365 TITLE

        
27      未完成   (真田弦一郎   マネージャー設定)
 
 
 
 
 
 見えている範囲の傷を手当している間でも、少年は眠りの世界から戻ってくることはなかった。今この瞬間にもかなりの痛みが走っているだろうに…それだけ深い疲れが体を包んでいるということなのだろう。
(青学からここまで移動してくるだけで数十キロはある。その距離をパワーアンクルを付けて来た上にハードな内容の草試合…それだけじゃないわ。すでに放課後の練習で相当に体力を消耗しているはず)
テニスクラブから借りた救急キットを片付けながら、新菜は唇を強く噛みしめていた。そうしないといたたまれないような気がしたのだ。
 彼女の隣では携帯電話を使ってどこかに連絡を入れていた副部長がその手を止める。
「どうしたの? 無事に話は出来た?」
「とりあえずはな…」
一本気な性格の真田弦一郎にしては妙に歯切れの悪い返事だった。
「何かあった?」
「いや…お前にも以前にサムライ南次郎の話をしたことがあったな」
「うん」
今から十数年前に単独でアメリカに渡った伝説のテニスプレイヤーである。世界中のあらゆる大会を総なめにしておきながら、ランキング一位を目前にして引退…以来消息を知る者はほとんどいなかった。しかしその名はテニスを愛する者にとっては避けて通ることは出来ず、弦一郎もまた彼を憧れの対象として尊敬し続けてきたのだ。
 その彼の名が何故こうして話題に出てきたのか…それはここにいる他校の少年の父親だったからだ。切原赤也との草試合の直後に倒れてしまった彼が、偶然にも生徒手帳を携帯していなければ一体どうなったのか見当もつかない。数日後に迫った決勝戦を前にもめ事を起こしたくない気持ちは向こうも同じだろう。新菜が彼の手当を引き受けている間に弦一郎が自宅に電話をかけることが、結果として憧れの人と話をすることになったのだ。
「それで? 何か言われた?」
「…気が抜けた」
 頭上にも?マークを散らせている新菜に、弦一郎は電話でのやりとりを語り始める。本人はサムライと呼ばれたあの人に相当な夢を抱いていたようだが、どうやら実際の人物像と大きく異なっていたらしい。事情を話して詫びを入れると、『あいつらしい』と言った後に大笑いし、タクシーで自宅まで送ると言うと、『そのままにしておけば自分で帰ってくるだろう』と言われたのだ。
「それくらい豪快な人が親じゃないと、この子みたいなプレイヤーは育たないんじゃないの?」
「そうなのだろうが…ただこのままにしておくわけにもいくまい。タクシー会社にも電話をしたから、このまま自宅に帰そう」
「うん」
 
 
 
 
 二人で少年をタクシーの止まっているところまで運び、初老の運転手に事情を話す。住所を教えた上で大体の料金を計算してもらって手渡すと、人の良さそうな彼は無理な注文を快く引き受けてくれた。
「この子の自宅にはもう話をしてありますから」
「わかりました」
二人は大きなエンジン音をたてて走り去って行く車を見えなくなるまで見送った。
「…俺達も行くか」
「そうね」
 もうクラブの周りに人はいない。時間的なものもあるだろうが、これだけの騒ぎが起きれば自然と人の波も引いて行くものだろう。立海の他のメンバーも赤也を連れて学校へ戻っているはずだった。弦一郎と新菜は一度使わせてもらった休憩室に後片づけを始める。しばらくは無言で作業をしていたものの、彼女の方が先に沈黙を破った。
「ねえ、弦一郎」
「なんだ」
「こんなこと言うと怒られるかもしれないけれど、私…あの二人の試合を見てみたかったわ」
 弦一郎は手を止めて新菜を見つめる。立海大附属男子テニス部のマネージャーとして、草試合を禁じていることを一番よく知っている存在のはずなのに。
「お前…」
「もちろん草試合が正しいなんて思っていないよ? でもやっぱり興味はあるの。あの手塚くんが認めたという一年生…実際に見てみたいとは思わない? ましてや相手がうちの赤也だったなら余計に」
彼女の言葉を否定しながら、それでもどこかで好奇心を疼かせている自分がいるのを感じる。しかし…。
「あの越前という男が手塚の選んだ人間なら…赤也は幸村にその才能を認められた存在だ。俺はあの二人に人を見る目の優越はないものだと信じている。ならば余計に正式な場での試合を望む方が正しい」
「そっか」
「あまり焦るな。近いうちに必ずその日はくる」
 休憩室に預かっていた鍵をかけて二人は管理人の元へ挨拶に向かう。しかしそんな間でも新菜はずっとあのことを考えているようだ。
「近いうちに…か。でもその前になにかありそうな気がしないでもないけど」
「どういうことだ」
「将来を期待されているエース同士を初めのうちに対戦させるのはもったいないかもしれないってこと。もし私が監督だったなら…世間に名前を知らしめ、相手チームの土台を揺るがす為に、チームの大黒柱にぶつけるわ」
彼女に前方から覗き込まれて、弦一郎はフフッと笑う。
「なるほど。赤也よりも先に俺が対戦するということか」
「ご感想は?」
「願ってもないことだ。あのサムライの血を受け継ぐ者ならな。ただ…」
「ただ?」
「お前は俺が負けるのだと思っているのではあるまいな?」
「まさか」
 足を止めて彼女を凝視する弦一郎に対し、それを見つめる新菜の目も強く澄んでいた。
「皇帝という名前が伊達や酔狂で付いたものだと思っているの? 弦一郎は無敵よ…相手が誰であろうと負けたりしない。私にとってはあなたこそが何かに選ばれた存在だと思うもの」
その言葉に照れくささを感じるのか少しだけ顔が赤くなったが、それでもまんざらでもないようだった。
「当然だ。負けないということに関してはな」
 
 
 
 
 クラブを出る頃空はすでに赤く染められており、思った以上に今回の件で時間をくってしまったことがわかった。先程柳蓮二に連絡を入れたところ、練習も佳境に入ったから早く戻ってこいと返される。
「急ぐぞ」
「はいっ」
バス停まで手をつないで走る二人の影が長く伸びた。
「ところで新菜」
「なに?」
「…お前、最近蓮二に似てきたぞ」
「そっかな?」
 
 
 
 
END
 
 
 
 
間に合え誕生日(笑)。
 
 
 
 
イメージソング   『ロマンシングヤード』   CHAGE&ASKA
 
更新日時:
2004/05/21
前のページ 目次 次のページ

戻る


Last updated: 2010/5/14