365 TITLE

        
11      お買い物   (乾貞治   女子高校生設定)
 
 
 
 
 休みの日を前日に控えた夕方のスーパーはもの凄い人でごった返しの状態だった。仕事帰りの人間から家庭を預かる主婦までもが特売品を吟味しつつ、更に値下げした品物に飛びついてゆく。店員の呼び込みの声もいい加減枯れ始めているようだ。
「大変だね…目当ての物が買えればいいけれど。大丈夫かな?」
人混みを見て肩をすくめたのは自分の学校の制服である白いセーラー服を着た女の子だ。それでも素早く買い物かごと台車を手元に引き寄せる。
「…まあ今日は目的がはっきりしているからね。別に特売狙いでもないし」
そう言うのは彼女よりも相当背が高い、真四角の眼鏡をかけた少年だ。こちらもやはり白いシャツに学校指定のズボンを身に付けている。まだ若い2人がこうして買い物に出向いているのはちょっと不思議な感じもするが、今はそんなことを気に止める人間もいない。そんなわけで遠慮なく身を寄せ合って仲の良い恋人同士としての時間を満喫するのだった。
 そんな中彼…乾貞治はポケットからメモ用紙を取りだして目の前に広げる。
「それが今回の材料?」
彼女…日生新菜は背後から覗き込もうとするが、相手の手の位置が高くて上手に読みとることが出来ない。
「そう。今回は夏向きの新しいメニューを考えてみたんだ」
「毎日暑いもんね。ここでバテるわけにはいかないか…」
高校の女子テニス部に所属している新菜はその過酷さを理解していた。部員たちの体調に配慮するのは素晴らしい事だと認識してもいる。しかしそんな本音を肝心の青春学園男子テニス部員(約一名を除く)が耳にしていたら…おそらくは二度と会話をしてもらえないに違いない。彼女はまだ知らないのだ、自分の恋人が悪魔の所行に等しいことを繰り返しているのを。
「まだ試作の段階なんだけれどね。協力してもらえて嬉しいよ」
「こちらこそよろしく!」
  関東大会にてベスト8までコマを進めた彼等は、明日貴重な休みを使って祝勝会をするらしい。その会場としてボーリング場を選ぶのは中学生らしいといえるだろう。しかし何故その前日にこうして試作品を作るのか…新菜にはその理由がわからなかった。
「丁度試す機会だと思ってね」
「試す?」
「…罰ゲームがあった方が絶対に面白いだろう?」
『罰ゲーム』…やはりその意味も新菜にはわからなかった。というか、体に良いものを補給するのだから普通はそれを罰とは言わないだろう。もしかしたらそれを飲まないのが罰なのかもしれない…この時点でも彼女はそのような風にしか思えずにいたのだ。
「それで最初は何?」
「乳製品のコーナーかな」
 2人はあらゆる乳製品が並ぶ売場に立った。ここでも特売の牛乳を求める人でごったがえしていたが、そんなのは彼の眼中に入ってはいない。
「それでお求めの品は?」
「豆乳だ。なるべく無調整が良いのだが、コストを考えると調整でも仕方ないか」
それについてはよっぽど妥協出来ない部分があるらしく、ついた溜め息も相当に苦そうだ。指先が何度も2種類の前で彷徨う。
「牛乳のカルシウムよりも大豆のタンパク質を重視ってこと?」
「あとで酸味も加えたいんだ。もしそれを牛乳にやったとしたら?」
「…固まってカッテージチーズになっちゃうね」
「ご名答。こういうのはやっぱり飲み易さが大切だからね。もっともカルシウムを軽視するわけじゃない。一応これも買っておくか」
貞治が上の方から手に取ったのは小さな緑の筒に入ったお馴染みの物だった。スープパスタを愛する彼の好物でもあるアレだ。
「粉チーズ!? それよりもヨーグルトかクリームチーズの方がいいんじゃないの?」
「粉チーズの方が量の融通がきくんだ。それに喉越しの良さを考えたら、濃厚な豆乳にヨーグルトとかクリームチーズは不向きということになる」
 新菜はごくっと息を飲んで彼をじっと見つめる。『ああ言えばこう言う』の典型でありながら、それなりの説得力まで用意しているとは…恐ろしい話だ。
「難しいものだと思うよ。俺も全ての面でクリアー出来る食材を考えながら、それでもどうしてもつまずいてしまう。これでもまだまだ試行錯誤しているんだ」
「…そうみたい…だ…ね」
新菜は自分専用の買い物籠に普通の牛乳を入れる。これでカッテージチーズを作ってサラダに加えようと考えた。
「次は酸味だな」
「何を入れるつもり?」
 先程彼が拒否したヨーグルトにも乳酸菌は入っている。でも一番手っ取り早いのはクエン酸の入ったレモンの果汁か…。
「あった、これだ」
「酢!?」
貞治が手にしたボトルを見て新菜は思わず絶句する。最近の健康志向からか酢は当たり前のように飲まれるようにはなった。リンゴ風味や蜂蜜入りなどその種類は様々だが…彼がラベルを確認しているそれは沖縄産のの黒々とした黒酢の原液だったのだ。
「ちょっと待った!」
「どうした?」
気がついた時、新菜は貞治の腕をがっちりと掴んでいた。
「それ本当に入れるつもり?」
「そのつもりだけれど…」
 そうきっぱりと言い切る姿は憎らしいほどだった。今更ながら新菜は『罰ゲーム』という彼の言葉を痛感する。絶対に知っていてわざとこんなことをしているのだ。
「わずかな量で効果を出す為には、より強い成分を求めるのが正論だと思うが」
「でもそれを『飲もうと思う』ようにさせるのが先じゃないの? 黒酢ってけっこうこってりしている感じだもの…それに豆乳とチーズが加わったら、いくらなんでもバランス悪すぎだよ」
「そうか…ならば後味をスッキリさせるのが良いかもな。やっぱり新菜の意見は参考になるよ」
貞治はそう感謝の言葉を述べたが、口元の微笑みは妙に意味深だった。
「それじゃこれを加えてみようか」
「レモン汁ーっ???」
「ちょっと和の風味も足しておくか。豆乳を調整にしてしまったから、せめてこっちは無添加で…」
「梅干しも入れてしまうのー???」
 酸っぱい酢の上に更に酸っぱいレモンと梅干しを入れたなら…新菜は自分の口の中に唾液が溜まるのを感じる。もうこれ以上口を出しては青学の部員にどれだけ恨まれるのか検討もつかない。
「新菜のお陰で随分と理想に近くなってきたよ」
「よかった…ね…」
でも新菜は彼の本心を本能で悟っている。さぞかし楽しいだろうなあ、犠牲者が更に増えたのと同じようなものなのだから。
「次は?」
「さっき新菜が言っていた『飲もうという気持ち』にさせるってやつね。季節が季節だからある程度の爽快な部分が欲しい」
 黒と白とレモン色と梅干し色では流石に積極的には手を伸ばせないだろう。ここまで気を配っていながら何故味の方に気持ちが向かないのか不思議でならない。
「食紅でも入れるつもり?」
「流石に赤い色はね。あった…これだ」
「ブルーハワイね…」
かき氷にかけるシロップというやつだ。そこから爽快感は確かに覚えるかもしれない。しかし汁の恐怖を知っている彼等がそれに手を伸ばすかは話は別のような気がする。もしかしたら自分は助長してしまったのか…? そう思うと見知らぬ部員たちに申し訳ない気持ちになった。
「新菜? 疲れたのか?」
「ううん…平気」
「じゃ夕食の買い物を済まそう」
 改めて彼の籠を覗いてみた。粉チーズがあるのなら、これで彼の大好きなパスタ料理を作ってあげようか。付け合わせのサラダには酢を使ったヘルシーなドレッシングを添えよう。デザートには豆乳のムースにレモンとソーダをベースにした青く輝くカクテルなんていうのはどうだろう。流石に梅干しだけは使い道は思い浮かばないけれど…そう思っただけで新菜の心は随分と慰められたのだった。
 
 
 
 
 
 本格的な夏の日射しを浴びながら、某私立高校女子テニス部は休日返上の練習に没頭していた。そんな中元気の良い女の子の大声がベンチに飛ぶ。
「こらっ新菜! 練習中に何ボーッとしてんのよ」
「あっ…ごめん」
次期部長として期待を一身に背負っている親友の姿がそこにあった。ダブルスのパートナーとしても新菜の全てを熟知している者である。しかし激しいつっこみが入ってもベンチから腰が浮くことはなかった。反対に親友がどかっと隣に座り、心配そうに顔を覗き込む。
「体調がよろしくないとか?」
「そんなことないよ。元気だよ」
「だったらあれだ…例のでっかい年下くんと喧嘩したとか」
「喧嘩してないよ。朝方まで一緒にいたし」
(こいつ、絶対素で言ってやがる…)
 それでも新菜の頭の中のどこを切り取っても出てくるのは例のでっかい年下くんのことばかりだ。しかしラブラブなのは変わりなくても、眉間のしわと溜め息は深くなってゆく一方だった。
(今頃ボーリングの真っ最中だったりするんだろうなあ)
出来立ての汁を手にして機嫌良く出かけていった後ろ姿がどうも忘れられない。常に相手のことを考えている新菜の予感は悲しいくらい正しかった。
(貞治くんって肝心なところが抜けているような気がするんだよね…)
例えばあの汁はその内容こそ素晴らしいものだが、肝心の味の配慮がすっぽ抜けている。それと同じように、乾貞治はあの汁が自分に回ってくるなんてまるっきり考えていないのではないのだろうか。その証拠として彼は一度も味見をしていなかった。
(もしかしたら今頃…)
「きゃああーーーっっ!!」
「なにっ? 何があったの?」
それでも新菜は顔を真っ青にしたまま首を横に振った。あのおぞましい汁(自作)を口にした瞬間にぶっ倒れる彼の姿が見えてしまったのだ。
「ごめんね、ごめんね貞治くんっ」
 買い物している最中は余裕たっぷりの彼が小憎らしかった。しかしいざ送り出してみると彼に対する不安ばかりが膨らんでゆく。
「新菜、あんた帰った方がいいんじゃないの?」
「いや、そういうつもりはないんだけれど…ふうっ」
少女たちは同時に溜め息をつく。テニスコートにはボールの勢いよく弾む音が響いた。
(帰ってきた貞治くんに何かしてあげられることはないかなあ)
 体に気を使った飲み物なのだから、そのあたりは一切問題はないだろう…多分。問題はそれを強制された心のダメージなんだと思う。
(何か作ってあげようかな? 胃に優しくて消化のいい感じのものを)
そこで昨日の夜に出番のなかった無添加の梅干しを思い出した。白いお粥にそれを乗せてあげたらきっと喜ぶだろう。思えば昨日は自分も牛乳を買ったから、それで甘いミルクセーキも作れる。ここで彼女の元に一気に笑顔が帰ってきた。ベンチからガパッと立ち上がると、親友の方に振り返る。
「そうだ…そうよ! 絶対そうしよっと。ねっ?」
「悪いけど、あんたが何言っているのか全然わからない」 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
青酢詳しいレシピは20・5のものを参考にしました。流石に試す勇気はないですが…。
 
 
 
 
イメージソング   『LOVE IS CASH』   レベッカ
更新日時:
2005/06/12
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Last updated: 2010/5/14