365 TITLE

        
35      メッセージ   (乾貞治   女子高校生設定)
 
 
 
 
 
これを『運命』と言わないのなら、何と言えばいいのだろう
 
 
 
 
 名門と呼ばれる青春学園中等部男子テニス部だったが、ごくまれにの活動を中止することもある。そんなとある一日の放課後に『彼』こと乾貞治は珍しく空いた時間を使って隣町の本屋まで足を伸ばし、許される限りの買い物を済ませることにした。目的は参考書であったり、雑誌であったり、レシピ本であったり…とその種類も様々で、相当な荷物を抱えながら今度は自宅に向かって歩き始める。丁度空が少しずつ赤く染まりそうな時間になっていた。
(よく知らない街を歩くのはなんとなく不思議で妙な感じだな)
このあたりは新興住宅街と呼ばれているらしい。並んでいる家や店も真新しいにおいが漂ってきそうだ。しかし緑豊かな自然もあらゆるところに残されていて、彼の歩みを気持ちよいものにしてくれている。
(このあたりなら海堂が走っているのかもしれないな)
すれ違うジョギング中の人々を見ながらそんなことを考えていた。
 しばらくして貞治は聞き慣れたボールの弾む音と、そのたびにまき起こる歓声を耳にした。
(どこかでテニスの試合をしているのか?)
前方に大きく近代的な煉瓦の校舎が見える。自分には年齢的に入ることの許されない有名私立高校なのだとわかった。
(確かスポーツに力を入れている高校だと思ったが。野球部は甲子園の常連だし、パスケ部も男女共にインターハイに出場している。テニスは…男子より女子か)
ということは現在試合を行っているのがこの学校の女子テニス部だということになる。大したことのない練習試合だったとしても…おそらくはほとんどの生徒が集まったかのような盛り上がりようなら間違いはないだろう。
(どんな試合をしているんだ?)
高校の…しかも女子の試合に参考になるようなものはないとは思うが、胸の奥にある好奇心がうずいてくる。大量の荷物と天秤をかけてみても足は自然とそれらの音を辿っていた。
(ここだ…)
 外部からフェンスで仕切られたコート内では女子のシングルスの試合が行われていた。その中でも注目を浴びているのは、赤茶色の髪を持つブルーグレイの瞳の少女…両サイドにピンクのラインが入っているウェアがよく似合っていた。しかしそれ以上に惹き付けるのは彼女の動きだ。まるで体内にバネが埋め込まれているかのような勢いでボールに食らいついて行く。その激しさは周りの人間にも伝わっているらしく、彼女の動きいかんでものすごい歓声が巻きおこる。
(データで計れるプレイじゃない…)
背の高い貞治は群衆の中でも何の障害もなく試合を見ることが出来た。しかしデータ主義者がただポカンと見ているしかない状況を、他の部員が知ったら何と言うだろう。
(これが高校生のテニスなのか)
ホイッスルが試合の終了を告げる。勝利選手となった彼女は、フーッと息をついて対戦相手に握手を求める。そして周りの人々から贈られた歓声と拍手の渦に柔らかく微笑んで見せた。
(あっ…)
それが自分に向けられたものではないことはわかっていた。なのにその笑顔が心に焼き付いて離れない。心臓がばくばくと音をたてて、他の音が一切耳に入ってこない。
「やったね!」
「おめでとう、新菜」
友人らしき数名が彼女に呼びかける声だけがストレートに響いてくる。人の輪の中でもみくちゃにされている彼女の名前をそっと呼んでみる。
「ヒナセ…ニイナ…か」
 
 
 
 
 もうすっかり日も暮れてコートの周辺にいた人々もいなくなってしまった。しかし貞治は何故かその場に一人になってもずっと立ちつくしている。特に目的があるわけではなく、なんとなく立ち去りがたい気持ちになっていたのだ。
「もう二度と会うこともないのだろうな」
相手の学校と所属している部が分かればいくらでもデータは集められる。でも実際それらを目の前にしても本人がいないのなら何の意味もない。だから余計に離れられなくなっているのだろう…フェンスの向こうに見える彼女の幻を見つめるのが精一杯だった。
「あの…すみません」
 背後から聞こえてくる女の子の声に彼は自然に振り向き…そして弾けるかのようにズザザッと後ずさりする白い夏のセーラー服に赤いリボンとグレーの衿を風にゆらしているのはさっきまでコートに立っていたあの女の子だ。
「ずっとここにいますよね。どなたかと待ち合わせですか?」
「いや…」
そうとしか言いようがない。こんなところで本音が言えるはずもなく、その代わりにとってつけたような言葉が出た。
「あっ、試合見ていました。おめでとうございます」
「ありがとう。あなたもテニスをされるんですか?」
 フフッと笑った顔はコートで見せたものと同じだったが、近くで見るとごく普通の可愛い感じの女の子だ。先程の大きな存在感とは異なる印象に慌てて眼鏡を持ち上げる。
「まあ、一応部に所属していますけれど」
「でも女子の試合なんて面白くないし、参考にはならないでしょう?」
「そんなことはありません。やはり高校の試合となると迫力が違うと…」
貞治の言葉が止まったのは相手の表情が微妙に変わったせいだ。
「もしかして…中学生?」
「あ、そうですけど」
きょとんとした子供のような顔が一瞬で真紅に染まる。
「ごめんなさいっ。大人っぽい人に見えたから、てっきり私よりも年上なのかと思っちゃった…」
「やっぱり」
 二人は目を合わせて同時にプッと吹き出した。勘違いのおかげでこれまで阻んでいた心の壁が取り払われたような気がする。
「あの、もしよろしかったら…待ち合わせとかしていないのなら、どこかで話しませんか?」
「俺…と?」
「お時間があれば」
優しい笑顔とお誘いを一体誰が断れるだろうか。この時の貞治の頭からは門限どころか自分の家の存在さえ綺麗に消え失せていたのだという。
 
 
 
 
 彼女はいつも友人たちと行くファーストフードの店に貞治を連れてきた。注文を済ませて向かい合うと、改めて自分の名前を名乗る。『日生新菜』…それが彼女の本名だった。そして貞治もまた自分の名前・年齢・学校を順に紹介した。
「青春学園? あのテニスの名門の」
「ご存じなんですか?」
「もちろん。うちの男子部員が『あそこにはかなわない』ってぼやいているから。中等部の選手が強いまま高等部にくるのだから当然かもしれないけれど。でもまさかここで青学中等部のブレーンに会えるなんて、思ってもみなかった」
屈託もなく話し掛けてくる無邪気な様子は17才という年齢をあまり感じさせない。クラスメートと明るく会話しているような気持ちになる。チームメイトたちに愛されている理由もテニスの実力だけではないのだろう。
「でもデータ収集は大変でしょう?」
「それほどでも。俺にとっては性分みたいなものだから。見ますか?」
「いいの?」
 本来ならば見せてはならないものだ。チームメイトたちでさえその中身を知る者は誰もいない。なのに新菜の問いかけに応えるように自然とノートを取りだして彼女に手渡していた。彼女が高校生だから…女の子だから…と心の中で必死に言い訳をして。
「すごいね」
ノートを見て新菜は呟くように言った。そこには部員一人一人のプレイが数字へと姿を変えて記されている。彼らの長所や短所、それらの対策、そして対策を用いた際の勝利や敗北の可能性まで…紙の上でここまで記録出来ているということは、本人の頭の中にも全てが収まっているということだ。それでなければデータの意味はない。
「データはあまり参考にしないタイプ?」
「んーここまではしないかも。というかコートの上に立つと開き直ってしまって、結局は自分がやりたいようにやっちゃうのかもしれない」
「数学は苦手っぽいね」
「それは本当。数字が頭に入ってこないからかな? 詰め込んだとしてもすぐにわけわかんなくなっちゃう」
恥ずかしそうに笑いながら、ノートを閉じて貞治へと戻した。
「もしかしてさっきの私の試合もデータ化してた?」
「それはないよ。思わず見とれてしまったからね」
「え…」
「それまで女子の試合を真剣に見てこなかったせいもあるんだけど、でも相手選手が目に入ってこなかったから本当に惹き付けられていたんだと思う」
冷静に分析しているようで、なかなか大胆な言葉を口走っている。本人がその恥ずかしさに気がつくのはそれから数時間は後のことだ。
「ありがと。お世辞だったとしても嬉しいよ」
「いや、お世辞ではなくて…」
「今度はコートで会わない?」
「えっ…」
 次々と起こる出来事が全て奇跡のように思える。1時間前の自分にこれを言ったら信じてくれるだろうか。
「俺でいいのなら」
「もちろんだよ。じゃあメールと携帯のアドレス教えてもいい? 時間が出来た時にいつでも連絡してくれてかまわないから」
新菜の方から携帯電話を差し出してくる。貞治もまた素直に自分自身のデータを提供した。
「楽しみにしているね。また会えるのを」
「こちらこそ」
 
 
 
 
 結局貞治が自室に落ち着いたのは普段の帰宅時間を大幅に上乗せした頃だった。
「…疲れた」
ベッドの上に倒れてすぐの第一声がこれである。かなりの荷物を持って移動したのも理由の一つだろうが、校外でやたらと密度の濃い時間を過ごしたのだから仕方ない。通りすがりに見たテニスの試合中に電撃的に恋をして、その後に二度と会うこともないであろう彼女に声をかけてもらって、二人でファーストフード店で話をし、次に会う約束もして…まるでドミノ倒しのように運命が動くのを感じた時間だった。でもそれらが夢ではないことを手元の携帯電話は知っている。『とんでもないことになった…』という気持ちと、『やっぱり嬉しい』気持ちを冷静に観察出来る彼は、二重人格者が多いとされる双子座のAB型だった。
 しばらくしてある程度の疲れがとれたのを見計らって起きあがる。机の上に投げ出された鞄から取りだしたのは例のデータの一部だった。今日初めて人の前にさらされたものでもある。でも会話を滑らかにする助っ人でもあったのだから少しも後悔はしていない。
「本当に数学が苦手そうな表情をしていたな」
あの時のちょっと困ったような新菜の表情を思い出しながらノートをパラパラと開く。
「…えっ?」
 そんな声と共に体が飛び上がり、そのままあの時のようにズザザッと後ずさりをする。彼にそんな真似をさせたのはノートの片隅に書かれていた小さなメッセージだった。
『一目惚れしました。もしよかったらお付き合いして頂けませんか?  日生新菜』
「い…いつの間に…」
そういった感想が出るのも無理はない。ノートを見せている間も自分は一切の隙を見せた覚えはないからだ。いつの間に書き込んだものなのか…それより先に自分はいつ一目惚れされたというのか。
「…読めない…」
 それから息を整えるのにまた時間をかけてしまった。まさか悪戯じゃないだろうな…と思いながらも緩む口元を止める事が出来ない。貞治はそのままの状態で電話を手にした。
「…はい、日生です」
「あっ、乾です。さっきはどうも」
「こちらこそ楽しかったです。遅くまで引き止めて本当にごめんなさいね」
「いや…」
 二人の間に不気味な沈黙が流れる。おそらく彼女は分かっているのだろう…この電話が単なる挨拶目的ではないということを。その上で貞治の返事を待っているのだ。
「そのっ、お見せしたノートのことで…」
(今更何をかしこまっているんだ、俺は)
「あっ、ああ…」
とぼけたような口調だが、ほんの少し緊張しているようにも聞こえた。一世一代の告白をしたのは彼女も一緒なのである。貞治はフーッと息をつくし、誰もいない部屋でペコッと頭を下げた。
「これから…どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ」
 
 
 
 
END
 
 
 
 
落ち着いた年上の女性がこの人のタイプであるらしい。でもそもそもが落ち着いた人間に落ち着いた性格の女の子をぶつけたとしても、ちっともネタが出てこないのでこうなりました。ここに出てくる新菜が某乙女ゲーのヒロインそのまんまなのはご愛敬。だってはば○き学園のテニスウェアが可愛いかったんだもの。(データノートの告白は、携帯番号を交換している時にこっそり奪い取って書き込んだものだと思われる)
 
 
 
 
イメージソング   『ロージー』   aiko
更新日時:
2004/05/21
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Last updated: 2010/5/14