365 TITLE

        
14      トランス   (切原赤也   マネージャー設定)
 
 
 
 
 
 テニスクラブの管理人に事情を話して救急キットを借りた日生新菜は、他の部員より少し遅れてテニスコートに入る為の扉を開けた。
「みんな大丈…夫?」
そこに広がる光景を見て絶句する。コートの上に座り込む後輩、そして彼を見守るかのように取り囲む他のメンバーたち、扉の側に立つ副部長と参謀の腕には一人の小柄な少年が寄りかかるようにして眠っていた。新菜がその場で取り乱すことも出来たが、そうしなかったのはマネージャーでもある彼女の性分だろう。
「その子、青学のレギュラージャージね? あの手塚くんが実力を認めたという一年生の…」
「そうだ」
 メンバー内の空気がざわめく。この一年生の名前は知らなくとも、青春学園の手塚という名前はすでに全国区のそれだ。この場に刺激を与えるには充分だっただろう。
「とにかくこの子を休ませた方がいいと思う。休憩室を貸してもらえることになっているから、真田くんと柳くんで連れていってあげてくれる?」
「しかし…」
「私も赤也を見たらすぐに行くから。誰にでも話せる相手と話せない相手っているものだよ?」
切原赤也にとっても、したい言い訳は山のようにあるだろう。しかしこんな大人数で囲んでしまっては本音も言えまい。
「大丈夫だから」
「わかった…まかせたぞ」
 少年を抱えながら立ち去る真田と柳を背にして、新菜は座り込む後輩の方へと視線を動かした。
「…赤也…」
この試合の結果はすでに示されている。しかしそれを見なくても彼女にはその全てがわかるような気がした。コートの上に座り込む背中が小さく見えたのはいつ以来だろう。
(一年前に3人の鬼才を相手にした時だ…)
でもあの時は本音をその場に叩きつけるだけの力は残っていた。なのに今回はがっくりとうなだれているだけだ。あの時以上の傷を心に背負わせてしまったのだと思うと、自然と唇を噛みしめる力が強くなってくる。
「日生…」
他のメンバーが心配げに声をかける中、彼女は彼の側に歩み寄って行った。
 
 
 
 
 頬に冷たい感触を受けてゆっくりと目を開ける。そこには自分を不安げに見つめる女の子の顔があった。
「に…いな…先…輩…?」
「大丈夫? 赤也」
震えるその声に自分も泣きたくなってきた。こんな姿を彼女にだけは見られたくなかったのに。
「随分と激しく殴られたのね」
「すみません」
「部の決まりで草試合を禁じているのだから、それを破れば罰を受けるのは当たり前よ。信頼していた後輩に裏切られた真田くんの手の痛みはそれ以上だったかもね」
言葉自体は厳しくても、優しく言われるとその一つ一つがじっくりと心に染みてくる。新菜は赤也が正気に戻ったことを確認すると視線を唯一事情を知る人物へと移した。
「一体何があったの?」
赤也と同じように殴られた頬を冷やしていたジャッカル桑原はただブルブルと首を横に振った。
「俺も実はよくわかんねーんだ」
「…どういうこった、そりゃ」
 もっとその話を詳しく聞くために、丸井・仁王・柳生の3人もジャッカルの側にやってくる。
「相手は偶然俺達の近くにいたらしい。その時丁度青学の話をしていたからな…声は向こうからかけてきた。赤也は誰なのか知っていたみたいだが…」
「おそらくは真田くんか柳くん…もしくは入院の前に幸村部長が赤也に話していたのかもしれないわね」
新菜の言葉にも赤也の肉体は反応を示さない。彼の脳裏には先程味わった敗北の苦みがまざまざと蘇ってきているはずだった。
「てことは、喧嘩売ってきたのは向こうだったことか?」
「一応はな」
 どうりでおかしいと思ったのだ。切原赤也は明るい表情の内側にとてつもなく高いプライドを抱いている。それはレギュラーの中で年少とはいえ、立海大附属の代名詞である『王者』のそれだ。それ故よっぽどのことがない限りはこの時期に部の規則を破るとは思えなかった。もし越前という少年と出会っていたとしても、向こうが声をかけてこなければただ互いにすれ違うだけだっただろう。多少相手を見下すような視線を送っていたとしてもだ。そして次々と出てくる試合内容にだんだんと全員の顔が凍りついたかのように動かなくなる。『よくわかんねーだ』としか言えないジャッカルの気持ちを皆が理解した。
「トランス状態…ですか?」
そう口にした柳生の声も震えている。彼の隣に立っていた仁王がこう確認したきた。
「…可能か? そういうの」
「こればかりは実際に見てみないと。ただ不可能ではないとだけ申し上げておきます」
 運命というものはどうしてこのような残酷な時を用意するのだろうか。関東大会決勝まであと3日…はたして赤也は対戦相手である青学を前にして冷静でいられるだろうか。周りに不安だけが増してゆく。
「…ちくしょ…」
「赤也?」
ついに耐えられなくなったのか、赤也の目からポロポロと涙が零れ始めた。そしてそのまま自分の拳を地面に叩きつける。
「やめて、赤也!!」
「俺…今まで何をしてきた? これまで俺がやってきたことって一体何だったんだよ!!」
そう叫びながら何度も何度も拳を叩きつける。
「こんなところで…こんなところで立ち止まっているわけにはいかねーのに」
 一年前にあの3人の鬼才…幸村・真田・柳の手でボロボロにされて以来、赤也はそれこそ地獄に等しい日々の練習に耐えてきた。それはあの3人が良き先輩として、そして常に前を行く宿敵として存在してくれていたから出来たのだといえる。今年はダブルスの4人を加えて立海大附属はまた全国の一番高い場所に登りつめるはずだった。それなのに…。
「ちくしょーっ!!」
「やめて!!」
新菜は叩きつけられる直前の腕に強引にしがみついて、そのまま拳を両手の掌で包み込んだ。
「新菜先輩!?」
「こんなことしたら大切な手が潰れちゃう。本当の試合はまだ始まってもいないのに」
「でも俺…」
「こんなところで弱音を吐くなんてらしくないよ…いつもなら『次に会った時はボコボコにしてやる』くらいのこと言っているじゃない。それくらいのこと言えなくちゃ赤也じゃないっ」
 痛みで痺れた手にも彼女の温もりはしっかりと伝わってきた。反論出来ないのは、新菜の言う自分が本当の自分だったからだ。これまでも悔しさと負けん気をバネにこの場所まで辿り着いたのだから。赤也は新菜に握られたのと反対の手で涙を拭い、小さく頷いて見せた。するとこの瞬間を待っていたかのように、ギィという金属音をたてて扉が開いた。
「柳くん…」
先程真田と共に休憩室へ向かった柳蓮二がそこに立っていた。彼は座り込む二人の側まで歩み寄ると、まずは新菜に声をかける。
「弦一郎があの少年の自宅に連絡を入れている。すぐに帰せる目処もつくだろう。その間に簡単でいいから手当ての方を頼む」
「うん…」
そして次は赤也の方に視線を向けた。負けた上に先程の泣き言も全て聞かれているだろう。ここで殴られても仕方ないと覚悟をした。しかし…。
「勝ちたいか」
「えっ…?」
「一度負けたあの男に勝ちたいと本気で思うか」
「もちろんッス!!」
口から自然と大きな声が出てきた。柳もまたその言葉にしっかりと頷く。
「ならば俺はお前の為にあの越前という男のデータを集め、目の前に揃えてやろう」
「あっ…」
 このままで終わることが出来ないのは赤也だけではない。ここでエースに立ち直ってもらわなくては数日後の決勝は乗り越えられないだろう。いずれは正式なコートでの戦いを迎えることになるはずだ。そこで赤也を再び敗者にするわけにはいかない。
「やべーよ、達人の方が本気になっちまった。どうするよジャッカル」
「仕方ねーだろ。俺としてももう殴られるのはまっぴらだからな」
「それでも私たちに出来るのはこの人たちについて行くことだけですよ」
「これで俺らも強くなれるんなら申し分はなかね」
そして最後に…言葉の代わりに新菜がフフッと笑った。
「ならばこれ以上ここにいる必要はないな。学校に戻るぞ」
「ほーい」
 まるで命じられるようにやってきた紳士と詐欺師は、赤也の両脇をがっちりと掴むと、そのまま立ち上がらせてズルズルと引っ張る。
「なっ!? ちよっと、なんでなんでっ? うわああーーーっっ」
「このままにしといたら、おまん新菜にくっついて行くじゃろ?」
「それでは日生さん、私たちはお先に」
「うん。私と真田くんも早めに戻るから。後はお願い」
「そんなっ、新菜先輩殺生なーっっ!!」
ここで二人から逃れたとしても、目の前には更に手強い3人が待っている。このまま学校のコートに直行する以外に道はない。その上新菜はニコニコと笑って手を振っているではないか。
「先輩っ、俺達恋人同士じゃありませんでしたっけー!?」
断末魔の叫びにもかかわらず、やがて赤也たちの姿は新菜の視界から消えた。
「バカね…」
修羅場が終わったことを告げるかのように吹き込む風に、黒髪を踊らせながら新菜はこう続けた。
「恋人だから、そうするのよ」
 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
やっぱりというか、赤也の相手は年上の設定になりました。個人的にこの子と氷帝の鳳くんは『恋人が年上であろうキャラ』の2トップ。
 
 
 
 
イメージソング   『Love is message』   W−inds
更新日時:
2004/06/06
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Last updated: 2010/5/14