365 TITLE

        
19      双子   (幸村精市   兄妹設定)
 
 
 
 
 
 病室の窓を大きく開け放ち、下の方に向かって大きく手を振る。すると彼女の方に向かって彼らも手を振り返してくれた。
「新菜せんぱーい、また明日も来るって部長に伝えて下さいよーっっ」
一年後輩になる切原赤也の大きな声があたりに響き、別に新菜が伝えなくても彼にしっかりと伝わっていた。
「赤也…真田たちに袋叩きにされているだろ?」
「大正解」
他の患者に迷惑だろうと他のメンバーにこづかれている姿がはっきりと見えた。数人は本気の注意のつもりで、あとの数人はふざけついでにといった感じなのだろうが。
「気を付けてね? 練習頑張って」
関東大会の決勝を数日後に控え、彼らは随分と遅くまでコートで練習を続けている。こうした鍛錬の繰り返しが『王者』『常勝』といった通り名を支えているのだ。そんな彼らの背中が見えなくなるまで新菜はそこに立って見守っていた。
 先程まで賑やかな会話と笑いで満たされていた病室が急に寂しく寒々しい感じになる。新菜は窓を閉めてベッドの方に振り返った。
「大丈夫? 精市…」
「少しだけくたびれたかもしれない。連中といるとつい我を忘れてはしゃいでしまうからね」
でも心配しなくていいよ…と言いたげに、彼は優しい微笑みを向けてくれた。部活や試合の報告を聞いているだけで時間はいくらあっても足りないくらいだ。ましてやその口が七つあるのだとしたら…幸村精市は心地よい疲れを纏いながら体をゆっくりとベッドに倒した。
「少し眠った方がいいかもね」
そっと顔を覗き込んだ新菜の頬に精市の随分と細くなった手が触れる。
「新菜こそ…あまり顔色よくないよ? 病院とコートの往復で疲れているんじゃないのか」
「私は平気。本番直前になっちゃえばマネージャーのすることなんてたかが知れているし。今日だって夜遅くなるからなるべくこっちにいろなんて言われちゃった。大丈夫…運動神経はないけど体力はあるよ? お母さんちゃんと丈夫に生んでくれたもの」
「…俺だってそう思っていたよ、倒れるまではね」
 精市の病名は『ギラン・バレー症候群』、免疫性の原因不明の難病だった。数日後に手術を控えているものの、それが成功する確率は決して高くはない。テニスに己の全てを賭けていた彼の心情を考えると、軽く言ってはいけない言葉だった。
「ゴメン…」
「そんな泣きそうな顔しないで。別に新菜を責めているわけじゃないんだ。ただ苦労かけているからせめてそのくらいの心配はさせて欲しいし、少し甘えてくれた方が安心するよ」
そして自分が横になっている布団を半分だけめくった。
「こっちにおいでよ。一緒に眠ろう」
「えっ…?」
「大丈夫、誰もみていないから」
「二人一緒じゃ落ちてしまったりしないかな」
「新菜の体を支えるくらいの力はあるさ」
そんな優しい声で言われると、不作法だとわかっていながら、それもいいのかもしれないと思えてしまう。差し伸べられた精市の腕に支えられながら新菜はベッドに滑り込んでいった。
 こんなに近くで顔を合わせるのはどのくらい振りだろう。同じ日に同じ母親の体内から誕生した兄と妹は、それでも成長に伴う自分たちの距離を感じずにはいられなかった。狭いベッドの上だと小柄な新菜は精市の腕にすっぽりと収まってしまう。
「小さいときはよくこうやって昼寝とかしてたよね。いつから別々になったんだろう…」
「精市がテニスを始めた頃じゃないかな。あれからずーっとテニスに夢中で。運動神経皆無な私はついて行くのが大変だったもの」
そんな彼女も今では常勝軍団を支える有能なマネージャーの一人になった。新菜がいなければ物事が上手く動かなくなるとまで言わしめているらしい。真田から信頼されながら赤也を甘やかすという器用な真似が出来るのも新菜だけだろう。
「ごめんね、いっぱい心配かけて」
大切な妹に何度同じ言葉を繰り返しただろう。でもどれだけ繰り返しても足りない気がしてならないのだ。最初に倒れた去年の冬には『自分が病気になれば良かった』と泣きじゃくった新菜の頭をいつまでも撫でていたことを思い出す。しかし半年・一年・そして十年後の自分の腕はそこまで自由に動いてくれるのだろうか。もう二度とこういう密着した時間は持てないのではないだろうか。
「…少し話をしてもいいか」
「うん」
 精市は新菜から目をそらして天井を見つめる。
「ずっとね、夢だと思っていたんだ」
「何が?」
「最初に倒れた冬の時、真田が言ったんだ…俺が帰ってくるまで無敗を守るってね。正直とても嬉しかったよ。これからどうなるかわからない自分を信用してくれているんだなって。でもその半面自分にとって都合のいい夢を見ているんじゃないのかって疑っていた」
しかしそれは夢ではない。元々常勝を守れる実力の持ち主が集っていたが、このごろは少し状況が変わってきたようだ。恐ろしく思えるほどの勝利への固執…それはただ彼らから伝え聞く話からでも充分に伝わってくるのだった。
「でもそれが事実なのだとわかると、今度は例えようのない不安が襲ってくるんだ。こういう体になってしまうとね、わかるんだよ? 自分が自分らしくなくなってゆく瞬間がね」
「精市は…みんなが強くなるのが嫌?…」
「ものすごく嬉しいよ。でもね、勝利の二文字にこだわることで彼らの良い部分が失われて行く気がしてならないんだ。だったら負けてしまう方がずっとましだ。一度や二度の敗北で立海の名前は傷ついたりはしないだろう」
「精市!」
 新菜の泣きそうな叫びに精市は初めて我に返った。彼女の白い頬に一筋の涙が伝っている。
「言いたいことはよくわかるよ? 実際これまで勝ちにこだわったレギュラーなんて見たことないもの。でもね、私そうせずにはいられない彼らの気持ちもわかるの」
「新菜…」
「今でもチームの中に精市がいるの。彼らはそう思いながら練習や試合に臨んでいるんだと思う。真田くんもそれをよくわかっているから決して部長代理を名乗ったりしないし、みんなも変わらずに彼を副部長って呼ぶの。敗北を許さないのは精市のいる場所を常に確保しているっていう証なのかもしれない」
 精市の細い指が新菜の涙を優しく拭う。もう片方の抱きしめている腕にも力がこもった。
「だから…彼らを見てそんなに不安にならないで。早く良くなって帰ってきて…」
「わかっているよ。必ず直してみんなのところに帰るよ。だから新菜も俺の代わりに彼らを見守ってあげて欲しい。あの7人が追いつめられないように…いや、追いつめられた時があったとしても支えてやって欲しいんだ」
彼女の手を取ってお互いの小指をしっかりと絡ませ合う。
「約束だね?」
「そう。俺は必ず手術を成功させる。そして新菜は俺の代わりに連中のことを見守ること。どっちも破れない約束だよ」
「結構プレッシャーかもしれないなあ。幸村部長は偉大な人だもの」
「その血を受け継ぐ人なら大丈夫。真田も新菜の言うことには弱そうだしね。ほらゆびりきげんまんしよ…」
小さな声で歌いながら繋がった小指同士を軽くゆらす。子供の遊戯みたいな約束も、二人には非常に重い意味があることを知っていた。
「おやすみ」
「今度こそ、本当のいい夢が見られるといいね」
「うん…」
 
 
 
 
 
 
 それから10分ほど後、そこにはすうすうと素直な寝息をたてている二人の様子を見下ろす幾つもの影があった。
「すっげー…えらく気持ちよさそうじゃん」
言葉のついでに口にしていたフーセンガムがパチンと割れ、慌てて背後の者が衿を掴んでベッドから引き離す。
「あにすんだよ!」
「バカかお前は! 耳元でそんな音たてたら起きちまうかもしれねーだろうが」
「テメーの方が遥かに口うるせーぞ、ハゲ」
「誰がハゲだってー!?」
 小声で言い合いをしている二人を無視して、唯一の後輩はまじまじと寝顔を観察していた。
「でも俺らがここを出てからまだそんなに経ってないッスよね」
そう問われた医師の息子は、指で眼鏡をくいっと持ち上げながらこう言った。
「無理もない話ですよ。二人とも自分たちのことだけでも不安なのに、試合のことに関しても常に考えてくれています。よっぽど疲れているのでしょう」
「なるほどー」
赤也が納得するように頷いた時、背後からククッという気になる笑い声が聞こえた。
「どうしたんスか? 仁王先輩…」
「いや、随分と可愛いことしよるなあと思っての」
「は?」
「見てみんしゃい」
 どうやら彼の視点は顔色よりも二人の指先に集中していたようだ。寄り添うように眠る二人の小指がしっかりと絡み合っていたからだ。
「一体二人きりの時にどんな約束をしたんじゃろ。ここのうちは時々双子に見えん時もあるけん、興味そそられるのう」
仁王雅治がそう言いかけた時、廊下から咳払いをする声が聞こえてきた。
「さっさとしないか! ここへは忘れ物を取りに戻っただけの筈だ」
「相変わらず厳しいな、真田は」
「なんだとっ!?」
すると彼の隣に控えていた参謀が溜め息と言葉で言い争いを制する。
「お前の声の方が騒がしいぞ、弦一郎。ここで話していても二人が起きてしまうかもしれん」
「蓮二…」
「それにやきもちはもっと可愛く妬いた方が俺は良いと思うがな」
他の部員達にクスクス笑いと共に注目を浴びる副部長の姿がそこにあった。
「全員たるんど…」
「はいはいはい、これ以上音をたてたら本当に起きちゃいそうッスよー。その前に早く帰りましょう、副部長」
「私たちはあなたの忘れ物を取りに戻ったと思いましたが」
「そうでしたっけ?」
そういった言葉のノリに合わせて順番に病室を出て行く。最後の一人は二人の様子を伺いながらそっと扉を閉めた。
 
 
 
 
END
 
 
 
 
個人的に幸村部長は『俺』推奨。
 
 
 
 
イメージソング   『愛のことば』   スピッツ
更新日時:
2004/04/30
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Last updated: 2010/5/14