365 TITLE

        
38      女帝   (真田弦一郎   マネージャー設定)
 
 
 
 
 
 桜がまるで幻のように散り、若い緑があたりを覆う頃、それは大志を抱いて学舎へとやってきた新入生が、日々の生活にようやっと慣れてくる時期でもあった。それは名門校と呼ばれる立海大附属中学でも変わらない光景だったが…。
「一体何があったというのだ」
一年生のわりに年齢以上の落ち着きぶりを発揮する少年は、母親手製の昼食をとりながら苦々しく言った。とにかく運動部の部長・副部長クラスの面々が、一人の生徒をめがけてあちこち走り回っているのである。
「ちょっと真田くんっ」
「何ですか」
「日生さん見なかった?」
 顔見知りの女子テニス部部長が窓から話し掛けてくる。
「…いや」
「そう、見かけたら絶対に私に教えてよ」
「わかりました」
しかし彼女らは真田弦一郎の返事を聞かないまま走り去って行った。本当ならば廊下は走るなと叫びたいところなのだが。
「おい、行ったぞ」
 弦一郎が机の下に向かって声をかける。するとそこから女の子がのそのそと出てきた。
「ごめんね、真田」
「突然ここに来てかくまえと言われたからそうしたまでだ。だが一体どうなっているのか、聞かせてもらえるのだろうな!? 日生」
そう…ここにいる女子生徒が、運動部連中から追いかけ回されている日生新菜という者なのだ。
「正直、本気でまいっているのよね」
 フーッと目の前で溜め息をつく少女のことを、弦一郎は小学生の頃から知っていた。明るくて人当たりの良い親切な性格をしている。成績も常に上位だし、物事にも実に積極的だ。もっともそういう性格の主でなければ、この男とここまで親しくはなれないだろう。
「なんか…みんな勘違いしているみたいなの」
「勘違い?」
「見た目がさ、もの凄く活発に見えるらしいのよ。よくわからないんだけど」
「…まさか…」
「私のことをスポーツ万能だと思ってんのよ」
弦一郎は言葉を失ったまま、口に手をあてて静かに横を向いた。
「あんた、今笑っているでしょ」
「すまん…だがお前の口からスポーツという言葉を聞くことになろうとはな」
「どーせ私は運動オンチよ。単なる見かけ倒しよ。いくらあんたに笑われたとしても、今更スポーツをやろうだなんて思わないわよ!!」
 ヤケクソ気味のその言葉も、最後の方は泣き声に近かった。流石の弦一郎も新菜が気の毒に思えてくる。
「だが、女子も体育の授業があるだろう」
「思ったよりオリエンテーションが長引いたのよ。その次は体操を覚えなくちゃならないし…そういうのって運動神経あんまり関係ないでしょ」
校内には新菜のことを知る生徒は大勢いた。しかし皆この状況を面白がっているようで、なかなか彼女の助けにはならない。こうして逃げ回っている間に風化するのを待つのが精一杯だった。
「事情はよくわかった。しかしいらぬ恥をかく前に、なんとかした方がいいのではないのか?」
「…わかっているんだけどさ」
 乗りかかった船だからと思うのか、弦一郎の態度も真剣そのものだった。
「素直に皆に打ち明けることは出来ないのか?」
「信じてもらえると思う?」
「ならば早めに他の部に入った方がいいな。別に運動だけが部活ではない。お前は小さな頃から華道や茶道を嗜んできたと思ったが」
日生新菜という少女は、運動は限りなく最低に近いものがあったが、手先に関しては人の遥か上をいっているところがあった。
「うん、それも考えたんだけれどね。でもお茶にしろお華にしろずーっとやってきたからこそ、今更部活でやるのもなぁって思うの。それに今回の騒動から逃げる為に部に入るというのも抵抗あるのよね」
「…ややこしいものだな」
「本当よねえ」
「お前のことだ! お前の!」
 なんとかしようと思っても、必ずどこかでつまづきが生じてしまう…打ち明けた側も打ち明けられた側もフゥと大きな溜め息をついた。
「なんとかしてあげようか?」
突然降って湧いたかのような声に、二人はパッと振り返る。窓から見えるその姿は柔らかそうなくせっ毛の穏やかな顔の少年だった。
「ゆっ、幸村!?」
「なんでお前がここに…」
「事情は聞かせてもらったよ。結構大変な状況みたいだね。でももし日生さえよかったら、なんとかしてあげられるかもしれないよ」
幸村精一の表情に微妙な黒さを感じたのは、この二人だけではないだろう。
「お前…何を企んでいる」
「いやだなあ真田。そんなに怖い顔するなって」
 二年後に副部長となる男に向かって、のちの部長はケラケラと笑う。そして次に気の毒な女の子の方を向いた。
「日生は運動神経とは別に、体力の方はあるよね?」
「人並み以上にね。だから余計な尾鰭がついて噂が流れるのよ」
「手先も器用だし、性格もしっかりしている。その上誰に対しても礼儀正しいよね。物覚えも相当良さそうだ」
よく見ているものだと二人は同時に感心する。幸村の語った新菜の美点は、家族によって半強制的にやらされていた習い事の数々のおかげでもあった。
「幸村…まさか日生にテニスをさせるわけではあるまいな?」
「そんなの無理! 絶っ対に無理だから!」
「俺、まだ何も言ってないけど。でも君らの言い分は、半分当たっていて半分外れている」
「「どういうこと(だ)」」
 二人に同時に詰め寄られても、ニコニコした表情は変わらない。しかしそれは爆弾が放たれる合図でもあった。
「男子テニス部の監督に頼まれていたんだ、優秀なマネージャーを入れたいってね。それで日生さえよければスカウトしたいと思って…」
「断る!」
大声でそう返事をしたのは弦一郎の方だ。
「なんで真田が…」
「先程日生もそう言っていた! この現状から逃げる為に部に入るのは間違っていると!」
勢いよく捲したてる弦一郎の横で、新菜は小さくこう言った。
「幸村…それホント?」
「まあね。でも本当に日生がよかったらって話だよ? 仕事はものすごくハードだしね」
「そうだ! 決して甘い気持ちで務まるものではないのだ」
「ありがとう! 私頑張るから!」
 新菜は目をキラキラさせながら、幸村の手をギュッと握りしめる。その時に丁度昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
「じゃあ放課後にね。真田に付き添ってもらうといいよ」
「うん、これからよろしくねー」
結局二人の間に弦一郎が入り込むのは出来なかった。
 
 
 
 
 
 
 放課後の男子テニス部部室にて、彼はいつにないほどの不機嫌な表情をあらわにしていた。
「今更どうなるわけでもあるまい。日生が自分で選択したのだから、それでいいだろう」
二人から事情を聞いた同じ部の一年の柳蓮二も、今回の件に満足している一人だった。しっかり者の女の子は顧問にも先輩たちにも可愛がられているようで、先程から少女たちの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。しかしそれが真田弦一郎を更に不機嫌にさせる要因なわけで。
「ほっときなよ、蓮二。真田は自分の気持ちがよくわかっていないんだから」
「なんだと! 俺は日生が無理をしているのではないかと、それが心配なだけだ!」
「無理しているのを口に出来ないほど優柔不断な女じゃないだろう」
 自分から何を言っても、ほぼ同時に二人から返されてしまう。負けず嫌いが真田弦一郎の基本的な性質ではあったが、どうも今回ばかりは分が悪かった。ムスッとした顔を隠そうともせずに着替えを終わらせる。
「先に行くぞ!」
「深呼吸してから行けよ。そういう顔を日生には見せないようにな」
幸村の言葉を聞いていたのか、いないのか…返事もなく部室から出ていってしまった。でも必死に表情を取り繕ってはいるだろう。残された二人は顔を見合わせてフフッと笑う。
「それにしても、日生も可哀相だね。好きになった相手が悪かったのかな?」
「心配せずとも一年以内にまとまるだろう。その状況に弦一郎が耐えられそうにないからな」
「日生、可愛いからねー」
 
 
 
 
というわけで、のちに中学テニス界の『皇帝』と呼ばれる男と
その皇帝さえ尻に敷いてしまう敏腕マネージャー…
のちに男子テニス部の『女帝』と称えられる女は
こんな感じで第一の接近を終えたのだった
 
 
 
 
END
 
 
 
入学したての一年生の頃の話です。3人の鬼才は、テニスという枠を越えた大親友ということでシクヨロ。
 
 
 
 
イメージソング   『YOU&I』   B’z
更新日時:
2004/08/08
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Last updated: 2010/5/14