学園祭の王子様

7      天使にかまれる   (忍足侑士)
 
 
 
 
 
 
 関東合同学園祭の準備か始まってからもう一週間になる。各校がそれぞれに企画した模擬店やイベントなども少しずつ形になってくるのと同時に、参加者の気持ちもますます活気づいてきているようだ。そんな中、企画運営の中心となっている氷帝学園陣では一人の女子生徒の噂が絶えず流れているのだという。昼間を少し過ぎた頃の人影まばらな食堂スペースでも、本人が与り知らぬところでこんな話題が提供されていた。
「そういえばこの前、こんなことがあったな」
ローストビーフをメインとしたランチプレートをつつきながら必死に思い出し笑いをこらえているのは、男子テニス部の部長であり学園祭の運営委員長でもある跡部景吾だ。
「その時は偶然に手塚や真田たちと会ったから一緒に立ち話をしていたんだが…どうも近くに居合わせたらしくてな」
「ほう…」
彼とは対象的に和の定食を口にしながら忍足侑士が反応を示す。
「運営委員としてどんな形で奴らと関わるかわからねぇ。だから直接紹介してやったんだよ。こいつらが青学の部長と立海の副部長だってな。そうしたらあいつなんて言ったと思う? でっかい声で『先生じゃなかったんですか』だとよ」
「あっちゃー、あのお嬢さんついにやってしもたか」
 手塚国光にしろ真田弦一郎にしろ自分たちが平均的な中学三年生よりも老け…もとい若干大人びた顔をしていることは自覚済みだろう。しかし本当にショックを受けたような言われ方をしたならば浮上するにも時間がかかるに違いない。まるで大人の女性に向かって『おばちゃん』と声をかけるような残酷な無邪気さだが、跡部にとってはそのことも小気味好く感じられているらしい。
「まあ本人は自分の発言を恥じて反省もしていたからな。言われた側は余計に憎めなくなっちまうってとこだろう」
しかし侑士の脳裏にその出来事と似たようなシーンが蘇ってくる。
「そういえばこの前岳人が作ったたこ焼きのメニューを試食していた時もなぁ、あいつにたこ焼きを食べさせることを『子供にごはんを食べさせるつもりで…』なんて例えながら言うとったわ。一見可愛らしい感じやけど、岳人も後々結構な形でくるんとちゃうんか? 悪気がまるっきりない分厄介なもんや」
 そんな恐れを知らぬ武勇伝を落として歩いている少女の名は広瀬静という。二年生を代表して学園祭の実行委員を務めているのだ。特に男子テニス部担当ということで彼らとはよく親しく口をきいている。
「でもなあ、あの子に関してはそれだけやないねん」
「アーン?」
跡部の返事を待っている間にも、彼の頭の中にかつての出来事がフラッシュバックしてくる。天然ボケと呼ぶにはあまりにも罪な所行の数々だ。
「前にあの子が友達から預かったらしいプレゼントっちゅーのをもらったんやけどな。でもそういう人づてに受け取るのはいまいち感動に欠けるとこがあって、冗談のつもりで『お嬢さんはどうなんや』って聞いてみてん…そうしたら『私はファンだって言われたことないですよ』とあっさり…」
 どこをどう考えたらそういう結論に辿り着くのか。跡部景吾は真っ先にそう思い、忍足侑士は未だに思い続けているのだった。
「それだけやないで。名前可愛いな言うたら、両親も同じ名前や言われるし。プレゼント欲しい言うたら、本当にさごしきずしをドライアイス込みで持ってくるし。飴に『ちゃん』をつけるのは食べ物への敬意だと説明したら、食べ物全部につけようとするし…」
「…ちょっと待て」
跡部の顔から笑みが消え、必死といった感じで話題を止める。
「その話はまだ続くのか…?」
「俺も一応は『1日三ボケ程度にしとき』って言うとるんやけどね。でも俺のいないところで相当迷惑かけとるんやろな」
 ふうっとため息をつく侑士の視線は、遙か遠くを見ているようだ。
「関西人だからボケにはツッコミを入れずにいられないとかあるのか」
「アホ、あんな天然系にいちいちツッコミ入れとったらとっくの昔に死んどるわ」
跡部が侑士に同情するのはこれが最初で最後だったかもしれない。もし自分が相手ならとっくの昔に爆発させて、自分の出来る限りの修整をしたに違いないからだ。
「せやけどな…」
「アーン?」
侑士は恥ずかしそうに俯いたまま、小さな声で言った。
「あの子、めっちゃええ子やねん」
「ほう…」
「前にちょっと気まずいところ見られてな。普通の子やったら怖くて逃げ出すような…そんなみっともないとこ目撃されてん」
 跡部は侑士の言う『みっともないとこ』がわかるような気がした。テーブルに肘をついて顔を斜めに傾けながらニヤッと笑う。
「女関係か…また天才という呼び名に惹かれる奴がいたってことか?」
「断った時の平手付きや」
「いつものことだろ」
「まあ…そうなんやけれど」
侑士はあの時思いっきり平手を受けた方の頬にそっと触れてみた。今となってはその女子生徒の顔さえ思い出すことは出来ないし、真っ赤に腫らした頬の痛みさえ記憶の彼方だ。ただ蘇ってくるのは…彼女が貸してくれた濡れたハンカチの冷たい感触の方だった。
「それを見ていた側の方が泣きそうな顔してな、必死に俺のことを探して腫らしたとこ冷やそうとしてくれたんや。本当は暴力沙汰が怖くて怖くて仕方なかったくせに。そしてこんなこといいよる…自分は天才なんて言葉は気にしないってな」
 おそらくこの男にとってはそれが一番新鮮な反応だったのだろう。そして嫌でも気付かされてしまったのだ…『天才』という言葉を否定し続ける限り、それは自分自身を束縛し続けるということに。
「だから今は一番気になる。あの子の目が俺をどう見ているのか。そしてあの子の目に俺がどう写っているのかがな」
「なるほど…な」
跡部はどうやら目の前の男の元に訪れた雲行きも楽しくて仕方なくなったらしく、天井に向けて大きく腕を上げると、いつものように指先を交差させた。
「おい広瀬、この関西眼鏡は貴様のことをご所望だとよ」
 パチンという指先の音を聞いた少女がピクッと震える。どうやら席の後ろ側に立って話が終わるのを待っていたらしい。
「静ちゃん?」
「あのっ、ごめんなさい。お邪魔するつもりはなかったんです」
まだ手をつけていないランチプレートを抱えながら何度も頭を下げる。その様子を跡部も好ましく見ていた。
「こいつに模擬店の話があるんだろうが、アーン?」
「えっ、あっ…はい」
しかし静の返事を待たずに跡部は立ち上がった。もうすでにランチプレートの上は綺麗になっており、ここに滞在する理由もない。
「でも先輩たちのお邪魔には…」
「気にするな。確かにたこ焼きの模擬店に直接関わるつもりはねえ。だがてめーらにも頑張ってもらわなくちゃな。氷帝の優勝がかかっている」
言いたいことを終えると、跡部は別れの挨拶もなしにそのままさっさと立ち去ってしまった。静は不安そうに侑士の方を見つめる。
「いいんですか…?」
「気にせんといて。丁度世間話が終わったとこや。黙って立ってないで座りや」
 多少の戸惑いはあったものの、静が侑士に話したいことがあったのは事実だ。小さな体をピンと伸ばしたまま向かいの椅子に腰掛ける。
「実は明石焼きの材料の目処がついたので報告したくて」
「そうか、何から何まで任せっぱなしですまんなぁ」
「気にしないで下さい。これも運営委員の仕事の一つですもの」
にっこりとわらいながら力こぶを作って見せる静を侑士は優しい目で見つめていた。
「でもたこ焼きの材料と比べたらやはり量の確保は難しいですね。販売する時間を検討してお客さんの購買欲をあおる方法を使った方が良いのかもしれません」
「なるほどなあ。『限定何個』とか『今の時間しか食べられへんよ』というアピールをする作戦か」
「実は私もそういうのに弱くって…でも明石焼きを食べられるなんてめったにないですものね。この話題性を使わない手はないと思います」
 もし開店と同時に売り出せばすぐに在庫はなくなってしまうだろう。しかし昼食の時間帯ではボリュームのあるたこ焼きの方を優先させたいと思う。
「確かお好み売る店があったなぁ」
「山吹中の模擬店ですか?」
「そうそう…同じ粉モンの店があればいつかは客の間にも飽きがくる。そんな時に珍しい明石焼きが出てくれば話題を呼ぶやろ。勝負は…昼過ぎか」
「確かに。おやつの時間帯に売り出せばあっさりと頂くことも出来ますね。じゃあ私は材料の量からどのくらいの数が作れるか計算してみます」
「よろしく頼むわ。岳人と日吉には俺から話しておく」
 実際は単なる模擬店の打ち合わせなのだろうが、時折笑い声を交える二人の姿は最早誰にも邪魔出来ないと思われるほどに二人だけの世界を築いていた。それを食堂の出口付近で見守っている者がいる。あえて静に昼食の場所を譲り、その場を退席した跡部景吾であった。そして彼の隣には用事があった為に一時期離れていた後輩の姿もあった。
「フン…なにが1日三ボケまでだ。あいつの話ならば1日十ボケでも喜ぶって面していやがる…なあ、樺地」
「ウス…」
樺地自身はそれまでなんの話をしていたのかはまったく知らないが、同学年の女の子の言動については心得があったのだろう。いつも以上に深く頷いているようだった。
 それにしても奇妙な二人組だと思わずにいられない。『天才』と『くせ者』という異なる評価を受ける少年と、『直球』と『変化球』を同時に使いこなすような言動の少女…一見アンバランスだがなかなかお似合いのようにも見える。そして相手を想うことで互いに成長してゆきたいという部分が充分に見て取れた。もっとも二人が恋人同士になればテニス部にも相当な混乱が訪れるかもしれないが…まあその時はその時だ。跡部はフッと笑みを浮かべながら体を後方へ翻す。
「行くぞ、樺地」
「ウス…」
 
 
 
 
END
 
 
 
 
天然ボケに振り回されつつも、それでも必死になんとか気持ちを伝えようと頑張る忍足くんが愛しいルートでした。そんな彼の少しみっともないけれども格好いい部分が書けていたら良いのですが。
ちなみにこの話の中で彼はがっくんのことを心配していますが、本人はそこまで気にしていないと思われます。あの納豆たこ焼きのイベントも所詮彼をからかう為に生じた話ですしね。
 
 
 
 
 
更新日時:
2006/01/25
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質問の提供は『広瀬静LOVE同盟』様でした。
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Last updated: 2010/5/12