365 TITLE

        
34      練習中   (仁王雅治   同学年設定)
 
 
 
 
 
 その日の放課後、吹奏学部副部長である日生新菜はグラウンド近くのテニスコートに向かって走っていた。彼女の手には結構な量の書類がしっかりと抱えられている。
『よお、日生』
音楽室へと向かっていた途中で男子テニス部の顧問と出会ってしまったのがちょっとした運命の分かれ道だったらしい。
『なんですか…?』
胡散臭そうに振り返る新菜を見て、彼はニッコリと笑ってそのブツをそのまま押しつけたのだ。
『これ、テニス部の部室に持っていってくれ。柳に渡してくれればわかる』
『私、これから部活に…』
『無料とは言わないぞ』
『へっ?』
『10分くらいなら仁王といちゃついても良い…というのでどうだ?』
どうやら彼女はその餌に釣られてしまったらしい。
 仁王雅治は男子テニス部のレギュラーであり、新菜の大切な彼氏でもある。しかしお互いに忙しい身の上であるために最近は一緒にいられる時間も限られるようになってきた。たかが10分、されど10分。顧問公認で会いに行けるチャンスを見逃すわけにはいかないのだ。はやる気持ちを押さえきれずにいると自然と足が速くなり、すぐに部室の前に辿り着いた。
「失礼しまーす」
「どうぞ」
ドアの向こうから部員の声がする。それはどうやら紳士と呼ばれる雅治のパートナーであるらしい。
(なんだ、柳生がいるんだ…)
随分な言い方だったが、でも一人でも知り合いがいれば書類も迷子にならずにすむ。新菜は思い切ってドアを開けた。
「ごめんね、この書類をここの先生から…」
 彼女の言葉はここで止まった。大きな目を見開き、口もポカンと開けっ放しになっている。犯人はおそらく目の前にいるテニス部員たちであろう。茶色の短い髪に素顔がなかなか拝めない眼鏡、引き締まった口元…そこにはまったく同じ姿をした人間が2人いたのだ。
「これはようこそ、日生さん」
親切で折り目正しい態度は間違いなく柳生比呂士のものだ。しかし彼が双子だったという話などこれまで聞いたことがない。
「柳はまだ来ていないの?」
「もう少しで来ると思われますが…何か?」
「うん。ここの顧問の先生に渡してきて欲しいって頼まれたの。あんたから柳に渡して置いてもらえる?」
 2人のうちで彼女に話し掛けてくる『柳生比呂士』は一人しかいない。仕方ないのでその一人に書類の束を差し出した。
「承知しました。必ず柳くんにお伝えしますよ。ところで…」
彼は実に彼らしい仕草で愛用の眼鏡を指先で持ち上げた。
「あなたは私たちに何か聞きたいことがあるのではないですか?」
そりゃそうだろう。この状況の理由をとくとお聞かせ願いたいと新菜も心の底から思っている。しかし扉を開けたと同時に訪れたパラレルワールドをどのように説明すれば良いと言うのか。
「聞きたいこと…ね」
「ええ」
「二つほど聞いてもいいかな」
「どうぞ」
相手は2人とも表情も余裕も崩さない。彼らと対等に話をするためには新菜も冷静な態度をあえて装う。
「まず一つ目は、柳生がどうしてこういうことに巻き込まれているのかってこと」
「ほう…それから?」
「もう一つは、仁王雅治が一体何を考えているのかということ!」
 それまでのビシッと引き締まった空気がガラガラと音をたてて崩れて行くような感じがした。新菜が視線を合わせているのは、先程から話をしている方の柳生である。そして向こうも彼女を真剣に見ていた…が、次の瞬間にニィと笑って、自分自身の髪をクシャッとかき上げた。
「流石新菜やの」
彼の手に残る茶色のウイッグ、そして眼鏡…仁王雅治は恋人に向かって白旗を上げた。同時にガックリと力を落として椅子に座り込むのは本物の柳生だ。真面目なこの人は新菜が部室に入った瞬間から相当なプレッシャーを感じていたに違いない。別に悪いことをしていたわけでもないのに…気の毒な。
「それにしてもよく似ているよね、あんたたち親戚筋なの?」
「冗談じゃないっ!!」
そう叫んだのはもちろん本物の柳生だ。
「そんな…つれないのう…」
「そーよ! そーよ!」
「日生さん、あなたはどちらの味方なんですか」
額の汗を拭いながら眉間にしわを寄せる彼に向かって、恋人達はあっさりとこう言い切る。
「「面白い方」」
「やっぱり」
 それにしても2人がこんなにそっくりな顔をしているとは思わなかった。もちろん新菜がそれを一瞬で見抜いたのは一番雅治の近くにいる女の子…という現実があってこそだ。若干背丈が違うくらいでは簡単に見抜くことも出来ないだろう。でも楽しそうにしている雅治と疲れ切っている柳生を見比べると、彼らはやっぱり単なるそっくりさんでしかないのだ。それが可笑しくて新菜はクスクスと笑った。
「でも部活の前にこんなに遊んでいていいの? 真田が見たら怒るよーっ」
わざとあの副部長の険しい顔真似をしながら言ってみる。
「遊びなんかじゃなかよ」
「…はい?」
「ちょっ、仁王くん?」
あっさりと言い切った雅治と、露骨に慌てだす柳生…新菜はきょとんとした顔で2人を見る。
「なにそれ」
「遊びじゃなか。本気で試合に使ってみようと思っとるよ」
「試合にって…テニスの?」
「そう。俺が柳生で、柳生が俺として試合に出る」
 あまりにも素直に認めた為、うっかり聞き逃してしまいそうになる。しかし次の瞬間部室に女の子の大声が響いた。
「駄目ーっっっ!!」
新菜のさっきの楽しそうな様子が嘘のようだ。彼女はこれが単なる遊びだと信じており、まさかテニスの公式の試合で用いることが許されるとは思っていなかったのだ。
「本番の時は絶対にやっちゃ駄目っ!!」
「なんで…」
「なんでもくそもないっ。そんなこと本番でばれたら試合没収されるに決まっているでしょ。それ以前に真田が許すはずがないっ」
でも試合が没収されることも真田に怒られるであろうことも実際は言い訳に過ぎなかった。彼女は楽しいことは大好きだが、比較的真面目な性格だったのだ。
「ばれなきゃええんじゃ。それとも俺達がいつこの作戦を使うか見張るか? 俺はいくら新菜でも簡単に先を読ませはせんよ」
「うっ…」
言葉で簡単に言い返せない単純なおつむを、彼女は今心から呪った。
「そっ、それでも駄目。だってわざわざ危険なことをしようとしているところを見逃せないもん。絶対に本番ではやっちゃ駄目だからねっ」
新菜はそう言い捨てて部室の戸を乱暴に閉めて行ってしまった。折角顧問からもらった報酬もなんとなく無意味に終わりを告げてしまったようだった。
 静かになった部室で2人の男は同時にため息をつく。
「怒らせてしまったようじゃの」
「当たり前です」
柳生は自分自身の存在を確認するかのように、身なりを整え始める。
「今からでも遅くはありませんよ。考え直してはいかがです? あなたも日生さんにあんな悲しそうな顔を何度もさせるつもりはないでしょう」
「わかっとらんのう、柳生は」
雅治は変装の道具を鞄にしまい、手櫛で銀髪を綺麗に整えながらそう言った。
「これくらいで止めるのなら、お前さんをここまで巻き込むことはせんよ。新菜だって口ではああ言っても最終的には見守ることしか出来ないことくらい心得とるはずじゃ」
「しかし」
「いいか、柳生」
相方の顔を直接指さして雅治は強く言った。
「俺はな、相手を欺く為ならばジャッカルにだって化けてみせるぜ?」
 
 
 
 
 勢いよく言ってみたものの、外に出た瞬間に新菜は自分の言葉を後悔した。
(本番の時は絶対にやっちゃ駄目っ!!)
でもそんな言い分をあの雅治が受け入れるだろうか。どう考えても答えはノーだ。新菜の言葉くらいで自分の発想を覆すくらいなら、彼がコート上の詐欺師と呼ばれることもないだろう。
「やっちゃうんだろうなあ…柳生との入れ替わり」
その時のパニックを想像するとますます溜め息が重くなる。
「本当に何を考えているんだろう」
確かに対戦相手を欺く方法としては案外使えるかもしれない。しかしもし相手が気が付かなかったとしたら、作戦そのものに意味がなくなってしまう。でもあれだけの念の入れようを見ていると、その作戦がまるっきり意味を持たないものなのだとは思えなかった。色々な考えが脳裏をかすめ、そのたびにそれらを打ち消す考えが浮かんでくる。
「あーっ、もう何かが引っかかるんだよねー」
「何が引っかかるんだ…?」
 突然聞こえてきた声に振り返る。そこには本来書類を受け取るべきテニス部の参謀が立っていた。人の目も気にせずにじたんだを踏んでいる彼女を見ていられなくなったのだろう。無論その理由が仁王雅治関係だというのも見抜いている。
「柳…」
「テニス部に行っていたのではないのか」
「まあね。あんたに渡すように言われた書類は『柳生』に預けてきたから」
「それはすまなかったな。でもまさかそれがイライラしている原因だと言うのでもあるまい?」
表情を読ませぬ男の冗談にも似た言葉に、新菜は初めて笑顔を向けた。
(あれ? 今何か…)
 心の中に何か感じるものがあったのだろうか。彼女はその疑問を素直に柳へと向ける。
「ねえ、柳…私ってテニスのことあんまりよくわからないんだけれどね」
「あんまりどころかまったくわからないだろう」
「茶化さないでよ! でもね、雅治って普段も左利きだよね?」
「そうだが」
「…柳生は?」
「右だな」
 やっぱりそうだったか。あの人が単なる入れ替わりをするはずがないと思っていて正解だった。
「もし左利きの雅治が右利きでプレイするようなことになったら…それって相当難しいことじゃないの?」
「対戦相手の聞き手によっては対策を練る場合もある」
実際に後輩の切原赤也はすでに左利きの相手に対するプレイを柳から叩き込まれていた。
「違う…」
「何がだ?」
小さく言った新菜の声に柳は首をひねる。しかし彼女は曖昧に首を横に振るだけだった。
「なんでもないっ。ごめんね…私部活にいくんで」
へらへら笑いながら走り去る女の子を柳は冷静な目で見つめている。もしかして…いや、もしかしなくても彼はこれから行われる奇抜な作戦を見抜いていたのだろう。そしてそれの行く末がどうなるかということも。
 
 
 
 
 部活に向かうと言いながら、新菜の足は何故か音楽室には行かずに無人の中庭へと入っていった。中央にそびえ立つ大木へと体を叩きつける。
「はあはあ…」
彼が別人になりすましたとしてもさほど驚きはしなかったのに、どうして真実を悟った今はこうして興奮が隠せなくなってしまうのだろう。それはきっと偶然見かけた自分でさえ一瞬で彼の詐欺に引っかかってしまったせいだ。
「あれは対策なんかじゃないよ、柳…」 
2人が使う方法は、聞き手とは逆の相手に化けることで自分を追いつめていっているようにしか見えない。しかしそれを極めてしまえば残るのはとんでもない実力だ。だからこそ柳生がこの話に乗ったのだろう。本来左利きの男が、逆の右手で柳生のレーザービームを取得したとしたら。絶望に顔を歪める対戦相手の姿が新菜には見えるような気がした。
「雅治…」
一陣の風が彼女の周りを吹き抜け、長い髪がふんわりと空に舞う。
「あんた、一体どこまで強くなるつもりでいるの…?」
 
 
 
 
END
 
 
 
 
あの入れ替わり作戦にあえて意味を持たせるとしたら…というのを自分なりに消化してみました。結局は答えは風に舞っていたわけで。
 
 
 
 
イメージソング   『Century Lovers』   ポルノグラフィティ
 
 
更新日時:
2004/12/12
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Last updated: 2010/5/14