365 TITLE

        
10      依存症   (佐伯虎次郎   クラスメート設定)
 
 
 
 
 
 千葉県某市の六角中に
 それはそれは見目麗しい王子様がおられました
 彼の美しさは学校中の女の子を虜にしていましたが
 何故か本人は男友達と遊んでいる方が楽しいと言う困ったちゃんでした 
 しかし、そんな彼にも恋の悩みはありました
 乙女心と同様に、男心というものも…やっかいな立海なのです
 
 
 
 
 
 男子テニス部三年生の樹くんは人気者だ。特別真面目なわけでもなく、でもグレまくっているわけでもない、どこにでもいる普通の少年だが、無意識に人の心を解きほぐして優しい気持ちにさせてくれる癒し系のキャラクターの主なのだ。彼が二〜三度鼻で呼吸をするだけでみんなが笑顔になる…彼はそんな男の子だった。そして今日も樹っちゃんの癒しを求めて、誰かがやってくるのであった。
「…い゛っぢゃん…」
「一体どうしたのね」
「俺…もう駄目かもしんない…」
「しっかりするのねーッッ」
 突然やってきてガックリと項垂れているのは、同じテニス部に所属する友人の一人だった。名前を佐伯虎次郎という。彼とは幼なじみであり、同じ部のレギュラー同士であり、大の親友であり、ダブルス時のパートナーであり…と色々な肩書きをお互いに持っている、いわゆるそういう関係である。頭も良いし、運動も出来るし、性格だって悪くはない(時々黒い時はあるが)そんな彼がこの世の終わりのような顔をしているのを誰が放っておけようか。
「話してみて欲しいのね」
「…実は…」
「うんうん」
「新菜ちゃんがさ…」
 次の瞬間、樹はスクッと立ち上がってその場から逃れようと体を捻った。しかしすぐに学ランの袖をガッチリと掴まれてしまう。
「どーして逃げんだよ!!」
「惚気はいい加減聞き飽きたのね。もう勘弁して欲しいのね」
「話してみてって言った癖に…」
まるで地の底から響くような声に、樹も観念せざるをえなくなってきた。
「それで? 一体何があったのね」
「なんていうかさあ…俺、もうどうしようもなくなってんだよね。イライラしたり、落ち込んだりしてさあ」
「サエ…話がちっとも見えないのね」
 そんな時、開け放たれていた教室の扉から生徒たちの会話が聞こえてきた。
「おーい、日生」
「はい?」
「お前今日日直だったろ? さっき先生が…」
それはどこにでもあるようなクラスメート同士の話だ。しかしそれを耳にした虎次郎が真っ先に反応して立ち上がる。
「サエ!? ちょっと待つのね」
「離せよ、樹っちゃん!」
慌てて制服の裾を掴んだ樹を振り切ろうとする。しかし彼の力は思いの外強かった。
「ちょっと落ち着くのね。いくらなんでも殺しはいけないのね」
 それは決して大げさな言い分ではなかった。今にも罪のない男子生徒をぶん殴りそうな雰囲気だったからだ。
「虎次郎くん?」
虎次郎を現実の世界に戻したのは、小さな女の子の声だった。
「にっ新菜ちゃんっ」
「どうしたの? 顔真っ赤…」
「なんでもない…なんでもないよ」
さっきの態度は一体何処に行ったのやら。大好きな彼女と向かい合う姿はごく普通の中学生だ。
「そうだといいけど。あのね…お昼は屋上で一緒に食べない?」
「ほんと? わかった。行くよー」
「じゃあ昼休みに屋上で待っていてね」
本当は腹の中に煮えくりかえったような感情を隠しているくせに…この手のひらを返したような反応は一体なんだ! 人の良い樹も流石にグレたくなってくる。しかし本人は新菜の姿が見えなくなると、再びどっかりと椅子に座ってこれまで以上の溜め息をついた。
「…重病なのね」
「わかってくれた?」
「好き過ぎてわけわからなくなっているって感じ?」
「ご名答」
 正直な話、佐伯虎次郎という男は女子生徒に大変人気がある。しかし今まではテニスや男友達と遊ぶことに夢中で、そういうことにはまるっきり関心がなさそうだったのだ(そのたびに剣太郎が贅沢だと騒いでいた)。だからいざ本当に彼女が出来るとここまで壊れてしまったのかもしれない。
「新菜ちゃんがさ…他の奴と話しているだけでむかつくんだよ。でも本人がいてくれたらそういうのも平気みたいで」
「二人で話し合ってみたらいいのね。新菜ちゃんは優しいからきっとわかってくれるのね」
「そんなみっともないこと出来ないって!!」
 好きな子の前ではいつでも格好良くありたい…それは恋をする男全ての願いだろう。虎次郎だっていつもそういう気持ちを抱いていたのだ。その時次の授業の開始を知らせるチャイムが鳴った。
「ごめんな、樹っちゃん…」
「サエの気持ちはわかっているのね。でも新菜ちゃんの気持ちを一番に考えるべきなのね」
「うん、ありがと」
そう言い残して隣の教室まで去ってゆく彼を見送りながら、シュボーッと鼻息を出した。
(剣太郎…彼女というのは、ただいればいいというだけのものでもないみたいなのね)
 
 
 
 
 
 それでも約束した昼休みが楽しみでないはずがない。授業が終わったと同時に教室を飛び出してゆく。待ち合わせの屋上で待つと、すぐに新菜がやってきた。
「ごめんね、遅くなって」
「そんなことないよ。折角の新菜ちゃんのお誘いだからね。待ち遠しくてたまらなかったよ」
「虎次郎くんったら…」
 それでも付き合い始めたばかりの頃は、彼のそんな言葉にも真っ赤になって口がきけなくなっていた。こうして笑顔を見せてくれるようになったということは、自分たちもそれなりに進展しているのだと思っていいのだろうか。
「今日ね、デザートにカップケーキ作ってきたの」
「ホント? 嬉しいよ。新菜ちゃんの手作りならチャイムぶっちぎってでも来る価値があるからね」
「もう、お世辞ばっかり」
それでも『手芸部』という名称の家庭科部に所属している彼女の料理は本当に上手だった。特に味にうるさい女の子たちが常に狙っているのだと聞く。もしこの現場を彼女らに見られていたなら、間違いなく新菜の友人たちに袋叩きにされていただろう。
 おだやかな日差しが降り注ぐ屋上で、二人は並んで座っていた。耳には穏やかな波の音が優しく届いてきている。全ての面で満たされた二人は、例え言葉はなくても心の底から幸せだと思えた。
「あっ、あのねっ、虎次郎くん…」
「なに?」
「ちょっとだけ…ね、目を閉じていてもらえないかな」
まるで消え入りそうなほどの小さな声だった。それまではさざ波程度だった胸のざわめきが一気に大きな波へと変化してゆく。これを期待せずにおれようか。もしかしたら…佐伯虎次郎、今日大人になるかもしれません。
「ちょっとでいいから」
「うっ、うん」
心の中は完全にラブコメの主人公だった。あまり目を閉じた顔を別な人間に見られたくはないが(どんな顔をしているのかわからないから)、それでもゆっくりと目を閉じて見せた。
「これでいい?」
「うん…」
 次の瞬間に虎次郎を襲ったのは、自分の体の前半分を潰す感じの圧迫感だった。新菜の手がそっと伸びて自分の肩を通過したのはわかったから、もしかしたら自分は抱きしめられているのだろうか!? だとしたらこの柔らかく圧迫している膨らみは…。
(もしかして、新菜ちゃんの胸ーーーっっ!???)
中学三年生とはいえ、彼女の肉体はもう大人の女性と同じものだ。しかもその大きさは制服の上からでもバッチリとわかるほどで、もしかしたら今自分は最高に幸せな瞬間を迎えているのでは…と錯覚してしまった。自分が買い集めている漫画の主人公が、好きな女の子に対して『いっそのこと彼女になりたい』とまで言っていたのを見たが、当時は気持ち悪いこと言うなーっっと思っていたくせに、今はその気持ちが痛いくらいによくわかる。しかし…。
「にっ、にいなちゃ…」
「えっ?」
「くるし…」
「きゃああーーーっ、ごめんなさいっっ」
本人の気持ちとは裏腹に、現実はとっても無慈悲だった。
 さっきまであんなに近くにいたはずなのに、一気に二人の間に壁が出来てしまった。隣同士で並んで座っていることには変わりないのに。
「あのね新菜ちゃん…なにかあった?」
「ごめんなさい」
「そんなに謝らなくてもいいよ。びっくりはしたけれど、怒っていないし(かえって嬉しかったくらいだし)。でも新菜ちゃんは急にそんなことするような子じゃないよね? 何か理由でもあるんじゃないかと思って」
新菜は少しだけ唇を噛みしめたが、それでも少しずつ考えながら話し始めた。
「なんかね、このごろ虎次郎少しだけおかしいかなって思ったの。その…変になったとかじゃなくて、なんとなくぎこちないかなって…」
「俺が?」
「気のせいかもしれないから余計に何も言えなかったけど、でももし私のせいだったならどうしようかなって思って」
 ズキンと虎次郎の胸が疼く。無意識にそのような態度をとっていたのだろうか。心当たりだけは山のようにあった。
「それでね、樹くんに相談したの」
「樹っちゃんに?」
「うん。どうしたら虎次郎くんのタイプの女の子になれるんだろうなーって思ったの。そうしたら樹くんが『束縛してくれる女の子』だって教えてくれて」
「…まさか、さっき抱きしめてくれたのは…」
新菜はコクンと頷いた。確かに見方によってはアレも束縛に入るのかもしれないが、どうもピントが合っていない気がする。それでも本人も相当悩んだのだろう。
(樹っちゃんのアホ…)
今度マックで奢ってやっても良いと思う虎次郎だった。
「ごめんな」
「そんなっ、虎次郎くんが謝ることじゃないよ」
「でも新菜ちゃんを悩ませたのは俺だしさ」
 彼は少し頼りない感じでフフッと笑い、新菜の髪をそっと撫でてくれた。
「新菜ちゃんの言っている事は間違っていないよ。ちょっとぎこちない感じにはなっていたと思う」
「やっぱり私のせい…?」
「そうじゃないよ。俺が意地を張っていただけなんだ。どんどん好きになってゆくのがわかって、そうすると近づいてゆく連中みんなにむかついてイライラして…でもそれは絶対に新菜ちゃんに知られたくなかったんだ」
「どうして?」
「やっぱり恥ずかしいだろ。男としてはさ」
そう言われて、新菜は首をブンブンと横に振った。
「そんなことないっ。私だっていつも虎次郎くんのこと考えているもの」
「えっ、本当に?」
「本当だよ…」
 言葉でいくら疑ってみても、真剣に輝くその目は疑いようがない。本人たちも焦ってしまうほどの見事なすれ違いっぷりだったわけだが。しかしお互いの心と体が同一のものではない以上は、こういったことはいつまでも繰り返されるだろう。
「あのねっ」
「ん?」
「時々でいいの。もし無理じゃなかったら、私にも話してくれないかな。虎次郎くんの本当の気持ち」
「新菜ちゃん…」
「それでも話してくれなくちゃわからないこともあるんだなーって思ったの。私も頑張って虎次郎くんのことを受け止められるようになるから」
健気な言葉を確かめるように、虎次郎は新菜の手をギュッと握りしめた。
「でもそれで新菜ちゃんのことを傷つけてしまうかもしれないよ?」
「大丈夫! 虎次郎くんは絶対人を傷つけたりしない人だよ。信じているもの」
 二人の口から自然と笑みが零れる。これが彼女のちょっとした勇気からもたらされたものだとしたら、やはり感謝の一言しかない。
「なんか俺、ものすごく愛されてません?」
「私はそれしか出来ないから…」
「新菜ちゃん、俺の言う束縛ってそういうことかもしれないよ」
「えっ?」
「好きな子に好きって言ってもらえる…それがずーっと長く続くことが俺にとっての束縛なんだってこと」
 予鈴のチャイムが頭上に響き、二人は慌てて制服の埃を払いながら立ち上がる。その表情はどちらも晴れ晴れとしていた。
「あっ、そうだ」
突然虎次郎が後ろにいた新菜に振り返る。
「どうしたの?」
「実はさ…さっきギュッってしてくれたの、すっげー嬉しかったんだぜ。ああいう束縛も大歓迎。いつやってくれてもいいからねっ」
そう言ってウインクされた新菜の顔が紅葉のごとく真っ赤になったのは言うまでもない。彼が転んでもただでは起きない男なのだと知っても後の祭り。それは無人の屋上で、これからも繰り返されることになる。
 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
どうやら佐伯くんはミス○ル全巻所持者らしい…
 
 
 
 
イメージソング   『Feel The Fate』   w−inds
 
 
 
 
 
更新日時:
2004/10/13
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Last updated: 2010/5/14