣にいた母親が微笑みで制した。
「大丈夫よ。良い子でねんねしているし」
 その場にいた者全てが小さな天使の顔を覗き込んだ。しかし本人は何も知らずにすうすうと眠り続けている。
「可愛い…ごめんね、びっくりさせちゃったね」
柔らかな頬にそっと触れ、そしてすぐにこの子の両親にまた頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「いいのよ、大丈夫だったのだから。あなたも試合の応援に来たの?」
「はい」
「青春学園の子なのかしら」
「いいえ…おそらく対戦相手の方だと思います。私、神奈川の立海大附属中学なんです」
俯きながら恥ずかしそうに言う彼女に、大人たちも好感を持った。
「お互いに良い試合になるといいわね」
「そうですね」
 ありがとうございました…と言って、女の子は再びパタパタと走り始めた。しかしその足取りは相変わらずどこか怪しげだ。
「やれやれ。あと2〜3回は転ぶか、ぶつかるかしそうだな」
夫の言葉に、妻はクスッと笑ってこう返した。
「周りが見えないほど夢中になっているのね。きっと試合に好きな男の子が出ているのよ」
 
 
 
 
 決勝戦が行われているコートの周りは、ものすごい人でごった返していた。昨年の覇者である立海大附属の試合を、それこそ全国の名だたる強豪も偵察しに訪れているのだと聞いたことがあった。その他にチアリーディング部や応援団の姿もあって…なかなかそちらへと行ける雰囲気にならない。内気な性格の新菜にとっては拷問に等しい状況だったが。
(ヒロくん…)
あちこちから沸き上がる歓声から、試合がすでに始まっているのだとわかった。
(一体どうなっているんだろう。立海が負けているのは考えられないけれど)
 とにかくどこかに知っている顔がないかと、あたりを見回してみる。すると直接コートの様子が目に飛び込んできた。
(ヒロ…く…ん?)
眩しいオレンジ色のユニフォームは間違いなく立海大附属のものだ。そしてコートの中にいる眼鏡をかけた少年は新菜の恋人の姿だった。
(どうして!? 一体何があったっていうの?)
新菜の表情がスッと青くなる。とにかく知っている人物に会って、真実を語ってもらわなくてはと思った。小さな体を無理矢理人混みの中にねじ込ませながら前に進んでゆく。すると何とかベンチの見える位置まで移動できた。
「丸井くーんっ、桑原くーんっ」
 微かな声はなかなか二人に届かない。それでもなんとなく呼ばれた気はしたのだろう…辺りを振り返ってみる。
「まる…い…くん、くわ…はら…く…ん」
どんどん小さくなってゆく声に、まずジャッカルが反応した。
「おい、あれ日生じゃねーか?」
「あん?」
確かに手を振っている小柄な少女は自分たちと同じクラスの者だ。二人は部員たちの間でもみくちゃにされかかっている新菜の方に走って、慌ててその手を引っ張る。
「ごっ、ごめんね」
「大丈夫か?」
「ったく、相変わらずとろいなお前は。今日は柳生の応援に来たんじゃねーのか?」
ブン太の言葉にハッと我に返る。
「そうなの! …ヒロくんは?」
「えっ?」
「ベンチにもいないの? 何かあったの?」
 新菜の大きな目からポロポロと涙が零れてくる。ついには両手でジャッカルとブン太の胸を掴んで必死に揺さぶり始め、二人は困ったかのようにお互いの顔を見合わせる。
「コートにいる…だろ…?」
関東大会決勝…その第2試合はすでに開始して数分が過ぎている。新菜の目当てである柳生比呂士というプレイヤーはテニスコートで試合中だった。しかし新菜は彼をピシッと指して叫んだ。
「違うの。あの人ヒロくんじゃないものッ」
「あんまり大声出すなって」
ジャッカルがなだめようとしたが、必死の形相で首を振った。
「ヒロくんは? みんなでヒロくん隠したの?」
「だーかーらー大声で叫ぶなって言ってんだろぃ? ここでばれたら今までのことが全部無駄になんだよ」
 先程から一緒にじたばたしている3人の前に誰かが近づいてくる。
「一体何してるんスか? 先輩たち」
呆れるかのような鋭い声…新菜の体にブルッと震えが走る。それは自分たちより一年後輩にあたる切原赤也のものだ。しかし彼女はこの少年を決して嫌ってはいないのに、強い苦手意識を持っている。内気で泣き虫で感情を上手にコントロール出来ない自分を、どこかで笑っているように見えるのだ。
「切原くん…」
「こんなところでパニクっているヒマなんてないんじゃないッスか? そろそろあんたの彼氏がぶちかます筈だと思うけど」
赤也はユニフォームのポケットに両手を突っ込んだまま、まるで小悪魔のように笑って見せる。
「…くるぜ? レーザー」
 次の瞬間、会場中に歓声が巻き起こる。その真ん中にいたのは銀色の髪を後方で束ねた方のプレイヤーだ。コート上の詐欺師、仁王雅治…誰もがその男だと信じて疑わない。しかし…。
「読んでいようと捕れない打球があるじゃんよ。ねえ、柳生先輩…」
隣で言う赤也の言葉さえ、新菜の心臓音がかき消してしまう。
「ヒロくん…?」
そこで初めてバラバラだったパズルのピースが一つにまとまる。柳生比呂士という選手は、彼らが言った通りにコートの上にいたのだ。
「ヒロくーんっっ!!」
 新菜は大きな声でコートに向かって叫んでいた。そして周りの人々を押しのけて、前に向かって走り出す。その瞬間にコートの中を一筋の流星が流れた。赤也がレーザーと呼んだ比呂士の技である。そういう圧倒的な驚異を手に、彼は立海でレギュラーの座を獲得したのだ。
「ヒロくーんっ!!」
 気がついたとき、新菜の体はフェンスに阻まれていた。ベンチには呆れたかのような真田の姿が見える。そしてコートの上では…。
「新菜さん…?」
恋人の叫び声を聞いて比呂士はふと我に返る。裸眼でもその小さな姿を捕らえることが出来た。そしてすぐ側であの男が髪をスッとかき上げ、ゆっくりと眼鏡を外す。
「やっぱ本物の『レーザービーム』はケタ違いの威力やの…柳生」
試合の全てに詐欺を仕掛けた男は、その口元に嫌みなほどの笑みを浮かべていた。
 
 
 
 
 その後の試合の行方を、新菜は他のレギュラーに混ざって一番前で見ていた。時には立海にとって目をそらしたい状況にも追い込まれはしたが…。
「大丈夫か?」
まるで今にも倒れそうな顔をしている新菜を支えるかのように、隣にいた男が声をかける。ジャッカルとブン太、そして赤也も定位置に戻って来ていた。
「柳くん…ヒロくんたち、勝つよね?」
「もちろんだ」
伏し目がちな参謀と呼ばれる男が素直に言った。
「柳生の放つレーザービームは、ゲームの流れをこちらまで引き寄せる力がある。たとえどんな不利な状況になったとしてもだ」
「うんっ」
 新菜は胸のあたりでしっかりと両手を重ね合わせる。そして小さな声で祈りを捧げていた。
「神様、お願いです…ヒロくんをどうか負けないまま全国に行かせてあげて下さい」
それでもコートへの視線は決して外さない。熱い眼差しを眼鏡をかけ直した彼だけに向けて。そして…。
 
 
 
 
 
 「ゲームセット!! ウォンバイ立海 6ー4!!」
 
 
 
 
 「落ち着きましたか?」
 「ヒロくんのバカァ。本当に、本っ当ーに心配したんだから!」
 「…すみません」
 「どうしてこんなことになったの? 仁王くんに弱みでも握られたの?」
 「…(ドキッ!?)」
 
 
 
 
 こうして泣き虫なお姫様は…優しい紳士の腕の中
 
 
 
 
END
 
 
 
 
やっと書けました柳生くんの話…でも本人よりもまわりのキャラが出まくってしまって申し訳ないです。ちなみにここに出てくる新菜は彼の腕にすっぽり入ってしまうくらいの小柄な女の子という設定になっています。
 
 
 
 
イメージソング   『NO MORE TEARS』   ゴスペラーズ
更新日時:
2004/08/30
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Last updated: 2010/5/14