学園祭の王子様

23      Stay by my side   (柳生比呂士)
 
 
 
 
 
 ショートHRの終了と同時に担任教師が教室から出てゆくと、一日の授業から解放された生徒たちの賑やかな声で室内は活気づいてゆく。特にお年頃を気取っている女の子たちの声は甲高く、本日の天気から好きな人の情報まで、もしくは秋の新製品から先生の噂話まで…今日も彼女たちの話題は尽きることを知らない。その輪の中には机の中を整理しながら鞄に詰め替えている広瀬静の姿もあった。
「しぃ、いるー?」
突然教室の扉が開いて隣のクラスの少女が顔を覗かせる。呼ばれた静はその声に慌てて振り返った。
「梨緒ちゃん!?」
「よかったぁ、まだ帰ってなかったんだね…柳生先輩に先を越されていたかと思っていたけど♪」
 後半の言葉はわざと耳元で小声で囁かれ、静の顔が面白いくらい真っ赤に染まった。彼氏の名前を言われただけでこんな反応を見せるものだから、周りの友人たちもついこんな感じでからかってしまうのだ。
「もうっ、いじわるなんだから」
「だってあんたたち初々しいというか、可愛らしすぎるというかさー。その様子じゃそんなに進展はしていない…かな?」
「梨緒ちゃんッ!!」
でもいくらからかわれたとしても彼女に対して強く出られない理由が静にはあった。夏の終わりに開催された夢のようなお祭りの中で、何も出来ずに初恋の終わりを待つだけだった静の背をそっと押してくれたのが梨緒だったからだ。それにからかい口調でありながら優しい視線で見守ってくれていることもわかっている。
 クラスメートたちが次々と教室から出てゆくのを見計らって、梨緒は遠慮なく静の前の席に腰を降ろした。
「今日はこれを届けに来たのよ。約束していたでしょ?」
目の前に差し出されたのは新製品のチョコレート菓子だった。この頃ではテレビコマーシャルでも頻繁に流れており、流行に目ざとい女の子たちの手によって買い占められ状態であるらしい。人よりも数テンポ遅い静はなかなかその実物を拝むことが出来なかったのだ。目の前にいる親友に事情を話して泣きついたのはつい先日の事だった。
「嘘っ…これどこでも見かけなかったのに! どこで買えたの?」
「うちの近所のコンビニよ。丁度棚に並べている時に出くわしてね、図々しくも買い占めてきてしまったわけだ」
「凄いッ、凄すぎる」
 校内にこういった物を持ち込むことは禁止されているものの、それはあくまでも立て前であり、新製品の物々交換など教師の見ていないところで頻繁にやりとりされていた。昼休みの学食スペースでも大がかりな品評会がいつでも催されているほどだ。
「ありがと。今、お金出すね」
「いいって。いつも美味しいお弁当ご馳走になってるもん。お礼くらいさせてよ」
真新しいチョコレートの包みを抱き締める様子はまるで小さい子供のようだ。そして梨緒を見つめる視線は尊敬する人物に向けるそれである。
「いいなあ…私どんくさいから、そういうタイミングってなかなか掴めないんだよね」
「しぃはそれでいいのよ。私たちもそうだけど、あんた他にも強力な情報網持っているじゃない」
「情報網!?」
「男子テニス部の連中よ。可愛い可愛い元運営委員の為なら一肌も二肌も脱ぐってもんでしょ? でもそれをあの人たちに求めるのは酷かもねー。なんか別の学校の子から担任の先生と間違われた先輩もいたらしいし…そのへんは柳生先輩も人のことは言えないか」
「それは申し訳ありませんでしたね」
 お喋りに夢中になっていた二人の頭の上に、突然男子生徒の穏やかでありながら相当とげのある声が降り注いでくる。二人のお尻が椅子から同時に飛び上がったが、相手が品行方正・真実一路…でありながらテニスの大会でダブルスのパートナーと入れ替わるという実にお茶目な一面を持つ人だということはすぐにわかった。
「比呂士先輩?」
「ゲッ…」
恐れ入ったというような顔をしながらも、それでも梨緒はそれほど怖がっているような様子ではなかった。それは静のことをからかってしまう理由と同じであり、また決して物怖じしない勝ち気な性格もあるのだろう。反対に静の方が恥ずかしそうに項垂れてしまった。
「まったく…人の噂話は本人の聞こえないところでやって欲しいものですね」
「ごめんなさい、先輩」
 でも一年後輩の女の子二人に説教する姿はどこか滑稽でもあり、我に返った三人は同時にプッと吹き出してしまった。
「チョコレートの一つや二つで王者と呼ばれる我々を使うとはなかなか度胸があるじゃないですか」
「確かに、真田先輩や柳先輩ならチョコよりも羊羹の方が似合ってそう…でも仁王先輩や幸村先輩なら余計な悪戯もしそうだしなあ。いっそのこと切原使っちゃう? 静」
一見冗談っぽく語ってはいるものの、言葉にも表情にも鋭い棘がある。その相手は間違いなく立海大附属中男子テニス部であり、そのレギュラーを務める柳生比呂士その人だろう。
「そりゃ静が本当に先輩のことが大好きで二人が仲良しだって言うことはわかってますけどねー、たまに女友達の方にも返して欲しいって思いますもの。嫌みや皮肉の一つでも口にしたくもなりますよ」
 わざとらしく静に抱きついて頭を撫でる梨緒を見て、比呂士は苦いため息をつく。相手は確かに恩人ではあるものの、その上に胡座をかくような行為をされてはたまらない。
「やれやれ。学園祭の時から常々考えていたのですが、日生さんも少しは落ち着くことを考えてはいかがです?」
その言葉を聞いた少女たちは互いに見つめ合いながらも絶句する。静は梨緒のことをよく知っていたし、梨緒はそれ以上に自分の性質を心得ていた。そんな彼女が簡単に落ち着くとは思えなかったのだ。
「まさか、恋人をつくれ…とか?」
「なんならいくらでもご紹介しますよ。うちの部員でよろしければの話ですけれどね」
眼鏡を上に上げながら意味深に笑う比呂士に向かって、梨緒はしばらく考えた後にこう言った。
「やっぱりやめておきます、先輩。それに恋人が出来た程度じゃあの人たちが変わるとは思えないなあ…特に『詐欺師』って呼ばれている人は」
「…わかりますか」
「「ハイッ」」
そろそろ人影まばらになってきた教室に元気な少女たちの二重唱が響いた。
 
 
 
 
 立海大附属中学の校門には校舎まで続く長い並木道が存在している。生徒たちはここを当たり前のように通学しているが、四季折々に見せる美しい眺めは彼らの自慢の種でもあった。今の時期は萌葱や紅といった色が木々を美しく飾り、通りすがり人々を思わず立ち止まらせている。そんな絵画のような風景の中を恋人達は並んで歩いていた。舞い落ちる枯れ葉たちに静の足が取られそうになっても、比呂士は腕を伸ばしてしっかりと静のことを支えてくれる。
「ありがとうございます」
「礼には及びませんよ。大丈夫ですか?」
恥ずかしそうに微笑みながら頷く姿が愛おしく、外の気温とは反対に彼の胸を熱くさせた。
 しかし季節の変わり目を感じると、どこか胸の中にもすきま風が通り抜けてゆくような…寂しさと空しさが同時に体を支配するような複雑な心境になってくる。それは多分僅か一才の年の差の為に起こる別れが近いことを意識しているせいなのかもしれない。でもその気持ちを決して相手に悟られぬよう、比呂士はわざと明るい口調で語りかけた。
「彼女とは随分と仲良くしているようですね」
彼女とは先程二人を散々からかってくれた日生梨緒という少女のことだ。
「はい。ちょっと前までお互いに面識がなかったなんて信じられないくらい。でも彼女のおかげで友達も随分と増えたし、からかわれることがあってもやっぱり嬉しいんです」
 彼女のおかげで静の周りは本当に賑やかになった。互いの友人たちが一度に集うようになったのだから当然ではあるのだが。
「新しい良い出会いがあったことで学園祭に参加した意義は充分にあったようですね。今しか出来ない友達づきあいというのも大切なものですから」
「そうですね。あっ、でも…」
「どうかしましたか?」
「それは先輩にとっても…ですか?」
比呂士を見つめる静の視線は、なんとなく彼に対する甘えのような気持ちが混じっている気がする。学園祭での出会いが育んでくれたのが『友情』だけではないのだと訴えかけるかのように。そして嘘をつけぬ男はそのままの想いを口にした。
「もちろんですよ」
 しかし先程梨緒が口にした『女友達にも返して欲しい』という言葉は、友人サイドとしての本音なのだろうとは思う。静は側にいてくれるだけで癒されるような、心の優しい女の子だったし、それがなければ恋の橋渡しをしてやろうなどと思いはしなかっただろう。素直にありがたいという気持ちや静を独占する現実を申し訳ないと思いながら、それでも心のどこかで後輩の少女に反発していることを比呂士は理解していた。静の行動を天秤で計るわけではないが、女性同士の親密さは正直『羨ましい』という範疇を越えているような気がしてならない。
「みっともないとは思っているのですがね」
「なにがですか?」
「もちろん日生さんには先輩・後輩同士としての好意は寄せていますし、私たちを結びつけてくれたことには感謝してもしきれないほどなのですが…実際は難しいものだと思いますよ。どうも最強の敵を相手にしているような気がしましてね」
 彼のついたため息の苦みが静の胸にも伝わってくるような気がした。『嫉妬』と名付けるには大げさかもしれないが、どうしても人を羨んでしまうことはあるだろう。それでも…。
「みっともないなんてことはないですよ、比呂士先輩」
名前の主にのみ聞こえる程度の声で呼びかけながら、静は下からそっと比呂士の顔を覗き込んだ。
「こんなこと言うのものすごく失礼な話なんですけれど…嬉しいんです、私。それだけ先輩に大切に想ってもらえているんだなあって思えて」
「なっ…」
一人は嬉しさと興奮のあまり頬を薔薇色に染め、もう一人は恥ずかしさのせいで顔が真っ赤になる。それをなんとかごまかそうとするが、静に差し伸べた手は小刻みに震え、声も一気に裏返ってしまった。
「いっ、行きますか」
「…はい先輩」
 互いの手をしっかりと繋ぎながら歩く様子は、通りすがりの人たちも思わず目をそらしてしまいそうなほどの純情さだ。気恥ずかしい空気をなんとかしたくて比呂士は軽く咳払いをした後にチラッと静の方を見る。するとそこには視線が合ったことを素直に喜ぶ静の笑顔があった。
(まったく…)
今までこんな感じで何かにのまれてゆく自分の姿を想像したこともなかった。しかしそれは決して不快な感情ではない。彼女が側にいて、手を繋ぎあって、視線を合わせればはにかんだように微笑んでくれて。この長く続く並木道のように二人の時間も延々と続くことを願いたくなるのだ。
「…ありがとう」
小さな声で紡がれた言葉は一瞬で崩れ、静の耳元まで届かなかった。
「先輩? 今何か言いました?」
「いいえ、何でも」
「えっ、でも先輩なんで笑っているんですか? 私なにかしましたっけっ…?」
 
 
 
 
END
 
 
 
 
柳生くんのルートでは例の女同士の友情もまた外せないと思っています。でもゲームと同様の名無しちゃんでは書きにくかったので、オリキャラヒロインから『日生梨緒』の名前をちょっと拝借しちゃいました。
更新日時:
2006/12/28
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質問の提供は『広瀬静LOVE同盟』様でした。
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Last updated: 2010/5/12