学園祭の王子様

3      恋は行方不明   (乾貞治)
 
 
 
 
 
 
 翌日の仕度を終えて休もうと思った時、突然中に入っていた携帯電話が鳴り響いた。
「はい、柳ですが」
そう言ったものの、相手はなかなか言葉を返してこない。こんな時間に悪戯されて嬉しい気持ちになれるはずもなく、自然と声も荒くなる。
「もしもし?」
するとようやく申し訳なさそうなほど小さな声が聞こえてきた。
「…教授?」
それは小学校の時に付けられた自分のニックネームだった。しかしあれから数年を経た今では柳蓮二をそう呼ぶ者はいないだろう…たった一人を除いて。
「博士か」
「夜分にすまないな。少し話をさせてもらえたらと思って」
 電話の向こうにいる乾貞治の声は低く、一見いつもと変わらないように聞こえた。しかし小学生の時にダブルスを組むほど親しくしていた幼なじみの耳はごまかすことは出来ない。
「何かあったのか」
「実は…」
一度そう言ったものの、なかなか次の言葉は出てこないようだった。
「当ててみるか」
「えっ?」
「学園祭で青学の実行委員をしているあの女子生徒のことじゃないのか」
まだ幼かった頃に自ら貞治へとデータテニスを伝授した過去がある蓮二に解けぬ謎などないのだろう。しかも…その少女とは数回顔を合わすことがあったが…互いが互いに寄せている想いの正体など子供のテスト以上にわかりやすいものだったのだ。
「流石だな、蓮二」
「そうか? だが俺に言わせれば今更といった気もするがな。お前達はどこの誰が見ても仲の良い中学生同士じゃないか。ここまできて何を悩む必要がある」
 やはり第三者からの目から見てもそのように思われてしまうのか…そのことを貞治は自室の壁ではなく自身の心にしっかりと書き留める。だとしたら自分の考えの信憑性が増して行くのだが、でもその事柄を完全に信じ込むのは危険だとどこかでストップをかけてしまう。
「彼女と知り合ってから10日近く…俺は彼女に対するデータをあらゆる場所から入手し、丁寧に整理をして貯めてきた。今では静のことは誰よりも俺が一番よく知っていると自負している。それこそ静自身の親以上にだ」
「それは随分な自信だな」
「自信なんて何もないよ。ただデータがそう弾き出すというだけのことだ」
まるで辛さを吐き出すかのような重い言葉だった。もしかしたら電話の向こうで泣いているのかもしれない。
「教授…どうして人の心は簡単に正確に導き出すことが出来ないんだろうな」
「貞治…」
 どうも先程からの言葉を聞いていると矛盾が相当交差しているというのがわかる。彼女の全てを知り得ながら、それでも正確に導かせることの出来ないものとは一体なんなのだろうか。
「データというものは対象を冷静に考察できてこそのものだと教えてくれたね」
「確かにそうだが」
「だから…その中にデータを作る側の主観や願望が入ってしまってはいけない。そうなるとデータと呼べる代物ではなくなってしまうから」
「勝負以前の問題だな」
「それが辛い。こんな気持ちになるのは初めてだ」
 図星をさしたことを蓮二は一瞬後悔したが、それが相手の本音を引き出すきっかけとなったのだ。でもデータテニスを教えた側としては、テニス以外の場面でここまでデータに固執するのは不思議でならない。人の心がデータで束縛出来ないことはデータ主義者が一番よく分かっている事だからだ。ましてや幼なじみ同士の決着をあのような形で望んだ男がそれに気が付いていないとは思えなかった。
「彼女が俺に見せる仕草の一つ一つから俺への好意がはっきりと見て取れる。でもそれを見るたびにたまらない気持ちになるんだ。俺の心の中でそれに溺れてしまいたい気持ちと必死に引き留める気持ちが常に戦っている。このままだと自分が何をしてしまうのか見当もつかない」
「…あの子は何か言っているのか」
「いや。でも頭が良くて聡明な上に『直観』が鋭い子だ…もしかしたら気が付いているのかもしれない」
「全て承知で、それでも側にいるのなら何の問題もないような気もするが」
「………」
 無言の返事が『そんなに簡単な問題じゃないんだ』と言っているような気がした。それにしても…こういった発想の主と対等にやりとりをしているその女の子も尊敬に値すると蓮二は思った。
「貞治、お前の今の気持ちはわからない事もない。だがな、時間というものは否応なしに現実を突きつけるぞ」
「現実…」
「最終日は明日だ。それが終わってしまえばテニス部ではない彼女との接点は自然と切れてゆく。お互いそれぞれの日常に帰ってゆくことになるだろう。お前は全国大会に向けて始動し、引退後は高等部で再びテニス漬けの毎日を送る。やがてお互いに出会うことも少なくなり、会ったときは適当に挨拶をして思い出を語るのみになる。しかしそれもいつかはなくなってしまうんだ。今の苦悩は辛いかもしれん。だがデータを逃げの手段にしてしまっては、お前の想いも単なる記憶の一つで終わってしまうぞ。俺との決着を数年後に再現させたお前は、そのことについて決して後悔しないと言えるのか」
 貞治の脳裏にその最悪の予想が浮かんでくる。今更彼女のいない生活など送れるのだろうか…僅か二週間ほどの付き合いでありながら、もう数年も一緒にいるような錯覚を思わせるあの聡明な女子生徒との日々が失われることが信じられない。そして同時に浮かぶのは一緒に過ごしてきた楽しい時間だった。無邪気に自分を呼ぶ声、会議中に見られる運営委員としての凛とした態度、幾度も自分たちの危機を救った機転の良さ、そして『一緒に帰ろう』と誘った時のびっくりしたような表情、名前を呼びたいと言った時にほんの少し赤くなった頬、休日に出かけた時の楽しそうな笑顔…それらはデータの一言で片づけられるものではなく、自分たちが二人で積み重ねてきた大切な時だったのだ。
「無理にとは言わん。だがチャンスがあるのなら打ち明けた方が楽になる事もある。そして言わないことが相手を苦しめているかもしれない場合もある。わかるな?」
「ああ」
 それにしても小学校の頃はテニスボールを追いかける方に夢中になっていた自分たちが、こういう艶っぽい話をするようになったのかと思うと妙な気持ちになる。体と心が同時にくすぐられるような…でもそれは決して不快な気持ちではない。相手への気安さも手伝って蓮二はこういう言葉を口にしていた。
「もし上手く行ったらダブルデートでもするか?」
「…は?」
 すっとぼけたような貞治の声にますます面白い感じになってゆく気がする。
「まさか蓮二…」
「運営委員を担当している女子生徒がいるのは青学だけではないということだ」
受話器の向こうで白くなっている親友の姿を想像して、蓮二は楽しそうに笑った。
「凄いな。俺と違って随分余裕がある」
「なに…弦一郎の目を盗んで彼女と過ごすのもまた楽しいものだったぞ」
「なるほど。相手ではなく真田の方のデータを収集してそっちを利用したわけか」
 策士め…と小声で言ってみたものの、今の蓮二には誉め言葉にしかならない。
「ただ…俺にとっても明日が最後なのは本当だ。お前にも随分ときついことを言ったが、それは自分に言い聞かせた事でもある。どうだ? それを聞いたら少しは頑張る気持ちにはならないか?」
「ああ…そうだな」
言葉の端にようやく安堵が混じってきた。体に適度な疲れを感じている二人はそのまま別れの挨拶をし、電話を切る。しかしテニスの世界の中で奇妙な縁で結ばれた二人は、最後に同時にこう言うのを忘れなかった。
「「がんばろうな、お互いに」」
 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
乾ルートの時にさり気なく優しい手を出してくれた蓮二に萌えてしまった…でも同じ学校の仲間にも言えないことを聞いてくれる他校の友人って、美味しいと同時にありがたい存在なんだろうなぁと思いました。
更新日時:
2005/12/28
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質問の提供は『広瀬静LOVE同盟』様でした。
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Last updated: 2010/5/12