365 TITLE

        
25      キライ   (乾貞治   女子高生設定)
 
 
 
 
 
 2月14日である。名前の由来である大司教の名前は知らなくても、この日がバレンタインデーであることは国民の誰もが知っていることだろう。女性の側から愛する人に贈り物をする日…「そんなのチョコレート会社の陰謀さ」などとうっかり口にしてしまえば、その背に『もてない奴』という烙印を押されても仕方ないという、要するにそういう日なのだった。男の方がソワソワと心待ちにしている頃、贈る側の女性の方もなかなか大変であるらしい。
「準備はこれでよし…かな?」
 自宅のキッチンで腕まくりをする少女…名前は日生新菜という。彼女の目の前には買ってきたチョコレートの材料とレシピが並べられていた。テニス部に所属する友人たちと出かけていった店で買いそろえた物だった。しかし新菜がこんな女の子らしい行動に出ることが彼女たちには信じられなかったらしく、チョコの固まりやリキュール類を手にするたびに「ああっ」だの「おおーっ」だの店内で色々叫んだくれたことを思い出す。確かにこれまでは男女交際というものに興味を示したことさえなかったけれども…。
「でも仕方ないもん。好きになってしまったんだから」
自分のそんな言葉に赤面しながら、新菜はチョコを溶かす為にその固まりを削り始めた。
 
 
 
 
 そして2月14日という日は当たり前だが、青春学園中等部の元にもやってくるのだった。
「バレンタインか…」
しかしこれまでの新菜がそうであったのと同じように、乾貞治という少年がこの日を特別に意識したことはなかった。それどころか一日女子生徒に追いかけ回されて机の上にまで山のように贈り物を積まれる友人たちの姿を見ていたら、自分は絶対にこんな風にはならないぞと心に決めていたふしがある。もし自分に恋人が出来たとしたら…こういったことに左右されない大人の女性であればよいと思っていたのだった。
 しかしそんな想像もついこの前までのことだ。
「明日?」
『そう。会えないかな』
彼女から電話がきたのは昨日の夜のことだった。それは本気でお願いしているようなとても小さな声で。
「かまわないよ。待ち合わせはいつもの場所でいいかな」
『ありがとう!』
詳しい時間などの打ち合わせをし、お休みなさいの言葉で電話を切る。それでも貞治の耳には新菜の可愛らしい声がいつまでも残っていた。
「あの少し自信なさげな様子から判断すると…相当に高い確率で手作りだな」
あえて誰もいない部屋でそう口にしてみる。当然次の瞬間にニヤッと笑ったことに気がつくものはいない。この顔を以前『恋人がいなくても痛くもかゆくもない』と思っていた自分に見せてやりたいものだと本人も思う。確かにフリーだった頃には痛い思いをしたことはなかったが、愛する人が存在するという幸福感はやはり何物にも変えられないものだと感じられた。
 そんなわけで当日の貞治は誰の目から見ても気持ち悪いほどの機嫌の良さを披露していた。バレンタインのパニックがあちこちで巻き起こっているせいでそれほど目立ってはいなかったが、それでもいきなり
「フッ、フフフフフフ…」
などと意味深に笑いを漏らされては、クラスメートたちが半径50pほど離れてしまったとしても仕方ないことだろう。男子テニス部に所属していた彼の元にもそれなりの数のチョコはやってきたが、義理・本命問わずにその全てを断った。もちろん思い浮かべるのは生まれて初めてもらえる彼女からのチョコレートのことのみ。しかしその有頂天な気持ちがのちにとんでもないことを引き起こすことなど、この時の彼が知る由はなかった。
 
 
 
 
 日生新菜は乾貞治よりも二歳年上の高校二年生だった。電車で二駅ほど離れたところに住んでいる為に、そういつでも会えるというわけではない。しかしだからこそ燃え上がってしまう気持ちというのは確かにあるわけで…貞治は新菜と過ごす時間を本当に大切にしていた。
「貞治くん! こっち…」
いつも2人が待ち合わせに使っているのは、電車で一駅行った先のファーストフードの店だった。お互いに一駅ずつ歩み寄った形になるし、ここだと懐も極端に冷え込むことはない。
「やあ、待ったかい?」
「ううん、今来たとこ」
 頬を薔薇色に染めるほど興奮しているということは、手作りが相当上手に出来たということか…彼女に悟られないようそんなことを心の中でのみ呟いてみる。もちろん味がどうであろうと嬉しい気持ちに偽りなどないが。
「あっ、あのねっ」
(きたっ!!)
「なに?」
「これなんだけれど…」
鞄の中から出てきたのは淡いパステルカラーの箱だった。ブルーのリボンには増加の小花をあしらったブーケも飾られている。多少曲がっているように見えるのも手作りの味というものなのだろう。
「これを、俺に?」
わかっているくせに、彼女自身の口から聞きたくてわざとそんなことを言ってみたりする。そんな初々しい様子をテニス部の面々が見たら何と言うだろう。
「初めてのバレンタインだしね。頑張っちゃった」
「…ありがとう」
 慌てて大きな手を顔面に広げ、わざとらしくメガネに触れてみせる。それは鼻の下がベロベロに伸びているのを隠すためだ。
「ねえ、食べてみて」
「いいのかな?」
ここではおそらく持ち込みを禁止しているのだろうが、それでも周りには隠れるようにしてこっそりと小粒のチョコを口にしている恋人達が沢山いた。なんとなくそれでもいいような気持ちになってリボンを解く。
「トリュフだね」
「うん、一応初心者だから。来年まではチョコレートケーキレベルになるまで精進するよ」
 コロコロとした丸いチョコレートは、バレンタインに合わせるように美しく化粧をされていた。パウダーシュガーだったり、チョコスプレーだったり、ビターなココアの粉末だったり…思わず口にするのが勿体ないと言いそうになる。
「じゃ、頂くよ」
一口でチョコを頬張る姿を、新菜は少し緊張したかのように見つめている。
「どうかな…おいし?」
「この材料のチョコはカカオ87%のフランス製かな」
「えっ?」
「そして加えられた生クリームは…」
 新菜の口元からついに笑顔が消えた。しかしチョコの成分を語る貞治はそのことに気が付かない。
「貞治くん」
そう言われて彼は初めて我に返る。
「どうした?」
「貞治くん、チョコレートが苦手だったっけ」
「いや…大好きだけれど」
それを証明するかのようにもう一つトリュフを口に放り込んだ。
「そう。だったら私のことが嫌いだと、そういうわけね」
「…は?」
一体彼女は何を言っているのだろう。しかしそう思ってもすでに手遅れのようだった。
「もういい!! 無理に食べてもらったって少しも嬉しくなんかないっ」
新菜はそう叫ぶと貞治の手から箱を取り上げて、恐ろしい捨て台詞を吐いた。
「大っっ嫌いっ」
 それは言葉のカウンターパンチとなって彼の心を砕き、それでも彼女は背を向けてそのまま店を出て行ってしまった。まるで嵐のような出来事に店員も客も唖然としている。
「…まずい…」
それでも貞治の脳内コンピューターは伊達ではなかった。すぐにこうなった原因を弾き出す。日生新菜の弱点…それは数字だった。とにかく物事をそれに置き換えられるのを極端に嫌っているらしい。まあテニスのデータくらいなら大目には見てくれるだろうが、それが自分を対象にしているのなら怒るのも無理はないと思う。
「さて、どうしたものかな」
店内の全ての視線を一身に受けながら、彼は改めて腕を組み直した。
 
 
 
 
 『恥ずかしい』というよりは『情けない』という感情なのだろう…新菜はずんずんと歩きながらそんなことを考えていた。そしてバカバカバカと何度も心で繰り返す。半分は相手に対して、残りの半分は自分自身に対してのものだ。確かに高校生の言動としては幼すぎると認めざるをえない。
(…でもやっぱり貞治のバカ!!)
 昨日のチョコレートを作りながらのドキドキした気分を思い出す。これまでの思い出と、そしてこれから起こるであろう出来事を思い浮かべたりして、本当に幸福な時間だった。あのセピア色の贈り物には一途な気持ちもまた存分に込められていたのだ。だからこそそれを数字という形で置き換えられてしまったことが悲しくてたまらない。
「私の気持ちはいつだって100%しかないのに」
でもずっとこのままこうして悔し涙を堪えているわけにはいかない。もう目的は済ませたのだと思って前を見る。
「もう帰ろ」
 バレンタイン用のイルミネーションの中で恋人達はみんな幸せそうに肩を寄せ合っていた。もしかしたら自分もその中にいたのかもしれないと思うと、一層心が重くなってくる。それでもなんとか駅に向かおうとした時…彼女は大切なことに気が付いた。
「まずい! 鞄忘れてる!」
その時手にしていたのは貞治から取り上げたチョコレートの箱のみ。その他の持ち物は全て先程の店に置いたままだ。
「私のバカ…」
 鞄の中には定期券も財布も入っている。一度は戻らないと家に帰ることも出来そうにない。家や友人たちに連絡を取りたくても、携帯電話だってやはり鞄の中なのだ。
「どうしよう…」
「捜し物はこれかい?」
背後から突然聞こえてきた声に慌てて振り向く。そこには自分のジャケットと鞄を手にしている彼の姿があった。ここまで追わせてしまったことを内心申し訳なく思うが、それでも胸にふつふつと沸いてくるのはこの人に対する怒りだ。
「ありがとう」
 一応の礼は言ってみたものの、それに感情はまったくこもっていない。貞治はそれを黙って聞いていたが、手渡そうと差し出した荷物をスッと引いた。
「なによ…返してよ!」
「そうしようと思ったけど、やめておくよ」
「なんでっ」
貞治は指をスッと新菜の方へと向ける。その先には唯一の持ち物だったチョコ入りの箱がある。
「交換条件といかないか」
「交換条件…?」
「ここにある新菜の荷物と、チョコレートを」
新菜は絶句したまま貞治を見つめる。でもよく考えなくとも、現実として言われた通りにしなくてはならないだろう。しばらく考えた末に彼女はこう叫んでいた。
「お断りよ!」
「でもそれは元々俺がもらった物の筈だけど」
「返してもらったなら私の自由よ」
「返したつもりもないよ?」
 一方は相変わらず冷静に真実を語り、もう一方は半分涙声で思いのたけをぶつけている。新菜は自宅に帰れないかもしれないという不安を抱えながら、それでも己のプライドを選んだ。
「大したものではないけれども、一生懸命作ったのよ。確かに誉めてもらいたかった気持ちはあるかもしれないけれど…でも初めてのバレンタインは2人にとって大切な思い出になるんだろうって思っていたから。だけど貞治くんにとってのこれは単なるチョコと生クリームを混ぜた物にすぎないんだよね」
「ちがっ…」
「まるでバレンタインデーという名前のテストを受けさせられたみたい。私の気持ちなんて数字では計れないのに…」
 言いたいことを言いまくると妙にすっきりとした気持ちになる。もしかしたら嫌われてしまったかもしれないが、それでも開き直った女性のパワーというのはこんな感じなのだろう。
「嬉しかったんだよ」
「何が…」
「チョコレートもらえたことが本当に嬉しかったんだ」
新菜はようやく落ち着いた気持ちを取り戻して彼のことをじっと見つめた。頬を赤く染め、手は必死に口元を隠している。どうもいつもの乾貞治とは様子が違う。
「ただ…何て言えばいいのかがわからなかったんだ」
「どうして?」
「嬉しかったのと、あとはやっぱり照れくさいのもあったからね。今日のことはずっと忘れないくらいの日になるとわかっていたけれど、わかっていたからこそどう言えばいいのか…『ありがとう』と『美味しかったよ』だけじゃ寂しいだろう?」
 貞治はジャケットと鞄を今度は本当に新菜へと差し出した。それを素直に受け取り、彼女はこう呟く。
「…それだけでよかったのに」
「いつものように言えば笑ってくれると思ったんだ。ちょっと目測を誤ってしまったけれどね」
「貞治くんにもそんなことがあるんだね」
ようやく新菜はここで優しい微笑みを見せた。
「じゃあ改めて言うよ。チョコレートもらえるかい?」
「…もちろんよ」
迷い子になりかけたプレゼントは本命の手元になんとか戻り、そして恋人達は腕を組むとそのまま人混みの中に消えていった。
 
 
 
 
END
 
 
 
 
出遅れバレンタイン話でした。こういう話って季節が限定されてしまうのが難点ですね。でもこのまま一年間温めておくのもまずいんじゃないかと思ったのであえて放出しました。でもこの2人ってあんまり喧嘩しないって設定の筈なんですが…おや?
 
 
 
 
イメージソング   『HEART of GOLD』  EXILE
更新日時:
2005/02/18
前のページ 目次 次のページ

戻る


Last updated: 2010/5/14