365 TITLE

        
26      リセット   (柳蓮二   マネージャー設定)
 
 
 
 
 
 立海大附属中学・男子テニス部…このごろそこの部室の灯りが随分と遅くまでともることが多くなってきた。決められている生徒の帰宅時間を大幅に越しているとわかっていながら、渋々許可をしてくれた顧問教師や副部長である真田弦一郎に甘えるような形で今日もあの男はたったひとりでそこにいるのだ。
「充分なほどのデータは集まっているはずだし、それらも全てレギュラーにきちんと伝えられている。あまりこの時期に無理をして欲しくないのだが」
マネージャーである三年の日生新菜を呼び出した真田は、自分の胸のうちをこう明かす。
「一体何をしているの?」
「これまで集めてきた全てのデータを何度も修整し、書き換え、しかしそれさえもすぐに白紙へと戻してしまっているらしい」
 唇を強く噛みしめる真田の様子は、最早副部長のそれではなかった。入部当時からずっと共に部を支えてきた親友に向けたものである。それらの行為を止められない悔しさが新菜の胸にも伝わってきた。
「全国を目前にしてマネージャーも忙しくなってくるのは承知している。無理を言うようだが…あいつのことをよろしく頼む」
達人と呼ばれるあの人に対して自分がどれだけの事が出来るのかを考えてしまう。しかし目の前の落ち着かない真田を見ていると無理とは絶対に言えなかった。
「わかったわ」
 
 
 
 
 部室の壁の一方を覆い尽くすほどの資料は、全て参謀と呼ばれている彼によって管理されている。その内容はチームメイトのみには留まらず、全国の名だたる中学生プレイヤー全てを網羅しており、立海大附属という存在が常に高い場所を目指しているという証明でもあった。しかしこれらの膨大な資料を全て自宅へと持ち帰るのは不可能だ。自然とこうして遅くまでの居残りが身についていた。
「蓮二くん…いる?」
ノックと同時に聞こえてきた声に、柳蓮二は頭を上げた。
「新菜か」
「少し休まない? 差し入れ持ってきたの。ちょっとしたお腹の足しになれぱいいんだけど」
どうせまだ帰るつもりはないのでしょ…と言いながら新菜は蓮二の向側に座る。そして手にしていた白い箱を目の前に置いた。
「気を使わせてしまったか。申し訳ない」
「そういう風に言うって事は、本当に忘れているんだ」
「? どういうことだ」
 新菜はフフッと笑いながらホワイトボードの横にあるカレンダーを指した。
「今日は…6月4日?」
「おめでとう。今日で15才だよ」
誕生日など気に止める性格ではないが、それでも日々に追われ過ぎていた自分に蓮二は軽いショックを受ける。それと同時に忘れずにいてくれたマネージャーの存在がどこかこそばゆくてその場で笑ってしまいそうになる。
「中は食べ物か?」
「大変だったのよ。しばらく女子部の冷蔵庫に隠させてもらったりしてね。もしこっちに持ち込んでいたら今頃はブン太くんの胃の中だったかも」
新菜に見守られる形で蓮二は箱を手にし、丁寧に開ける。その中には冷たいデザートが入った2つの大きめなマグカップが並んでいた。
「ティラミスだな」
「大きな苺のケーキってタイプじゃないと思って。カップもプレゼントのつもりだから、よかったら受け取ってくれる?」
 申し訳ない気もするのだが、自分が誕生日を忘れていたこともあって遠慮するタイミングを失ってしまったようだ。フフッと照れくさそうに笑いながら言う。
「すまないな。大切にするから」
「どういたしまして」
データの整理に使っていたペンをスプーンに持ち替え、ティラミスをすくって口に入れる。ココアの苦みとコーヒーリキュールの風味が口に広がっていった。
「…これ、本当に新菜が作ったのか?」
蓮二の言葉に新菜の顔がサッと青くなる。この人は見かけによらずグルメの部類に入るから、よっぽど美味しいものを作らないとならないことはわかっていたが…たとえ何度も味見をしたとしても口にあわなければどうしようもないわけで。
「ごめ…」
「こんな美味いケーキを食べたのは初めてだ」
「へ?」
データマンである彼は軽々しく嘘なんかつかないけれど…。
「本当?」
「お世辞を言ってどうする。本当に買ってきたやつよりもずっと美味い」
新菜は頬杖をついて、もくもくとティラミスを食する蓮二を見ていた。どうやら気に入ってもらえたようだし、マグカップの方も使ってもらえそうだ。
「何をニタニタしているんだ」
「だって嬉しいんだもの」
「そうか…ならば来年の分も頼んでおくか」
「うんっ」
 しかしじっと見つめているとやはり蓮二は少しやつれて顔色が悪いように見える。
(あいつのことをよろしく頼む)
真田の不安げな声が蘇ってきた。それに何度もデータの洗い直しをしている理由も知りたいと思う。
「疲れているとね、甘いものが食べたくならない?」
「確かにそういうな」
「…だったら蓮二くんはそれだけで足りるのかな」
食べ終えたマグカップを箱の中に戻しながら、蓮二はフーッと息をついた。
「疲れているように見えるか?」
「疲れているというよりも、自分を追いつめている感じはする」
「そうか…」
「何かあった?」
 ここで人は目を伏せるのだろうが、彼はゆっくりと目を開いて新菜のことを彼女だけが知る優しい眼差しで見つめた。
「弦一郎か?」
「初めは何をしているんだろうって思ったの。でも怖くて聞けなかった。真田くんはそれを教えてくれたの」
副部長の不安はそのままテニス部全体に影響を与える。一人でこっそりとやっていつもりだったが、あらゆる面で限界だったのだろう。
「そうか、すまなかったな」
 新菜は返事の代わりに彼が必死といった感じでまとめていた資料を手にする。その内容はすでにレギュラー陣の手に渡っているものばかりだ。
「無駄なことをしているのは自分でもわかっている。だがそうせずにはいられないんだ」
「どうして…」
「何度同じ事を繰り返しても…いくらデータを集めたとしても、どうしても足りない気がしてならない」
「何が足りないの?」
「…精市がいないんだ」
最後の言葉でようやく彼から本音が出たのだとわかった。その表情が切なげに歪む。
「病気のことをとやかく言うつもりはない。精市と入れ替わるような形でレギュラーに入ってきた赤也の戦力は充分すぎるほどだ。だとしたら…本当に弱いのは俺の心の方なんだろう」
 立海大附属の部長である幸村精市が病に倒れたのは昨年の冬のことだった。あの時の衝撃は新菜の脳裏にも強烈な形で焼き付いている。だとしたら一年の時からレギュラーとして共にあったこの人のショックと苦しみはどれほどのものだったのか。
「情けないな。でもあの男がいないだけで妙に心がざわめいてしまう。甘えていたんだな、今まで3人でやってこれたということに」
「…だから今まで誰にも何も言えずにいたんだね…」
 自分の向側から聞こえるひっくひっくという嗚咽に蓮二は我に返った。
「どうしてお前が泣く?」
「だって私…ただ見ているだけで、それでも蓮二くんは大丈夫なんだって信じ込んでいて…。こんなに苦しんでいること知らなかった…」
「それはお前のせいではないだろう?」
「でもやっぱり一番最初に知らせて欲しかったし、何か私にも出来ることがあったんじゃないかって思うよ…」
俯きながら何度も何度も溢れる涙を拭う。こんなことをしてもこの人を困らせるしかないのだとわかっていながら、それでも止める事が出来ない。
「わたしっ、何か出来ることないかな」
「新菜…」
「お願いです。何かさせて下さい」
 深々と下げた頭を大きな手が優しく包み込む。新菜の柔らかな髪をまるで大人が子供にするかのように撫でてくれていた。
「今ここにあるのが最新のデータだ。それを監督とレギュラー全員、そして精市の分だけコピーしておいてもらえるか。週明けの放課後までに用意してもらえれば、後は俺が連中に配っておく」
「それだけでいいの?」
「言っただろう? 俺もわかっていたんだ。もうこれ以上のデータなど必要ないって事はな」
蓮二はそのまま机の上に散らばっていた資料や筆記用具を片付け始める。新菜も慌ててそれを手伝った。
「今まで何をためらっていたのだろうな。隣にこうしてお前がいてくれたはずなのに」
「蓮二くん…」
「お前を泣かせてまで俺はこれに執着するつもりはない。全てはコートの上で示してみせる」
 渡された最新データには彼の伸びやかで綺麗な字が並んでいる。新菜はそれを愛おしむようにしっかりと抱きしめた。
「でもね、次に何かおこったらどうするの…?」
「その時は遠慮なく甘えさせてもらうよ」
二人の間に本当の意味で笑い合える時間が戻ってきた。
「帰るぞ」
「はいっ」
 
 
 
 
END
 
 
 
 
蓮二はぴばー。ちょっと湿っぽい話で申し訳ないです。
 
 
 
 
イメージソング   『つよがり』   Mr Children
更新日時:
2004/06/07
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Last updated: 2010/5/14