学園祭の王子様

24      七色の明日   (越前リョーマ)
 
 
 
 
 
 ちくしょう…ちくしょう…ちくしょう…あの日以来何度この言葉を胸で吐き続けてきたことだろう。しかし過ぎた時間は戻らず、飛び出した言葉を覆すことも出来ず、結局中学一年生の自分は事実を受け入れることしか出来ないのだ。
(本当に劇をやれば無我の境地が発展するんスか?)
(そこまでは保障しねぇ。しかしな、どんなものでも極めればテニスの糧になる)
もっともらしい言葉を口にしながらも、意味ありげに笑っていたあの男の顔が脳裏に焼き付いて離れない。今考えてみれば、どうしてあんなに分かり易い口車に乗っかってしまったのだろうか。テニスの糧になるのはテニス以外にはないのだということを、一番よく知っているのは自分だった筈なのに。
(ちくしょっ…もし全国で当たったら、絶対にボロボロにしてやるから見てろ!!)
 しかし…越前リョーマにとっての本当の意味での屈辱は、実はそのすぐ後に待っていた。衣装のためのサイズを計らせてほしいと、思いがけない人物から呼び出しを受けたのだ。
「オフィーリアはお姫様であると同時に悲劇の女性だから、あまり豪華で可愛らしい印象にはしないでおこうと思うの」
目の前にいる可愛らしい少女が脳天気に言ってのける。しかもその表情が実に楽しそうで、それがかえってリョーマの気持ちをどん底まで沈めてもくれるのだ。少女の名前は広瀬静…学園祭の運営委員を勤める彼女は、これでも彼より一才年上の青学の二年生である。
「色はシックなグリーンでね、それでも表情を見せるために襟元は純白にしたいの。アクセサリーは細い鎖のネックレスを貸してあげるから楽しみにしていてね」
それを聞いて楽しみにする男がいたらお目にかかりたいとリョーマは思う。
「飾りはなるべく大げさにしない感じでね。でも袖口は大きく広い感じのデザインにして、綺麗なレースを付けたいと思うの」
「はいはい」
 まるで自分がヒロイン役を引き当てたかのようなこだわりようだ。運営委員を務める彼女が衣装係の助っ人としてかり出されるのは仕方ないとして…でもまさかこの場で本人を睨み付けるわけにもいかず、リョーマは机の上に放り出されたままの台本を睨み付ける。シェイクスピア原作の悲劇『ハムレット』のヒロインであるオフィーリアが彼の役名なのだ。
「だったら先輩がこの役やればいいじゃん」
それが今のリョーマの偽りなき本音である。責任感のある彼女ならきちんとやり遂げるだろうし、跡部だって満足するに違いない。
「駄目だよ。一応テニス部限定の企画なんだし」
「チェッ…」
 それでもあまり乗り気になれない心境はなんとなく感じていたのだろう。リョーマの胸周りをメジャーで計りながら、静は彼の背中を指先でツン…と突っついた。
「こうして女役がまわってくるなんて今だけだよ? だったら楽しんでしまった方が勝ちだと思うけどな」
「は?」
「もちろん来年はこういった学園祭は開催されないと思うけれど、でももし越前君が劇に参加したとしたら、お姫様役よりもずっと王子様の役が似合うようなハンサムくんになっているよ?」
「そんなもんッスかね」
それをまるっきり信じていない口振りのリョーマに対し、静の声が少し大きく大げさな感じになってゆく。
「うん。背も高くなって、声ももう少し太く全体的に男らしくなって…きっとガラスの靴を手がかりにお姫様を探したり、眠り続ける恋人を口づけで目覚めさせるような、そんなとびきり素敵な王子様になるわ!」
静は元気のない後輩を少し励ましてあげようと思った程度の発言なのだろう。でもリョーマにとってはそれが嬉しかった。彼女が自分の将来に対して期待を寄せていてくれるということがだ。
「ふう…ん? 先輩ってそういうタイプが好みなんだ」
満足げなリョーマの言葉を聞き逃したのか、メジャーを片づけていた静は慌てて振り返る。
「何か言った?」
「…別に」
 全てのサイズを計り終えたリョーマは椅子の背にかけておいたレギュラージャージへと手を伸ばす。これからの時間をテニスコートで過ごそうと考えていたのだが…その横で静は携帯電話を取り出し、メモの内容を必死に打ち込んでいた。
「何してんの?」
「お針子部隊にメールでサイズを送っておくの。そしたらすぐに作業に入れるでしょ」
文明の利器って凄いよねーと言いながら、静はクスクスと笑った。衣装を担当する少女たちも幾つも掛け持ちしながらの作業を繰り返しているのだ。わずか数分の時間でも無駄には出来ない。
「もしもし広瀬ですが…はい、今送信したのが越前君のものです。至急作業に入ってください。私も今から行きますので」
おっとりした性格で、はたして自分たちの足をどのように引っ張ってくれるのかと思っていたが、こうして見ているとなかなか頼もしい仕事ぶりだ。
「ふーん…」
「これでよし…。期待していてね、可愛いドレスを作ってみせるから!」
「…別に。穴を開けてくれた方がありがたいんだけれどね、こっちとしては」
「そんなことを言ってもハムレットは中止にはならないわよ。あの跡部さんが仕切っている以上はね」
チッと舌打ちをするリョーマを見て静は楽しそうに笑い、それじゃあねと言って控え室を出ていった。
 部屋の扉が閉じられる気配を感じながら、リョーマはフーッと胸に溜まっていた息を吐いた。それと同時に頬のあたりがカーッと熱くなってゆく。体を密着させながらの行為の恥ずかしさが、今になってドッと全身に襲ってきたらしい。
(なんだろ、こんな気持ち…変なの)
それでも鈍感な彼女は自分が思いがけない気持ちに身を焦がしていることなど少しもわかっていないだろう。そのことが今のリョーマには悔しくてならなかった。
 しかし甘くて切ない感じの…そんなセンチメンタルなひとときも一瞬で崩れ去る。突然廊下をドタドタと走る音が聞こえ、それは彼がいる控え室の前で止まった。
「ああっ、忘れてたッ!!」
慌てたような金切り声をあげて静は扉を大きく開け放ち、再びリョーマのいる控え室へと頭を覗かせた。
「広瀬先輩!?」
「ごめんね。時間はまだ大丈夫?」
「別にいいけど…何スか、一体」
「オフィーリアのカツラの色なんだけれど、越前君はブロンドと栗色のどっちがいい!?」
こっちはこれから人生で最大の赤っ恥をかくかもしれないというのに…たかがカツラのことで必死になられると、こちらの肩もガクッと落ちてしまう。
「どっちでもいいッスよ、そんなの」
 
 
 
END
 
 
 
 
大石くんに次いでリョーマの女装話でした。ハムレット演劇はネタの宝庫ですなあ(笑)
更新日時:
2007/02/23
前のページ 目次 次のページ

質問の提供は『広瀬静LOVE同盟』様でした。
戻る


Last updated: 2010/5/12