365 TITLE

        
28      ステーション   (忍足侑士   女子中学生設定)
 
 
 
 
 
 日がすっかり落ちて藍色の闇が天空を彩るこの時間、氷帝学園の制服を来た眼鏡の少年が自宅へと向かう電車に揺られていた。入り口近くに立って吊革を握るのがいつもの彼の習慣であるらしい。周りに特に知人の姿はなく、無言のままガラス窓の向こうにいる自分を見つめているようだった。
(なーんか、あかんなぁ…)
疲れ切ったような、なんか悪い意味でがっくりと力が抜けたような。少なくとも血気盛んな中学生のする表情ではない。わかっていながらどうしようもないのが彼の今の現実なのである。いつもならばキオスクで文庫本でも購入して暇を潰すところだが、そんな気持ちにもなれなかった。
 どうしてこんな中途半端な気持ちになってしまうのか。それはここ数日で生活がガラリと変わってしまったせいだろう。ついこの前までは時間の経過を忘れて部活動に専念することが出来た。しかし全国大会を終えた三年生には引退の道も余儀なくされている。もちろんテニスコートを自在に見物して行くことは可能だが、自分の居場所がないことを痛感するのは練習の万倍も辛い…それは現役の部員だったころには想像もつかない感情だった。全てが終わってしまった今ならば、中等部の3年間とはなんとあっけない時間だったのかと溜め息が出るほどだ。
(ほんま、テニスを抜かしたらなーんも残らん男やったんやな…俺)
 でもこんなに落ち込んでしまうのは引退だけが理由ではなかった。たとえ眼鏡で必死に隠していたとしても、目の下にはがっちりと真っ黒なクマが住み着いている。要するにここしばらく満足に眠っていないのだった。犯人は自分の故郷にいる同じ年の従兄弟からの長距離電話だ。どうやら相手には最近可愛い彼女が出来たらしい。2人の間に起こった些細な出来事さえ報告して来るのだ。
(別にそれが悪いことだとは思わんけどなぁ)
 昨日のやりとりを思い出して、思わず侑士は苦笑してしまった。幼い頃からずっと一緒だった従兄弟の忍足謙也とは、お互いが親友でありながら強力なライバルといった側面も同時に持っている。テニス部にいた時も奴が後輩の自慢話を始めると、侑士もまた関東で注目されている選手を誇らしげに紹介した事もあった(それを聞いた鳳や日吉や樺地は複雑そうな顔をし、その直後にはどうして自分の後輩を自慢しないのかと岳人・宍戸・跡部の3人に盛大に殴られている)。
『その時の新菜の可愛いらしさと言ったら…って、おい! 聞いているんやろな侑士!』
『はいはい、聞いておりますよー』
『その人をくったような言い方やめや。お前はそんなやから彼女できひんのやで』
『余計なお世話や!』
 しかし振り返ってみれば幸せそうな謙也に悪気など一切なく、正直それも羨ましいと思った。テニス部から離れた彼を新しい彼女が支えてくれているのだろう。同時に自分にそんな存在がなかったことも寂しいと思える。侑士は恋愛映画と小説を愛するロマンチストだったのだ。
(まあ…そんな出会いなんてなぁ…)
今の自分の現状を確認してみる。しかし電車に乗り合わせているのは自分と同様に疲れた顔をしている人たちばかりだった。
(あかんわ)
酔っぱらって周りに絡むおじさんもいなかったが、同時に迷惑を被っている美女もいなかった。現実なんてこんなものか…唇に浮かんだ笑みもまたどこか乾いているような気がした。
 
 
 
 
 重い気持ちを抱えたまま自宅近くの駅で降りる。ここはどうやら市の中心部であるらしくて、人の流れも他のところよりは多かった。人の流れに添うように改札口へと向かう。その時はただ一方的に動くだけで、他には何も考えられずにいた。しかし…。
「てめぇ、俺に喧嘩売ってんのか? いい度胸してんじゃねーか」
誰かを罵倒する若者の声にハッと我に返る。どうやら誰かに何かをふっかけられたらしい。そんなことなら別に素通りしても良いと思ったのだが。
「そんなの…そっちがいけないんじゃないですか」
はきはきとした相手の声を聞いて驚く。それは自分と年齢の変わらないくらいの少女のものだったからだ。
 周りの人たちは呆然としてそれらを見つめている。そしてこの混雑ぶりからか駅員はなかなかここに訪れることが出来ずにいるようだ。
「てめえっ!!」
一歩も引くつもりのない少女に向かって若者の拳が飛ぶ。その場にいた全員が目を伏せようとしたその時…。
「やめや」
「なっ!?」
言葉と同時に侑士は手を伸ばして男の手を掴んだ。
「何者だっ、てめーは!!」
「公共のみんなが使う場所で暴れられたら迷惑やって言うとるんや」
「ぐあっ」
 これ以上動かないように背後へと腕をねじり込む。しかし低い関西弁と相手を見据える鋭い視線だけで相手は戦意を喪失しているようだった。
「それにしてもこんな可愛ええ女の子と対等に喧嘩しようなんざ、随分とええ度胸しとるやないか。なんなら相手交代したろか?」
「チッ…」
相手は気の弱いなりきり不良少年といったところなのだろう。中学三年とはいえ大人びた雰囲気を持つ侑士を相手に完全に腰が引けていた。侑士が手を緩めるとそのまま転がるように逃げていった。
「なんや、情けない奴やな」
相手の背中が見えなくなるのを確認して、侑士は心底呆れたかのようにそう言った。
 彼等を見守っていた人々も安心したかのように、それぞれの方向へと動き始める。しかし…。
「…助けてくれてありがとう」
ふと横から聞こえた声に我に返る。そこには先程まで勇敢に戦っていた女の子が立っていた。
「迷惑をかけてしまったみたいで、本当にごめんなさい」
「あんまり気にせんといて。ただ近場で手が届いただけや」
あれだけ恐ろしい表情をあらわにしていた男だが、素顔はいたってひょうきんな人間なのかもしれない…女の子もここでようやく笑うことが出来た。
「怪我ないか?」
「私は平気。でもあなたの方が…」
「そんなやわな鍛え方しとらへんで」
 2人は人の流れの邪魔にならぬように、近くにあったベンチへと移動する。
「でも本当にありがとう。気は張っていたつもりだったけれど、実は結構震えていたんだ。えっと…」
彼女から名前を問われているのだと気付き、慌てて自身を名乗った。
「氷帝学園三年、忍足侑士や。よろしくな」
「忍足くん…変わった名前ね。関西には多い名字なの?」
「それは知らんけど、でも一度言ったら忘れられない名前だっていうのはホンマやね。小さい時から『忍び足、忍び足』言われ放題なんや」
「確かに忘れられそうにないかもね。私は日生梨緒。この駅から女子校に通っているの」
 お互いに自己紹介をして心を開いた時点で、侑士は梨緒にこう訊ねた。
「でも一体何に巻き込まれたん? 状況からして普通やないやろ」
「あの人がね、手に火のついた煙草を持って振り回そうとしたの。だから周りにいる人たちにも迷惑で…特に小さい子供の目線と同じくらいの位置でしょう?」
「なるほど…」
今では歩き煙草は社会問題にもなっている。子供たちの目線もそうだが、こんな混雑した場所での喫煙は迷惑以外の何ものでもない。
「そういうの見ているとやっぱり黙っていられなくて…でもこうして忍足くんに迷惑をかけていちゃ意味ないよね。本当にごめんなさい」
「それは別にええんやけど。でもな、もう無理しちゃあかんよ? 今ここで俺が通りかかったのはほんの偶然の話や。いつもこうして助けてやれるわけやないしな」
「はいっ」
大げさに敬礼の仕草をしているものの、笑顔の向こうにある瞳の輝きは真剣そのものだった。それを見て侑士もなんとなく安心する。
 やがて反対側のホームに電車が滑り込んできた。
「それじゃ、私あれに乗るから」
「おう。気をつけてな」
「うん。今日は本当にありがとう。忍足くんも元気でね」
彼女はさっさと電車に乗り込み、しかしいつまでも侑士に向かって手を振っている。そして彼の視線も消えて行く梨緒をいつまでも追いかけていた。
(ええ子やったな、ほんまに)
 確かに無茶をしやすい子なのかもしれないが、きっと正義感が強くて真っ直ぐな性格の主なのだろう。そういう感じを侑士は決して嫌ってはいない。三つ子の魂百まで…というわけではないが、彼は東京の人間がどこかで『冷たい』ものだと思いこんでいる部分があった。しかしそんな中あそこまで行動的な女の子を見かけたのは嬉しい事だ。吹き抜ける優しい風のように、爽やかな余韻だけがホームに残った。
(ま、元気で頑張りや…梨緒ちゃん)
心の中でそうつぶやいた彼は先程までの憂鬱な気持ちが綺麗さっぱり消え去っていることにまだ気がついていなかった。
 
 
 
 
 それから数日後…侑士は再びあの時と同じ時間の電車に乗り、そして例の駅でそのまま電車を降りた。人混みの程度もあの時とあまり変わりがない。あの歩き煙草を手にした不良の姿だけは見あたらなかったけれども。
(まあ、あんなのにしょっちゅうウロウロされてもかなわんわな)
自分でそう納得させたが、同時に妙に寂しい気持ちになった。あの真っ直ぐな目をした女の子の姿もまた、ここにはなかったからだ。
「また無茶してなけりゃええけどな」
侑士は寂しさを拭うつもりでわざと声に出してそう言った。しかしそんな梨緒の純粋さが、疲れ切っていた自分の心を癒してくれたのだ。彼女は今でもきっと誰かに同じ眼差しを向けているに違いなかった。
 足は自然と人の流れにそって改札口へと向かう。そんな時でもあの時の事を思い出して軽く吹き出してしまった。
「何か面白いことでもあったの? 忍足くん」
突然背後から聞こえてきた女の子の声に侑士の体と心臓は同時に止まりそうになった。
「えっ…?」
慌てて振り向くと、そこには梨緒が不思議そうに首を捻りながら立っている。ただ呆然と見つめる侑士を見て、クスクスと無邪気に笑った。
「なっ? なななななんでここにおるん?」
「毎日この時間に張っていたの。そうしたらまた会えるんじゃないかと思ったから」
 
 
 
 
END
 
 
 
 
伊達眼鏡の電○男と正義感の強いエ○メス嬢のお話ということで、こんなん書いてみました。近いうちに謙也くんと新菜の話も書きたいと思っています。
 
 
 
 
イメージソング   『ラヴ・パレード』   ORANGE RENGE
更新日時:
2005/08/31
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Last updated: 2010/5/14