365 TITLE

        
32      掃除   (ジャッカル桑原   後輩設定)
 
 
 
 
 夕日の赤が徐々に夜の濃紺に変わり星が瞬き始めた頃、立海大附属中学のテニスコートが厳しい練習を終えて少しずつ静かになってきた。疲労の色を濃くした部員たちもさっさと帰り仕度を終えて、言葉も少ないまま自宅へと向かう。スポーツの名門と呼ばれるこの学校では練習に妥協を許すことはない。ましてそれが全国三連覇がかかっている男子テニス部だったとしたら…そんな様子を一人の女の子が金網越しにじっと見つめていた。
「日生?」
それに気がついた銀髪の少年が声をかける。三年でレギュラーメンバーの一人でもある仁王雅治だ。
「こんにちは、ニオ先輩。ジャー先輩いますか?」
時に詐欺師と称されることのあるこの男をニックネームで呼ぶ生徒がいるというのも驚きだ。この現実にはさぞかし彼の美貌に惹かれた『仁王雅治様親衛隊』の面々も悔しがっていることだろう。しかしこの日生新菜という女の子が女子生徒たちからそれほどのとばっちりを受けないのには理由があった。彼女の真の目的は目の前にいる『ニオ先輩』ではなくて、まだここに姿を見せない『ジャー先輩』の方だったからだ。
「おるよ。でもここに来るにはもう少し時間がかかると思った方がよか」
 その言葉を聞いた瞬間、それまでニコニコ笑っていた新菜の顔が引き締まる。
「…また真田副部長ですか…?」
「まあそんなとこじゃの。部活開始時間に十分ほど遅れたけん、しばらくの間罰当番という奴を任されたっちゅーわけじゃ」
「たかが十分で? そんなこと赤也なんてしょっちゅうやっているじゃないですか。いっつもジャー先輩だけ貧乏くじ引いてばっかで…。私女子部の部長に間に入ってもらって真田副部長に直訴しようかなっ!」
それもまたよく通る声で叫ばれたものだから、仁王は慌てて彼女に駆け寄り口を塞ぐ。
「もがもが…」
「あまり大声出すもんじゃなか! 赤也は赤也でちゃん別な罰を受けとるし…そこまでせんでもよかよ。」
慌てるあまりに背後に近づく影に仁王は気づかない。
「何をしているんですか、あなたたちは」
「ぎゃあっ」
 レギュラーの中でもダントツに真面目な男が、そこで眼鏡をクイッに持ち上げていた。
「こっこんにちは、柳生先輩…」
「真田くんも帰る仕度を終えたようですし、ここで遊んでいるくらいなら部室に行った方がいいのでは? ジャッカルくんも待っているでしょう」
この男にそう言わせるほど、この女の子はここに通い詰めているということだ。我に返ると二人にごめんなさいと頭を下げてぱたぱたと走り去ってゆく。
「あっれー日生また来たの?」
「はいっ。さよならブン太先輩」
「気を付けて行けよ」
「ありがとうございます、柳先輩」
「先輩に迷惑かけんじゃねーぞ、新菜」
「赤也もね」
 鞄とラケットと髪を振り乱しながら新菜は部室へと走って行く。途中で真田副部長と対面するかもしれないが、素っ気なく『さよなら』の一言で済ましているだろう。
「相変わらず元気な子だな」
少し呆れたかのように柳蓮二が言う。女子テニス部も相当な練習を繰り返していることに間違いはない。なのにどこからあのパワーが出てくるのか実際達人もよくわからないのだ。
「それが恋する乙女心って奴じゃねーの?」
新しいガムの包みを開けながら言うのは丸井ブン太である。彼の場合は当事者が自分の親友なだけに楽しくてたまらないらしい。
「でもあの二人って付き合ってるわけじゃないんスよね」
「「「「え゛?」」」」
切原赤也が何気なく放った爆弾発言に全員が振り返る。
「どういうこった、そりゃ」
「まだ新菜の片想いみたいで。単なる妹扱いしかされないって愚痴聞かされてますよ」
 あれだけ可愛くて一途な女の子に好かれれば嬉しいだろうに…というのは素人考えなのかと頭をひねる面々だった。
「ただ…ジャッカルは天性の世話好きというか、そういう風に皆に見られていることを自覚はしているな」
「ということは日生さんに関してもそういった気持ちで接してしまうというわけですか」
彼の長所がそのまんま短所に結びつくとは皮肉な話だ。納得しかける達人と紳士の前で約2名がブーイングを起こす。
「なんでぇ、つまんねー」
「そうっスよ。日々愚痴ばっか聞かされるこっちの身にもなって欲しいっス」
「おまんら…ジャッカル自身がそういう性格になったの誰のせいじゃと思っちょる?」
 実は仁王の言い分はもっともなのであった。副部長である真田弦一郎が特に頭を悩ませているのが鉄砲玉のようにどこへ飛び出すかわからないブン太と赤也の二人だ。彼らを直接ジャッカルに面倒を見させているのだから、新菜みたいなタイプの女の子は自然とこの二人と同列になってしまう。実際に恋愛どころの騒ぎではないのだろう。
「まあ男子のレギュラーの中でもジャッカルを選ぶあたりはなかなか大物の証だ。将来は間違いなくいい女になるだろう」
「ジャッカルの女のタイプってどんな感じだっけ」
「…グラマーで色白美人…でしたよ、確か」
男たちは同時に新菜の体格を思い浮かべる(特に胸元あたりを)。そして溜め息と一緒に同じ言葉を胸の中で呟いた。
(がんばれよ、日生…)
色白はともかくグラマーにも美人にもちょっと遠い女の子の一途な恋を、結局は全員が応援しているのだった。
 
 
 
 
 部室の前で息を整えて、そっと扉を開く。
「ジャー先輩、いますかー?」
「おう。誰もいねーから入っていいぞー」
確認しなくても彼の姿はすぐにわかる。ツルツルのスキンヘッドにセピア色の肌、外人の血を引く為に言葉にも独特のイントネーションがある。新菜の耳にはその全てが大変心地よく聞こえるのだ。
「罰当番のお手伝いに来ましたっ」
「よく知ってんなあ。誰から聞いた?」
「ニオ先輩です。十分遅刻した罰ですって?」
「しかも三ヶ月だぜ? もう笑うしかねーよ」
 ほうきを手に床を掃きながら本当に笑っている。時間が過ぎてある程度は開き直れたのかもしれない。
「本当は女子テニス部の部長に直訴しようかと思ったんですけれどね。真田副部長は厳しすぎるって」
それを聞いたジャッカルのほうきを持つ手が止まる。
「まさか直訴しちまったんじゃねーだろな?」
「ニオ先輩に止められました」
詐欺師と呼ばれる銀髪の友人にジャッカルは心から感謝した。新菜の肩をポンポンと叩きながら、これだけはよく言って聞かせる。
「男子テニス部の今後の為に、そういうことは絶対にしないようにな」
「ハイッ」
 素直な性格が取り柄の女の子だ。これ以上の説明がなくても無茶なことはしないだろう。自分が掃いた後ろをモップで追いかけてくる無邪気な後輩を見ていると、これでもいいかと自然に笑みが零れてくる。
「罰当番って三ヶ月でしたっけ」
「ん? そうだぜ?」
「だったら本当は真田副部長に感謝かも」
彼の顔を下から覗き込んでにっこりと笑う。
「その分長く一緒にいられるってことでしょう?」
「ニーナが忘れさえしなければな」
「あーっ、もしかして私って信用されてない? ジャー先輩のいじめっ子!!」
「こんなに優しいいじめっ子がどこの世界にいるってんだよ。ほら手が止まってんぞ。こんな面倒なこととっとと終わらせて帰ろうぜ」
「は・ぁ・い」
部室の壁に綺麗に飾られたOBたちの写真さえ恥ずかしがるようなちょっと幸せな三ヶ月はこうしてスタートしたのだった。
 
 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
褐色の肌と外国の血と透明な眼差しを持っている王子様の話。新菜ちゃんはどうやら彼にべたぼれのご様子。もっとも愛されている本人にまったく自覚がないようですが。それにしてもジャッカルは一人っ子なのにどうしてこう…『お兄ちゃん』なんだろ。
 
 
 
 
イメージソング   『キスして抱きしめて』   MISIA
更新日時:
2004/05/21
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Last updated: 2010/5/14